第二四二話 生還
「では、土屋くんは誰かに連れ去られたわけではなく、自ら産月に会いに行ったということですか」
おにぎりと水を載せた盆を持って戻ると、あいか先生の深刻な声が耳に入った。話の邪魔をしないよう静かにスリッパを脱ぐ。凪が曖昧に頷いた。
「詳細は本人に聞かないとわかりませんが。昨日、僕になにかを伝えようとして、まじないが発動したでしょう。恐らく、未来の危険を示す夢を見たんだと思います」
「夢?」
「はい。会議で言わずに僕だけ呼び出したことからも、ほぼ確定でいいかと」
凪は簡潔に、凪と私、司令官だけで共有していた隆の夢の話をする。もう少し考えたくて、ほかの誰にも言いませんでしたと理由についてはぼやかしている。誰が敵かわからないから、と言ってしまうと、湊さんと星ちゃんみたいにケンカになりかねない。
壁にもたれてウトウトしている星ちゃんに近づいて、肩を軽く叩いて起こす。ほかほかのおにぎりを見て察したのか、「気ぃつかってんじゃねぇよ」と怒られた。そのやり取りを、誰かがじっと見ているのを背中で感じる。
「……わかりませんね。単なる夢かもしれないのに、なぜ、現実のものだと?」
視線が外れたので、そっと振り返る。
紫音君は眠る隆を宙から見ていた。あいか先生、結衣博士、雪翔さんは車座になって凪の話を聞いている。直君を一日中監視する湊さんはここにはいない。あとで纏めて情報共有しに行くと凪が言っていた。
「未来、こっちにおいで」
先生の質問に答える前に、凪が私を呼んだ。星ちゃんにも行け、と顎をしゃくられる。
喉に小骨が刺さったみたいな緊張を伴って、私は凪が空けてくれたスペースに収まった。
「僕も最初から信じていたわけではありません。だけど、先日のDeath game内で未来が襲われた件。夢で聞いた日程と、産月たちが話していた内容に納得するものがありました」
雪翔さんの気持ちを慮って、凪はヘンメイの名を出さなかった。産月たちが話していた『華弥』という死人が、凪が対峙した鞭の死人とイコールだと断言する。
「産月たちの呼び名を、その時点で隆一郎は知らなかったはずです。だからこそ、誰かに教えられているのではないか、と司令官は推測していたんです」
俯き加減だった雪翔さんが顔を上げる。
「教えていたとすれば、卯月か」
「そう、多分ね。臨世の夢の中に毎日現れていたわけだから、『夢』が関係する能力なんだと思う」
「敵に情報を流すような子だもんねー。理由があれば土屋君の夢の中でもピョイッ、か」
結衣博士があぐらのまま膝を上下させる。はしたないとあいか先生から怒られるも、お腹が減って頭が働かないのだと仰向けに倒れてしまった。
「……ケトちゃんと会話ができれば、こんな話いらなかったはずなのになー」
喉に刺さった小骨の感覚が大きくなっていく。ピンポン玉が入ってるみたいな息苦しさに襲われる。
「たらればを言わないでください。結衣さんらしくもない」
「あたし回りくどいの嫌いなんだもん。ねぇ、起こせないの? ケトちゃん」
「結衣さんが言ったんでしょう。特に問題ない、もう少し待てば目が覚めると」
「言ったけど……。はぁー、お寝坊さんなんだよなー、もー……」
ごめんなさい、と謝りたかったのに、言葉が喉に張り付いて出てこなかった。正座の上に置いた手をぎゅっと握る。
「別に回りくどくもないでしょう」
あいか先生が平然と言う。結衣博士が寝転んだまま先生を見上げる。
「なんか考えあるの?」
「簡単です。夢で教えてもらっていたと信じるとして、土屋君が話せなかった新たな夢を、わたしが【知る】で引き出せばいいんですよ」
あいか先生が白色のキューブを両手で握る。
「まじないで話せないでしょうし、今日土屋くんがなんのために産月に会いに行っていたのかも、できれば一緒に――」
「やめてよ!」
先生の言葉を遮るように、結衣博士は大声を出した。勢いのまま起き上がる。
「まじないの影響が、【知る】を通してあいかに渡る可能性だってあるでしょ。土屋君がボロるだけならあたしは別にいい。でもあいかが死んじゃうのは絶対イヤ」
「平気な可能性もありますし……」
「うるさい。あたしはあいかが大事。ここにいる誰よりも大事。『戦略家』なんて呼ばれるくらい頭いいんだから、ちょっとは自滅しない方法を考えなさいよ」
感情をぶちまけるような言い方だった。みんなに背を向けて寝転んで、いやだからね、と念を押す。
あいか先生は肩を竦めた。
「それが一番早いでしょうに」
「もう早くなくていい」
「拗ねないでください。結衣さんのお望みどおり、ほかの方法を考えますから」
下手をすれば死んでいたかもしれないのに、あいか先生はなんとも思っていないかのような落ち着きぶりだった。
西日が差してきて、部屋の中がオレンジに染められる。静かになった室内で、星ちゃんの寝息がかすかに聞こえてくる。凪がおもむろに立ち上がって、倒れたような格好の星ちゃんに毛布をかけた。
「とにかく、霜野さんは産月でほぼ確定した。おばあさんはどうかわからないけど、臨世のところへ行くのにより一層の警戒が必要だよ」
輪に戻ってきた凪に、雪翔さんは「臨世はどうだった」と尋ねる。凪が心配そうに私を見る。
「……起きたよ。ちゃんと、話せることも確認した」
「隆君の手前、良かったとは言えないが。とりあえず進んではいるか」
「うん。だから、本来なら未来と隆一郎はもう東京に帰すはずだったんだけど……」
凪は再度私を心配の目で見る。
なんでなにも言わないんだろう。隆が無茶なことをしたのも、臨世に――直君に会いに行くのに危険が伴うのも、直君を起こさなくちゃいけなくなった理由も全部私のせいなのに。
「……司令官から、連絡あった。私と隆、とりあえず宿で待機だって」
乾いた声が出た。
「うん。僕らがそばについていたほうが安全だろうって言ってた」
「迷惑ばっかり、かけてる」
「それは違う。未来が中心になってるおかげで、僕らは死人や国の成り立ちについて知っていける。解決策を見いだせる」
でも、と言いかけると、凪は「ごめんね」と謝ってきた。
「僕らは逆に、未来を利用してるのかもしれない」
「……そんなこと」
「だから、どうにかしよう。平和な日常に戻るために」
反論は許さないとばかりに締めくくられた。凪はいつもそうだ。私が自虐に走ると、こじつけでもなんでも使って私を肯定する。
どんなときもずっとそばにいてくれる隆と、自己否定をさせない凪。居場所を与えてくれる由香さんや明さん。友だち、仲間。失いたくない人たちに、私はどれだけ支えられているんだろう。
「あ!」
後ろで、紫音君が叫んだ。全員反射的にそちらを向く。紫音君のぱぁっと明るい笑顔が咲いた。
「起きた! イチ、起きたよ!」
誰よりも早く駆け寄った。隆の枕もとに膝をついて、隆、と声をかける。外からの強い日差しに目を細めながら、隆の顔が私に向けられる。
みんなが集まってくる音を背中で聞きながら、じっと隆を見つめていた。また瞼を閉じてしまいそうで怖かった。
隆の焦点が次第に定まってくる。何度か瞬きをして、重りをつけているかのような動きで手が布団から出てくる。そっと、隆は私の頬に触れた。
「……生き、てる」
隆が発する掠れた声に、私は安心のあまり抱き着いて泣いた。
【第二四二回 豆知識の彼女】
ケトは現在、隆のキューブ内の空間ですやすや
おキクは未来のキューブの中、ケトは隆のキューブがおうちとなっております。少し静かにさせようと使った【葉脈】、ブレーキモードの影響が残ったまま、ケトはまだ眠っています。おキクはもう目覚めているのにケトはお寝坊さん。そのせいでこんな事態になっているのだと、未来は自分を責めています。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 同情しないで》
すれ違う二人の気持ち。
どうぞよろしくお願いいたします。