好奇の目
「連日の訪問で失礼します、先方より早く提案して欲しいの要望がございましたのでお伺いしました」
昨日あの後、西森雅喜の祖父、現大学病院院長の西森繁が新野さんの事務所を訪れる。今回の件にかなり憤りを感じていて孫の雅喜には病院を継がせない、と家族の前で宣言したという。
「賠償金のみですと彼らには痛手がないように感じますが、こう言った洗礼も受けています」
そう言うと新野さんはスマホを取り出し、私と早苗さんに画面を見せた。
それはSNSの検索の結果を表示した物で、そこには彼ら3人が写っており、目に黒い線が引かれた写真などが複数アップされていた。スクロールしていくと顔に加工がされていない写真まで出てくる。
写真には〈エリート医大生の闇〉や、〈医大生がわいせつ未遂、エリートを夢中にさせた美女の正体とは!?〉などと書かれている。
「彼らの行いは大学内から広がり、今ではSNSでちょっとした話題になっていて日常生活においても肩身の狭い思いをしているようです」
親や本人が必死で削除要請しているが、次々と新しい記事が出回るのでイタチごっこの状態なのだとか。
「今はまだ杏奈さんの情報は出回っていませんが、それも時間の問題です、退院して復学されたらカメラを向けられる可能性もあり得ます、このまま騒ぎが大きくなったら週刊誌に目をつけられる可能性も否めません」
私は頭の中にモヤモヤと暗雲が立ち込めていく感覚がした。私は被害者側にも関わらず、西森さん達よりも私の方に好奇の目が向けられているからだ。
顔写真がないから余計に気になってしまうのだろうが、写真が出回っていないのにはそれなりの理由がある。
「そこで西森繁氏よりご提案なのですが、騒ぎが落ち着くまで、夏の間だけでも杏奈さんを遠方の施設で過ごして頂くのはどうかという案がありまして」
新野さんは鞄の中から冊子を取り出すと私と早苗さんに渡した。
その冊子は施設のカタログのようで、表紙には洋館を思わせる豪華な外観の施設の写真と共に“ケアホーム・フォレストハウス”と記載がされている。
表紙をめくると今度はドローンか何かで撮ったような上からのアングルの見開き写真になっていた。
施設は“コ”の字型のようになっており、内側の中庭には芝生の植えられた空間が広がっている。
木々が建物周辺を取り囲うように生い茂っており、山を切り拓いて建てられた事を伺わせている。
「こちらの施設はメンタルヘルスケアを必要とする方達のグループホームになっておりまして、創立してからまだ5年弱という事もあり、あまり知られていないのです」
カタログの見開きページの右下にフロアガイドには施設の詳細が載っていた。
建物は3三階建てで、女性棟と男性棟を繋ぐように真ん中は食堂など共用の空間になっている。
1階は厨房やランドリールーム、処置室があり日常生活を送るのに必要な設備になっていて、利用者は2、3階の部屋で宿泊する造りになっていた。
長野県の山奥にあるこの施設はウェブサイトも無く、ネットで検索しても出て来ないのだとか。
「一部の方にしか存在を知られていません」という新野さんの言葉に少し疑問を抱いたが、カタログの中に折り込まれた1枚の用紙を手に取り記載されている利用料金を見て納得した。
登録料や利用料金がびっくりするほど高額なのだ。
それを見て“一部の方”と言うのはお金持ちの方なのだと理解した。
「まるで高級ホテルみたいね」
カタログをパラパラとめくりながら早苗さんが言った。確かに、外観は異国感が漂い、内装のデザインもテレビで見るような高級リゾート地のホテルのようだった。
「この施設の利用料金や必要経費は西森繁氏が全額負担すると仰っております、手続きもありますのでお返事はなるべく早いほうが良いかと」
話している新野さんに私は紙を差し出した。
『承諾します、賠償金も施設も、全て受け入れます』
すると彼女は少し驚いた顔をした、きっと予想よりも早い決断だったからだろう。
「もう決めちゃうの?」
早苗さんの問い掛けに私は『はやくおわらせたい』と先ほどの紙の下に書いて2人に見せる。
早く終わらせたいのも本音だが、私がSNSをせず友達の写真にも映らないようにしているのは私の顔写真がネット上に晒される事を避けているからだ。
SNSには興味はないと言うのもあるが、1番の理由は父親の存在だ。
私と母親は顔がよく似ていており、万が一父親の目に留まり、身分調査されてしまったら母の犠牲が無駄になってしまう。
ゴシップ好きの餌食になって、それが原因で父親に見つかってしまったらと思うと…。
それに島に帰らずとも施設に入れば復学しやすいのではないかと考えている。
声が出ない状態で退院するよりも専門的なケアを受けた方が日常を取り戻すための近道だと思う。
これらを踏まえると、私には断る理由の方が見つからないのだ。
「寛大なご決断をありがとうございます、早速相手側に伝えさせていただきます」
新野さんが部屋を出ると、早苗さんは落ち着きをなくしソワソワし出した。
「まだサインとか何もしてないからいつでも考えを変えて大丈夫だからね、気が変わったら教えて」
彼女はどうやら私が突発的に決断してしまったと思っているようだ。
私は『メリットしかない、だってこんないい所にタダで泊まれるんだよ?』と紙に書き“フォレストハウス”のカタログに添えた。
何か言いたげに口籠ると早苗さんはため息を吐いた。
「…って子離れ出来てないわね、杏奈の意見を尊重するって言ったばかりなのにね、…分かったわ、施設に行くための準備しないとね」
その言葉を聞いて私は微笑み、頷いた。
昨日、早苗さんからひなちゃん達の事を聞いて少し安心したのか、精神が安定し感情の起伏が穏やかに感じる。
西森さん達に関してはあまり考えないようになっていて、彼等のせいで私が悩んだり苦しむのはなんだか悔しく思うようになったからかも知れない。
彼等を許した訳ではないが彼等に対して関心が薄れてきているのかも。
過去がどうだろうと、後悔しているとしても、私には関係ないし謝罪の機会があったとしてもお断りするだろう。
今の私は、夜は常夜灯を点けたまま眠りシャワー室の利用等で病室から出なくてはいけない時は足早に廊下を移動している。
何故なら暗闇と男性が怖くなってしまったからだ。
病棟に若い男性看護師さんがいて、看護師さんが危害を加えてくる事はないと頭では分かっているが“追い掛けられるのではないか…”という疑念が心を支配して私に嫌な汗をかかせる。
生き物が持っている自然治癒力は心の傷にも有効だと私は思っている。
きっと時間が経てば今回の事は“人生で起きた嫌な出来事の一つ”としてただの記憶になるだろうし、もしかしたら長野の施設に入所する事で心が癒え、時間を掛けずとも声を取り戻せるかもしれない、とそんな期待を寄せながら出発の準備を進めた。




