第04話
すっかり夜に包まれた、王城。
わたし・アンゼリカは、麗しの王子様の寝室で……ずっと無言状態リュート様に――いっそ全手法をもって羽交い締めにされていた。
ちなみにヨルくんはお母さんに判断をあおぐため、あのあと少しの『鑑定魔術式』を重ねがけたのち、颯爽と去っていった。
ただ、終始彼自身の唇をなぞるように、その男性らしくもある綺麗な指をやってうつむくことが多かったため、多分真剣に『計算』をしてくれているのだと思う。
あれはヨルくんが、上手な立ち回りを設計したいときに見られる仕草だから。
一方。
寝室に備えつけられたシャワー室を恐る恐る使用させていただき(王子様って自室まわりになんでもある……お風呂も一般家庭では見たこともない猫脚バスタブ……、すごすぎてはだかできょろきょろ小探検してしまった)、やっぱり用意されていた純白のドレスにこわごわ着替えたわたしは、寝室の大きく真っ白なベッドにちょこんと座っている。
お腹部分には、わたしとは明らかに違う、男性のものであるリュート様の腕が回っている。
わたしのあと、入れ替わるようにシャワーを使ったリュート様の髪は、しっとり濡れて。
美しい顏はただ、今はわたしのからだへ押しつけられて隠れてしまい、うかがいしることができない。
静かな、夜。
全身には彼から伸びる『鎖』がわたしの脚へ、二の腕へ、手指にまとわりつづけている。
(このかたは本当にわたしのこと、見ていらしたのだな……)
なんとこちらの王子様、わたしの身じろぎだけで、わたしが御不浄へゆきたいか、ただノー距離にもじもじしているだけなのかまでわかってしまうのだ……!
『そのとき』だけすっと腰の手がゆるまり、若干の恐ろしさを感じたのはないしょ。
シャワーのときはさすがに声をかけたら、手はすうっとあっさり引いたけれど、『鎖』が未練いっぱい、と言わんばかりに追ってきた。
恥ずかしかったものの、もしかして……? と思い、
「……一緒に入りたい?」
足首にすがる『鎖』をちょん、とつついたら、びゃっ!! と飛びあがるように、とんでもない速度で引いていった。
わたしにはリュート様の考えることは、よくわからない。
リュート様の『鎖』は、一般に見るようなものと異なり、からまったような、今にもどろりと、なにかのきっかけに溶けだしてしまいそうなかたちをしている。
怖い、と思う女の子は多いかもしれない。
囚われたまま、じいっと、『鎖』を見つめてみる。
……どうしてかな。わたし。
この子たちのこと……。
わたしは彼の『鎖』をそっと、撫ぜた。
リュート様はびくり、と震えたけれど。大切に触れるわたしを、しばらくそのままにしてくれていた。
「……アンゼリカは、」
不意にくぐもったリュート様の声が漏れる。
わたしは微かに、自らの紅に色づく目を瞠った。
「私に初めて逢ったとき、何か感じましたか……?」
わたしのからだを確かなちからで横へゆっくり引き、寝そべらせたその男性は、すがるようにわたしの両頬へ手をやる。
暗がりの中、繊細な意匠の小さなランプだけが、ふたりを照らして。
優しいオレンジの光と混ざった彼の空色の瞳は、食いいるようで別のなにかを見つめている――たまらなく、そのような感じがした。
わたしは目を伏せ、彼に包まれたままの顔をわずかばかり、左右に動かす。
リュート様は、ふっと笑う。
ただ、その表情はひどく痛ましかった。
「――七か月前、王城図書館。多分君は覚えていないのでしょうね。私のほうは、その瞬間すぐ、アンゼリカが『番』と気づきました」
にこっ、と王子様は微笑んで。
「ああ、このように愛らしくかわいい女性がそうなんて。身長が届かず、気になっているらしい本へ、表情は動かずとも懸命に手を伸ばし……。私は興奮を抑えながら君へ歩みよりました。震えを悟られぬよう、背後から該当の本を取り、穏やかに笑んで君へ捧げます。間近で視る君の瞳は、ルビーよりよほど艶やかで甘い紅色をしていました。きょと、としたまま頭を下げ、何事もなかったように去る君を、私はね。そのまま閉じこめてもっともっと何もかも、限界まで満たしたかったのですよ、その実。どうか私の『特別』になって? 君が微笑んでくれたら、それだけで私、その場できっとぐずぐずに蕩けてしまいます……そこまで考えて――」
リュート様はあまりに優しい笑顔を向けたまま、こう話したのだった。
「絶望、したのです。ああ、やはり私もあの男と……父と同じ『化けもの』に相違なかったと」
わたしは、色を失くす。
彼は続けた。
あまりに無垢でがんばり屋な、美しい王子様が八歳のとき。
夜、たまたま寝つけず王族専用の図書室へ忍ぼうとしたその子は、通りがかった大好きな王と王妃の部屋で言い争う声に気づく。
聡い彼は、騎士は見当たらなくとも、姿を隠す術に長けた護衛はいるはずと、まず両親の安全を確信。
寝室は、王族と『赦し』を与えた者ならば扉が開く仕組みだった。
淡々と、静かに話しつづけるリュート様に、わたしは思わず、口を開いた。
おねがい。リュート様。
「リュート様、」
「父はね。我が国の王もまた、『獏』の血族でした。あのひとも情が深いタイプ……? と表現すればいいのですかね」
それ以上は、あなたが。
「王妃を。彼の定めた『番』を、男として愛でながら、『影』を貪っていました」
「――……」
「ふふっ。あのようにおぞましいものはさすがに初めて見ましたね。逃げないで、ああ、美味しい。好き。愛してる。譫言のように呪い……ああ、彼にとっては『愛』ですね、それらをひたすら垂れながす父に、母はお許しください、と壊れたように……怯えきり、震えながら。涙をこぼしていました」
リュート様は、凪のようだった。
楽しい思い出でも聞かせるかのように、ふわりと甘美な笑みすら浮かべて。
「私はね、アンゼリカ。民から清廉な優王と謳われ、芸術品と見紛うような見目と持て囃される父のことが、心底気持ち悪かったのです――畜生にももとるという言葉、まさにあの男のためにあります。けれどね? 君と出逢ってから」
不意に王子様はわたしの首に触れ、つうっと撫でると、うっそりとわたしを覗きこみ、ひどく悩ましげに言葉を吐きつむいだ。
「恐ろしいほどに、彼の気持ちが理解できてしまったのです……♡」
「リュートさ、ま……」
「ねえ。欲しいですよ。男として抱きたいのです。かわいい声を聴かせてください。私の腕の中から永遠にいなくならないで、愛させて。君は、私を――」
“どうか生涯、許さないで”。
リュート様は、わたしをもつれるように抱きこみ、うずくまるような体勢のまま、震えながら告げたのだった。
思わずわたしは、リュート様をぎゅっと抱く。彼の金の髪を梳くようにすると、妖美な肢体に合わせ、ぶるぶるとそれが揺れることを実感する。
リュート様はこれからのわたしの言葉次第で、恐らくあまりにあっけなく壊れる――痛いくらいに、わかるから。
ただ、わたしは。
「リュート様、あのね……」
リュート様の瞳に自分を映してもらう。
ぐちゃぐちゃに惑った『あなたという男のひと』へ、『わたしの真実』を、まっすぐ伝えることしかできない。
***
「リリス様ッ! 戻りましたわァん♡」
アタシ・ヨルムンガンド=イストワールは、 王都外れの森にある小さな木造の館――アンゼやリリス様、そしてアタシも城勤め前まで大切に過ごした、思い出たくさんの場所――へ、表情をいつもの『鬱陶しいまでに明るいアタシ』へ切り替えてから勢いよく飛びこんだ。
「ああ、ヨルぅ……」
アタシ最愛の女は、食卓でそのスラリとした脚を組み、座していた。地を這うような、でも腰にクる艶やかなその声を響かせ、ギギギ、と振り向く。
(あっ、ヤバーい……)
完全に目が据わり、その手には。
「ちょっとあたしのアンゼが、王子にめちゃめちゃにされた件とやらについて詳しく……??」
「リリス様、『壊炎氷定』魔術、出ちゃってますわァ……」
彼女が世界最強と称されるに至ったオリジナル魔術――焔に包まれた氷天秤が兇悪そうに躍っていた。
「うん? そうだね?? キャパシティアウトはアンゼへの下心で策定でいいか? え??」
怒りで完全にイっちゃっているリリス様も素敵……♡
気をやりそうになるのを必死にこらえながら、アタシは理性をかき集め、凛々しくなだめた。
「もったいないので無駄撃ちするならアタシにください!!」
「えっ、嫌だよヨルはいい子だもん……」
あまりの慈悲深さに、床へ刺さって数分間悶えたアタシは、悪くないと思う。
(リリス様はアタシをとーっても心配してくださり、すっかり落ちつかれたようだったわ。愛って偉大よね)
***
アタシが麗しの彼女へ見蕩れながらも事情を語りおえると、リリス様は肩までの濡れ羽色のウェーブヘアをくしゃりとかきあげ、息をついた。
ふたりの前に置いた紅茶は、とっくに冷めている。
「……あたしに救出要請の伝令が来てりゃ」
やるせないように吐きすてた美貌の女へ、アタシは眉を下げた。
「うーん……。アンゼの術式は……咄嗟だろうと、相手を『駆逐するタイプの救援』を排した構築だったと思いますわよ」
「〜っ、そうなんだよなぁ! あの子は優しすぎる!!」
そう。恐らくアンゼの助けなんてキャッチした日には、相手をさくっと地上から消したのち、事情を訊くようなかたなのだ。
王国魔術師団よりさらに上に位置するような立場の魔術師様ではあるが、さすがに王子抹消は国賊である。
……アタシのような国の中枢クラスしか知りえない極秘事項ではあるけれど、現国王は王妃が数年前に儚まれてから、御心を壊された。
それ以来あのリュートという男は、実質国の全てを動かす――底知れない切れ者。
アタシは忙しなく己の唇を、人差し指でなぞりつつ思案する。
リリス様やアンゼの命を守りきる自信はあるけれど、国が崩れるのは『調整』が途方もなさすぎて避けたい。
重ねて言うならば、あの男の周りは異常なほどよくできた部下で固めてあるようだし。
アンゼのぽわぽわな平和主義に、内心感謝と安堵を抱くアタシがいた。
「……ヨル?」
「えっ……ハイ! なんですの?」
弾かれたように顔を上げると、心配げにアタシへ身を乗りだした絶世の美女と視線がぶつかる。
成人済みの娘がいるなんて信じられないほど、リリス様はお若く、瑞々しい色香に濡れていた。
「疲れているだろうに、すまない。……アンゼに、獣人特性に似た兆候と言ったね?」
労るみたいな手つきで、アタシの前髪に触れたリリス様へときめくのもそこそこ、アタシは了承をとってから、いくつか『鑑定魔術式』を愛しのかたへ組む。
少し、引っかかっていたことを語りかけながら。
鑑定の結果、リリス様には獣人特性は一切確認されなかった。
『見立て』が当たり、アタシはぽつりと呟く。
「やはり……」
スレンダーなおみ足を組みなおし、リリス様は首を傾げた。
「? 予想できていたのか?」
「……リリスさ……いえ、お師匠様。かつてアタシの『鑑定魔術』鍛錬にお付き合いくださったこと、覚えていらっしゃる?」
「ああ、あったねぇ。なんかヨル、赤くなったり青くなったりしていた気がする……教えてくれなかった『鑑定内容』もあるんだよな」
“オリジナルの術式もたくさんだったからさ、あたしも何を鑑たかわかんなかった”。
そうおっしゃりながら、リリス様は反対側へこてん、とさらに首を傾げる。はぁ、嘘みたいなかわいさね。
「ほほほ。それはさすがに墓場まで持っていきましてよォ!」
「当時は気にしなかったが、記憶を手繰ればギリギリ構成分解できそうではあったかな。今から解析するか……?」
「やァあん! アタシを限界まで昇りつめさせんとするリリス様も素敵♡……って、話を戻しますわよ!」
リリス様は一見パワーオンリーブレインマッスルと思われがちだが、実は魔術式の理解も異様なほどに深い。
彼女の二つ名でもある『壊炎氷定の魔女』。
秤型の結界に標的を捕らえ、彼女自身が定めた繊細な心理条件から零れおちた刹那、魂ごと滅し葬るという、魔術式学史上最も苛烈かつ複雑な絶対術式を生みだしたのは、他ならぬリリス=イストワールそのひとなのだから。
ちなみに行使には有り得ないほど莫大な魔力を要するため、世界最高を表す紅色をした瞳保持者しか使えない。
世界第二位の金をした己の目をわずかに憎く思いながら、アタシは早々に話題をすり替えにかかった。
「まあ当時お話した範囲のことですわ。アタシ、リリス様に『加護』のような何かを確認したと申しましたの」
「ん? あ、ああ……女神は神に愛されていた!! とか言って咽びだしたから、本当に心配した……」
「コホン!! お師匠様、『加護』の判定に必要な条件とは?」
「他者からの魔力干渉、あるいは何かしらの属性付与の形跡有無だな?」
「エクセレント、一億点満点ですわ! 当時アンゼも鑑させてもらいましたが、そのときは確認されませんでした。そして――」
「王子の『影喰い』後には、アンゼに『それ』が認められている、と……。なるほど、『加護』は付与されるもの。あたしに『加護』があり、性質が似通っているならば、いつかの段階で『喰われていた』。つまりあたしが付与する側の獣人特性を持つのは考えづらい。……で、」
「ええ。アンゼリカに獣人特性があるということは――」
「あああ〜……!」
頭を抱えたリリス様。食卓に束の間突っ伏したかと思うと、よろよろと立ちあがりかけた。
「ヨル……ちょっと、待っててくれ……」
「お、お供しますわ!」
アタシは慌ててリリス様を支え、彼女の歩むままにリリス様ご自身の寝室へ向かった。
彼女の柑橘のような香りが濃く、柔らかに満ちる部屋に官能をくすぐられたことなどおくびにも出さず、アタシは殊勝な表情を貼りつける。
リリス様はベッド傍に置かれた、華奢でかわいらしいデザインをしたサイドテーブルの引き出しから、古びた紙束を取りだし、遠慮がちにアタシへ示す。それはアタシの妹弟子であり、リリス様にとっては唯一の娘・アンゼリカが生まれる少し前の日付が書かれた、国報だった。
彼女の細く白い艶かしい、健康的な指が、一つの記事を指した。
アタシは訝しげに、該当箇所を読みあげる。
「……隣国・アケノクニの王位継承権一位、皇太子の死亡にて入れ替わる……? 喪われた皇子の御名は、」
リリス様が続きを引きとった。
「『暁 朱炎』。――あの子の、父親」
「……」
(隣国の、皇族……)
獏、高貴な家系。
データ自体はあまりに希少。しかし辿るには、信じがたいほど大きなヒント。
“一介の魔女に、真名で迫ってたような……馬鹿な男でさ”。
ぽつりと続いた、慈しみが確かに滲む、愛する女の声音にアタシは、軽く眩暈を覚える。
大事にとってあることが苦しいほどに伝わる国報だった。
その潤んだ紅の目を少しばかりさまよわせたリリス様は、やがて、りんごのように鮮やかに色づく唇を動かした。
「もし『影喰い』が『加護』の『鑑定』にかかるなら、あたしたちでかかれば解除は可能なはずだ。ヨル」
「――はい、そうですわね。ただ……アタシそろそろ」
「……えっ?」
リリス様の額に手をかざし、アタシは彼女へにっこりと笑いかけた。あまりに慣れしたしんだ魔術式を展開する。
「ヨ、ル……?」
あっけなくアタシの手中に堕ちた愛おしいひとへ容赦なく口づけ、どこまでも無邪気に笑いかけた。
「いやですわァ。嫉妬なんて決して、断じてしておりませんことよ♪ただ……」
とさり、とベッドに沈めた彼女へのしかかったアタシから、ぶわりと紫蛇が殺気のように這いでた。
「早急に、『刻みなおしたくなった』だけぇ……♡♡」
鏡なんて見ないから。
アタシがどんなに卑しい想いや表情で、毎夜アナタに愛を吐くか。
かわいいリリス様、そしてアタシ自身も。知る由などないのだわ――。
***
ゆらゆら。
静かに、魔術式で灯ったランプの光が揺れる。
わたしは、アンゼリカは思いのままに、口を開いた。
「……リュート様、あのね。だいすきだなって思っても、無理にしばりつけるのは“わるい子”なの」
確かに、伝えなければいけない。
その言葉に、ひどく安心したような、それでいて痛みに耐えるみたいに表情を歪ませたリュート様へ、わたしは間、髪を入れず続ける。
「聞いて。でも、わたし――」
昏く沈む、空色の瞳をまっすぐに捉えて。わたしは、ふにゃり、とちょっとだけ眉を下げた。
「あなたにされて、や、と思わないの……」
「……はっ、」
虚を衝かれたようなリュート様は、やがて、絞りだすように言う。
「君が……たとえばすごく残忍で、意地悪な子でしたら。私はきっと」
“ここまで、苦しまなかったのでしょうね”。
切なげなまま、皮肉が混ざった口調で紡がれた言の葉よりも、ただただ。
「残忍とか、意地悪とかはわからない。けれどきっと、わたしがどのような女の子でも。あなたは今みたいに」
手を伸ばし、リュート様のあまりに整った目端に親指を添わせた。
「泣いていたと、思う……」
「~っ、」
ぽた、ぽた。
澄んだ涙が、決壊したみたいにあふれ、彼を濡らす。
……どうして、だろう。
境目がなくなりそうなほど、わたしへきつくすがりつくリュート様に、わたしは。
ただ、ぎゅっとするしかできないことが、たまらなく苦しかった。




