第二二三話 言えない
前回、未来は博物館で言えなかったことを話そうとしました。
「あのね。……ありがとう、隆」
「……へ?」
「いつも、私を支えてくれて。感謝してるって伝えてるつもりだったんだけど。いざ思い返してみたら、まだまだ足りないなって感じた。だから、ありがとう」
照れたように未来は笑う。
んなもん改まって言われることじゃない。
俺がそうしたいからそうしてるだけで、俺としてはこれからもそうさせてほしいしそう在りたい。
ほかの誰かにその役目を譲れなんて言われたら俺はきっと灰になる。すげぇ寂しくて立ち直れないと思う。
つか、普段から十分すぎるほどお礼してるだろお前。
足りないなんてこと絶対ねぇよ。
「それでね。これはただのお話で、悩み相談じゃないから深刻に捉えないでほしいんだけど」
真っ直ぐなお礼にキョドって言葉をかき集めていると、未来は俺を気づかうような前置きをした。
なんだろう。真剣になりすぎない方がいいのかもと、考えるのをやめた俺は「おう」とだけ返す。
躊躇うように過ぎた時間。
「あのね」と、未来は微笑んで俺に語りかけた。
「隆は私のこと、どう思ってるのかなって」
「ンっ、ごふッ!?」
思わぬ角度から攻撃を受けた。
変なとこに唾液が入る。げっほげっほと咳が出る。
「だ、大丈夫!?」
大丈夫なわけあるか!!
未来をどう思ってるかって?
好きですけど。大好きですけど。
何を急に、てか、なんでそんなことを俺に聞く!?
――待てって。ほんと、待てよ。
未来は俺の背中をトントン叩いてくれる。
俺には手厳しいおキクも主人に倣ったのか、腰の辺りにしっぽを打ち付けてくる。心配してくれてるならごめん、気持ちだけ受け取らせてくれ。痛いからさ。
落ち着いたらなんて言えばいいのか。咳にやられながら必死に頭を回す。
だって、まだ言えない。
告白は、今はまだできないから。
少しして、表面上は通常運転に戻った俺。
どう答えようかと引き続き迷っていると、未来が急に立ち上がり、ケトを連れて館内に入っていった。
なんの用事だろう。
おキクに顔を向けてみるも、おキクはおキクで疑問らしい。可愛らしく首を傾げてくる。
待つことしばらく。広いスペースに一人と一匹。
追いかけるべきだったかと水面を眺めながら考えていると、水の入ったペットボトルがひょっこり目の前に現れた。
身長に比例して小さい、未来の手。
「自販機すぐそこなんだけど。迷っちゃった」
「アホ」
「だってまだしんどそうだったもん。焦って、どっちから来たかわかんなくなっちゃって」
声まで小さくなっていく。
案内の板が壁に付いてたはずだけど。
俺のためにわざわざ買いに行ってくれて、そのまま迷子してたのか。無言になってわるかった。
ぎこちなく受け取り、お礼を言って見上げる。
手渡した未来は俺の斜め後ろに座ろうとしていた。
正面から話さなくていいようにの配慮なら、正直ありがたい。
「えっと……続き、いいかな」
「……うす」
平常心を保つべく貰った水をゆっくりと飲む。
咳もだけど、緊張したせいかだいぶ乾いていた喉。ひんやり潤って心地よい。
蓋を閉めて脇に置き、未来に背を向けたまま言葉を待つ。
言いにくいのかもしれない。冒頭はさっきと同じ「あのね」だった。
「周りはさ。みんな逃げていったでしょ。他人だけじゃなくて、お父さんやお母さんも」
普段は話に出さない、未来を捨てた両親のこと。
どう思ってるの、という問いの意味が、俺の解釈と違うことに気付く。
「うちにおいでって、由香さんと明さんが言ってくれなかったら。隆が毎日一緒にいてくれなかったら。そしたら私……どうなってたんだろうって。あの頃を思い返したらね。感謝だけで良かったのに、ちょっと……あったかもしれない嫌な想像をしちゃって」
「……」
「隆がずっと一緒にいてくれる理由も、私を信じてくれる理由もわからなくて。だから、どんな気持ちで私と接してくれてるのかなって、聞きたくなった」
同情なのか、それとも本心なのか。
未来が俺にした質問は、本当はしゃーなしなんじゃないかって気持ちから来たものだ。
碧眼を持つ自分を受け入れること。それはつまり、未来だけじゃなく未来を庇う全員が敵と見なされる場合もあるということだから。
『リスクに見合うものを何一つ返せていない』。そんなわけないのに、未来の性格ならきっと、そう考えずにはいられない。
聞けなかったんだ、こいつは。
自分のこと、実は迷惑なんじゃないか――と。
「バカだな」
百八十度の方向転換をして、立たずに前進。お尻歩きで未来に近付いていく。
未来の反応は可愛い。びくっとして、元々大きな目を更に大きくさせて、座ったまま後退していく。手と足も使って俺から逃げようとする。
でも残念。その先は壁だ。
いくら広くたって元から俺の後方にいた未来は先に壁面まで下がる。背中がくっつく。
逃げ場が無くなった未来の隣までせっせと歩いた俺は、満足して壁にもたれかかった。
ケトの寝息三回分の、無言の時間。
「……なに、今の」
当然の質問だった。
「さぁ? なんだろな」
「おしり濡れたんだけど……」
「俺もだぞ。そりゃもう着替えたいレベルで」
おキクと遊んだ名残だろう。未来以外に人がいなかったここはそれなりに水が飛び散っていて、進むごとにズボンを湿らせていった。
お互い立つのが恥ずかしい。してやったり、なんて顔をおキクがしてるように見えるのは気のせいだ。
「えっと……誤解しないでね? 隆を疑ってるとかじゃなくて」
「わかってる。不思議になったんだろ」
「うん。なんでって思ったら、止まらなくなっちゃって」
確かにバカだね、と未来は相槌を打って笑う。
深刻に捉えるなって言われたからちょっと遊んでみたけど、緊張を取り除くのは成功したらしい。尻を濡らした甲斐がある。
「んで? それをアイツの前で考えてたわけですか、おバカな未来さんは」
二度も主人をバカ呼ばわりされておキクは黙っちゃいない。訂正しろとばかりに甘噛みを通り越した噛み付きに合う。痛い。
笑って「はい」と答える未来が引き剥がしてくれなかったら血まみれ案件だった。
「さっき私が言った、普段は考えないようにしてること。それが今の質問に当たります」
「なるほどね。俺がいたら考えらんないわけだ」
「でもほかのことも考えてたよ?」
「別行動する前に未来が言ってたやつ?」
「うん。過去のことと、これからのこと。でもほとんど隆のこと考えてた。最終的には、私が隆の気持ちを勝手に決めつけちゃいけないなって思って、考えるのをやめて、おキクと水遊びして……」
思考放棄。未来なりの答えが出たのかと思えば、思考自体やめたのか。
「なんだ。……俺ちょっと安心した」
「安心?」
「おう。未来のことだし、ひん曲がった解釈してたらどうしようかと思っ――」
がぶり。
「いぃいッ!」
「こら、おキク!」
べりっと剥がされ、未来から説教を受けるおキク。
痛かった。手を思いっきり噛まれた。
血がぷくーって出てくる。
でもナイスだぞ、おキク。おかげで未来の気が逸れてくれた。
早い段階で結論が出たって言われて、今の話の流れだったから。俺の未来への気持ちもバレたかと焦った。
気付かれたら気付かれたで隠すつもりはないし、ちゃんと好きだって言おうとは思う。隠せてるとも思えないし。
だけど、そうじゃないなら。
バレていないのであれば、俺はまだ伝えたくない。
――変わらないで。
直樹の夢を見るたび未来が口にする、あの言葉。
あれはきっと、未来の深層心理だから。
信用していた人物が豹変する恐怖。
友だちと思っていたやつが変わってしまうことを、未来は無意識に恐れている。
多分それは、幼なじみっていう俺の立場も同じ。
『呪い』の影響も怖いけどそれ以上に、関係の変化を望んでない未来へ俺の気持ちを押し付けたくはない。
【第二二三回 豆知識の彼女】
おしり歩きは良いらしい
交互におしりを動かして前進したり後進したりするおしり歩き、実はめっちゃ色んな筋肉を使うそうですね。お腹からおしりまで全部鍛えられるそうな。
りゅーちゃんの場合は運動ではなく未来さんを和ませるためのものでしたが、効果があるならやってみようかなぁと思っていた作者です。まだ戻らない正月太りをどうにかせねば……。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 バカ》
サブタイトルの通りでございます。
どうぞまたよろしくお願いいたします。