第二三六話 ライバル
「そうやって他人を無条件に信じるから、今後もきっと見落としていくんだよ」
湊さんは、静かな声で続ける。
「何年も一緒にやってきた……、そうだね。もう五年の付き合いだから、そろそろ信じてもらえてると嬉しい。でもさ、スパイってそういうものじゃん。信頼されるまでは派手な動きはしないで、絶対疑われない状況を作ってから行動に移す。バレたらなんの意味もないんだから、そりゃ慎重にもなる。……そういう紛れることに特化した人を見わけるには、気持ちなんて二の次にするしかないでしょ」
感情的な言い返しではなかった。ただ事実を、これからまた起こるかもしれない内部への干渉を冷静に考えるべきだと、湊さんは悟らせようとする。
流星さんがなにも言わないまま少し経って、ようやくユキさんが間に入ってくれた。見た目ほど力は込めていなかったようで、簡単に手が離れる。しわくちゃになった服を湊さんが引っ張って直していく。
「テメェがなに考えてんのか、俺みたいなバカにはわかんねぇよ」
流星さんが、落ち着いた声で言う。
「信じてほしいなら面倒なことすんなよ。こっちは最初っから疑ってねぇのに、あんな言い方したら疑わなきゃって思っちまうだろうが」
「だから、それが狙いなんだって……」
「すんなっつってんだよ。んなバカみてぇな理由で精鋭部隊クビになったらどーする、ライバル消えんのは俺はマジでごめんだぞ」
え、と声が漏れた。
急に論点がズレたように思えたのは俺だけじゃないようで、湊さんも目をぱちぱちさせる。
「認めてんだよ。この俺が、お前のことをさ」
湊さんは目を見開いた。俯く流星さんの表情が、銀色の横髪に隠れて見えなくなる。
「なんで俺が、湊には負けねぇって毎回宣言してると思ってんだよ。すげぇやつだってずっと思ってるからだろうが」
流星さんは、俺の知らない二人のやり取りを口にする。いつも自信たっぷりの流星さんが珍しく悔しそうで、本気で湊さんをすごいと思ってることが伝わってくる。
流星さんは顔を上げて湊さんをまっすぐに見た。
「テメェがなにを伝えようとしたかなんて別にどーでもいい。けど、俺が認めてる男が、そんなくだらねぇ話のために自分を卑下すんのは許さねぇよ」
――あ、と思った。流星さんが言った、俺らに悪いと思わないのか、って言葉。あれは別に、自分たちが疑われたから代表して言ったのではなく、湊さんを評価している人みんなへの無礼を怒っていたのだと。
しばらく無言になった。圧倒された様子で話を聞いていた湊さんもなにも言わない。先ほどまでの冷たい目つきはもうなくて、流星さんの気持ちは伝わったのだとわかる。
「やべぇ……」
唐突に、流星さんは言った。
「卑下って……使い方あってたっけ」
みんなに確認しようとする流星さんの表情は、すっごく情けなかった。
「あ、あってる。流星、あってるよ」
「マジで? 間違ってねぇ?」
「大丈夫。あってる。僕が言うんだから、信じられるでしょ?」
湊さんから『大丈夫』と言われて、流星さんはほっとしたようだった。空気が一気に軽くなる。
ずっとハラハラしていただろう未来が、前のめりな姿勢から畳に腰を下ろす。静かに息を吐き出す様子に、「ごめんね未来ちゃん」と湊さんは謝った。
「ごめん、みんな。伝え方を間違えたかもしれない。頭冷やしてくるよ」
廊下へ出ようとする湊さんの後ろに、流星さんがくっついていく。
「俺も行ってくる」
「一人じゃなきゃ意味ないじゃん」
「別に一緒に行くなんて言ってねぇだろ。俺はこっち、お前はあっち。むしろ来んな」
ひどくない? と話しながら、二人は部屋を出ていった。廊下を左右に分かれたようで、話し声がすぐに聞こえなくなる。言い合いに夢中で扉は開けっぱなしだ。
「凪が止めるだろうと、俺は思ったんだけどな」
ユキさんが二人の代わりに閉めてくれる。
「でもユキちゃんだってなにも言わなかったじゃない?」
「俺が言ったってその場しのぎになるだけですし、多分説教くさくなるので」
謙遜するユキさんに、紫音が「そんなことないもん、絶対そんなことないもん」と小声でぶつぶつ言っている。幽体に近くなる【九割謙譲】のせいで電波の影響を強く受けるらしく、通話が始まってからずっと静かだった。
「僕が仲裁に入ったら、湊の自信は薄れたままでしょ」
凪さんは小さく笑った。
「チームメイトでもあり、ライバル。お互い同じ目線だからこそ、迷いを払う力があるんだよ」
きっと無意識に考え続けているのだろう、マダー歴の浅さと立場について――。そうまとめる凪さんは、情でメンバーを選んだりしない。湊さんの立場は、自分の力で勝ち取ったものなんだ。
『では、いまの話も含めて、皆の明日以降の予定を伝える』
司令官と通話が繋がっている状態でのケンカ。当人がいないので司令官はそのことに触れはしなかった。
淡々と伝えられる内容を、凪さんがメモに書いていく。
臨世が明日話せるようになったと確認でき次第、俺と未来は東京へ先に帰ること。
流星さん、ユキさん、紫音は北海道各地のマダーと連絡をとり、蔓延る死人を可能な限り殲滅すること。
凪さん、湊さん、国生先生、結衣博士は臨世のもとへ――【知る】を中心として、産月について、『あのお方』なるものについて、そして死人全般、もちろん『ハズレ』なんて呼ばれ方で未来が狙われている理由の全てを吐かせるよう指示をした。
挨拶をして司令官が先に通信を切ると、いままで司令官の顔が映っていたパネルには『No Image』の文字が表示された。
「『継承者』って、なんだろうねぇ」
パネルを元の状態――十センチほどのカードに戻した結衣博士は、卯月が唯一反応しなかったワードを楽しそうに語る。
「それも含めて聞き出すように、とのお達しでしたよ」
「んんー、そりゃわかってんだけどねぇ。考えるだけ考えるのは楽しいじゃん」
こういう思考が、結衣博士を天才たらしめているのだと思う。
会話からして、産月について語ることは許されない行為だったはず。なのに卯月は俺たちに必要なことを話そうとした。そして、俺に夢という形で『あのお方』の命令を伝えていた。今後酷い目にあうのは明らかなのに、それでも伝えてくれた。
それがなんでなのか、考えるのはいまじゃない。
――決行は五日後。……六月七日、ですね?
またアイツの【デリート】によって消されないうちに、早く、思い出した夢の内容を伝えなくちゃ。
「向こうさんも一枚岩じゃなさそう。……ふふ、おもしろいね」
結衣博士の予想を真剣に聞いている凪さんの肩をそっと叩いて、話したいことがあると目で訴える。ピンときたらしい凪さんは、廊下へ俺を誘導する。
いざ伝えようとしたとき、事は起きた。
【第二三六回 豆知識の彼女】
精鋭部隊の番号はほぼ一桁
凪さんが良いと思った人を連れてくる方式の精鋭部隊。順番は特に気にしていませんが、やはりマダーになるのが早いと経験も豊富にあるということで、どうしても若い番号の人が多いです。
全員で六人の精鋭部隊。番号は三番(凪)、四番(流星)、七番(雪翔)、十番、十一番。そして湊の二十七番でした。一人ほぼ三十に近い数字を気にしているそうな。
とはいえマダー全体でいえば、あいか先生なんか千番だから、湊は誰から見ても大先輩なのです。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 まじない》
昨日の復習を終えて、師走との会話に戻ります。
どうぞよろしくお願いいたします。