第二六二話 隆一郎の後悔
臨世のところに行っていた三人は、夜になっても俺たちに情報を共有しなかった。俺と未来は【不知火】で聞いていたから構わないけど、なにもわからない流星さんとユキさんは聞くべきか迷っているように見えた。
国生先生は、【不知火】で最後に見たのと同じ精神状態だった。いろんなことに敏感で、とにかく不安定で、大きな音や声にも怯えを見せる。紫音がリイやマユと言い争って汚い口調になったときには、臨世に言ったように「うるさい、黙れ」と激しい剣幕で怒鳴りつけた。
以降、しゅんとした紫音たちに同調するように、周りの空気は重く、静かになった。
「りゅーちゃん、ちょっと」
凪さんに小声で呼び出され、雪見障子から外をぼんやり見ていた俺は廊下に出る。食堂前の自販機でリンゴジュースを奢ってもらった。
「国生さんが、まずいかもしれない」
近くにある休憩スペースのソファーに腰掛けて、凪さんは微糖の缶コーヒーを一口飲んでから今日のやり取りを簡潔に話してくれた。俺が聞いていたことはまだバレていない。
「たった三日だ。しかも初日は数十分だ。それなのに、あの人は……」
言葉が続かない凪さんに、凪さんは大丈夫なんですかと聞く。国生先生ほどではなくても、凪さんもかなりの精神攻撃をされていた。
アルミの潰れる音がする。凪さんが持つ缶コーヒーの真ん中が軽く凹んでいた。
「一生かけて償うと、心に誓った。だから大丈夫」
「……湊さんと結衣博士は」
「ちょっと前にあった流星とのケンカに助けられた。湊はちゃんと自分に自信を持ってる。博士は愛を布教できてることに喜んでるから、心配しなくていい」
問題は、自分の行いを後悔し続け、平常心を失っている国生先生。
いただきますと言ってから、俺はリンゴジュースの蓋を開けて飲む。酸味のある、風呂上がりにぴったりの味だった。
「未来が、臨世のせいでおかしくなったのを思い出します」
あのときだって、前日までは俺は未来と普通に会話をしていた。引っ越した先の東京と大阪に残った未来で、いつもと同じノリで電話をしていた。次の日血まみれになって俺のもとに届けられた未来は、俺の知ってる未来じゃなかった。
「過去を悔やんだって、どうにもならないのはわかってるんです。多分、先生もわかってる。そのほうがいいと思ったからそのときそうしたわけで、だけどあとになって……裏目に出てはじめて、間違いだったと気づく」
思い出すのは、俺の嫌いな赤色と、東京へ引っ越すと話したときの未来の自然な話し方。
俺の父さんは東京生まれの東京育ちだった。仕事の関係で大阪に来て、そこで知り合った母さんと惹かれあって結婚、俺ができた。
そのまま大阪に住むつもりで家も建てたけど、会社の都合で東京本社に戻らなくちゃいけなくなった。それが、俺が大阪を出ることになった中一の冬。
両親に放り出された未来はもう完全に土屋家の家族となっていて、俺たちが引っ越すなら必然的に未来もついてくるはずだった。だけど、
――残ります。
未来は微笑んでそう言った。
未来が父さんや母さんに遠慮してるのは俺もずっと感じていた。家族として過ごしていても、実の親でも親戚でもないただの親切な大人に甘えることは、未来は決してしなかった。
――別のところに行くのは、まだ怖いから。いまは直君が……友だちと呼べる人が一人いて、学校も普通に近い生活ができてます。だから、できればこのままでいたいんです。
それが、本心かどうかは別で。
死人によって死者も出るようになって、身寄りがない子どもを引き取る施設もできていた。そこへ行くと未来は言った。お世話になりました、と。
そのころからすでに、俺たちの誰も未来の嘘を見抜けなくなっていた。わからなかった、未来が本当に望んでいることが。それでも俺は、未来が平穏な日々を求めていることだけはよく知っていた。だから、
――毎日電話する。なんかあったら【接木】ですぐこっちに来い。俺も、ちょっと時間かかるけど【花火】で会いに行くから。
それがいいと思った。関係を一から作り直すのは未来は望んでいない。直樹がいて、目の色を理解したマダーがいる大阪。平和な学校生活。それを取り上げてまで無理に連れて行きたくはなかった。なのに、
――止血が追いつかなくて、出血多量で危なかったから無理やり傷口を閉じた。僕はやつを追いかける。ケアは頼むよ。
俺たちが引っ越してからわずか三日後、真っ赤に染まった未来を凪さんが抱えてきた。立ち尽くす俺に無理やり未来を預けてどこかへ行こうとする凪さんを呼び止めて懇願した。
――説明してください、いったいなにが!?
――ごめん、これ以上の被害を出すわけにはいかない。精鋭部隊の全員が動いてる。対処ができ次第ちゃんと説明するから。
そう言って凪さんはすぐに出ていった。
治療はすでにされていた。それでも、未来を抱きかかえた俺には鮮血がベッタリとくっついた。
つい先ほどまで流血していた証拠。
ほんの少し前まで未来が死に向かっていた証拠。
赤い、赤い赤い制服のブラウス。真っ青な肌とうつろな青い瞳。なのに唇は、あいつへの謝罪を何度も述べていた。
――ごめんなさい。
――ごめんなさい。
――恩を仇で返して、ごめんなさい。
「未来がどんな言葉を言われて、どんな残酷なことをされたのか、俺は聞いてないし見ていない。そこに俺はいなかった。一番助けてやらなきゃいけないとき、俺はそばにいなかった」
気がつけば、凪さんに向かってあの日の後悔を話していた。
「父さんの仕事を恨んでるわけじゃない。母さんが未来を残すことを承諾したからと責めるつもりもない。だけど、そうじゃなかったら……俺がわがままを押し通して未来も連れて引っ越していればって、何度も考えた」
凪さんは、そんな事件がある前から直樹のことを怖いと思っていたと、ユキさんと再会したときにこぼしていた。失態だと。もちろん、そんなふうに思ったことは一度もない。それでも。
「ああならないための行動が、未来が壊れてしまわないための努力が、もっと、なにかあったはずなんだって、思わずにはいられないんです」
俺が後悔を吐露している間、凪さんはなにも言わなかった。ただずっと耳を傾けてくれていた。勝手に話し出して、勝手に泣きそうになっている俺の背中をぽんぽんと優しく叩いてくれる。
俺が落ちつくまで、凪さんはそうしてくれていた。
【第二六二回 豆知識の彼女】
逃げた臨世を見つけて捕縛したのが当時十八歳だった雪翔
凪が未来を隆に預けたあと、探し回るも気配が小さすぎてすぐに見つけられず、深夜一時ごろ、端段市で遭遇した雪翔が臨世を捕らえました。
今回のお話が三章【第一九七話 侶伴】に繋がります。臨世を捕まえるため、【侶伴】で人形にしていた死人を使い切ったユキさんは、長く続けていた常時展開をようやくやめることができました。その後一年半の眠りについて、北海道に来た凪さんと再会。ハグを交わしております。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 記憶の返還》
第一章で隆が疑問に思った、無意識に言った身内を失っているような言葉について。
どうぞよろしくお願いいたします。