第二四八話 逃げ道
未来に連れていかれたのは、俺たちが借りている部屋ではなかった。宿のほぼ端っこに位置する和室で、ちゃぶ台と座布団が一つ、ゲーミングモニターとゲーム機が数種類、床に直置きされている。壁には本がぎっしり入った棚が三つ。入り切らない本が畳の上に重ねてあって、ぬいぐるみが多いせいか雑多な印象を受けた。
「ここね、雪翔さんが子どものころ療養に使ってた部屋なんだって」
押し入れから出してきた布団に俺を寝かせた未来は、溶かした雪に布を浸して絞り、俺の額に当ててくれた。雪だるまと並んでやってみたかった雪の使い方の一つ。未来は俺のわがままを聞いてくれたのだ。
「そういえば……身体弱かったって聞いた」
「うん。ここなら誰も入らないし暇つぶしもあるから、気持ちが落ち着くまで使っていいよって言われてね」
コートを持ってきてくれたリイとマユから伝えられたと、未来は補足する。俺のせいで部屋にいられなくなった未来に、ユキさんは居場所を提供してくれていた。本当なら、あんな寒いところで夜を過ごす必要もなかったわけだ。
「布団まで借りるのは、さすがに気ぃつかうんだけど……」
病人ではないけど熱あるし、汗かくし、初めてのそばがら枕もなんだか落ちつかない。
「大丈夫。寝具は全部、来客用だって」
「ユキさんの部屋なのに?」
「元気になってもう使ってないから、少人数なら宿泊おっけーにしてるらしいよ。私物があるから割安なんだって言ってた」
未来が気にしそうな話をユキさんがするだろうか、と疑問に思ったところで、「リイちゃんが」と付け足された。なるほど、あのおしゃべりうさぎめ。
「……布団持ってっていいぞ」
話の最中に未来がくしゃみをしたので、俺は自分にかけられた布団を引き寄せて渡す。
「だめだよ、身体冷やしちゃ」
未来は勢いよく俺に突き返してくる。
「俺いま暑いから」
「私も暑い」
「嘘つけ」
「いいから布団被って寝てください。私は追加で雪取ってきます」
未来は雪が半分になった容器を持って立ち上がる。スタスタと扉の前まで歩いていく。
「そのまま、帰ってこねぇつもりなんだろ」
取っ手を掴んだ未来に、確信を持って言った。未来は身体を半分こちらに向ける。きょとん、といった表情をしている。
「ぐったりな隆を私が置いていけると思う?」
「いけるだろ。実際ついさっきまでそうだったんだからさ」
意地悪な言い方だとわかってはいるが、とにかく引き止めることを最優先にした。未来の表情が深刻になる。額の布を一旦外して、俺は布団からのっそりと起き上がる。俺が見つめても、未来はなにも言わない。
「さっきの話、終わってない。お前まだ自分だけ消えればいいとか思ってんだろ」
未来は一度決めたらブレないタイプだ。あんな平凡な止め方で考えを変えるとは思えない。
「俺の感情だけで止めるわけじゃないんだ。できる限り説明するから、決めるのはそれからにしてくれないか」
こんな形でお別れなんて絶対に嫌だから。
表情を作っていた未来は、ふと力を緩める。悲しげに笑った。
「なんで、バレちゃうのかな」
未来は身体を完全にこちらへ向けた。顔には出さないよう気をつけて、俺は気持ちだけため息をつく。
「納得できなかったら、いくよ」
前もって未来は言った。
「ごめん。これは多分、誰かのためって言いわけを用意した、私のための逃げ道だから。……だから、本当に苦しくてどうしようもなくなったら、私が逃げることを許してほしい」
俺はわかったとも嫌だとも答えない。肯定して未来がほっとした表情になるのも、否定して絶望させるのも、どっちも選びたくなかった。
雪が残る容器を畳に置いて、未来は腰を下ろす。三畳分の距離が、ひどく遠いところにいる気がする。
「未来はなにも悪いことしてないって、あの人が言ってたんだ」
どう切り出すかは、迷わなかった。
「あの人って?」と聞かれ、すぐに「霜野さん」と答える。未来はわかりやすく嫌悪の表情を浮かべた。
「信じるの? 産月なんでしょ」
「未来の周りを疑うよう助言してもらった。お前はただ、巻き込まれただけだ」
産月だとハッキリさせるのはまじないが発動するから避けた。
「なんで信じようと思ったのか、順を追って話していきたいんだけど、いいか」
あのまま部屋に戻らなかったということは、未来は俺が凪さんと話していた内容を一切知らないはず。だから未来が了承してくれるのを待って、それから凪さんに伝えられた全部をまず話した。
人の生活に馴染んだ師走の――『霜野季冬』が作る縫い物をみんなが買い求めに来ること。俺にお詫びと言って渡したマフラーと同じ刺繍が商品の全部にあったこと。目視できるぶんは凪さんが討伐してくれたとはいえ、死人がわんさかいるはずの端段市で護衛もなしに歩き回っている住民の姿。
――季冬君の手作り小物は縁起がいいからねぇ。なにしろ、この店の商品を身に着けていたら死人に襲われないとか。
遠目でわかりづらかったが、店に行くまでに出会う端段市の住民全員が、その刺繍入りの防寒具をつけていた。
「産月について話そうとすると、死人はまじないの影響で死んじゃうだろ。つまり産月は死人たちより格上の相手なわけで。上司と関わりがある人には手を出さない暗黙のルールがあるんじゃないかって、凪さんと話してたんだ」
死人が巣食う町で、人が普通に暮らしている理由。端段市の住民は、師走によって死人の脅威から守られている。
「あの人は平和を望んでいる、そう言いたいの?」
疑わしげではあるが、遠回しな説明の意図を未来はきっちり汲み取ってくれた。俺は頷く。
「流れでもう少し踏み込んだ話を……死人の上司のさらに上司の話を聞いた」
「『あのお方』?」
まじないの影響下にあって、こちらは頷けない。未来もわかってくれているから、強く聞き返しはしない。
「結衣博士が、一枚岩じゃなさそうって言ってたろ。俺もそう感じた。むしろ、卯月が仲間の制止を受けるまで頑張ろうとしたのと同じで……逃げたがってる、ように見えたよ」
鼻の頭がチリチリしてくる。これ以上言うなよとまじないが体内から脅しをかけてくる。手で押さえて痛みを緩和していると、未来が入り口からこちらに戻ってきた。俺の隣に座って、ポケットから取り出した完治薬を少量つけてくれる。
「それが、あの人の言葉を信じる理由?」
俺の顔ではなく、未来はもう少し下を見ながら聞いた。見ているのは恐らく、まだ痣があるだろう俺の首。
「平和な会話じゃなかったんでしょ」
「痛い目にはあった。けど、有益な話だったと俺は思う」
完治薬を持っていないほうの手が、拳を握っている。我慢させてるのは承知で、俺は未来が出ていこうとする理由を潰しにかかる。
「あの人はたぶん嘘をついてない。だから、未来は本当になにも悪くない。未来がいま死に逃げることは、未来をこんな状況に陥れたやつの思う壺だ」
未来は長い間、同じ姿勢のまま動かなかった。たっぷり時間を使って考え込む。
座り続けているうちに俺は目がまわるようになってきた。
「……お水入れるね」
未来は立ち上がって、棚からコップを二つ取り出した。
【第二四八回 豆知識の彼女】
雪翔さんはゲームが好き
毎日開いていたヘンメイの元になったゲーム『メイ』以外にも、色々と楽しんでいたユキさん。戦う系も癒し系も、頭を使うようなのも幅広く遊んでいたそう。ただすぐにお熱を出してしまうので、最後までプレイできたゲームはあんまりなかったりします。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 禁句》
まじないと、想いと。
どうぞよろしくお願いいたします。