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第9話 ルビィの執着と、初めての共闘作戦

 深夜零時過ぎ。

 新東京市のビルの屋上には、冷たい北風がヒューヒューと音を立てて吹き抜けていた。


 純白のシルクと過剰なフリルレースで構成された、幼女の身体アバターには、この冷え込みは少しばかり応えるはずだ。

 とはいえ、俺の極限の絶望耐性によって、寒さという感覚すらも「まあ、夏場に冷房の効きすぎた役員会議室で、三時間放置プレイされた時と同じくらいか」という、極めて事務的な体感温度に変換されてしまっているのだが。


「ねえ見て見てシロちゃん! この動画、ついに五百万再生を突破したわよ! 急上昇ランクもぶっちぎりの一位!」


 俺の隣で、真紅の魔法少女ルビィが、自分のスマホを興奮気味に俺の顔に押し付けてきた。

 画面に映っているのは、先日の昼間に行われたシロのマスコミ向け記者会見の切り抜き動画だ。

 極太の赤字テロップで『人生2周目!? 大人の本音を代弁する哀愁の天使!』とデカデカと書かれている。


「特にここ! 『泥のように眠ることです』ってとこ! もう、最高に健気で庇護欲をそそるわよね! 私、こんな小さな子にこんな世知辛い人生観を植え付けた悪い大人たちを特定して、絶対零度の氷結魔法で社会的に抹殺してやりたいって本気で思っちゃった!」


 ルビィは、自分がその『社会的に抹殺すべき悪い大人(理不尽な労働環境を強いる上司)』の筆頭格本人であるという、この宇宙で最も恐ろしい真理に微塵も気づくことなく、鼻息を荒くして動画をリピート再生している。


「…………そうですか。それは良かったですね」


 俺は、死んだ深海魚の目で眼下の夜景を見つめながら、一切の抑揚を排した平坦なロリボイスで答えた。


 今の状況を、極めて客観的に整理してみよう。

 俺は今、夜のパトロール任務と称して、自分の直属の上司(氷室玲奈部長)の魔法少女アバターと二人きりで、ビルの屋上に待機している。

 そして、その上司から、俺自身の(極めて不本意な)恥態を晒したバズ動画を見せびらかされ、さらに「お前をこんな目に遭わせた大人(=自分)をぶっ殺してやりたい」という極めて高度なブラックジョーク(本人は大真面目)を聞かされているのだ。


 精神的な拷問としては、中世の魔女裁判すら生温く思えるレベルである。


「ああ、シロちゃんのお口からこぼれるその哀愁漂うセリフ……生で聞きたいわ! ねえ、もう一回言って? 『働かずに暮らすことです』って! お願い!」

「……お断りします。私はパトロール任務に集中していますので」


 俺が冷たく突き放しても、ルビィは全く怯まない。

 むしろ、その冷たい態度が彼女の何らかの特殊なスイッチを押しているようで、「ツンツンしてるのも可愛い! 頬っぺたプニプニしてもいい!?」と、俺の顔に両手を伸ばしてこようとする。


(……この人、本当にあの『氷山の悪魔』なのか?)


 俺は迫り来る彼女の手を身をよじって躱しながら、内心で深い溜息をついた。

 昼間は「あなたの推測データなんて一ミリも信用できないわ! 全部やり直し!」と冷酷無比な声で俺の書類をゴミ箱にシュートするくせに、夜になるとこんなポンコツの限界オタクに変貌するとは。

 人間の精神構造の複雑さと、仕事のストレスがもたらす反動の恐ろしさには、ただただ呆れるばかりだ。


 俺が、ルビィの迫り来る魔の手をどうやって完全に躱し切ろうかと思案していた、その時だった。


『――ALERT:NOIR DETECTED!』


 俺たちの軍用通信機から、同時にけたたましい警告音が鳴り響いた。

 ディスプレイに表示された座標は、ここからすぐ近く、一つ隣の区画のオフィス街だ。


「……チッ。いいところで」

 ルビィが、俺の頬を撫でるのをピタリとやめ、舌打ちをした。その瞬間に見せた苛立たしげで冷酷な表情は、完全に昼間の鬼部長のそれだった。


仕事タスクの時間ですね。行きましょう」

 俺は立ち上がり、ビルの屋上から夜の街へと身を躍らせた。

 魔法少女の超人的な身体能力で、ビルの壁面を蹴りながら目標地点へと急行する。ルビィも、真红のマントを翻して俺の後を追ってきた。


 数分後。

 現場に到着した俺たちの目に飛び込んできたのは、これまでのノワールとは少し毛色の違う怪物の姿だった。


 巨大な蜘蛛やカマキリといった、本能剥き出しの獣型ではない。

 ドロドロとした黒い泥が固まってできたような、ひょろりとした不気味な人型のシルエット。背中からは無数の触手が鞭のように伸びており、顔にあたる部分には、ピエロのような歪んだ笑顔の仮面が張り付いていた。


『ヒ、ヒヒッ……。ザンギョウ……オワラナイ……』


 人型ノワールが、くぐもった、気味の悪い笑い声を上げる。

 だが、問題は怪物の見た目ではなかった。


 奴の背中から伸びた触手の一本が、気を失ったスーツ姿の中年男性――おそらく、深夜残業を終えて帰宅途中だった哀れなサラリーマン――を、ぐるぐると簀巻きにして、自分の身体の前面に宙吊りにしていたのだ。


「人質……だと!?」

 ルビィが、氷の長杖を構えながら声を荒らげた。


 これまでのノワールは、ただ見境なく周囲を破壊するだけの暴走機関だった。

 だが、目の前の人型ノワールは違う。明らかに俺たちの攻撃を躊躇させるための『肉の盾』として、意図的に人間を確保している。

 知能が上がっているのだ。


『ヒヒッ……。コラエロ……シノノモ、シゴト……』


 ノワールは、人質を自分の身体の前にぶら下げたまま、他の触手を鞭のようにしならせて、俺たちに向かって威嚇してきた。


「シロちゃん、気をつけて! あいつ、わざと人間を盾にしてるわ。下手に手を出せば、人質ごと切り刻むか、巻き添えにしてしまう!」


「……厄介ですね」

 俺は、虚無の瞳でノワールを睨みつけた。

 簀巻きにされている中年サラリーマンの顔には、濃い疲労の色が浮かんでいた。手には、安物のビジネスバッグがしっかりと握られている。

 同業者(社畜)として、なんとしても彼を無傷で家に(あるいは布団に)帰してやらなければならないという謎の使命感が湧き上がる。


 だが、俺の武器は、重量二トンの『ドリーム・ステッキ』による純粋な物理攻撃のみだ。

 普段なら、怪物の頭上からステッキをフルスイングして、問答無用でミンチにして終わるだけの単純作業。

 しかし、あんな風に人質を前面にぶら下げられていては、俺の広範囲に及ぶ圧倒的な物理破壊力では、絶対に人質を巻き込んでしまう。二トンの鈍器の衝撃波は、人間の脆弱な肉体など一瞬でトマトケチャップに変えてしまうだろう。


「どうしますか。このまま睨み合っていても、いずれ人質の体力が尽きますよ。明日の朝の始業にも響くでしょうし」

 俺が極めて現実的な懸念を口にすると、ルビィは鋭い視線で敵を観察しながら、一つの結論を口にした。


「……連携するわ」


「連携?」


「そうよ。シロちゃんは破壊のスペシャリストだけど、大雑把すぎるのよ。精密なコントロールなら、私の魔法の方が分があるわ」


 ルビィは長杖を地面に突き立て、周囲の温度を急激に下げていく。

 そこには、限界オタクの影は微塵もない。冷酷な、しかし頼もしい『上司』としての顔があった。


「いい、シロちゃん。私がこれから、極小範囲の『氷結フリーズ』を連続で放つわ。狙いは、人質を捕らえている触手と、人質自身の周囲に展開する氷の防御壁よ。人質を氷の繭で包み込んで、敵の攻撃から守ると同時に、拘束を解く」


「なるほど。人質の安全が確保された瞬間に、俺が本体を叩けばいいんですね」


「ええ。でも……」

 ルビィは、少しだけ顔をしかめた。


「人質を傷つけずに氷の繭を作るには、極限の集中力とタイミングが必要なの。魔法が発動して人質が保護されるのは、ほんのコンマ数秒。その隙を突いて、シロちゃんが敵のコアだけを正確に粉砕しなければならない。少しでもタイミングがズレれば、大惨事になるわ」


 ルビィの言葉の意味は理解できた。

 要するに、彼女が魔法で人質をガードした瞬間に、俺が敵の懐に飛び込んで、コアだけをピンポイントで叩き割るという精密作業だ。

 タイミングが早すぎれば俺の攻撃が人質を巻き込み、遅すぎれば敵の反撃を食らうか、あるいは人質が凍死する。


「……シロちゃん」

 ルビィが、俺の目を見つめて、真剣な声で言った。


「私を信じて、思いっきり突っ込んで! 絶対に、あなたと人質を守ってみせるから!」


 私を信じろ。

 その熱い言葉に、普通の魔法少女なら「はいっ! お姉様を信じます!」と胸を熱くして頷く場面だろう。


 だが、俺の心の中では、全く別の感情が暴れ狂っていた。


(こいつ……どの口が言ってやがる……っ!!)


 昼間の会議室の光景がフラッシュバックする。

『あなたの推測データなんか一ミリも信用できないわ!』

『裏付けのない情報を信じて役員に出せと言うの!? 馬鹿にしないで!』


 つい十時間前、俺の作成した企画書をゴミを見るような目で一蹴し、「一切信用しない」と明言した上司が、今は真顔で「私を信じて」とヒロインぶっているのだ。

 理不尽極まりない。


 しかし。

 仕事は仕事だ。

 上司が「信じて突っ込め」と指示を出したなら、部下である俺はそれに従い、最高の結果(タスクの完了)で応えるしかない。それが、社畜の悲しいサガである。


「……分かりました。信じますよ」


 俺は、死んだ魚の目に一切の感情を乗せずに答えた。

 右手でドリーム・ステッキを握り締め、姿勢を低くしてクラウチングスタートの構えをとる。


「行くわよ……! 3、2、1……今ッ!!」


 ルビィの合図と共に、俺は爆発的な脚力でアスファルトを蹴り飛ばした。

 弾丸のような速度で、人型ノワールの懐へと肉薄する。


『ヒ、ギャァァァッ!!』


 ノワールが俺の接近に気づき、人質を盾にしながら、無数の触手を俺めがけて放ってきた。

 回避はしない。俺はルビィの言葉を信じ、一直線にターゲットのコアだけを見据える。


「――『絶対零度のコキュートス・プリズン』ッ!!」


 ルビィの長杖から、一条の青白い光線が放たれた。

 その光線は、俺の頬をかすめ、俺に向かっていた触手の群れをすり抜け、正確に『人質を捕らえている触手』の根元に直撃した。


 ピキィィィィンッ!!


 空気が凍りつく凄まじい音が響く。

 人質の中年男性を包み込むように、分厚い氷の繭が一瞬にして形成された。触手は完全に凍結し、人質へのダメージは完全に遮断される。

 ノワールの盾が、無力化された瞬間だった。


「……もらった」


 俺は、氷の繭のわずか数十センチ横をすり抜けながら、ステッキを横薙ぎに振り抜いた。

 狙うは、人質の背後に隠れていたノワールの本体、その不気味なピエロの仮面コア


 ――ズパァァァァァァァァンッ!!


 二トンの質量によるフルスイングが、コンマ一秒の狂いもなく、仮面のど真ん中を打ち砕いた。

 衝撃波が後方へと突き抜け、ノワールの身体が弾け飛ぶ。


『ギ、ギガァァァァァ……ッ!!』


 断末魔の叫びと共に、人型ノワールは真っ黒な泥の雨となって崩れ落ち、やがて霧散していった。


 俺はステッキを振り抜いた姿勢のまま着地し、ゆっくりと息を吐いた。

 背後で、氷の繭がパチンと音を立てて砕け散り、無傷の人質が地面にドサリと崩れ落ちる。気を失っているが、命に別状はない。彼もこれで、ようやく家に帰って眠ることができるだろう。


「やった……! やったわシロちゃん!!」


 ルビィが、マントを翻して駆け寄ってきた。

 彼女の顔には、先ほどまでのオタク全開の蕩けた表情ではなく、見事な作戦を成功させた戦友への純粋な歓喜と信頼が浮かんでいた。


「完璧だったわ! 私の魔法の発動から、コンマ一秒のズレもなかった。私が作る氷の防御壁の範囲を、完全に予測して動いてくれたのね! シロちゃん、あなた私の意図を完璧に汲み取ってくれたのね!」


 ルビィの言葉に、俺は肩の力を抜き、ステッキを空間に収納した。


 疲労が、どっと押し寄せてくる。

 だから、ふと気を抜いた瞬間に、つい、口が滑ってしまったのだ。


「……言われなくても、分かってますよ。そういう丸投げの案件(無茶振り)には、慣れてますからね」


 それは、ロリボイスの可愛らしい声帯から発せられたものではあった。

 しかし。

 無意識に出たその言葉選びには、どこか死んだような、呆れたような、それでいて仕事はきっちりとこなす『社畜』としての素のトーンが、色濃く混ざってしまっていたのだ。


「…………え?」


 ルビィの動きが、ピタリと止まった。

 彼女は、俺に駆け寄ろうとしていた足を踏み止まり、目を大きく見開いた。


 冷たい夜風が、二人の間を吹き抜ける。

 ルビィの瞳の奥で、激しい違和感のフラッシュバックが起きているのが、俺にもはっきりと分かった。


 しまった、と思った時には遅かった。

 丸投げの案件。

 それは間違いなく、社会という泥沼に浸かりきった大人のビジネスマンしか使わないような、擦れっ枯らしの言い回しだった。


「シロ……ちゃん?」


 ルビィの声が、震えていた。

 いつもの溺愛するような甘いトーンではない。

 何か信じられないもの、自分の耳を疑うような、深く、恐ろしいほどの真剣さを帯びた声。


「あなた……今、何て言ったの?」


(……ッ!!)

 俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされた。全身から嫌な汗が噴き出す。


彼女は、ゆっくりと、一歩ずつ俺に近づいてきた。

 その足取りには、確かな『疑念』が宿っている。


「ねえ、シロちゃん」


 ルビィが、俺の目の前で立ち止まり、俺の小さな身体を見下ろした。

 彼女の冷たく気高い瞳が、俺の『死んだ魚の目』を射抜く。


「ずっと学生だと思ってたわ……でも、よく考えてみたら、あなたのこと何も知らないのよね」


「…………」

 俺は、息を呑み、言葉に詰まった。


ルビィの顔が、さらに近づいてくる。

 あの猟犬のような目が、俺の逃げ道を完全に塞いでいた。


 チェックメイトだ。

 俺は、口の中がカラカラに乾くのを感じた。

 この『氷山の悪魔』が、一度抱いた疑念をそう簡単に手放すはずがない。

 

ピンチを前に、俺の脳は、かつてないほどの過負荷オーバーヒートを起こし、最後の脱出ルート(言い訳)を必死に検索し始めていた。

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