第二六四話 リスキーな提案
ユキさんの指示に従って、未来と国生先生が距離を取れるようこたつの端と端に座ってもらう。その横に鎮静役――未来には俺を、国生先生には結衣博士が座り、残りの空いている場所でそれぞれこたつに足を突っ込んだ。
紫音がみかんを浮かせてみんなに配ってくれる。ユキさんがどこからか、机からはみ出しそうな大きさの紙を持ってくる。
「まず、国生さんが提案した作戦だけど……」
キュポン、と音を鳴らしてペンの蓋が開けられる。蓋をペンの尻に刺して、話を聞いていない俺や凪さんにもわかるよう説明しながらユキさんは図を描いていく。
「まず、臨世に【知る】が効かない原因。それが『理不尽を跳ね除けるスキル』によるものなら、単純な話、『理不尽』だと思わせなければ【知る】を確実に使うことができる」
ユキさんは紙の中央に大きく人の横顔を描く。頭蓋骨に守られた脳のイラストを丸で簡単に描いて、八対二くらいの割合で縦に分割する。八の割合には『保留』、二のほうを『入手済み』と書いた。
「臨世のところに行った初日、国生さんは臨世に【知る】を使うことができた。それは臨世が昏睡していて、『理不尽』と思う働きがなかったから」
入手済みの枠にユキさんは『1年半(約550日)×1』と書く。
流星さんがみかんの皮を剥き始めた。
「この一年半の記憶は、国生さんと凪、流星で分けて記憶を共有してる。だけどこの中には、どうやら俺たちが知りたい情報は一つもないらしい」
ということで、とユキさんは保留の文字をペンで指す。
「早く知らねばならない『当日』や『敵の情報』についてはこっちの保留のところに含まれる。『当日』の話は国生さんが【知る】を使ったあとにほかの死人から臨世に共有された記憶だとしても、もっと前から知っていたはずの『敵の情報』がなぜここにあるのか、という疑問が生まれる」
ユキさんの説明に、国生先生が「ええ」と頷いた。
「死人は死人の記憶を共有するはずですから。ほかの死人が知っているはずの『あのお方』や『産月』について、【移ろいを知る】を使った時点でなぜわからなかったのか、わたしはずっと考えていたんです。よくよく考えてみれば、臨世になにが起きたのかを知るための【移ろいを知る】では、臨世以外の記憶を引っ張り出すことはできませんでしたね」
「良かったですよ、情報量が少ないままそこに資料がないとわかったのは」
まあ確かに、と国生先生はうつろな目で紙を見ている。ユキさんが頷いた。
「仮定だけど、もし臨世が死人になったすぐにそれらの記憶を共有したのだとしたら、国生さんの【知る】の範囲外だったと理解できる」
入手済みの『1年半(約550日)×1』を指して、「これは臨世が捕縛されてから【知る】を使うまでの日数だから」と付け加えた。
「『上原直樹』が死人化した際に得た記憶。ここに、俺たちが知りたい内容がある。それと、初日の【知る】を使ってから今日までの三日間。そこには、『当日』という危機についての情報がある」
「……じゃあ、また臨世を昏睡させることができたら」
「そう、隆君の言うとおり。『理不尽』だなんて思えないぼんやりした臨世から、全てを教えてもらえる」
ただ、とユキさんは強調した。保留の枠にペンが動く。書かれたのは、『(死人になった瞬間+【知る】を使って以降の3日)×全国に現れた討伐・未討伐の死人の記憶数』。
「二〇三〇年に初めての死人が現れてから今日まで。この七年間で、どれだけの数の死人が存在したと思う?」
国生先生が俯いていった。
「死人は毎晩生まれる。その数は一体や二体じゃない。時には百を超える死人が一軒の『ゴミ箱』から生まれる。日本にある『ゴミ箱』の数は、都道府県につき一軒だ」
三大都市や北海道みたいに広い土地だとそのぶん『ゴミ箱』の数も増える。正確にはわからなくても、それがどれほど莫大な数の死人を生んできたのか、肌で感じ取れた。
「それと、隆君や未来ちゃんは知らないだろうけど」
「待って、ユキ。その話は――」
「伝えておいたほうがいい。いま言わなくたって、数ヶ月後には知ることになる。凪が隠したくなるのもわかるけどな」
隣で、俯き加減だった未来が顔を上げた。俺と未来がしっかり聞いているのを確認して、ユキさんは続ける。
「死人が生まれるのは、夜だけじゃない」
常識が覆る。
「死人は二十四時間、いつでも生まれる。二人が深夜にゴミ箱当番をしてくれているのと同じように、夜は十三から十五歳の中学生マダーが、そして、昼間に『ゴミ箱』から生まれる死人に関しては、主に十六歳以上の高校生マダーが当番をしている。住民が持ってくるゴミの回収係も含めてね」
初耳だった。ユキさんが言う全てが。未来も全く知らなかったようで、口をぽかんと開けている。特別部隊の長である未来も知らない話。
「……なんで、俺たちは知らないんですか」
「二人だけじゃない。本部と高校生マダー、一部の大人による大規模な隠し事だ」
圧をかけないようにか、ユキさんはみかんを剥き始める。居心地悪そうに、その隣で凪さんが目を伏せている。
「最初のうちは深夜にしか生まれなかった死人たちが、徐々に昼間にも生まれて人間を襲うようになった。怖いのは夜だけじゃなくなって、このままじゃまずいと思った当時の年長者たちが率先して活動するようになった。ちょうど……凪が中学に入学したころだろう」
「そんなに前から?」
「そうだよ。大人は隠し事が上手い。『昼間に死人が現れるイレギュラー』として、遭遇する理由は全てシャットアウトされる。それらは、昼間に戦っていたマダーが死人を取り逃がしたことによる被害者だ。戦闘後に街を徘徊するから、『昼に生まれる死人は弱い』なんて噂も立つ」
いつか、同じように斎が言っていたのを思い出した。
話を戻すよ、とユキさんはみかんを食べてからペンを持ち直す。
「死人は基本的に睡眠を取らなくても平気だ。現に臨世はここ数日ずっと起きていると湊が証言してる。だからなんらかの方法で臨世を昏睡させなくちゃいけないんだけど、問題はもっと深刻」
ペンの先が、先ほどの『(死人になった瞬間+【知る】を使って以降の3日)×全国に現れた討伐・未討伐の死人の記憶数』という式を指す。
「人の脳に、この七年間の死人の記憶全てが数分もかからずに収納される。億か、兆か、それ以上かもしれない。そんな爆弾を一手に引き受けようとしている。『知』の文字の使用者で、キューブの恩恵がある国生さんでも無事では済まないだろう」
未来があんなに必死だった理由がわかった。俺がそこにいたなら、全力で未来の手助けに入ったはずだ。
ユキさんはほかにも不安な点を上げていく。
臨世に【知る】を使って無理やり得た情報が、まじないとして先生に影響を及ぼす可能性。話そうとしても俺の二の舞になれば意味がない。まじないの影響がないとしても、膨大な情報の中から必要な記憶だけをピックアップする時間と労力。
七年間の死人の記憶という地獄を乗り越えられたとしても、先生の負担が大きすぎる。
「それでも……」
緊張した国生先生の声が、静かになった部屋で聞こえた。
「それでも、なにかがわかるなら。臨世に【知る】が通じなくても、そういった形で記憶をわたしに移せるなら、やるしかありません」
声とは対照的な鋭い瞳。
「情報を得ること。それが、わたしに与えられた役割なんです。昏睡させる方法も、わたしなら【知る】ことができます」
先生は立ち上がる。深く、頭を下げる。
「わたしを信じてください。必ず成功させます。絶対に、成功させますから」
だから、と続ける国生先生を遮るように、凪さんは「ふざけるな」と感情を押し殺して言った。
「本当にそうするつもりなら、僕は明日、あなたを連れて行かない。ここで紫音とゲームでもしていればいい」
指名されてキョトンとする紫音の後ろを通り、凪さんは部屋を出ていった。国生先生がぺたんと畳に座り込む。
【不知火】によって俺も知ってしまった二人の関係は、わかりやすく悪くなっていた。
【第二六四回 豆知識の彼女】
隆たち中学生が日中『ゴミ箱』に行くことはほとんどない
住宅街からも離れていて、日常のゴミ出しについては決まった曜日に回収が来るので直接『ゴミ箱』に行く機会がありません。たまに住民がトラックで運ぶような大きい物を持ってくることがありますが、ほんとにごく稀のこと。
当番制なので凪たちのように学校に全く行けなくなることはないものの、お休みを余儀なくされることも多い高校生マダーたち。雪翔が言う『一部の大人』の中には教員も含まれますが、お休みの理由は『マダーとして』という最低限の説明。『当番』であることすら明かされない徹底ぶりです。
この辺りは隆たちが高校生になったら体験して、「まじか……」となるのだろうと思います。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 役立たず》
追い込まれると冷静さを失います。
どうぞよろしくお願いいたします。