第二三〇話 ヒートアップ
前回、女風呂を覗こうとした紫音とそれを阻止しようとした隆一郎は電撃にあいました。
『まったく、のぞきなんて破廉恥な……。ご主人様に言いつけてやりますわ』
竹の仕切りからひょっこり見えていた頭頂部へ白い雷を落とした女の子。雪翔が契約した死人である伴侶のマユは、汚いものを払うかのように手のひらをぱんぱんと叩いた。
背中に張り付くリイを見やり、『いっちょ上がりですわ』と声をかける。同じく雪翔の伴侶であるリイは白い肌をマユに押し付けるようにして隠し、青い瞳を潤ませていた。
『感謝しますです、マユぅ〜っ!』
『良くってよ』
『びっくりしました……。あれがおっかない紫音の本性とは……』
『リューイチローは巻き込んで申し訳なかったですけれど』と、マユは止めに入った隆一郎に同情する。
彼女たち伴侶は雪翔と契約を交わす際、人を傷つけることができなくなるらしい。けれど例外として、ほぼ幽霊状態である紫音には技が効いてしまう。紫音を掴んでいた隆一郎もまた、紫音の体を通して雷の餌食になったようだ。
理性ある彼ごと電撃を浴びせた彼女はのちほど謝ることを提言して、紫音については目覚めたらけちょんけちょんにするとリイが憤慨して言った。
「……加減はしてあげてね?」
同じ電撃をリイからも受けるとしたら。
雪翔の上着奪還作戦もとい追いかけっこにより仲良くなった未来は、可愛らしい白い子たちを眺めて助言する。
『ミクは優しすぎますです! おおお女の子のっ、一糸まとわぬ姿を男に見られるなど!』
『リイの言う通りですわ。あんな所業二度とできぬよう、バリッバリのずったんばったんにして、心をへし折っておかねばなりませんのよ』
『それともまたのぞきにあってもいいと?』と、マユはまろ眉を器用につり上げる。
のぞきを了承しろと言ったわけではないのだけれど。
絶対嫌だと短いぱっつん前髪を揺らして首を振るリイとともに彼女は作戦会議に行くことにしたらしい。
真っ白な髪を湯に浮かせ、飛沫も上げずに奥の方へと泳いでいく。視界に入らなくなる。
「雪翔くんの懸念も……わからなくはないですね」
右腕の傷痕が見えていないか確認していると、あいかが呟いた。
乳白色の湯を片手ですくい、添えるように肩にかけている。
「懸念……ですか?」
「ええ。十三歳のまま生き続けている紫音くんは、これから先どれだけ経っても前頭前野が成熟しません。のぞき程度で収まればいいですが……どこかで、取り返しのつかないことをするのではないかと。成長できない弟を見守る者として、雪翔くんはずっと心配しています」
それがもし、【侶伴】によって昏睡している時に起きたなら。目覚めたすぐに紫音が視界に入らねば不安に駆られるのだと、紫音を心配する雪翔をあいかは気にかける。
紫音から【九割謙譲】について説明された際には言われなかったため、彼の時が止まったままであることを未来は今初めて知った。
「年をとらないと彼は自覚していません。なので、触れないであげてください」
隆一郎にも共有するようお願いされ、未来は二つ返事をした。
空気が重くなったと勘付くあいかはダメな大人代表のように天才博士の名を口にする。
「結衣さんのように変態な大人もいますけどね」と。
未来は空笑いになった。あいかは笑いを誘ったのだろうが、谷川家で見た斎への愛情や東京を出てからの男性陣に対するらんらんとした目を思うと笑えない。
それなりに危険度が高い気がしたのだ。
「そういえば、結衣博士はどこに?」
お風呂の準備をしていたはずの結衣がいない。
どこにいるのかと聞けば、あいかは深い穴を覗くような目をして答えた。
「殴っておきました。イケメンの裸体祭りだと、一人で盛り上がっておられましたので」
救えないものを見るかのような、そんな瞳。
温まっているはずの未来は背中がひやりとするのを感じた。
「あの……手加減は……」
「しませんよ。頑丈な方ですから、わたしの全力を受けてもすぐに意識を取り戻します」
何度でもね、とあいかはまだ赤い空を仰ぐ。
信頼なのか諦めなのか、どういう気持ちでゲンコツを落としているのかがとても気になった。
遠くからリイとマユの声が聞こえる。
作戦会議が上手くいかないのか、ふたりは『戦略家』と名高いあいかを呼んでいるようだ。
しかしあいかは未来の隣でぽかぽかと温まったまま動かない。いいんですか、と尋ねるも、彼女は微笑むだけだった。
少しして、伴侶たちはあいかの助けを諦めた。
同時に会話も途切れ、誰の声もしなくなる。
妙に静かな空気が流れていく。
「先生の考えは、変わりませんか」
あいかが動かなかった理由に見当をつけ、未来は沈黙を破った。
「力で抑えなければ、死人とともに暮らすことはできない。……今でも、そうお考えですか」
リイとマユは、雪翔の力を受けた死人である。
しかし未来からすれば、今は亡きヘンメイも含めて能力で縛られているようには見えない。むしろ彼女たちのほうが雪翔を愛し、雪翔を取り巻く人間と仲良くなりたがっているとさえ思う。
彼女たちの感情の波は、未来が話をすることで仲良くなったおキクやケトと同じなような気がした。
「……ええ。変わりません」
伴侶たちがシャワーで遊び出す。
あいかは注意をせず、目も向けない。
「若さゆえに、その道を真っ直ぐに行ける。……年増のわたしには、そうはできません。儚く散っていくマダーを、必死な研究員や一般人たちを。長い間、この目で見てきていますから」
「あなたとは違う視点で」と、自分の左手をあいかは見つめる。
力を持たず、一般人として本部に在籍した頃に思いを馳せている。
「マダーになったのも千番と、とても遅かったわたしは……あなたのように、『死人を大事にしたい』という気持ちは、これっぽっちも起きないのですよ」
それが、リイさんマユさん。ヘンメイのように、わたしを慕ってくれる死人であってもね。
あいかが続けた言の葉は、最後にはわかりやすく掠れていた。
「ごめんなさい。嫌な気持ちにさせましたね」
「いいえ、私から聞いたことなので」
「凪くんとの会話でも思いました。どうやらわたしは、不要な話までしてしまうようです」
ごめんなさい、とあいかは眉尻を下げる。
未来は首をぶんぶんと横に振った。話してくれてありがたいという気持ちを焦りながら伝える。
あいかの本音を聞いたのはこれが初めてだった。
あいかは未来の思いに今後も賛同しないと悟ったが、今ほど教えてくれなければ反発する関係でしかなく、彼女のような考えを持つ人をないがしろにする可能性もあった。
MCミッションをともに遂行する者として、互いの理念を知ることは重要である。
身振り手振りを加え、考えと言葉に相違が出ないよう熱弁する。乳白色の湯が小さく波立つほど繰り返し頭を下げる。
途中であいかに止められたが止まらない。未来にしては珍しくぺらぺらと口から思考が出ていった。
そうして、ぐらり。
急に視界が白くなり、血の気が引く感覚を覚える。
そこでようやくわかった。自分はのぼせているのだと。そうとわかったからあいかは止めてくれていたのだと、感謝すべき点が他にもあったと今になって気付いた。
「くらくらします……」
「部屋に戻りましょう。土屋くんものびているでしょうし、夕飯まで横になってください」
あいかの本業――保健室の先生らしさをほんの少し感じながら、無言でこくりと頷いた。
未来の手を取り、あいかは立ち上がる。
男湯でそういう話があったからかもしれない。水滴が曲線を描いて伝い、あらわになった女性の身体へ未来の視線が吸い寄せられる。
凝視。
のぼせつつ冷静になった未来は、数秒固まったのち自分のものと見比べた。
僅かな膨らみしかない、手で覆えるサイズのそれ。
さっと。タオルで隠しておく。
「……まだ気にするような歳ではないですよ?」
「うっ」
バレて、未来は肩を跳ねさせた。
溢れんばかりにあるあいかの双丘は、タオルで隠そうにも隠しきれておらず、入浴中に至っては湯に浮かんでさらにその大きさを目立たせていて。
見ないように気をつけていたものの、立ち上がった瞬間の不意打ちは未来にとって大ダメージだった。
同性をも魅了するあいかはおしとやかに歩いていく。
素晴らしいプロポーションを見てしまった未来は彼女の後ろをふわふわしながらついていき、人知れず自分の胸部に手を当てた。
そして思う。服は着方次第なのだ、と。
【第二三〇回 豆知識の彼女】
あいか先生のお胸は大きい
普段はまったく気にならなかったそのサイズ、彼女の素晴らしきコーディネートにて隠されておりました。未来さんは大ダメージです。
さてあまりそこについて話すとどちらにも怒られそうなので本編の補足をば。
死人と共存できる世界を作る、mutual coexistenceの関係『MCミッション』。
同じく死人と暮らす将来を目指す二人ですが、そのやり方が正反対でした。未来は心を通わせたい。あいかは力で服従させたい。
権限は未来にあるため心を通わせる方向で進めていますが、北海道に来るまでの海での戦いにて、未来のやり方が前線では通用しないことを自覚しております。
あいかが最初から真っ当な意見を出していたのは『一般人』として本部で長く働いていたからであり、どうにもならない現実を現場以上に見ていたからでした。
そんな重くなりそうなお話も温泉の力を借りて話せましたお二人。お互い納得できる道が見つかるよう応援していただけると嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 思わぬ顔触れ》
超超超っっ久しぶりの彼が登場。
その前に、旅館『湧水』にくっついていた鍛錬場について補足です。
よろしくお願いします。