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恨むべきは罪か人か

…な…んな…

…起きれる?杏奈…


早苗さんの声で目を覚ます。

「朝ごはんの時間だけど、食べれる?」

彼女を見て頷くと私は気怠く重い体を起こした。

時計に目を向けると8時を指しており、薬のおかげでよく寝れたようだ。

頭がぼーとする。

半開きの目で早苗さんを見ると彼女は目の下にクマを作っていた。私とは対照的に寝れなかったのだろう。


朝食後、早苗さんが外来の待合室から借りて来た本を読んで過ごした。

少しづつ頭がクリアになっていく。


時折記憶が蘇ると心臓が跳ね上がるような動きをしその度に、もう嫌だ思い出したくないのにと癇癪を起こしたくなるような唸りが体を駆け巡る。

その度に岩波先生に言われた“自己防衛に成功した”という考えを思い出し、最悪な事態にならなくて良かった、これで良かったんだと自分に言い聞かせた。


ひなちゃん達の事も頭を過ぎる瞬間があり、彼女達の考えると心がしゅんと萎んでしまい、それ以上は考えられなかった。

彼女達も傷付き、辛い思いをしている。私と親しくならなければこんな思いしなくて済んだのに、って思っているんじゃないだろうか。

私の事、嫌いになったかな。


本から目線を上げて窓の外に向ける、梅雨が上がった夏の鮮やかな青空をぼんやりと見ていると、ドアをノックする音が聞こえた。

はーいと、早苗さんが返事をすると看護師さんが顔を覗かせる。

「後藤さん、弁護士の方が受付に来ててお会いしたいって言っているのですが、どうしますか?」

「弁護士?」

早苗さんはピンと来ていないようだった。

私は何処かで覚悟していた、相手側が何かしらのアクションを起こす事を。なので弁護士が訪れる事に驚きはない。


「はい、なんでも西森さんのご依頼で来たとか」

看護師さんが発した名前に私は全身に鳥肌が立ち、皮膚が強張った。

私の変化に気づいた早苗さんは、お帰りいただいて下さい、と言おうとして私は彼女の袖を引っ張りそれを止める。

「杏奈、会うの?」

私は看護師さんを見て頷くと、じゃあお通ししますね、と言って扉を閉めた。


「大丈夫?無理に会う事ないのよ?」

不安そうな顔をしている早苗さんに私は紙に書いた文字を見せる。

『避けてはいられない、先延ばしにするより早く終わらせたい』


そして、看護師さんが部屋を出てから数分後、再び誰かがドアをノックした。

早苗さんが返事をすると入って来たのはスーツを着た女性だった。

「森田法律事務所より参りました、新野にいのと申します、面会の許可を頂きありがとうございます」

そう言うと彼女は深々と頭を下げた。新野さんは長い前髪を横に流して耳に掛け、黒のタイトなパンツスーツを身に纏ったいかにもキャリアウーマンといった印象の女性だった。

私はベッドに座ったまま頭を下げ、早苗さんは私の代わりに彼女に挨拶をした。


「早速本題に入らさせて頂きたいのですが、よろしいですか?」

彼女の言葉に私が頷くとここに来た経由を説明し始めた。


昨日、西森、稲川いながわ倉田くらたの3家族が彼女の事務所を訪れたところから始まる。派手髪2人の名前は把握していなかったが、きっと彼らの事だろう。

彼らは警察の事情聴取にも素直に応じ、自分達の非を認めており反省しているという。


新野さんは鞄からレールファイルで閉じられた書類を取り出し、私と早苗さんに一部づつ渡した。

パラっとめくって中身を見ると、刑事告訴した際の大まかな流れなどが書いてあり、その背後には示談に関しての事が記されている。


刑事告訴に関する項目と示談、賠償金という言葉が新野さんの口から出て瞬間、早苗さんはえっ、と声を出す。


「あの子達逮捕されてないの?」

早苗さんの言葉に新野さんは書類に落としていた目線を上げると、はいと答えた。

彼女にとって早苗さんの反応はきっと想定内なのだろう。

「彼らには犯罪歴もなく、逃亡の可能性も低いので逮捕はされていません」

それに私のこの傷は自分で付けた物だ、だからこの展開は何処かで予想していた、けど、早苗さんはショックを受けている様子だった。

「なにそれ、こんな酷い事しておいて牢屋に入ってないの?うちの娘がどれだけ怖い思いをしたか…」

早苗さんは声を振るわせ、言葉を詰まらせてしまった。

彼女を落ち着かせるかのように新野さんは説明を続ける。

「もちろん彼らは刑事告発されてもおかしくない事をしています、罪名は複数挙げられますしご希望であれば告訴の手続きも可能です。ただ、刑事告訴となれば解決までに最低でも3ヶ月、いや、本件はそれ以上が見込まれます。もし早期に解決を望まれるのであれば示談の話に少し耳を傾けて頂きたいのですが」


早苗さんは嫌そうな顔をしたいだが、私が頷くと彼女は再び説明を始めた。

「今回、各3家より賠償金を支払いたいとの申し出がありまして、金額の詳細は書類の方に記載させて頂いています」

私は手元の書類のページをめくると、漢字と数字だらけの用紙が出て来た。さっと目を通し、下の欄に目をやると賠償金の合計金額が驚くほど高額だった。


「この金額は加害者の両親達の意思です、相場と比較するとかなり高額ですが三家とも裕福と言う事もあり、この様な金額の提示になりました」

よほど裁判には持ち込みたくないのだろう、目の前の数字だらけの紙を見ていると自分の子を守ろうと必死なのが伝わる。


「詳細についてご説明させて頂きますと、まず、この50万円は、」

「もういいです」

耐えかねた早苗さんが強めの口調で話を遮る。

「お金の話はもういいです、お金で解決しようとしてるじゃない、お金を出すのは親でしょ?結局本人達は何も痛くないじゃない。まずは謝罪じゃないの?お金とあなたを盾に隠れてるみたいで腹が立つわ」

早苗さんはため息混じりにそう言うとファイルを閉じた。


「謝罪をお望みであれば本人達にその様に伝えて機会を設けさせて頂きます、ただ、あちら側としてもまずは誠意を見せなければ合わせる顔がないと言いますか…なので賠償金を先にご提示させて頂いていまして」

「ごめんなさい、娘と2人で話したいので、今日はもうお引き取り下さい」

早苗さんの言葉に新野さんは分かりました、と返事をしたが、心残りがあるのか彼女は顔色を伺うように私を見た。

「最後に、お伝えしたい事があるのですが、もう少しだけお時間頂けますか?」

私が頷くと、彼女は西森雅喜と一対一で話をした際に根本的な動機を探った事を話し始めた。



「事の初めは、女友達に“杏奈さんがバイト先の店長と付き合っている”と言う話を聞いて動揺してしまった、と言っていました」

のちに嘘だと知るが、彼は私に想いを寄せていたからそれが悔しかったそうだ。

女友達というのは美貴先輩の事だと察しが付く。彼女は恋の駆け引きに私を使おうとしたのだろう。

「倉田と稲川は遊びのつもりでいたのですが、西森が杏奈さんの動画を撮ったのはそれを材料にして店長と別れさせようと考えていたようです」

私と早苗さんは黙って新野さんの話を聞いていると彼女は続ける。

「…お二人は、教育虐待という言葉をご存知でしょうか?」

あまり聞き慣れない言葉に首を振ると、彼女は西森雅喜の幼少期について話し始めた。


西森雅喜は次々期病院院長の跡取りという事もあり、幼少期より徹底した教育を受けて来た。

学校や塾などのテストでは全科目95点以上取る事を課せられ、それが果たされないと正座して説教を聞かされる。

そして酷い時はマンションのベランダに閉め出さられる事もあった。耳が痛くなるような寒い日でも脳が煮えそうな暑い日でも。

ベランダから見える他の家庭の子供達は楽しそうに遊んでいたり親に甘えたりしている、なのに何故自分だけこんな思いをしなくてはいけないのか、とずっと不満を抱いていた。

かと言って目標を達成しても褒めてもらえるわけでも無く、幼い頃は自分は本当はこの家の子供では無いんじゃないかと思っていたそうだ。

彼にとって家は安らげる場所では無く、家に帰る度に自ら火に飛び込むような気分だったという。


「そんな両親からの愛情が不足した環境で育ち、道徳観念が未成熟な西森は小学生の時に同級生をいじめて問題になった事があります、その際にもご両親が慰謝料を相手側に支払ったようです」


私はその話を聞いて“罪を憎んで人を憎まず”という孔子の言葉を思い出した。

その言葉には“罪を犯した人の事情も汲んで冷静な判断を”という意味がある。


じゃあ私は何を憎めばいいのだろうか?自分だけで無く友達や大切な人も傷付いている。

このぐちゃぐちゃな感情は誰にぶつければいいの?

美貴先輩?ご両親?それもまた“人”か。

なら、そうなってしまった環境?じゃあしょうがないよね、ってなる訳ない。

西森さんよりももっと辛い環境で育った人だって大勢いる、その中には他人を傷つけない人だっていっぱい居る、どう考えたって今の私は彼が憎いしまだ許す事は出来ない。

新野さんが真意を伝えようとしているのは分かるが、だからどうした、としか思えない。

私の心が未熟なのだろうがそれで構わない。


新野さんが帰ると私と早苗さんははぁ、とため息を吐いた。

シンクロした溜め息が少し可笑しくて私達はふふっと笑ってしまう。


早苗さんは椅子に座り、なんか疲れちゃったわね、と言うと売店で買ったチョコを取り出し私に差し出した。

「杏奈はどうしたい?」

そう聞かれた私は紙に本音を書いていく。


『早く終わらせたい、彼らに関わりたくない、罰するとかどうでもいい、私の人生から早く取り除きたい』

早苗さんはそれを読んで少し間を置いたあと口を開いた。

「私、杏奈の気持ち全然考えてなかったわ、あの子達にも杏奈と同じ思いをさせてやるって考えてたけど、そんな事望んでないのよね、これからは杏奈の意見を尊重する」

『ありがとう、悔しい気持ちを抱え込ませちゃってごめ』

「はい、そこまでよ」

書いている途中で早苗さんは紙に手を置き、制止した。

「まったく、あんたって子は、…少しづつ杏奈が戻ってきたわね」

早苗さんは呆れたようにそう言うと優しく微笑んだ。


「あのね杏奈、さっき売店に行こうとしたら看護師さんに呼び止められてね、」

声質で何やら大切な話のように感じ、私は体を少し向けて聞く姿勢を整える。

女の子が3人、早苗さんに会いたいと言って病院の総合受付に来ていたそうだ。

「個人情報だから何もお答え出来ないって言っても諦めずにずっと粘ってたんですって」

それを聞いて、もしかしたら、と心当たりがあった。

「私が受付に行って杏奈の母です、って言ったら3人とも声を震わせながら話をしてくれてね、」


3人は何から話したらいいのか分からない様子で、目に涙をいっぱい溜めてひたすら早苗さんに謝ったそうだ。


「自分達のせいで杏奈に辛い思いをさせてしまった、本当にごめんなさいって、手紙を書くとか色々考えたけど直接謝りたかったんだって」

なんて答えたの?と問うように早苗さんを見る。私が言葉を発さずとも彼女は理解し、答えた。

「あなた達18、19なんてまだまだ子供なんだから間違った判断もしてしまうわ、もっと大人を頼りなさい、今回のような事があったら自分達だけで解決しようとせず信頼出来る大人に相談しなさいってね」

彼女達は私にも謝りたいと言っていたが、「もし自分が杏奈の立場だったら病室に来られるのは嫌だと思うから、寮に帰って来たらちゃんと謝りたい」と早苗さんに話した。


「杏奈はあの子達の事どう思ってる?」

そう聞かれて私は正直な気持ちを書いた。

『大切な友達』



———————



新野さんに連絡しなきゃね、なんて話していたが翌日、連絡せずにいたのにも関わらず新野さんが再び病院を訪れる。

看護師さんが病室まで入室の許可を聞きに来た際、予想外の早い再訪問に早苗さんは思わず「盗聴器でも仕込まれたのかしら」と冗談を言うほどだった。


そして、新野さんの取り急ぎ伝えたい事項を聞いて、今起きている事態に私は更に追い詰められる事になる─────

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