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第9話 魔力を使う?冗談は呼吸と一緒に吐いてきて!



「ふふっ……ふふふふふっ……!」



それは、何日ぶりかの晴天だった。


森を抜ける風が、草原の緑を撫でていく。

鳥のさえずりが穏やかに響き、畑の土はしっとりと湿り気を含んで、ふくふくとした存在感を放っていた。



そして――



「見よこの空!この風!この大地!!!」


空に向かって自らの頬をパンッと叩きながら、得意満面で立ち尽くす少女がひとり。


そう、水庭翠である。 


転生当初の混乱と動揺はどこへやら。

今の彼女の顔には、自信と幸福に満ちた“農的ツヤ”が光っていた。

肌はぷるっぷる、笑顔はキラッキラ、目の輝きはもはやピカピカのジャガイモである。


「畑と寝食を共にするとね、人間ってこうも変わるのよ、ピルカ!」


「いや、まだ寝てはないでしょ畑と……」


「寝る準備はいつでも万端よ。防水マットと寝袋、準備済み。問題はダンゴムシとの共存」


「共存前提なんだ……」


そんなピルカをよそに、翠はさっそうと畑の隅に立てられた巨大な石板(自作)の前へと移動した。


表面はツルツルに磨かれており、まるで異世界製ホワイトボード。

そこに、白い粘土っぽいチョークで堂々と書かれているのは――

 


【いもっこ農園 成長プラン⭐︎】


1. 日当たり → 午前8時〜午後3時がベスト!(太陽カモーン)

2. 排水性 → 逆U字の畝がポイント!(水よ、去れ!)

3. 土作り → 有機肥料は愛と魂のミックス!(混ぜるのは情熱)

4. 植え付け → 芽の向きは東向き!(日の出に向かって伸びるがよい)

5. 水やり → 朝のひと滴は一日を決める!(夜はNO)

6. 追肥 → 成長期に2回!(恋と一緒)

7. 収穫 → 花が咲いてから3週間が目安!(ドキドキ初デート)

 


「……すごいね、ツッコミどころしかない」


「真剣に読んで! これ、農業高校で私がまとめた“芋マスター養成ノート”からの抜粋だから!」


翠は自信満々に胸を張ると、軽くピルカの頭を小突いた。


「ちなみに“芽の向きは東向き”っていうのはね、信仰的な意味もあるの。“芋の魂は太陽のもとで輝く”ってやつ。農業の世界では割と本気で言うのよ?」


「なにその神話みたいな理論……」


「ほら、なんか語感もよくない? 芽は東、根は西、実りは心に……的な。短歌っぽいでしょ?」


「語感だけで信念を構築しないでくれ……」


しかしその時、ふとピルカが小首をかしげた。


「でもさ。どうしてそんなに何ヶ月も待つの? 魔力で成長を促進すれば、すぐに収穫できるのに」


翠の動きが、ピタリと止まった。


石板の前で、彼女はゆっくりと振り返り――


「……ピルカ、それ、今、何て言った?」


その声はいつになく静かで。


ピルカの背後に生える草木が、一瞬ざわりと揺れた気がした。


「え? 魔力で……成長促進……?」


「ッダメェェェェェェェェェェエエエエエ!!!!!!!」


次の瞬間、翠は石板を全力でバンッと叩きながら叫んだ。


「それは!! 大地への!!! 冒涜ッ!!!」 


「なっ、なんでそこまで強く否定するの!?!?」


「だって考えてみて!? 芽が出て、茎が伸びて、葉が開いて、やがて花が咲いて――それ全部を!! 一瞬で!! 魔力で解決!? はぁ!? 感動ゼロじゃん!!!」


「いやそこまで言わなくても……」


「いい? ピルカ。“芋は待つほどに愛おしくなる”って、昔誰かが言ってたのよ!」


「誰!? 誰が言ってたの!?」


「……たぶん、私」


「自作名言かい」


翠は息を切らしながら、ゆっくりと土を見下ろした。


「この子たちはね、“生きてる”の。

土を感じて、空気を吸って、太陽を浴びて、ゆっくり大きくなるの。だから待つの。

それが“育てる”ってことだから!」 


「…………」


ピルカはしばらく黙っていたが、やがてそっと翠の手にしっぽを巻きつけた。


「……わかった。魔力は使わない。でも、もし枯れそうになったら、ちょっとくらいサポートしてもいいよね?」


「うん。私が“お願い”した時だけね。それ以外はダメ。

野菜だって自分の力で頑張りたいはずだから」 


「なんかもう、人間より野菜の意思を尊重してる気がするよ……」


その日、翠は土に向かって三回深呼吸し、愛を込めて「おやすみ」とささやいた。

そしてピルカとふたり、夕焼けの中をゆっくりと家へと戻っていった。



──いもっこたちが、静かに夢を育てる夜。


そして、ツヤ肌農業魔術師の新たな一日が、また始まる。





種植え作業がひと段落つき、異世界スローライフにも少しずつ馴染んできた頃だった。


何か重大なことを忘れている気がする。


翠の脳内に電撃のように迸ったのは、言いようもない“悪寒”だった。


それは突然芽生えたものというよりも、心の奥にそっとしまい込んでいたものだった。


芋の種まきやら水やりに夢中でいちいち思い出さなかったというのもある。


何せここは天国だ。


夢にまで見た大草原だ。


やりようによってはここら一帯を一大農業地帯に大変身させることだってできる…


そんなことを夜な夜な考えている間に、かれこれ一週間も経ってしまった。


「そういえば」と、思いついたようにハッとなったのだ。


肝心なことを忘れているじゃないか!!!!と。


「…………ピルカ」


「ん?」


「「私」ってさ、今どうしてるわけ…?」


「どうしてるって?」


「いやそのほら、モルガンに体を奪われてるわけでしょ…?」

 

パチンとフライパンに卵を落としながら、翠はぽつりと呟いた。


「そうだけど、どうしたの急に。朝からジャガイモ以外のことを考えるなんて」


テーブルにちょこんと座っていたピルカが、カップを揺らしながら小首を傾げる。


そのカップには、もちろんコーヒー牛乳。

現地で手に入れた豆と、謎の魔力低温保存牛乳から作られた、翠お気に入りの朝の相棒である。


「冷静に考えたらやばくない?現在進行形で体を乗っ取られてて、…ようするにあっちで、“モルガン”が「私」として生活を送ってるってことでしょ?!」


ジャッと音を立てて、卵の黄身がこんがりと焼き色を帯びる。


翠はフライパンをくるりと返しながら、眉間にシワを寄せていた。


「そうだね」 


「なんでそんなに悠長に構えてられるの!!」


「いやだって、普通に考えたらわかるじゃん」

 

「…そうだけどそうじゃないよ!?」


「まあまあ落ち着きなよ。モルガン様は変人だけど、狂人ってほどじゃないから」


「なんの慰みにもならないし、逆に不安になったんだけど??」


「心配しなくてもちゃんと生活は送ってるよ?モルガン様が憑依してる限り、死ぬことはまずないだろうし」


「いや、そこじゃなくて…!!」


「学校は?友達は!?家族とはどうやって暮らしてるの???!」


「うーん」


ピルカは、ちょん、としっぽの先でテーブルを叩いた。


「じゃあ、見てみる?」

 

「……見てみる? なにを?」

 

「キミのいた世界。“地球”ってところ。たしかそんな名前だったよね」


ピルカは、ふわっと宙に浮き上がると、くるりと回転して、自分の毛の中からゴソゴソと何かを取り出した。


手のひらサイズの――水晶玉。


「でたなファンタジーアイテム!」 


「正式名称は《観界珠かんかいじゅ》だけど、地球が見えるかは運次第だよ。だって遠いし。別世界だし」


「え、そこアバウト!?」 


「でもまあ、モルガン様が地球のデータをちょこちょこ観察してたから、記録としてはあるはず。…ていうか、この間もYou●ube見てたし」


「わざわざこの水晶から!!?」


ピルカが水晶玉をぽんとテーブルに置くと、ふわりと宙に浮かびあがった。

すると、ぽわん……と青い光が広がり、やがてそれは――


宇宙から見た地球の姿になった。


「……え、これ……まんまグーグルアースじゃん……!」


「さあ、好きな場所を“指でタップ”してごらん」 


「そんなタッチパネル式なの!? ファンタジーなの!? テクノロジーなの!?」


「モルガン様は“デジタルロマン主義者”だから」


謎ワードが飛び交う中、翠は恐る恐る、指を伸ばして水晶玉の中の地球にタッチした。


キュイーン、と音がして、画面がズームイン。


都市の光が現れ、道路、建物、人影――


そして。


「……うわっ、見える……! 私の、地元……!」


画面には、どこか懐かしい、大阪の夜景。


電車が行き交い、ネオンが瞬き、人々がごく当たり前に、忙しなく日常を生きていた。


「あああああああああああああっっ!! 駅前のパン屋まだあるぅぅぅ!!」


「いや、まだそんな時間経ってないでしょ……」


「うちの担任、今どこ!? 担任!! 私の机に遺影とか飾ってない!?!?」


「さすがにそれは飾らないと思うけど……」


翠はズームにズームを重ね、とうとう通っていた農業大学の教室を見つけた。


「……あった……!」


懐かしい木製の引き戸。腰の高さまである窓。貼りっぱなしの進路指導ポスターの隅がめくれているのまで、すべてそのままだ。


ぐっと胸の奥が熱くなる。


そこに、自分がいた。


いた――はずだったのに。


翠は画面の中の一角を見つめて、思わず首をかしげた。


「……あれ……?」


黒板から二列目の窓際。自分の席。間違いようもない、毎日眠気と戦っていたあの椅子。


そこに――見知らぬ女の子が座っていた。


「……誰、あれ?」


小さくつぶやいたその声が、自分でもわずかに震えているのがわかった。


その子は、びっくりするほど整っていた。


顔立ちは端正で、すっと伸びた姿勢。髪は艶やかで綺麗にまとまっていて、どの角度から見ても「絵になる」ような雰囲気を纏っている。


思わず「芸能人……?」と錯覚しそうになり、目をゴシゴシしてしまう。


清楚で、無駄のない静かな美しさ。


そんな存在感を放つ生徒がクラスにいた覚えはない。


覚えはない…のだが、その“美少女”が、周囲の友人たちと笑いながら言葉を交わしている。


(あの席って……私の……)


思考がもつれる。


まるで見慣れた風景の中に、突然“異物”が混ざり込んだような、そんな奇妙な浮遊感。


「……うそ、でしょ」


翠は、もう一度その子の顔を凝視した。


すると――その瞬間。


彼女がふと視線を上げ、顔をこちらに向けた。

そして、翠の視界に飛び込んできたのは、右目の下の小さなホクロ。


その場所。間違いようもない。

あれは――翠の、身体の、ホクロだ。


「……え、えっ!? ちょ、ま、まってまってまって!」


翠はテーブルに肘をぶつけながら、ガタガタと身を乗り出した。


確かにそれは、翠の席。

確かにその制服は、翠の大学のもの。

確かにそのホクロは、翠にしかない特徴のひとつ。


でも――その顔も、体も、姿勢も、髪型も、目つきも、雰囲気も……



ぜんっぜん違う。



「なんで!? なんであたしの体があんな完成形になってるの!?」


「うん。モルガン様がね、少し“仕上げた”んだって」


「仕上げたぁぁぁ!?!?!?」


「ちょちょいって魔力で肉体調整したって言ってたよ」


「ちょちょいって!?!?!」


翠はわなわなと震えながら、水晶に食らいつくように問い詰めた。


「ってことはなに!? 私の体が、勝手に、意識高い系ビューティー魔女に改造されてるってこと!?」


「うん。モルガン様いわく、“本来のポテンシャルを解放しただけだからセーフ”って」


「どこのスキンケアCMだよ!!!」


翠は頭を抱えた。


もともとの自分は――決して美少女枠には入らない。

ちょっとふっくらしていて、給食はいつもおかわり常連。

友達はいたけど、男子からは特に何も言われない、どちらかといえば“その他大勢”の女子だった。


それが今。


翠の“席”には、誰もが振り返るようなハイスペック美少女が座っている。


しかも、しれっと教室に溶け込んで、先生とも談笑してる。


頭の中で、ブレーカーが落ちるような音がした。


「え、…ちょっと待ってもう一回言って?魔力エステ? ボディカスタマイズ!? そんなチートパッチいつの間に当てたの!?」


「だから、“本来持っていた潜在力を最大限に活かしただけ”だそうです。あくまで微調整って言ってたよ?…まあ、魔力で脂肪吸引とか肌のツヤとか、あとニキビなんかも除去して〜、二重瞼に端正したとかも言ってたよ」


「それ、フルモデルチェンジって言うの!!」


翠はバッと画面から目を逸らし、両手で顔を覆った。


(確かに……中学高校のときは、もうちょっと輪郭もふんわりしてたし(っていうか太ってたし)……身だしなみにもあんまり気を使ってなかったし……)


(それが今や、教室の空気を明るくするみたいなオーラ纏ってるって……どんな魔改造なの……)


翠はテーブルに突っ伏しながら、絞り出すような声でつぶやく。


「……なんか、モルガンのせいで、完全に別の人間になっちゃってるみたいでやだな……」


そんな彼女に、ピルカがぽそりと呟く。


「何が嫌なの?」


その言葉に、翠はうなだれた。


「私の“水庭翠”が……“別の誰か”になってる気がして……なんか……こう、モヤる……!」 


「でも、中身はモルガン様だから、ある意味“誰か”なんだけどね?」


「それが一番問題なんだよおおおおおお!!」


叫びながら、テーブルに突っ伏す翠。

その背中を見て、ピルカはふと優しい声で語りかける。


「でも、気にしなくていいじゃん。本物の“水庭翠”はここにいるんだし」


「……どゆこと?」


「ほら、体が変わっても、今、ジャガイモのために畑掘って、ホワイトボードに“排水性チェック!”とか書いて、コーヒー牛乳片手に泣いたり笑ったりしてるじゃん」


翠は顔を上げた。


ピルカはにっこりと笑っている。


「それって、“魂”がここにあるってことじゃない?体なんて見た目の問題であって、大事なのは今のキミがどういうふうに生きてるか。——違う?」


「いや、言ってる意味がわからんけど」


「体はキミじゃなくなっても、キミは変わらずここに生きてるじゃん」


「……まあ、そうなんだけど」


「っていうことは、何も変わっていないっていうことじゃん?」


「変わってない…??」


「水庭翠は水庭翠で、モルガン様はモルガン様。体なんてものはただの飾りだよ。キミがここにいる以上、またいつでも元の生活に戻れる。大事なのは“中身”でしょ?ジャガイモにしたって人間にしたって」


翠は一瞬言葉を失った。


そして、そっと口元に笑みを浮かべながら、


「……いや、いいこと言ってる風だけど……」


「風だけど?」


「そもそも体の交換すんなよ!!!」


「それは一理ありますね」


「あれじゃ外見がどうとかより、人生が劇的ビフォーアフターじゃん!ほら見てよ!何あの余裕溢れる佇まい!大和撫子か!」


「いいじゃん。おかげで今モッテモテなんだから」


「モッテモテ!?」


「そだよー。かれこれこの一週間でキミに注目する男子は述べ100人…いや、200人以上か。毎回駅で逆ナンされてるレベルだよ」


「…ひゃ、ひゃく!!?逆ナン!?ちょっと待って………一回水飲ませて」


「もしかしたら念願の恋も叶うかもよ?」


「おいおいおいおい」


「どしたの?」


「どしたの?じゃないわ!!!なんでそんなことまで知ってんのよ!」


「そりゃあ知ってるよ。なんたって僕はモルガン様の眷属なんだから」


「そんなドヤ顔で言われてもですね……」


こんなふうに、翠は今日もピルカと一緒に全力で突っ込み、そして全力で悩み、考えている。


少しだけ先の未来に、どんな“自分”が待っているのかなんて、誰にもわからないけれど。


とりあえず今は、今だけは――



「……ジャガイモ、植えに行こ」



翠はそう言って、立ち上がった。


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