疑心暗鬼と騙し合い
遠くで短い拍子音が聞こえ、名前を呼ばれた気がして私は目を覚ました。
布団に包まっていたら、泣き疲れて眠ってしまったようだ。頭がガンガンする。
水を飲まなきゃ、でも、その前に誰かがノックした気がする、対応しなきゃ。
フラフラと歩きながら扉に近づき、鍵を開けてノブに手を乗せ扉を開ける。
扉の隙間から白衣の下にワイシャツとネクタイを締めた胸元が見え、私は咄嗟に扉を閉めた。
「…後藤さん?」
激しく脈打つ心臓に手を当てる。
バクバクと心臓から流れる血流が耳の裏を通過して聞こえてくる。
落ち着け、大丈夫、いつも通り、
自分に言い聞かせ、短い深呼吸を繰り返す。
震える手でドアノブを掴み、もう一度扉を開けた。
「どうかしましたか?大丈夫ですか?」
高橋の問いに私は頷く。
扉は全開にせず、10センチほど開けた状態で俯き、ほとんど顔を隠した状態で私は対応した。
「…寝癖がひどくて」
私がそう言うと高橋は笑った。
「本当に声が出るようになったんですね、良かった、僕も嬉しいです」
「はい」
私は素っ気ない返事で早く終わらせようとするが、高橋は喋り続ける。
「でも、声が出るようになったのなら教えて欲しかったな、少し寂しいです」
「…ごめんなさい」
震える手を見られないよう、扉から露出している方の腕を後ろに回した。
「はは、謝る事ではないですよ、牧内さんから食事が摂れてないと聞きましたが、夕飯は食べれそうですか?」
私は首を横に振る。
「体調が優れないなら言ってください、僕は一応医者、」
「月のが、重くて、動きたくないんです」
高橋が言い終わる前に私は話を遮った。
いつだか早苗さんに教わった“しつこい男を黙らせるセリフ”だ。
月のが重い、と言うのはもちろん嘘だがこれで大抵の男の人は黙る。
「…そうだったんですね、お薬持って来ましょうか」
私は首を横に振り、寝てれば治ると言うと、頭を下げて扉を閉めた。
高橋は何か言いたげな動きをしていたが、支えているものが崩れそうで限界だった、あれ以上彼の前には立っていられない。
扉が閉まると私はその場にへたれ込み、震える体に手を回してギュッと上半身を抱えた。
翔さんの痛々しい姿、高橋の言葉、タバコの匂い、唐田さんに手を掛けた情景が目まぐるしく脳裏に浮かび、恐怖で泣き叫びそうになる。
積み木の上に立たされているかのように心がグラグラして不安定で崩れ落ちそうだ。
…1人で抱えるのは辛い…
考えないようにしていたが、そう思ってしまう。
早苗さんは良く、1人で抱え込まずに周りにいる人に相談しなさいって言ってたけど、こんな事誰に言えば良いの?
誰が信じてくれる?
高橋は皆んなに信頼されてて愛されている、そいつが地下で人の体をバラして臓器売買している、なんて、誰が信じるだろうか。
早くここを出たい、早苗さん、カナちゃん…
…誰か…
強い孤独に胸が押し潰されそうになりながら扉の前でうずくまって泣いていると、向こう側に近づく足音と人の気配を感じ、顔を上げる。
コンコンとノックする音の後にカタンと床に何かが置かれる音が聞こえだが、扉の向こう側の気配は私を待たずに歩いて行ってしまった。
立ち上がりそっと扉を開けてみる。
そこに人は居らず、足元に紙袋が置かれていた。
その紙袋を持ち上げ中身を確認すると、中には水筒と貼るカイロ、カラフルなマカロンが3つに鉄剤と鎮痛薬が小袋に入っていた。水筒の中身は温かいお茶だ。
これを置いたのは高橋だと言う事がすぐに分かった。
気が利く良く出来た人間、だもんね。
高橋が置いて行った紙袋を、窓の外に投げ捨ててやりたい気持ちをぐっと堪え、テーブルの上にそれを置く。
高橋とは闘えない、勝てる気がしない。
今の私に出来ることはカナちゃんが此処を出るのを見送って、その後自分も帰る、余計な事は考えず今はそれを目標にして心を保たなきゃ、その為にもいつも通りの自分を演出して何食わぬ顔で此処を去るんだ。
改めてすべき事を自分に言い聞かせ、私は計画的に、理性的に動く事を胸に刻んだ。
——————
朝、いつもの時間に目が覚める。
昨夜はずっとベッドで横になっていたが何度も意識が戻り、寝たのか寝てないのかよく分からない感覚の目覚めだ。
“いつも通りの自分”を周囲に見せる為にも、私は重い体を起こし、高橋がくれたカーディガンに袖を通し、1階に向かう。
テラスに出て靴を履き替えお気に入りの場所まで移動し、そこに座る。
つい先日まで翔さんが隣にいた事が頭を過り、涙が滲んだ。溢れそうになる涙をぐっと呑み込み、翔さんは可愛い天使の元にお婿さんに行ったんだ、と自分に言い聞かせた。
自分の膝を抱えながら座り、景色に目を向ける事なく下を向いて体を丸め、しばらくその場に留まった。
———すっと立ち上がり、施設の方へと向かう。
テラス窓を開けると、やはり、居た。
鼻から大きく息を吸い込み、私は室内に入った。
「おはようございます、高橋所長」
高橋はコーヒーを啜りながらスマホに落としていた目線を上げ、私を見た。
コーヒーをカウンターに置くと給湯室から出て私の元に歩み寄る。
「おはようございます、後藤さん、すっかり調子が良さそうですね」
「はい、これお返しします、ありがとうございました」
綺麗に洗った水筒を高橋に渡す。
「こうして後藤さんとお話が出来るなんて、嬉しいです、本当に良かった」
彼は水筒を受け取ると、いつもの表の顔、こころがホッとするような柔らかい笑顔でそう言った。
今の私には彼の笑顔は偽物だって知っている、憎ささえ感じて、何笑ってんだって思う。
でもそんな事を悟られてはいけない。
いつも通りに、何も知らないフリで接するんだ。
「高橋所長のお陰です、ありがとうございました」
「ふふ、後藤さんは声にも性格が現れてますね」
そう言うと高橋は、私の髪の毛を耳に掛けようとして顔に手を伸ばすと私はそれをサッと避けた。
咄嗟の反応で避けてしまい、しまった、と少し焦る。
「お腹、空いたので、お菓子を頂いていきますね」
そう誤魔化して彼の後ろに置かれたクッキーに手を伸ばした。
笑顔を作り、ペコリと頭を下げてその場を後にする。
高橋も笑顔で手を振っていたが、うまく誤魔化せただろうか。高橋は鋭いから気を抜かないようにしなきゃ。
何か悟られていないかと胸に不安が広がり、心臓が気持ち悪い鼓動を成していた。
私は食べもしないクッキーをギュッと握りしめ、部屋に戻った。
————————
昼食を取る為、食堂へ足を運ぶ。
本当は食欲が無いが、いつまでも引き篭っている訳にもいかないので鉛のように重い体を引きずって食堂へと向かう。
いつもの席に着こうと歩いていると、私のネームプレートが移動しており席替えが行われている事に気が付いた。
カナちゃんは隣ではなく向かいの席に座っていて、私の前後には新入所者なのか、知らない女性が座っていた。
両側に座る彼女達の視線を浴び、少しドキドキしながら席に座る。
彼女達は利用者だよね?高橋の回し者じゃないよね?
ソワソワと周りを見ると、従業員達もコチラを見ているような気がして、何か探られているのでは無いかと思えてしまう。
チラチラと誰かと目が合う度に私は緊張した。
疑心暗鬼になっているだけだ、大丈夫、いつも通り、私は何も知らないって顔で、
そう自分に言い聞かせ食べ物を強制的に口に運び、味のしない固形物を咀嚼し、ぐっと飲み込んだ。
向かいの席で斜め前に座るカナちゃんが立ち上がるのを見て私は何気なく彼女に視線向けると、カナちゃんは下を指差して“後で来て”と口をぱくぱくさせた。
それを見た私はコクリと頷く。
食事を終え、私は1階へと向かった。
憩の場にはいつもの場所に足を組みながら座るカナちゃんがいて、私は彼女の隣に座った。
「少しは落ち着いた?」
カナちゃんに聞かれ私は笑顔を作り、頷く。
「あのさ、私、今月いっぱいでここ出るよ」
「本当!?」
思いの外早い展開で、私は嬉しくなり声を上げた。
今は8月の中旬、世間ではもう直ぐお盆の時期。
あと2週間ほどでカナちゃんはここを去ると思うと私は安心した。
「うん、そんで、一人暮らし始める」
カナちゃんは現在実家暮らしのフリーターで、今までバイト先で揉め事を起こしてはすぐに辞めて、を繰り返して来たそうだ。
こんな性格だからさ、と彼女は言う。
「実家暮らしって言う保険があるからいつまでも自立出来ないし、まぁ、いいやって思って悪態ついたりしちゃってトラブルんだよね」
「自分の癖を理解しているのって、強みだよ」
私がそう言うと彼女は私の鼻をギュッと摘んで「お前は可愛いんだか可愛く無いんだか良く分かんない」と言った。
「経験ないんだけど、クラブで働いてみようかなって思ってるんだ、なんか、翔みたいな奴がいたら面白そうだなって」
「…うん、いいと思う」
カナちゃんの意見に私は賛成すると、ポロリと涙が出て来てしまい、またもや彼女に鼻を摘まれてしまう。
カナちゃんの翔さんを思う気持ちや、安堵感から今までの張り詰めた糸が少し緩み、涙が溢れてきてしまったのだ。
「当日は家族が迎えに来るの?」
私が聞くとカナちゃんは、専属の運転手が迎えに来る、と言った。
それを聞いて、やはりここの利用者は桁違いのお金持ちばかりなのだと言う事を再認識する。
「ドライバーに電話しようとしたらスマホの電池が切れちゃったんだよねー」
カナちゃんがスマホの電池を切らしてしまうのは良くある事なのでいつもの事だと思って聞いていたが、彼女の次の言葉で私は不安に掻き立てられた。
「充電ケーブルがどこ探してもなくてさ、ベッドヘッドのコンセントに挿しっ放しにしてあったのに、なんで無くなるんだか」
「…え?」
「ドライバーの番号なんて覚えてないから家に電話しないと、事務所の電話貸してくれるらしいけど、面倒くせぇ」
食堂での突然の席替えや、充電ケーブル、特に繋がりはないように思うが、それでも何だか引っ掛かる。
私の考え過ぎかも知れない、そう思いたいが不穏な空気が静かに胸に流れ込んだ。




