第二四六話 猫
「言葉……わかったのか」
チャック付きの袋にもやしを大事そうに入れている未来を見ながら、俺は聞く。未来は頷いた。
「【たくさん話しましょう】。花言葉を使えば、言葉を知らない子たちとも私は話せるみたい」
「すげぇ」
「だめだよ、これじゃ。キューブがないとわかり合えない。これを駆使したって、みんなが一緒に暮らしていくなんてできないよ」
もやしの袋を未来はキューブ内の収納スペースに入れた。前を向いてしまって完全に表情がわからなくなる。自信なさげな背中が、正解のない問いに押しつぶされそうになっている。
「キューブありきでいいと思うぞ」
つい考えなしに言ってしまった。
未来はこちらを見ない。手のひらを上にして、ふわふわの雪を受け止めている。
「どうして?」
前を向いたまま未来は俺に問う。
「どうして、いいって思うの」
「どうしてって……いや、改めて聞かれるとわかんねぇけど」
「根拠なしじゃん」
「う、うっせぇな。しゃーねぇだろ、考えたことなかったんだから」
反論しながら、パッと閃いた理由らしきものを並べ立てる。猫と同じだよ、と。
ゆっくりの瞬きは愛を伝えているサインらしい。そういう解説と同じで、とりあえず誰かがわかるようになるのはいいことだと。教えてくれる人が一人でもいたら、みんなちょっとくらい死人への意識も変わってくるんじゃないかな、と。
「猫……」
「そう、猫」
未来の肩がぷるぷる震えてる気がする。おいこら、暗いからわかんねぇと思うなよ、笑ってんのバレバレだからな。
「あいつらと話すためにキューブに頼るのは、俺は全然ありだと思うぞ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。ずっと必要なわけじゃないんだし、普通に話せるまでの便利な翻訳機能と思えば」
できるだけ自然に話したい未来からすると、前向きには考えにくいかもしれないけど。でも実際、変化を繰り返せば滑らかに喋るようになるんだから。
未来は考えるように空を見上げて、しばらく無言になる。何度か白い息を吐く。
「……なんか」
ぽつりと呟いて、未来は振り向いた。
「子どもが大人になってくみたいだね。成長するのを見守ってるみたいでさ」
晴れやかな表情に安心して、俺はこくこく頷いた。頭が揺れてくらっとするけど、構わず頻りに頷いた。
「そこ座ったら。雪降ってるし、立ったまんまじゃ危ないよ」
「いいのか」
「いいよ。濡れるかもだけど」
未来が座っている場所以外、屋根にはかなりの量の雪が積もっていた。まだ止みそうにない。こんなに寒い中で、未来はいつからあの死人たちと話していたんだろう。
「……もう少しこっちにくればいいのに」
雪に熱を与えて溶かしてから座った。未来と俺との間は、腕を伸ばしても届かない程度に距離がある。
「身体はもういいの?」
「おう。もーばっちり」
「熱は?」
「下がった。腹減って目ぇ覚めたぐらいだし」
俺はさっき買ったクリームパンを未来に見せてみる。月の光が未来を微かに照らしている。くぅ……と、可愛らしい音が聞こえて、未来はすごい勢いで顔を背けた。
「……聞かなかったフリしてください」
小声でのお願いに笑いそうになる。未来の美味しいものセンサーは、二十四時間いつでも稼働中だ。
「深夜の炭水化物ってさ、背徳感やべぇよな」
袋をバリッと開けて、クリームパンを丁寧に半分に割る。袋に入ったほうを未来に差し出した。
「……いらない」
香りに誘惑されてパンを見るも、未来はすぐに目をそらす。
「共犯」
「やだ」
「いーから」
「夜中には食べないって決めてるもん」
「もう朝だろ」
「自分で深夜って言ったんでしょ」
どうぞ、いらないを繰り返しながら、話を切り出すための適切な言葉を探す。昼間のことを謝りたい。
【第二四六回 豆知識の彼女】
クリームパン以外にもチョコデニッシュがあった
さすがに二つも購入するようなことはしなかったものの、どちらにしようか悩んだ隆でした。デニッシュ生地よりはクリームのほうが胃に負担がかからないか、とか考えたようですが、深夜に食べる時点で十分、胃をいじめてます。だけど空腹には耐えられません。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 当たり前の日常》
未来の本音と隆の気持ち。
どうぞよろしくお願いいたします。