第二四〇話 手練れ
未来視点に変わります。
天気が荒れていた。昨日から続いている雪はもう吹雪に近い。
隆がいないことに気づいて捜索を始めてから、もうそろそろ二時間が経つ。私に隠れるようにして出ていった幼なじみは未だに見つからない。
「ばか……」
頬に叩きつける白くて冷たい粒たちが、私の焦りを助長する。
昨日の隆の様子を見れば、今日行動に出るのは十分考えられた。だから朝ごはんも、その前からもずっと隆の近くにいたのに。未来ちゃんと土屋君はほんとに仲良しだね、なんて結衣博士のからかいにも耐えたのに。まさか歯磨き中に消えるなんて思いもしなかった。
「未来」
後ろから呼ばれたけど、振り返る余裕もない。足が勝手に前へと歩いていく。いっぱい積もってふかふかの雪が、走るどころか早歩きすら許してくれない。この視界では【羽状複葉】で飛ぶことも難しい。
もどかしくて歯噛みする。隆の行き先は予想がついても、それがどこなのか――隆にまじないをかけたであろう人物がどこにいるのか、私にはわからないのに。
前に向かって歩いているだけでは、いつまで経っても大切な幼なじみには会えない気がした。
「未来、待って」
肩に手を置かれ、力任せに後ろへ向けられる。険しい表情の凪が白い息を吐き出した。
「そんな適当に歩いてどうするの。国生さんが【知る】で捜し出すまで待つよう言ってたでしょ」
「……聞いてない」
「うそだ。あの子が心配で出てきたんだろう」
当たり前だけど、凪は私の嘘には騙されない。
連れ戻されると思った。けれど凪は私の手首を掴んで、私が向かっていたのとほとんど同じ方向へ歩いていく。
「おいで。確証はないけど、【知る】が通用しない場所なら心当たりがある」
私は目を見開いた。
「どういうこと?」
「端段市博物館に隔離した臨世に、毎日のように卯月が会いにいっていたことは昨日話したね。夢の中だけの話かもしれないけど、あの博物館自体、産月が拠点にしている可能性だってある。卯月を【知る】で見つけることができなかったのと同じで、産月がいる周辺は索敵できないのだとしたら……」
正解を知るまでは、臨世が起きないよう細工をしたのは産月か霜野家の誰かだと凪は考えていたらしい。事実を知ったいまでも、霜野の亡くなったおじいちゃんのためとはいえ、危険を冒してまであの博物館を守り続ける必要性を凪は疑問視しているようだった。
「おばあさんの気持ちが本物なら申しわけないけどね。とにかく博物館を確認して、そこにもいないなら霜野家、あとは息子さんが経営してるらしいお店の場所を聞いて見に行こう。そのどこにもいないなら一旦戻る。こんな雪の中でむやみに歩くのは危ない」
遭難してもおかしくないのに、隆はひとりで行ってしまったのだ。
「なんで、誰にも相談してくれなかったのかな」
「言えなかったんだ。なにを話そうとしても、まじないによって身体が裂けるから」
一緒に来てほしい、と言うだけでもまじないが発動するのか、私にはわからない。でも、産月のもとへ案内するためについてきてもらうのだと頭では理解しているだろうから、やはりまじないの影響はあるかもしれなかった。
博物館に向かって、ひたすら歩く。鼻が痛い。耳も痛い。こんなにも冷たくて寒い環境で、もしも隆が産月とやり合って倒れていたら。
不安が胸に押し寄せてきて、鼻を啜って、目を拭う。すぐに視界が潤んで見えなくなる。目と鼻を何度もこすっていると、凪が自分が着ていた上着を脱いで、私の頭へ乱暴に被せてきた。隣に立って、背中を痛いくらいの強さで叩かれる。
「泣くな。未来が信じなくてどうする」
そういう凪こそ、泣きそうな声をしていた。
途中から景色が変わってきた。雪は相変わらず降っているけれど、除雪車が通ったらしくかなり歩きやすくなった。
博物館まで、あと少し。そういえば、隆は宿の女将さんとなにか話していたような――。
「ああ、そちらから来ていただけるとは、助かりました」
チリン、チリンとドアベルの音を鳴らして、右手にある三角屋根の家から人が出てきた。霜野さんだった。博物館よりお店のほうが近かったらしく、タイミング良くドアを開けてくれなければそのまま過ぎ去ってしまうほど自然に溶け込んだ店だった。
霜野さんはドアを開いたままで固定して、中へ入る。すぐに戻ってくる。
「……隆」
目を閉じた隆が、腕がだらりとした状態で抱えられていた。
「良かった。思った以上に想像力が豊かすぎて、少々危ないところだったんです。早く治療してあげてください」
こちらに歩いてくる霜野さんに無意識に近寄ろうとして、凪が私を掴む手を強めて制してきた。私を背中側に隠して、片手でキューブを展開する。
昨日とはまるで印象の違う霜野さんは、こちらに冷たい目を向けてきた。
「……見てくださいよ、土屋君。これが、あなたが本来私に向けるべき態度ですよ」
霜野さんの結われていた髪がほどけていく。それらを四束にわけて、脱力した隆の身体を腕の代わりにして支える。こちらには近づかないようにして、自在に伸び縮みする髪が隆をゆっくりと運んできた。
「この子になにをした」
足と腕がぷらぷらと揺れる隆を優しい手つきで受け取って、凪は聞く。そっと覗き込むと、隆の顔には血の気がなく、拭われているが微かに吐血の跡がある。肩の服が丸く破れているけど、あるはずの傷口は閉じられていた。
「首を絞めました」
頭がカッと熱くなって、飛び出しそうになるのを凪に止められる。落ち着きなさいと言われるけど、落ち着いてなんていられない。この人は、隆を殺そうとしたのだ。
「肩の傷は治療しました。ですが、精神的なものは私にはどうすることもできません。そういった複雑なケアは、あなたたちマダーの得意分野でしょう」
凪が怒りの表情を向けた。
「ただの精神攻撃じゃないよね。もう一度聞く、この子になにをした」
「……あなたの得意な魔法の技を、正しく使いました」
それ以上の説明はいらなかった。私もよく知っている凪の【朧げ】が、隆にどんな作用をもたらしたのか。その一言で私も凪も正確に理解した。
喉を詰まらせたようになにも言えなくなった凪の前に、一度店の中に伸びていった髪が戻ってくる。毛先に紙袋を持っていて、隆を抱えて受け取れない凪の代わりに私の手首に引っ掛けてきた。
「お詫びとして渡してくれますか。しばらくは跡が残るでしょうから、それで隠すよう伝えてください。……あと」
こちらがなにも言わないのをいいことに、霜野さんは空を見上げて黙り込む。しばらくして、諦めたようにため息をついた。
「彼が起きたら、必ず教えてあげてください。『予定に変更はない。あなたが見た夢のとおりです』と」
では、と霜野さんは踵を返す。
このまま逃してたまるか。隆をこんなにしておいて、あとは任せたみたいな態度で帰っていくのは我慢ならない。紙袋を邪魔に思いながら、私はキューブに手を添えた。
「未来、やめなさい」
あり得ない言葉がかけられる。なんで、と震える声で聞いて、私は不快を隠さず凪を見上げる。凪は、去っていく後ろ姿を警戒しながら言った。
「あれは……戦っちゃいけないやつだ」
意味を、すぐには理解できなかった。
ドアベルの音が鳴る。霜野さんはお店の中に消えていく。
凪は隆をしっかりと抱えなおした。
「帰ろう。帰って、隆一郎の治療をする。原理はわからないけど、本当に【朧げ】を使ってなにかしたのだとしたら……急がないとまずい」
【光速】で宿へ帰るため、気を失ったままの隆にキューブを押し付けて無理やり展開させる。
凪は私の腕を掴んでもう一度「行くよ」と言う。けれど平常心でいられない私はキューブを歪にしか展開できない。それを、凪の手が優しく押さえてきっちりと展開させてくれる。
自分の心がどんなに乱されているかを見せつけられたようで、余計に腹立たしかった。
【第二四〇回 豆知識の彼女】
六月の吹雪
天気を操る臨世がいる端段市は、年中雪が降っておりました。それを先日、目覚めさせたことで、もっと作用が強くなって現在吹雪。六月の暑さなんてどこへやら。もっこもこのコートとマフラーと耳あてと手袋と……寒さ対策が必要な土地でした。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 治療とおにぎり》
宿に帰って、隆の治療や司令官からのお言葉。
どうぞよろしくお願いいたします。