被害者と加害者と②
3人分の足元はキヨさんとふうちゃんの物ではなく、スニーカーのサイズ感が男性のようだった。
「ごめんなさい、本当にごめん」
ひなちゃんが謝りながら後退していく。
「家族を…おじいちゃんをがっかりさせたくないの、ちゃんと卒業してお医者さんになりたいの、本当にごめんね」
彼女はそう言いうと私に背を向け、少し離れた場所にいたキヨさんとふうちゃんの元に駆け寄り3人は小走りで外に出て行ってしまった。
私は状況が飲み込めずただその場に立ち、目の前にいる正体不明の3人分の影に目を向ける。暗闇に目が慣れてくると彼らの顔が薄らと浮かび上がって来た。
それは西森さん達だった。
私はなぜ彼等が、という疑問と共に胸がざわつき嫌な予感が体中を駆け巡った。
そして友達に裏切られたのだと悟り、今まで感じていた疎外感が孤独に変わり胸に悲しみが広がる。
私は感情をグッと抑え込み、気持ちを切り替える。
「あれ、奇遇ですね、先輩達も肝試しですか?」
すぐにでも走って逃げ出したい気持ちを抑え、彼らに動揺している事を悟られないようフランクに話しかける。すると、西森さんを挟むように立っていた派手髪2人がスマホを取出し、小さくて眩しく光るライトで私を照らした。
「杏奈ちゃんと一緒に肝試ししたくて来ちゃったよ」
「可愛い子の怖がる顔が見たくてさぁ」
ニヤニヤと人をおちょくる様に2人が言う。
「はは、すみません、私はもう帰るところなので」
そう言って一歩踏み出すと3人は少し広がって行手を阻む。
「まだ半分残ってんじゃん、一緒に行こうぜ」
「男と一緒だと心強いっしょ?」
「いや、私、こういうの苦手なのでもう帰りたいなって思ってて」
そう言いながら彼らと距離を取るように少し後ろへ下がる。
笑顔を使ってはいるが、胸の内はノイズがどんどん大きくなっていくかの様にざわめき立っていく。
「えー俺達の事嫌いなの?悲しいなぁ」
「そういう訳じゃないですよ」
私が困ったように笑いながら受け答えをし3人で押し問答していると西森さんがふんっと鼻で笑った。
「杏奈はすごいね、強いよ」
西森さんの言葉に私達は黙って聞いていると、彼は続ける。
「男が夢中になるわけだよね、こんなピュアな子、他に居ないもんな」
「だから汚したくなるんだよ」
冷めた口調の彼の言葉に私は血の気が引くのを感じ、気付いたら彼らに背を向けて走り出していた。
私の後を追う彼らが照らすスマホのライトで前方へと進む経路を捉えながら足を動かした。ただ、灯りが無くなると暗闇に慣れていない目は使い物にならず、急に真っ暗になって私を壁や棚などに衝突させる。
彼らも私の名前を呼びながら追いかけて来ている。
懐中電灯を持たない私にこの暗闇で走るのは不利だと思い、ライトが逸れた隙に咄嗟にビニールシートが掛けられた大型の機械の裏に隠れた。
私は体を丸くしてしゃがみ込み、荒くなった呼吸を整え、口を塞いで息を殺す。
この建物から早く出なきゃと焦りが頭を支配する中、ひなちゃん達の顔が浮かんだ。
彼女達はどんな気持ちで私を此処に連れて来たのだろうか、西森さん達に脅されて仕方なく?葛藤はした?私が何されるか知ってて彼らに引き渡したの?
そんな事を考えていると目にじわりと涙が滲み出て来るのを感じて私は唇を強く噛んだ。
きっと、いっぱい葛藤したはず、脅されて仕方なかったんだ…そうだよね?
「あーあ、雅喜が変な事言うから誤解されちゃったじゃん、あわよくば手を繋げると思ったのに」
「小学生かよ」
ギャハハと笑い声が響き、私は手の平でぐっと目を擦り涙を拭いた。
声と足音が近づいて来る、見つかるのも時間の問題だ。
周りを照らすライトの光が私の居る場所とは反対方向に向いた時、私は立ち上がって走り出した。
地面を蹴る音を聞いて彼らは私に気付き「待て!」と追いかけて来る。
勢いよく飛び出したが足元に置いてあったコンテナに躓き、私は小さな悲鳴をあげて転けてしまう。
うつ伏せで倒れた私は顔が床に着いてしまい、舞い上がった細かな砂埃を吸い込み咳き込んでいると背中に柔らかな感触が当った。
「つかまえた」
西森さんの囁くような声が耳元で聞こえ、彼が私の上に覆い被さっている事に気づく。
私のお尻の上に西森さんが跨るように馬乗りになって座り、両手は押さえ付けられている。
「ひゃっ、やめっ、ふっ…ぐ」
どんなに体を動かしても彼を振り払えず、止めて欲しいとお願いしたくても途切れ途切れに掠れた声しか出ない。
「おい、手を押さえろ、お前は動画撮れ」
西森さんがそう指示すると2人は少したじろぎ、戸惑う様子を見せた。
それでも1人が私の両手を押さえもう1人がスマホの録画ボタンの音を鳴らすと西森さんは私のTシャツを捲り上げた。
背中が露わになるのを感じ私の頭は更に混乱していく。
嫌だ!嫌だ!
叫びたくても恐怖で喉が詰まってしまい、まともに声が出ない。
まるで首を絞められているかのように苦しく、首を横に振って足をジタバタさせる事が精一杯の抵抗だった。
西森さんがブラジャーのホックに手を掛けようとして少しお尻が浮いた時、私は勢い良く自分のお尻を突き上げた。
「うおっ」
彼は体勢を崩し、前方で両手を押さえていた男と衝突しかける。
両手首を押さえていた力が緩むのを感じ、私は急いで体を起こして走り出した。
今起きている事は私が頭の片隅で想定していた最悪の事態だ。まさか彼らが、と思っていた節もあったがきっと最悪、私は彼らに辱めを受ける。
そんなのは絶対に嫌だ。
嫌だ、絶対嫌だ、そんな感情で体中が暴れ出しそうなほど騒ぎ立ち、彼らに捕まらないよう必死に走る。
暗闇の中を全力疾走するのも怖いけどそれよりも捕まってしまう事の方が怖い。
転けたせいか方向感覚が狂い、出口を見つけられずに焦っていると視界の先で仄かな光を捉えた。
それは外から差し込む僅かな光で、壁に付けられたロッカーを灰色に浮かび上がらせている。
私は外に出られる可能性を信じ、その場所へ向かうとそこは更衣室のような場所で光の元は割れた腰窓から差し込むものだった。
「おいっ待て!」
近づく声が聞こえ私は咄嗟に地面に落ちているガラス片を手に取る。
彼らが背後に居るのを感じ、私は体の向きを変えて手に持っていたガラス片を彼等に向けた。
今にも泣きわめきたい気持ちでいっぱいだった、この先は行き止まりでもう逃げようがないから。
叫びたくても喉が苦しくて、声が出ない。
全身が震え呼吸が乱れ、ガクガクする足を引きずりながら後退させていく。
汗と砂まみれで震える私の姿が面白いのか、3人はにやつきながらスマホを私に向けている。
何かを話しているがその会話を理解するほど私には余裕がなく、激しい鼓動と自分の荒い息遣いしか耳に入ってこない。
ただ焦りで頭がいっぱいだった。
もう私のこの醜態で満足して何処かへ行って欲しいと思ったがそんな様子もなく、彼らは後退する私ににじり寄る。
踵がトンと壁に当たるのを感じた。
もう、逃げ場も為す術もない。
手の平サイズのガラス片で彼らと戦うなんて小動物のように怯える私に出来る訳がない。
でも彼らにはもう指一本触れられたくない。
この状況を何とかしなくてはと焦燥感に駆られた私はガラス片を自分の首に向けた。
それを見た彼らはおぉと歓声を上げて喜んでいる。私には出来ないと思っているのだろう。
スマホ画面の光が彼らのにやけた顔を浮かび上がらせている。
ふざけてる、何がそんなに楽しいの?人の事なんだと思っているんだ、そんな感情が沸々と沸き上がりだんだんと腹が立って来た。
怒りに任せて私はガラスを首に押し当てて勢いよくスライドさせた。
スーと血が皮膚を伝って流れて来るのを感じる。手で押さえるとヒリッと滲みて赤い血がべったりと手に着いているのを見て私はその場に膝から崩れ落ちた。
それを見た3人はやばい、と焦り出し私に背を向けて走って行ってしまった。
心臓はまだドキドキしているが、さっきまでの嫌な鼓動ではない。どこかホッとしている自分がいる。
1人になった私はこれで良かったんだと自分を励ました。
大丈夫、傷は深くない、死んだりしない、今は体に力が入らないだけ。暗闇の中、うずくまっていると声が聞こえてきた。ひなちゃん達の声だ。
気付いて貰えるようにロッカーをボンっと叩く。
「きゃー!」
「あんちゃんっ!」
彼女達は私を見るなり悲鳴をあげて近づいて来た。
ふうちゃんは体を震わせながら泣いており、キヨさんは素早くスマホを取り出し何処かに電話している、そしてひなちゃんは私を抱き寄せて言った。
「ごめんなさいごめんなさい、あいつら揶揄うだけだって、あんちゃんの事は傷付けないって言ってたのに、本当にごめんね」
声を震わせ彼女はポロポロと涙を流した。
私は手を挙げて彼女達の注目を集め3人がこちらを見た時、泣かないで、と声を絞り出すと視界が狭っていき意識を失った。




