第二四三話 同情しないで
「はい、少し前に目が覚めて。意識ははっきりしています。……はい。いえ、熱が出てきて、起き上がるのはまだ難しいかと――」
司令官に報告しながら、凪が隆の頬に指を添える。大怪我をしたときに熱が出るのと同じで、隆はいま、高熱で苦しんでいる。息は荒く、額に乗せた濡れタオルはすぐに乾いてくる。
少し待ってもらうよう司令官に言ってから、凪は隆の耳元で話しかけた。
隆はかすかに頷いて、凪から携帯電話を受け取った。代わったことを伝えてから、司令官がなにか話したくらいの間が空く。隆は「はい」と応じた。
「勝手に動いて……すみませんでした」
携帯を凪に返すと、力尽きたように手を畳に放り出した。もう片方の手は、ずっと私の手を握っている。熱のせいで震えている。
「生かされた……」
ほとんど息だけで隆は喋った。繰り返さなくていいように、私は隆の言葉に集中する。
「やっぱ、誤解だ。本当はいい人なんだ」
「……誰のこと」
まさか、あの暫定産月のことを言ってるわけじゃないだろう。
「隆はずっと死の間際にいたんだよ。殺されかけたんだよ?」
「誤解だって……」
「なにが」
「殺意はなかった。俺が、弱かっただけだ」
どちらでも同じじゃないか。隆は殺されかけた。命を奪える技を使った時点であの人は黒だ。
「きつい生活してるんだ。助けてやんなきゃ……」
熱に身体を蝕まれながらも、隆は懸命に私に伝えようとする。だけど、肝心なところでまじないが発動する。言いかける程度で言葉を止めるから、昨日みたいにボロボロと崩れていくことはない。それでも皮膚はひび割れる。
隆の額のタオルを取り替えてくれている雪翔さんが、並行して完治薬を少量ずつ擦り込む。薬の痛みに耐えながら、隆はまだなにかを言おうとする。
「……同情しないでよ」
泣きすぎて、目が痛い。
「隆をこんなにした人の話なんて聞きたくない。どんな理由があったって、私はあの人を許さない。助けたいなんて……隆に思ってほしくないよ」
隆の、熱で潤んだ目が少し見開かれた。
私はそれ以上なにも聞きたくないし、なにも言いたくない。散々泣いたのにしつこく出てくる涙を力を込めて拭い、隆に握られた手を引き抜いた。
「未来」
私が出て行くのを悟って、隆は身体を起こそうとする。けれどまだ自由がきかない。「だめだよ」と雪翔さんに諭される。腕と手で身体を支える隆は、必死な顔で言った。
「同じなんだ、あの人」
隆はまだ、あの人を庇おうとする。
「あのままじゃ、前の未来と同じようになる。我慢ばっかして、心を壊す」
その前に、今度こそ隆が殺される。
「あの人たちを助けられたら、未来を狙ってくるのだって一人に絞れるから」
何人いるかもわからない産月を、全員同じように助けようと隆は本気で思っているんだろうか。そのたびに、こうして生死の狭間をさまようつもりなのか。
だったら、私が死ねばいい。
そうしたら、産月は顔を出す理由がなくなる。私の死が望みなら、私が消えれば隆の前には現れない。隆が助けようとして、逆に命を落とすこともない。
一番血が流れない方法だけど、優しい隆は認めてくれないだろう。話せるわけもない。
「ごめん。いまは、無理」
ここにいたら、隆を批判してしまう。隆が私を止めるのを聞こえないふりをして、ポケットティッシュだけ鞄から出して部屋の扉を開ける。口論には割り込んでこなかった凪が、私が出ていく直前呼び止めてきた。
「どこに行ってもいいけど、宿の中にいなさい。襲撃対策で防壁を張ってるし、外にはユキの伴侶たちがいる。中にいる限りは守れるから」
いいことを聞いた。外に行けば、もしかしたら。
わかったと返事をして、廊下に出てから扉を閉めた。窓越しに凪の光の壁が見える。こんなに大規模な守りを施したら、いくら凪でも疲れるだろうに。
朝まではなかった防壁を見ながら廊下を歩いていく。持ってきたティッシュで鼻をかんで、ああ、捨てるところがないと気づく。
部屋に戻ろうとは思えない。
隆の本気で困った顔が、目に焼きついている。
――あの人たちを助けられたら、未来を狙ってくるのだって一人に絞れるから。
隆が朝行動に出たのは、私のため。そして、そこで知った事情のために、隆は守るべきものを増やした。
「あのままじゃ、前の私と、同じになる……」
その優しさと正義感をもって、隆は自分の手の届く範囲全てを守ろうとする。だけど、隆自身、気づいているんだろうか。隆が守ろうとする対象は、人も、死人も、産月も関係ない。
私が無事であるため。
私と同じ人生を歩む人を増やさないため。
理由はそのどちらかでしかない。隆の行動原理は、いつだって私。隆の正義感を歪めてしまったのは私だ。
「……気持ち悪い」
隆の全てが私を中心に回っているような考え方。
自分の傲慢さに気づいて吐き気がした。
【第二四三回 豆知識の彼女】
隆の行動原理は未来で正解
未来は否定しましたが、実際のところ隆はやっぱり未来が一番大事です。未来のためならどこまでも頑張れるのが隆なのです。けれどすれ違ったまま、二人は一旦離れることになりました。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 人生のハズレ》
隆視点に移ります。反省と情報共有。
どうぞよろしくお願いいたします。