第10話 なにその合法ブラックホール
シャバシャバシャバ……。
柔らかく砕いた土をすくい、翠は丁寧に水を撒いていた。
木漏れ日が差し込む丘の上、ささやかに整備されたその畑は、今日もジャガイモのために平和な時間を送っている。
「いいね……今日も最高の水の量……」
翠は自分で持ってきた木製のジョウロを愛でるように撫でながら、若干ウットリしていた。
ジョウロにも名前をつけていて、その名も「じょーちゃん2号」。※初代は便利なオート水補充式の魔具だったのだが、魔力調整ミスで消滅。
「今日も水加減は完璧だし、日照時間も申し分なし。
よし、じゃあ午後は雑草チェックして、明日は……」
「ねえ」
ジョウロと対話していた翠の横で、ぬるっと現れたピルカがぽつりと呟いた。
「この畑、なんでこんなに小さいの?」
「へ?」
「君が本気出せば、この丘一帯、いやこの島まるごと、農地にできるよね?」
「!?!?!?」
翠はジョウロを落としかけた。
「島まるごとて……。私そんなドリームファーマー目指してないから!!」
「でもほら、見てよこの余ってる土地」
ピルカはふわりと空に浮かび、周囲をぐるりと見回す。
たしかに家の裏手にも、森の向こうにも、手付かずの土地がたくさん広がっていた。
だが、それを聞いた翠はぷるぷると首を振る。
「いやいやいやいや、いくらなんでもスケールがぶっ壊れすぎ!! 私はただ、畑で野菜育てて、収穫したてをもぐもぐするっていう、ささやかな夢があるの! 夢に島とか大陸とか入ってないの!!」
「でもね、翠。君、“水やりの勢いで岩をえぐる”タイプの人だよ?」
「やかましいわ!!!!」
実際、初日に水やりした時は、畑の端っこの石が吹き飛んだ。
「なんでジョウロの水が斬撃みたいになったんだろうって、あれは本当にびっくりしたよね……」
「びっくりしたのは私だよ!!」
「まあでも、現実的な話をするなら、今後畑を広げるなら、それなりに作業効率も考えないとだし?
あと、ジャガイモだけで満足してると栄養バランスも心配だし? あと、ここの土壌はジャガイモと相性いいけど、他の作物には改良必要だし?」
「いやちょっと待って。さっきから私より農業プロっぽくない?」
ピルカはしれっと言った。
「モルガン様が暇な時に、アニメの『農業系スローライフもの』を延々と再生してたから。うち、毎日24時間配信の異世界YouTubeチャンネルあるし」
「なにその合法ブラックホール」
翠はため息をついて腰に手を当てた。
「まあ……とはいえ、いずれはもうちょっと畑を広げたいって気持ちはあるけどさ。でも1人じゃ限界があるし。私、工事系ユンボ系のスキルないし」
するとピルカは、ふわっと目を細めて――
まるでとんでもないことを囁くように、静かに言った。
「……“1人”って、だれが言ったの?」
「へ?」
「キミもよく理解してると思うけど、キミにはうちに秘めた“膨大”な魔力がある。しかも、“地形を改変できるレベルの”ね?」
「ちょっと待って、そんな悪役みたいな言い方やめて」
「つまり、君が本気を出せば、たとえばこの森を――畑に変えることだって、造作もない」
翠は口をあんぐりと開けたまま、ピルカを見つめた。
「……造作もない…って」
「やってみる価値は、あると思うよ?」
風が吹き、畑の周りの木々がざわざわと音を立てる。
それはまるで、彼女に“決断のとき”が迫っているような……そんな空気だった。
「いや、いやいやいや、ちょっと待って! 私、ただの農業高校卒であって、開墾魔女じゃないから!」
「開墾魔女……いい響きだね」
「勝手に肩書きつけないでぇぇぇぇ!」
でも。
翠の心のどこかで、ほんの少し――その言葉が刺さっていた。
たしかに。
もっと畑があれば、もっとたくさんの作物が育てられる。
夏野菜だけじゃない。冬野菜も、果樹も、ハーブも。
養蜂だって、養鶏だって――夢が広がる。
(……いやいや、ダメダメ。欲望に飲み込まれたら、なんかヤバいフラグしか立たない)
そう思いつつも、彼女は夕方、畑にたたずんだまま静かに呟いていた。
「もし、この土地ぜんぶが畑だったら……どんな景色になるんだろうね」
するとピルカが、しっぽでポンと彼女の背中をつついた。
「そのイメージ。忘れないでね」
「……なんで?」
「明日、それを“形”にするよ」
翠は、ジョウロの水滴が夕陽にきらめくのを見ながら――
ちょっとだけ、明日が怖くなった。
でも同時に。
胸がわくわくしていたのも、たしかだった。
翌朝。窓から差し込む陽射しはすでに眩しく、
“ザ・農業日和”といった感じだった。
「さあ、今日も畑仕事……って、言いたいところだけど!」
翠はシャキッと立ち上がり、今日の予定を思い出した。
「そうだった。今日は“魔法のお勉強”の日!」
キッチンから漂うトーストの香りと、ぐつぐつ煮えるポタージュの湯気に背を押されるように、彼女は食卓の椅子を引く。
が、その前に――
「……え、ちょっと誰?」
椅子の上に仁王立ちしていたのは、
つけ髭を装着し、どこからどう見ても“自称:胡散臭い私塾の先生”みたいな風貌のピルカだった。
「おはようございます、ミズニワ・ミドリさん。本日より君の魔法教育を担当する、臨時講師“ピルカ・メンドーサ教授”です」
「フルネームあったん!?ていうか、教授ぅぅ!?!?」
つけ髭はテープ止めで、やたらツンと跳ねた先っぽが朝日に映えていた。
「では、着席してください。君の知識は、ゼロに等しい」
「なんか煽られてる!?」
それでも翠は渋々腰を下ろし、ピルカは黒板の代わりに、なぜか天井から吊るされた巨大な透明スクリーンに映像を浮かべて説明を始めた。
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『魔法基礎講義:第一章 この世界のエネルギー体系』
「さて。この世界には、“七属性”と呼ばれる基本の魔法体系が存在しています」
ピルカは教育用スティック(※なぜか先が星形)をくるくると回しながら、透明スクリーンに七つの記号を浮かべていく。
「火、風、水、土、光、闇、そして……“心”」
「最後なんか急に哲学っぽいのきた!?」
「心の魔法は、主に精神支配・感情操作・記憶の改変などを司ります。
つまりこの世界の魔法は、物理現象から精神作用まで、“全ての根源的な力”を扱うわけです」
「うわ、なんか急に本格的になってきたぞ……」
「ふふ、ここからが本番です。さて、基本的に、ほとんどの生物は“一属性”しか扱えません。
それは“魂の周波数”と魔素の相性によって決まります。例外は……ほぼいません」
スクリーンに、「属性:火」と書かれた人物シルエットが浮かび、火球を放っている図が描かれた。
「つまり、人は魂の段階から既に“火の魂”だったり“水の魂”だったりするってこと。属性は、生まれながらに決定されているのです」
翠はふむふむと頷いた。
「でも私は、全部使えるんだよね……?」
「正確には、“君の体の持ち主”が使えるんです」
ピルカはぴしっとスティックで“7属性全てに光る印”がついた図を示した。
「モルガン様は、“七属性同時保有”という極めて異例の存在。そして、それぞれがマスタークラス。
つまり、火で山を焼き、水で湖をつくり、風で国を飛ばし、土で山脈を割り、光で病を癒し、闇で意識を奪い、心で王を狂わせる――それが彼女」
「王を狂わせるのやめて!!」
「この世界では、“七属性保持者”は“天災”と呼ばれています。なぜなら、それは“国一つを滅ぼす力”だからです」
翠は背筋がすっと冷えた。
(この体……すごいどころじゃないんだ)
「で、でも……使いこなせなかったら意味ないよね?」
「その通り。だから、今日はまず“魔力”の扱い方を教えます」
ピルカが次に浮かべたのは、体の内部を透視したようなイメージ図。
「魔力とは、“魔素”を変換することで生まれるエネルギーです。魔素は大気中に存在しており、生き物はそれを吸収・循環・放出することで魔法を使用します」
「うわー、理科っぽい……」
「魔力には“核”と呼ばれる中心点が存在し、だいたいみんな“みぞおちの下”にあります。そこからエネルギーを生成し、神経のように張り巡らされた“魔脈”を通して体中に伝えます」
「チャクラっぽい……」
「実際そうかも。で、モルガン様の場合、その核が七層構造になっており、各属性の魔力がそれぞれ独立して循環しています」
「え、なにそれ、レインボー?」
「うん。虹色です。魔力量が増すと、背中から後光が差します」
「エンジェルかよ!!」
講義はしばらく続いた。
魔素の圧縮率、属性相性、拡散制御、詠唱術、共鳴反応……とにかく盛りだくさんだった。
翠は途中で「ムリムリムリムリ!」と頭を抱え、目玉焼きに逃げかけたが、ピルカは優しく言った。
「全部覚えなくてもいい。ただ、“自分の魔力の流れ”を知っておくこと。
それが、“暴走”を防ぐ最初の一歩になる」
(……たしかに)
あの日、くしゃみで台風を起こした時のことを思い出す。
「……わかった。やってみる」
ピルカはつけ髭をはずしながら、笑った。
「じゃ、午後は“魔力感知”の練習から始めよう」
「はい、教授……あ、髭、取れてるよ」
「これは“卒業”の証さ」
「意味わかんないわ」
翠の魔法修行編――スタートである。




