第二一九話 【知る】
前回、【知る】を分担しようという話をしました。
『ならば……お二人で九十日ずつお願いします』
想定の半分。等分ではないのか。
「残りの一年は?」
『あとはわたしが受け持ちますよ。技の使用者はわたしです。他者より負担は軽いですから』
これ以上は譲らない。そんな意思を感じた凪は口を閉じた。
結論が出たため視線を司令官の画面に移す。落ち着きなくしている万里を枠外で認識する。
同じものが目に入ったのだろう、司令官はやれやれといった様子で顎の下に手を組んだ。
『万里――』
「ひゅぁい!?」
呼んだとほぼ同時、彼女は裏返った声で返事をした。
司令官が『はぁ……』とため息を漏らす。組み合わせた指に額をつけた。
『まったくお前は……』
「ごごごごめんね四十万谷君っ!? でも私、その、あのっ!」
『一旦黙れ。それと深呼吸をしろ』
「でででも急がなきゃ……」
『深呼吸』
司令官は万里の言葉を最後まで聞かない。が、それは彼女のためなので凪は静観する。
命令のように言われた万里は半泣きで呼吸をした。
一回、二回、三回。
息を吐く時間が回数を重ねるごとに長くなる。
子どもを見るような目をしていた司令官が、聞け、と優しい声で前置きをした。
『オドオドするな。お前の仕事を疑うわけじゃない、むしろ信用しているから【知る】に頼るんだ』
そうでなければ監視カメラの映像を全員で徹底的に調べている。証明するように、司令官はマゼンタ色のゴーグルを画面に入れた。『思考コピペ君』と同じ、紫がかった濃いピンク。
『あっ、いっちゃんの新作メカじゃないの〜!』
愛息子を感じた母親のテンションが上がった。
斎が手掛けた新たな機械。凪は初見だ。
『先程まで使っていたが、効率が跳ね上がって驚いた』
『ふふっ、でしょうねぇ〜』
『総理に資金面をどうにかさせて、彼には増産してもらいたい。前線の支部では特に役立つだろう』
話の腰を折らないよう凪は聞くに徹する。
左右で分かれない一眼式のレンズに電源ボタンが一つ、固定するための太いバンド。シンプルな作りをしたゴーグルは、『そっこーメガネ君』という名前らしい。
映像や資料を数倍の速さで見てもすんなりと頭に取り込める情報処理のお助けアイテム。
使用者本来の処理速度により効果の上下はあるが、常に速読トレーニングを行う状態になるので使えば使うほど処理量もアップしていく仕組み。
本部の忙しさをよく知る斎は、ダイス製作と並行してゴーグルの構造を考え、雪翔の分を作った同日に試作、完成まで持っていき、安全チェックをしてから司令官へ届けにきたそうだ。
他に作ってほしいものがあれば言ってください。業務外の物でも何でも、と。
太陽を思わせる笑顔を見せて、疲れた様子もなく帰っていったという。
――凄い……本当に十五歳か。
凪はにやけるのを隠せない。
要するに、それだけダイスの完成は難しかったのだ。
何年もの思考の末に出来上がったあの新しい武器は現在、大量生産のために研究員たちが頑張ってくれている。
国全体に配ることができたなら、今よりもっと死傷者を減らせるだろう。
『とにかく、お前を信頼している。それでも怖いと言うならこれを貸してやるが』
弥重ならすぐ取りにこられるからな、と司令官は万里に笑いかける。
おっちょこちょいで怖がりな支部長は説明を反芻し、眼鏡の奥の丸い瞳を凪へ向ける。
まだ残る怯えから脱出するように、姿勢をシャキッと正した。
「わ、私は! 自分を、信じます!」
『それでいい。千番、弥重、四番。よろしく頼む』
司令官に次いで、万里にも頭を下げられる。
こちらも礼をして、それからあいかへ頷いた。
『……厳しければ、言ってくださいね』
「善処します」
『杵島くんも』
「おう。努力する」
言わないなこいつら、みたいな表情をされた。
忠告を終えた彼女は臨世の正面に立つ。
息を整える時間をとって、片膝をついてしゃがむ。
凪が作り出した【朧げ】の壁。その下から僅かに出ている『紋章』へ、そっと指を置いた。
『――【移ろいを知る】』
途端、光る。
あいかを中心にして眩い青が迸り、床から石壁の割れ目を辿る雷電。
拘束部屋の全てを包み込み、パチパチと消えたり点いたりを繰り返す。
凪の頭の中に膨大な『臨世の記憶』が流れ込んできた。
「これ……っ、キッツイ、な……ッ!」
肘をつき、頭部を押さえる流星。
返答する余裕もない。
顔を顰め、凪は歯を食いしばる。
この四倍をあいかが背負っている。それだけで、日頃もっと感謝しなければと思わされた。
――臨世……夢を見てる。相手は、誰だろう。
入ってくる記憶の全て。毎日毎日、奴は夢を見る。
相手は同じ人物のようで、しかし姿はぼやけてよくわからない。
時折チリン……と、鈴の音が鼓膜を揺らす。
どこかで知っている涼しい音色。
直近で聞いた音。
Death game。模擬大会の映像で耳にしたあの響き。
「……っ、まさか……!」
特徴的な白髪。青い瞳。
存在を認識した途端、ぼやけていた全てが像を結ぶ。
『これはこれは』と、あいかが苦しそうな声で笑った。
『ふふ……。あの時も今も、わたしたちを謎へ導くのは彼のようですねぇ……』
顔を上げて画面を見れば、脂汗を流しつつ不敵な笑みを浮かべるあいか。
指示をした場面は、凪が昨日博物館へ行く五分前の映像。急いで万里は映し出すが、そこには誰もいない。
何も変わらない。何も起こらない。
ただそこからの五分には、あいかが取り込んだ記憶の中にだけ変化が起きているのだろう。
その異物。凪は今すぐに知りたい。
「国生さん、相手はっ……、あの彼ですか!?」
『あらあらぁ? あなたにしては、随分とつらそうですねぇ……』
「無駄口はいらない、教えてください!」
食ってかかれば、あいかは『そのようです』と真面目に答えてきた。
だったら、いつから。
どの段階から、彼は臨世と接触していたのか。
いったい何者なのだろう。彼の目的はなんだろう。
『考えるのは後にしてください。流入、終わりますよ』
「ぐ……センセッ、あと、何秒!?」
『三秒です! に、いち――』
正確なカウントダウン。
あいかがゼロと告げた瞬間、記憶の流れ込みは止まった。
ゴンッと流星の頭が机にぶつかる。完全に脱力して、ぜぇぜぇとらしくない息をする。
司令官たちから心配の声を掛けられるが、凪も流星もすぐには答えられない。
呼吸の乱れが著しい。けれどそれ以上に、頭の中で映像や声や感情がぎゅうぎゅう詰めになっていて、言葉を組み立てるのがひどく億劫だった。
彼らに手伝わせなくて良かった。そう思うが、それも声にはならない。
――白髪、鈴、青い瞳……。
散らばる単語を掻き集めながら、凪は呼吸を正常に戻すべく意識を向ける。おでこや鼻筋の汗を拭う。
監視カメラの時間を確認すると、どうやら二分も経ってないらしい。なのに疲労は何にも例えられないほど重く、すぐにでも瞼が閉じてしまいそう。
なるほど、動けなくなるわけだ。
『あいかさん、大丈夫?』
光の壁に背を預け、ゆっくりと息をして回復を待つあいかへ幼い声が掛けられた。
見守る結衣と雪翔の間になんの前触れもなく現れた少年。凪のマフラーをたなびかせる。
『あら……紫音くんでは、ありませんか』
結衣が『えっ』と首を振って探した。
ここです、と雪翔は彼がいる場所を手で示す。
『俺が呼びました。説明は紫音に任せて、国生さんは休んでください』
『ユキちゃんいつの間に呼んだの!?』
『今です』
『ああ……。雪翔くんと紫音くん、テレパシーのようなこともできるんでしたっけ……』
『そうそう、僕と兄さんならね。えっと、精神かん……かん……の? なんだっけ?』
『精神感応だな。紫音、手伝い頼む』
『はーい!』
会話は聞き取れるが、凪はまだ話せそうにない。
置いていかれないよう画面を注視する。
雪翔のお願いならと元気よく返事をした紫音はあいかのおでこに自分のおでこをくっつける。
熱を測るような仕草は結衣が見たなら悶えそうな可愛らしさだが、【九割謙譲】を使った紫音の姿を一般人は捉えることができない。声も聞こえないため結衣は平常心を保っている。
あるいは――存在を認められないことを寂しく思い、憂いを生じているのか。
『ふーん……。動けなかったくせに、臨世は濃厚な毎日を過ごしてたんだね』
紫音の言葉に、あいかは曖昧に笑った。
『要所だけでいいですよ。無理をして、あなたが消えてしまわないか心配です』
『へーきだよ』
『預かっていただけて、わたしは楽になりますが。……深夜、凪くんがここへ来る前の五分間。あなたの力で映像にできますか?』
『うん。任せて』
紫音があいかから離れ、自分の側頭部に指を添える。
彼女から吸い出したのだろう五分間の臨世の記憶が、『えいっ』という掛け声とともに紫音の頭から引き抜かれた。
先程まで結衣が映っていた画面が変わる。
記憶が映像となり、動き出す。
『――人間だった、か。一番はそう言ったが、本当はどうなのだろうな』
遠慮して話さない一行。司令官が資料を見て呟いた。
血色のない肌、毛先だけ青緑色をした白髪。袖にあるダイヤ柄が印象的な灰色の長い羽織と茶色のショートブーツ、金の帯。
模擬大会では黒のカラーコンタクトで隠していたが、この日は裸眼。青い目で臨世を眺め、鈴の音を鳴らして正座をする。
あいかの【知る】でも探し出せなかった碧眼の男の子が、夢の中で『紋章』に触れていた。
【第二一九回 豆知識の彼女】
斎のメカは大体マゼンタ色
斎の好みというわけではなく、実はお母様が好きな色だったりします。結衣のバイクジャケットのような赤系からコピー機のインクにも使われる紫がかったピンクまで、派手な色が彼女はお好き。
というのも斎が作るメカは実用性を重視ししすぎて可愛げがないらしく、結衣博士がカラーリングをしたのがきっかけ。
ちなみに頭で考えたものを忘れないよう記録するあの優秀メカ『思考コピペ君』に猫耳がついてるのも彼女の案だったり。
出来上がったのはスイッチがあるだけの平凡なカチューシャ。
まんますぎる。なんにもおしゃれじゃない、見た目があまりにもダサい。
美に気を使う彼女は斎にこう言いました。
「ねぇいっちゃん! これ凄いけどまったく可愛くないよ!?」と。
さあやりましょう。
アレンジ、アレンジ、アレンジ。
出来上がった華やかな猫耳カチューシャを見て、息子はこう返しました。
「仕事に奇抜さは必要ないだろ……」と。
お読みいただきありがとうございました。
ほくろがついったーで騒いでいたラフもちゃっかり載せときます。描く行程で一番時間がかかるのがラフなのですが、今回とっても早くて自分でびっくりしてました。ふふふ。
《次回 黙考》
随分かかりましたが隆視点に戻ります。
凪さんたちの会議中、旅館でまったりしていた隆一郎と未来。その後です。
またどうぞよろしくお願いします。