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思わず出た言葉

水族館の人気者、イルカの水槽に近づくと子供達は歓声を上げた。


「可愛いー」

「私イルカが1番好きなの」

「私も」


我先にと、天井まで続く大きな水槽に近づく子供達。私は水槽には近寄らず、上の方を泳いでいるイルカや子供達の間から覗くイルカを見ていた。


「イルカは水族館で1番人気があると言っても良いくらい、みんなに愛されています」

女性飼育員が説明をする。


「頭いいんだよね」

「イルカ同士でお話も出来るって聞いた」

子供達は自分の知っている知識を次々と披露していく。

「そうですね、イルカはとても頭のいい生き物です、体重に対する脳の大きさを比較すると、人間の次に大きいと言われています」


飼育員がそう言うとみんな、おぉ〜と声を上げる。

しかし、飼育員の次の言葉で笑顔だった子供達の顔は引き攣り、無言になった。


「イルカは賢いが故に弱い者いじめをするし、マナティの赤ちゃんを遊びで殺す事があります」




—————————




「うっぉえっ、くっ、っ、うぇっ」


便器にしがみ付き、顔を突っ込んで吐いた。

未消化の食べ物と一緒に苦くてヒリヒリする胃液が出てくる。

どうやって自分の部屋まで戻って来れたのか、ほとんど記憶がない。

走っている最中に震える膝が何度もガクガクと折れて床に打ち付けたのは覚えている。


そして、部屋に入るなりすぐにトイレに駆け込み、堪えていた物を吐き出した。


「うぇっ、げほっ、」


全て吐き終え、トイレの壁に背中を預けてその場に座る。

頭の中は何も考えられず、茫然自失で床に座り、ただ、自分の足を見ていた。

…じわりと涙が滲み、頬を伝う。


…翔さん…


私は顔を歪ませ涙を流した。

声が出ず、苦しくて悔しくて、思わず自分の腕を噛んだ。

翔さんを亡くした悲しみと、彼に何もしてあげられなかった自分に対する悔しさが込み上げる。

彼の恐れていた事を真剣に取り合って信じていれば何か違ったのかもしれない、彼は死なずに済んだかもしれない、あんな酷い事されずに済んだかもしれない、それなのに、私は…


私は、本当に無力だ

翔さん、怖かったよね、

何もしてあげられなくてごめんね。


…高橋は異常だ

生きてる人間の体をバラすなんて、人の心があるとは思えない

しかもそんな奴を私は好きになりかけて…

…バカみたい


トイレに篭ってしばらく泣きじゃくったあと、私はポケットに仕舞った翔さんのピアスを取り出した。

手の平で銀色のピアスを転がし、見つめる。


深呼吸して心を落ち着かせると私は立ち上がり、部屋を出た。



———コンコン


「…えー…あーい…」


ドアをノックすると、中から掠れた声が聞こえた。ガチャと鍵を開ける音の後に部屋の住人が眠たそうな顔を覗かせ、私を見るなり驚いた表情をした。


「アカちゃん?どうしたの?」

カナちゃんは泣き腫らした私の顔を見るなりそう言うと部屋の中に招き入れた。

彼女は目が覚めたのか、私の乱れた髪を手で撫でながら心配そうに声を掛ける。


「どうしたの?何があったの?大丈夫?」

カナちゃんの優しさが沁みて、また、涙が滲んでくる。

私は手に握っていた翔さんのピアスを彼女に見せるとカナちゃんの表情は一瞬固まり、何かを察した。

でも、考えたくなかったのかもしくは受け入れたくなかったのか、彼女はえ?なになに?ととぼける。


私は唇を噛みしめて涙を流すと、カナちゃんは

「帰った、んじゃ、なさそうだね、まさかだけど…死んだの?」


その言葉に私は頷く。

カナちゃんは、はぁとため息を吐き、唇を震わせた。

「…あいつ、ふざけてる、気が向いたら殺してやるから、自分で死ぬなよって言ったのに、バカ」

私はカナちゃんに抱き付き、2人で体を寄せ合いその場で泣いた。


カナちゃんは翔さんの死因を自死だと思っている。

私は彼女に本当の事を言うべきかギリギリまで悩んだが、真実を知ったところでいい事は何もない、だからカナちゃんには真実を伏せておくつもりでいる。

恐怖や怒りで感情がドロドロにならないよう、今は悲しみを一緒に受け入れよう、そう思った。


「…でも、これで良かったんだよ、」

カナちゃんが鼻を啜りながら言う。私は涙を拭き、顔を上げて彼女を見る。


「あいつは死にたがってた、楽になったんだって思おう、私はそう思いたい」

カナちゃんの言葉に頷く事は出来ず、神妙な顔をしていると、彼女は続けた。


「人はいずれ死ぬ、遅いか早いかだよ、苦しみがら生きるより死んで解放された方がいいに決まってる」


「私は誰かが死んだって聞くと先越されたなって思う事あるよ」


「朝、起こるたびに絶望感で頭ん中いっぱいになるのもう嫌だし、親の金で生かされてる事も嫌だし、何の役にも立たない不要な存在なら居なくなりたいって、」

淡々と話すカナちゃんが自身を失っているように感じ、私は咄嗟に彼女の手を取る。



「…いきて…」



無意識に声が出て自分でも驚き、「ごめん」と即座に謝った。


カナちゃんも驚いた顔で私を見る。


「はは、声まで可愛いとか、お前最強かよ、しかもなんで、…謝んの…」

カナちゃんはそう言いながらまた涙を流し、私も貰い泣きをする。


“生きて”とか、鬱陶しく、無責任で軽率で薄っぺらい言葉が出てしまった事に焦り“ごめん”が出て来てしまったのかもしれない。

こんなタイミングで声が戻るとは思わなかったが、声を出しながら泣き、伝えたい事を伝えられるのだという希望が胸に広がる。




———「私さ、自分の名前嫌いなんだよね、実優奈て、だからカナって呼ばれるの本当は嬉しかった」


私達は部屋の中心に配置されたソファに並んで座ると、カナちゃんは話し始めた。

「私を産んだババアがクソみたいな奴でさ、“みゆな”って言うのも自分の好きな高級ブランドから取ってんだよ、そんな親いる?」

カナちゃんは父親に会ったことが無く、気付いたら母親と2人きりの生活になっていたそうだ。


彼女の母親はお金に執着した人物で、カナちゃんをダシに親戚からお金を無心したりするような人間だった。

働きもせず、家事もせず、キレイに身支度を済ませると幼い夜中にカナちゃんを1人残して何処かへ出かける日々。

親戚から見切りを付けられると、今度は近所の人や友達の親、学校の先生からまでお金を引き出そうとして、“金の亡者で怪物”だとカナちゃんは言う。


カナちゃんの事を気に掛けてくれて、心の拠り所にしていた人達が次々と自分から離れていき少しづつ崖に追い込まれるように彼女は居場所をなくしていった。


お金を引き出すときは“この子の為に”と言うのに、目的が果たされないと“お前のせいで全て上手くいかない”と言って幼いカナちゃんに手を挙げる事もあったそうだ。


「そのうち金持ちのジジイと結婚したけど、…クソジジイが私に触ってきてもあいつは何もしなかった、金のためなら他はどうでもいい、そんな“怪物”なんだよ」

真剣な顔で話す彼女の言葉は一つ一つが重く積まれるように感じた。


「って翔とかに比べたら私の生い立ちなんて全然平和なんだけどね」

その言葉に私は首を横に振る。

「カナちゃんも悲しい思いをしていっぱい傷付いている、人それぞれ好き嫌いがあるように、平気な事とそうじゃ無い事があるんだよ」

私がそう言うと彼女の顔は少し綻んだように見えた。


「あいつは、…翔はさ、小さい時から父親に人格否定するような事ばかり言われて育ってきて、その内、体を…虐待されて、それなのに男に近づくのは父親への復讐なんだよ」

私は翔さんのその心理がよく分からず、黙って聞いているとカナちゃんは続ける。

「他の男とやってると父親にざまーみろって思えるんだって、他の男と寝てるぞ、お前だけのモノじゃねぇぞって」


それを聞いた私は翔さんのその行為は自傷行為とも捉えられ、彼は自身を擦り減らして生きてきたのだと思うとまた鼻の奥がツーンと痛くなった。

本当は女が好きなくせに、とカナちゃんは呟く。


「今ごろ天国で可愛い女の子追いかけ回してるかな、ってあいつは地獄か、バカだから」

「ううん、きっと天国だよ」

鼻を啜りながら私がそう言うと、私達はティッシュを手に取り、2人で涙を拭いた。


そして、私は彼女にもう一つ、伝えなくてはいけない事がある。

「カナちゃん、私ね、此処を出ようと思う」

「帰るの?」

彼女の問いに私は頷く。


私は本来、9月末まで滞在する予定で、カナちゃんは10月末の予定という事を以前話している。

私がここを去る事を彼女に伝えるとカナちゃんは少し寂しそうな顔をした。


「そっか、もう声も出るし、此処にいる必要無いもんな、いいと思うよ」

「…カナちゃんも帰らない?」


私がそう切り出すと、カナちゃんはえ?と眉毛を上げる。

私はカナちゃんの身に何か起こるのでは無いかと恐れている。

早く彼女をこの場所から離したい、でも地下で見た事を彼女に伝えることは出来ない、彼女を怯えさせるだけだ。

だから今の私に出来るのは、嘘を吐いてでも彼女を守る事だと思っている。


「ここはいい所だけど、カナちゃんみたいにコミュ力が高い人には向いていないと思うの、閉ざされてるって感じがして…うまく言えないけど、」


それを聞いたカナちゃんは少し間を置いて、そうだな、考えてみるよ、と短く答えた。


「てか、さっきから震えてない?大丈夫?」

そう言うとカナちゃんは私の腕を掴んだ。

私は地下で見た衝撃がまだ抜けず、ずっと体が震えている。


あの場所で誰かに遭遇した訳ではないが、もし、私があの場にいた事が高橋やその裏にいる仲間に知れたらと思うと怖くて仕方がない。


地下の秘密を知ってしまった事がバレたら、きっと私も…。


真実を吐き出して楽になりたいが、カナちゃんを巻き込むわけにはいかない。

「…大丈夫だよ、泣くと震えちゃうの」

咄嗟に嘘をつくと、カナちゃんは私を抱き寄せ、よしよしと言って頭を撫でた。



カナちゃん、こんな頼りない私だけど、絶対守るからね…


そう心に誓い、私は彼女の背中をぽんぽんと叩いた。



———————



「後藤さーん、居るかしら?」

昼過ぎ、牧内さんが部屋を訪れる。

扉を開けて姿を見せると、あら、居たのね、と彼女はいつもの明るい笑顔で言う。


「朝も食べてないみたいだけど、具合でも悪いのかしら?お昼は食べれそう?」

「…食欲が、無くて」

牧内さんの問いに答えると、彼女は口を大きく開けて驚いていた。

「後藤さん、声が出るようになったのね、良かったわ〜、高橋所長の言う通りになったわね」


“高橋”というキーワードを聞いて、私は一瞬固まる。

力が入ってしまった首をギギと鳴らしながら牧内さんに顔を向けて、私は彼女に話したい事がある、と言って部屋に入ってもらった。


「9月いっぱいここに居る予定でしたが、もう早めに帰ろうと思っているんです」

私がそう言うと牧内さんは、もう少しだから最後まで居た方が良い、と肩を叩いた。

「声が出るようになって嬉しいのはわかるけど、高橋所長もあなたの治療計画立ててるし、最後まできちんと受けたら?」

「帰りたいんです、すぐにでも」

首を振りながら私が言うと牧内さんは顔を曇らせる。


「こんな事言いたく無いけど、大学でのあなたの立場は大丈夫なの?」

その言葉に私は手元に視線を落とした。

「もう少し、落ち着いてから帰った方がいいんじゃない?ね?」

痛い所を突かれ、私は裾をギュッと握りしめる。


「大丈夫よ、高橋所長がもっとより良い方向へあなたを導いてくれるわよ、彼を信じてもう少しここに居なさい、今のは聞かなかった事にしておくから」

そう言うと牧内さんは私の意見を聞かずに部屋を出て行ってしまった。


少し強引な彼女の言い方に私は憤りを感じ、ため息を吐く。

高橋所長、高橋所長って何でそんなに高橋を推すのか今の私には理解出来ない、教祖様なのか?

虫唾が走る。

名前を聞いただけで私の手は震え、地下で見た光景と会話を思い出し、体が唸るような恐怖で吐きそうになる。

震える手で扉の鍵を掛け、私はベッドに潜り込んだ。



早くここを出なきゃ、

カナちゃんも、ここを出る気にさせなきゃ、

そしたら、警察に通報してあいつを捕まえてもらうんだ。



強気な野望とは裏腹に、私は布団の中で震えながら涙を流していた。

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