世界最強で不自由な生き物
「レラ殿、起きているんでしょう? 出てきてください。朝食にしましょう」
翌朝、ハティが何度も自室の扉を叩くが、無視を貫く。おそらくもう太陽は空高く昇っている時間だ。
慣れない環境。得体の知れない人たち。そして、怪物。
想像を超越した出来事が次から次へと発生し、整理がつかなくなった頭を休めたかった。
「お腹、すいていませんか?」
悪魔の囁きが聞こえる。
騎士団の過酷な訓練で己の心身を鍛えてきたわたしにも限界が訪れようとしていた。あれだけ空腹に耐えながら戦闘をする訓練をしてきたのに、今は腹が減ってどうしようもない。
それに、ずっとひとりで部屋に閉じこもっていても、心の整理なんてつきそうになかった。
「……入れ」
観念してハティを部屋に招き入れた。
* * *
「まぁ、部屋が荒れていると思ったらそんなことをなさっていたのですね」
ベッドやテーブルの位置が乱雑で、扉付近に物が寄せられた状態になっている室内とわたしの話を聞きハティは納得した。
「……いや、なんだ…防衛本能というか……無意識に……」
ハティが持参してきた果実の盛り合わせから林檎を手に取ってかぶりつく。
今思えば、岩を砕くぐらいの力を発揮する竜人族にこの程度のバリケードは無意味だ。木材や大きな壷であっても粉砕して突破されてしまう。
昨日はそれだけ動揺していたし、自分を守りたくて必死だった。
「レラ殿が食べれるものを探さないといけませんね」
2個目の林檎を手に取ったところで、ハティが困ったような顔をして言った。
この土地に来てから口にしたのは主に林檎や果実、木の実くらいだ。スープは味気なく、気が進まない。
贅沢を言うつもりはないし、それしかないならありがたく食べるのだが、虫の唐揚げのことを思い出すと、見慣れない料理に手を出すのをためらう。安心して食べることができるのは見知った林檎や果実くらいしかなかった。
「人間の食事はいろんな種類の食材が必要なのでしょう? 栄養が気がかりです」
「それはハティたちも同じだろう?」
「……」
妙な間があった。
ハティを見ると、返答に迷っている様子だった。「どのようにお話ししましょうか」と、前置きした後、言葉を選びながら語り始めた。
「わたくしたちは、あまり食料を必要としないのです。人間に比べて少量で済みますし、人間のような食料を必要としません」
「……腹は空かないのか?」
「そのような感覚は皆無ではないのですが、人間ほど強くないと感じています。なのでわたくしたちは人間ほど、食事に興味がありません。この土地で得ることができるものを摂取する。それだけでじゅうぶんなのです」
人生の楽しみのひとつでもある食事に興味がないとは理解に苦しむが、それだけ体の仕組みがまったく異なることはわかった。食事に工夫を凝らす必要がないなら、農耕や養畜をする必要もなく、狩猟生活をすれば良いだけのことだ。彼らの住まいや暮らしぶりが古代生活のように感じられたのはそのせいだったのかもしれない。
それでも、虫を食すことは解せなかったけれど……。
2個目の林檎を完食したところで、ふと気になったので聞いてみる。
「ハティは朝食はとったのか?」
「いいえ」
「えっ!?」
「ですから、食事はあまり必要ないといったではないですか」
「ほら、昨日は一緒に朝、食事をしたろう? そういう習慣はないのか?」
生活の中で食事は朝、昼、晩の時間感覚を体に覚えさせる習慣でもある。庶民や王宮、騎士団まで、人間は集団生活の中で交流や規律のためにも決まった時間に食事をするのは欠かせない。
「昨日は人間式に合わせて“朝食を摂った”までです。集会の際に集まって食事をする事はありますが、大体は各々が自由に食事をとります」
「……それは残念だ」
食べる楽しみを味わえないのは残念でならない。心の声が漏れてしまった。彼らは私たちとは種族が違うのだから、仕方ないとは思いつつ、どうも納得ができなかった。
「そう、ですか」
「あの焼きたてのふわふわパンの小麦味や焼きたての肉の香ばしさを知らないとは……」
パンも肉の塊も久しく食べていなかったので、恋しくなってしまった。まるで恋する乙女のように食事について語るわたしをハティは不思議そうに見ていた。
「あのー……。人間が食している食べ物をまったく知らないわけではないのですよ。おそらく体のつくりが違うためなのか、“美味しい”と実感したことが少ないないだけで……。時折やってくる平原の商人から、物々交換で人間の食料を頂くことはあります」
人の姿をしているハティの口から“人間”と言う単語を聞く度に、わたしは区別されている気がするし、わたしと彼らは違う生き物なのだと意識せざるを得なかった。それよりも、他の地域の人間と交流を持っていることに驚いた。
「定期的に訪ねてくる人間がいるのだな」
「ええ、ここでひっそりと暮していますが、他の民族との交流は避けられません。ここは人間の世界ですから、多少はお付き合いをしませんと……」
ハティが『ドラクの土地が知られないように記憶を消す』と語っていたことを思い出した。
「ここの土地が他人に知られて困らないのか?」
「何度もこの地を訪れる商人は信頼がおける人間です。商売人は秘密主義者なのですよ。竜の鱗は貴重らしく、他のギルドに販売権をとられては困るようです。なので、秘密は口外しません。……まぁ、もしもの場合は記憶を消せば良いだけの話です」
穏やかな口調で笑いながら物騒なことを言うハティは怒らせたらとても怖いんだろうと思わずにはいられなかった。
竜の鱗など、気になる単語が出てきたが、それよりも気になっていることがある。
「記憶を消せるとか、傷を治癒させるとか、ドラクの特殊能力なのか?」
儀式を終えて仲間入りになったこともあり、竜人族の呼び名をドラクに改めることにした。
「いいえ。今はわたしくらいです」
「そう……なのか」
わたしの「意外だな」という驚きが顔に出てしまったのか、ハティは「ふふ」と微笑みを付け足して、話を続けた。
「ドラクはみな人間に比べて長寿で、強固な肉体を持ち、自己回復力も早いです。でも、人間に介入した力を発揮できるドラクは限られています。わたしくしたちは、その存在をドラクの巫女と呼び、人間からの介入を制御してきたのです」
「人間に介入ってどういうことだ?」
「記憶を消すのも、傷を癒やせるのも人間相手です。ドラク相手には無効です」
「人間のみ? どういう仕組みだ?」
「理由はわかりません。人間に作用する力を持っているのは、人間の血が入っているためでしょう」
「仲間にも使えたらいいのにな」
素朴な感想にハティはくすっと笑った。
「わたくしたちは自己回復ができますので、不要かと。そこまでの傷を負ったことがありませんので。力を込めれば体表面を金属のように硬くすることができます。己の腕を盾にして、剣を直接受けてもかすり傷程度です」
後半の話を聞いて、わたしは血の気が引いた。にこやかに「剣を直接受けてもかすり傷程度」とハティが言うものだから、余計に恐ろしさが助長される。
確かに、最初ベルファレスの玉座で謁見した際、彼らはびくともしなかった。早々に剣を取り上げられ、一撃を食らわすこともできなかったのだ。彼らが人間の男なら、複数でも制圧可能だと言うのに。
戦地に赴けば命に関わる傷を負うこともある。強靱な体を持つと死への恐怖を超越することができるのだろうか。
ドラクはこの世界で恐れるものがない世界最強の生物に思えた。
なんという化け物を相手にしようとしていたのだろう。
武力を行使し、この土地を植民地化する国王の考えは絵空事に感じてしまうくらいだ。彼らを降伏させ、上位に立つなんて不可能だ。
「ははは……。お前たちは世界最強だな」
闘いを挑んだ自分が馬鹿馬鹿しくなり声を出して笑うと、とたんにハティの表情が曇った。わたしは慌てて気遣う。
「どうした? 気にくわないことでも言ってしまったか?」
「いえ。その通りではあるのですが、わたくしたちはこの土地を離れては生きていけません。不自由な身が最強とは言えるのでしょうか?」
ドラゴンと人間の混血。強靱な肉体をもつ代償のせいか、重大な欠点があるらしい。わたしは黙って話の続きを待った。
「儀式をしたとき、始祖の大穴にご案内しましたね」
ハティの問い掛けにわたしは頷いて答えた。
「大穴からは冥界のエネルギーが溢れ出ています。わたくしたちはそのエネルギーで生命を維持しているようなのです。力の源はこの土地一帯の地下に埋まっている鉱石です。ドラクの言い伝えですが、この土地を離れたものには死が訪れると言われています。エネルギーが届かないほどの遠方にはいけないのです」
ハティは寂しそうに遠くを見つめていた。その視線はまるで鳥籠の鳥が大空を夢見ているようだった。エネルギーが及ぶ範囲がどの程度かはわからないが、かつて人間の祖先が様々な土地に移り住んで住処を広げていったような途方もない旅は望めないのだ。
「それにだいたいの人間は私たちの姿を見て逃げ出してしまいます。……なので、そもそもこの土地を離れることができないんですけどね」
ハティの言葉は自虐的に聞こえた。
数日過ごしてわたしは見慣れたが、一般的な人間より大きい体格と青白い肌、鱗のように見える肌の紋様は人ならざる容貌で初見なら臆してしまうかもしれない。
長寿で屈強な肉体を持つ世界最強の彼らは、この世界では不自由だった。
「そうか」
わたしはそれ以上返す言葉がなく、ただ足元を見つめて黙り込んだ。
彼らの事情を知って、自分の行いを悔いた。使命のためとは言え、我が物顔で土地を奪いに来たのだ。許されることではない。
自分が恥ずかしくて何も言葉が出てこない。
ハティが両手でわたしの手を包んだ。それに驚いて顔を上げると、ハティの真摯な瞳がわたしを射抜く。
「だからこそ、わたくしたちはあなたのような人間を待ち望んでいたのです。私たちがこの世界で生きていくためには人間の力が必要です。ベルファレス様も“女神様”が訪れたと喜んでおいででした」
「え、ちょっと……だから女神様ってどういうこと?」
ハティの手には力が入り、振りほどけなかった。彼女が言うように、救いの女神が現われたと瞳をキラキラさせている。
まったく関係ないわたしが、どうして切望される存在なのか。理解を超えるが、ベルファレスの求愛にも関係がありそうだ。
そんな気がする。
どうすることもできず、手を掴まれたままハティと見つめ合っていると、扉を叩く音がした。
「おい、起きたか? ベルファレス様がお呼びだぞ」
「お待たせしてはいけませんわ。参りましょう」
「えっ? どこへ」と、言う前に手を引かれて部屋の外に連れ出された。




