3617.かつての恩義
ポリキクニス国王が、緊張のあまり今にも倒れそうな呪医ジーマラスチに屈託のない笑顔を向ける。
「取って食ったりせぬので、そう緊張せずともよいぞ」
「あ……えッ、えっと……さッ、左様でございますか」
「アビョース伯爵ならば、必ずやこのサファイアを呪医の気に入る装飾品に加工してくれるであろう」
「えっ? おじ様が?」
呪医ジーマラスチが素材屋プートニクを見上げる。旧王国時代の【鎧】を纏う彼の胸で輝くのは、武器を作り出し、自らも戦う職人兼魔法戦士【飛翔する鷹】学派の徽章だ。
ウルガリス公爵令息ピルムが、一歩進み出て深くお辞儀した。
「ジーマラスチ呪医、アウェッラーナ薬師。この度はお忙しい中、ラキュス・ラクリマリス王国よりお越し下さり、私の命をお救い下さいまして誠に有難うございました」
「愚息が大変なご迷惑をお掛け致しまして恐れ入ります。しかも、病を癒やすだけでなく、過ちをも正して下さいまして、誠に有難うございました」
「あ、いえ、そんな……恐縮です」
王位継承権を持つ男子高校生とウルガリス財務大臣に畏まった態度で礼を述べられ、薬師アウェッラーナは戸惑った。隣では、呪医ジーマラスチが蒼白な顔を引き攣らせ、何度もお辞儀を繰返す。
ポリキクニス国王は、元騎士のプートニクに向き直り、遠い目をして微笑を浮かべた。
「アビョース伯爵には今も恩義を感じておる。我が国は貴殿の一族に助けられてばかりだな」
「お褒めに与り、身に余る光栄に存じます」
呪医ジーマラスチの隣で、アビョース元伯爵こと素材屋プートニクが、元騎士らしいキビキビした動作でお辞儀した。
嗅ぎ慣れた甘い芳香がふわりと大食堂に広がる。先程、年配の呪医に耳打ちされて退室した女官が戻ったのだ。鎮花茶の薬効で極度の緊張が解れ、幾分か震えがマシになった。
……あの呪医、気が利くわ。誰かさんとは大違いね。
アウェッラーナは年配の呪医に会釈し、思わず宮廷薬師アポゼマと見比べた。
「陛下は異国の騎士とお知り合いなのですか?」
ウルガリス公爵令息ピルムが、好奇心いっぱいの目で聞いた。
ポリキクニス国王が、まだ顔色の悪い姪孫のピルムに答える。
「二百……何十年前だったか、我が国に百頭の大樹が出現した際、討伐に用いる矢を拵えてくれたのだ」
「ひゃくずのたいじゅ……不勉強で恐れ入ります。どのような魔獣ですか?」
ポリキクニス国王がニヤリと笑う。
「皆が空腹を堪えておる。続きは食事をしながら話そう」
「あッ! も、申し訳ございません」
頭を下げた拍子にピルムがよろけ、父のウルガリス財務大臣が慌てて支えた。
ポリキクニス国王が改めて、呪医ジーマラスチと薬師アウェッラーナに向き直って言う。
「我が姪孫の未来を守ってくれたこと、深く感謝申し上げる。些少ではあるが、遠慮なく受取って欲しい」
親指の爪程もあるサファイアが一粒入った小箱の蓋を閉めると、国王手ずから差し出した。何かを察したらしく、貴族の家系出身の呪医ジーマラスチではなく、平民の薬師アウェッラーナが先だ。
「え……えぇっと……こちらこそ、貴重な機会を賜りまして、恐れ入ります。謹んで頂戴致します」
薬師アウェッラーナは、鎮花茶の助けを借りてもまだ震える両手を差し伸べて、ビロード張りの小箱を受取った。見た目より重みのある箱で、身が引き締まる。
続いて、呪医ジーマラスチにも同じ物が授与される。
「あ、あのッ、えっと、こ、こんな凄いご褒美を、あの、恐れ入います」
アウェッラーナより震えの激しい手でどうにか受取った。
ラキュス・ラクリマリス王国から招聘された医療者二人は、掌にすっぽり収まる小箱を抱えて一礼すると、そそくさ席に戻った。
「もう一度言う。この席は無礼講だ。皆の者、ゆるりと楽しむがいい」
国王たちが着席すると、給仕が空の杯に紫色の果汁を注いだ。
薬師アウェッラーナたちの杯にも、同じ果汁が満たしてある。
視線に気付いた給仕が解説した。
「我が国で採れた山葡萄の果汁でございます。ラキュス・ラクリマリス王国ヴィナグラート産の大葡萄には劣りますが、芳醇な味わいが特徴です」
「そ、そうですか。わざわざ有難うございます」
薬師アウェッラーナは、彼も貴族であろう給仕の丁寧な説明に恐縮した。
……早く帰りたい。まさか、泊まってけなんて言わないわよね?
ポリキクニス王国産の山葡萄果汁は、甘い芳香は強いが、後を引かないスッキリした甘さで飲みやすかった。
給仕が料理のワゴンを押して次々と入室し、室内に並ぶ給仕と女官が手際よく配膳した。
他の者たちは同じ前菜だが、病み上がりのピルム少年の前に置かれたのは、深皿一杯分の麦粥だ。
……一カ月以上も絶食してたし、いきなりご馳走なんて無理だものね。
ピルム少年はつい先程まで、ローシカ製薬製の鎮痛解熱剤のせいで薬物依存症の離脱症状で苦しみ、食事もできなかった。離脱症状が出てからはずっと栄養剤の点滴で過ごしたのだ。少しずつ慣らさなければ、胃が食べ物を受付けないだろう。
前菜には、緑青が使われた様子がなかった。ポリキクニス王国は内陸国で、湖の民の人口が少ないからだろう。
薬師アウェッラーナは、以前視聴した女官アレヌーハのマナー講座の動画を思い出しながら、ナイフとフォークを手に取った。
国王とピルム少年が話を再開する。
「百頭の大樹は、滅多に姿を現さない樹木型の魔獣だ。二百数十年前に現れて以来、我が国では報告例がない」
「その前は、いつ頃ですか?」
ピルム少年は顔色こそよくないが、瞳は好奇心の光を宿して活き活きと輝く。
ポリキクニス国王は、前菜を切り分けながら答えた。
「八百年程前だ。腥風樹のように動き回ったりはせぬが、枝から葉と無数の蛇を生やし、毒気を吐く。近付くこともできぬ厄介な魔獣だ」
「魔法で遠隔攻撃すればいいのではありませんか?」
ピルム少年が匙を手に首を傾げる。
「それがそうもゆかぬのだ。魔法防禦が異常に強く、百頭の大樹が根を張り巡らせた範囲内では、魔法の威力が著しく減衰してしまい、奴より弱い術は打消されてしまってな」
「えぇッ……あ、あぁ、そうですよね。実戦経験のない僕の思い付きなんて、騎士たちが試さないワケがありませんよね」
ピルム少年は肩を落とした。
すぐ顔を上げ、質問を続ける。
「彼はどのように協力して下さったのですか?」
国王は前菜を飲み下して答えた。
「アビョース伯爵は【飛翔する鷹】学派の術者でな。百頭の大樹の強固な魔法防禦を打ち破る為、炎輝石を組込んで【鎧破り】を付与した矢を拵えてくれたのだ」
「炎輝石……樹木だから火に弱いのはわかりますが、我が国の職人は、矢に【鎧破り】を付与できなかったのでしょうか?」
「残念ながら、当時の職人たちは、炎輝石への【炉】の付与、矢への【鎧破り】の付与、それぞれ単独ならできたのだが、それらを一体化する際、術が干渉してしまい、炎輝石に付与した術が失効してしまったのだ」
「えッ……?」
ピルム少年が驚く。
アウェッラーナは薬師なので付与魔術は門外漢だが、知らない分野の話が物珍しく、次々と運ばれてくるご馳走を食べ進めながら耳を傾けた。
国王が遠い目をしてポツポツ語る。
「アビョース伯爵はひとつの炎輝石に【炉】と【鎧破り】を付与し、術で矢に組込んで馴染ませてくれたのだ」
「ひとつの炎輝石にふたつの術を付与……そんなことが可能なのですか?」
「理論上は可能だが、呪文と呪印を刻む細かい細工と繊細な魔力操作が必要で、非常に難易度が高い。当時、我が国の職人は誰一人として宝石への二重付与を成し得ず、個別に付与したものの、矢への統合付与ができなかった」
ピルム少年が、瞳を輝かせてアビョース元伯爵こと素材屋プートニクを見る。
元騎士プートニクは、呪医ジーマラスチと薬師アウェッラーナの護衛として訪れた身だ。みんなが食事をする中、近衛兵ルサールカと共に壁際に控えて微動だにしない。
……大雑把な人だと思ってたけど、人は見かけによらないものね。
攻撃魔法は、強い魔力を一瞬で圧縮して放出する術が多い。
付与魔法は、魔法薬の調合同様、細かい魔力操作が必要だ。
プートニクが、状況に応じて相反する魔力操作を使い分けられる器用さを持ち合わせるなど思いもよらず、アウェッラーナは感心した。
☆ヴィナグラート産の大葡萄……「825.たった一人で」参照
☆炎輝石……「2244.宝石研磨職人」参照
※ 姪孫……甥の子供。字は「姪」だが、男女両方に使う。




