第二一四話 お墨付きと役割分担
前回、臨世の顔だけ動きました。
「まったく……。結衣さん、彼は臨世で間違いありませんか?」
見目はそっくりですが、と『紋章』を見終わったあいかは問う。
雪翔のそばを離れない結衣は「ちょい待ち」と答えてから空中の青いパネルをスクロールして、斎を思わせる速さでデータと本物の違いを調べていく。
「うん、間違いない。百パーセントあたしたちの知ってる臨世だよ」
手が止まるのはすぐだった。
「百パーセント、ですか?」
「百二十パーセントでもいいよ」
「いえ。DNA鑑定でも百には至らないのに、と思いまして」
意味ありげにあいかは横目で見る。
結衣が冷めた表情をする。
「あたしは自分の分野に自信を持ってんの。あたしが百って言ったら百なんだよ」
「……失礼しました。ありがとうございます」
「そもそも人間と死人では調べ方が違う。一緒にしないでもらえるかな」
ぽん、ぽんと再度パネルに当てた指が柔らかい音を鳴らす。刺々しい声とは対照的な旋律が少々怖い。
普段の言動からは感じないが、結衣は凄い人だ。本部が頼りにしている彼女は実はプライドが高く、自分の領域に口を出すことを許さない。
指示や指摘ができるのはあいかのみ。
結衣の補佐を引き受けて長いあいかだからこそ、煽りとも取れる今の言い方ができる。
「優秀じゃなきゃそばに置いてあげないんだから」
不機嫌を顔に出しながら、結衣は臨世が捕縛された際の手記や体内情報などありとあらゆるデータを表示する。
それら全てを照合して部屋を青い文字で染め、言葉通り、そこにいる死人が百二十パーセント本物である証拠を叩き付けた。
「あいかちゃんなんか、大っ嫌い」
ふん、と鼻を鳴らす。
「最初から本気を出してくだされば、あんな意地悪わたしだって言いませんよ」
「嫌味な補佐ね。そもそもあたしの助けは必要ないじゃないの。【知る】を使った方が早いし鮮明なんだから」
「わけわかんない」と大量に出した文字を片付け始める。
視覚化するため、明白にするためのやり取りだったわけだが、自尊心を傷つけられた彼女は完全に拗ねてしまった。
あいかはため息をつく。
「子どもですか……」と、面倒くさそうに眉間に指を置いた。
「確認だったのですよ。わたしはあなたのお力を信頼しているんです」
拗ねるのも早ければ、戻るのも早い。
結衣はまたあいかを見る。あいかは続ける。
「【知る】を退ける者がいる時点で、【知る】で得た情報を完全に信用してはならない。本物と思ったものが、誰かに用意されたフェイクの可能性だってあるわけです」
「……技が臨世本人だって示しても、実は違うかもしれないってこと?」
「ええ、そういうことです」
だから確実で、何よりも信頼できる結衣からのお墨付きが欲しかった。これで安心して次へいけるとあいかはお礼を言う。
優秀な補佐に認められた結衣は目に見えて嬉しそうだった。
「【知る】の精度を上げられませんか」
扱いが上手いなと心の中で感想を述べ、キューブを信じていないあいかへ凪は問う。
事前に用意していた【朧げ】を使い臨世の周りに透明の壁を作り出した。
「『竹』が解除された今、頼りになるのは国生さんの【知る】による情報なんですよ」
「言われなくても、できることは全て試していくつもりです。わからないで済ませるわけにはいきませんから」
ノックをするようにあいかが叩けば、マテリアル製と同じ甲高い音が鳴った。
「正確な情報を得るためなら何でも捧げるつもりでここへ来ました。寿命を払ってでもやりますよ」
「……そこまで僕は求めていません。ご自身を大事にしてください」
どうしてみんな、自己犠牲の気が強いのか。
やめてくれと凪が内心で非難していると、あいかは『あなたもですよ』と言わんばかりの視線を向けてきた。
意味がわからない。
忙しく過ごしてはいても、凪はそれなりに自分のことを気にかけている。そんな目で見られる筋合いはない。
「……重症ですね」
理解不能。
会話を切り上げ、【拘泥】を続ける湊に凪は呼びかける。
臨世を見てだらりと立っていた彼は、「はぁ〜い」と、いつも通りの間延びした返事をする。けれど表情は真剣だ。
「座って。ここからは体力勝負でしょ」
「だねぇ〜。大人しくしてくれるなら僕も楽なんだけどなぁ」
「今後についてはわからない。何日かかるかも不明だし、平気なうちは消費を抑えておいた方がいい」
支配下に置き続けるため、湊は常に【拘泥】を発動していなければならない。知りたい情報を全て知った後は討伐しても構わないが、それまではキューブを常時展開している必要がある。
雪翔が【侶伴】のために展開して生活するのと同様。
終わりがいつかわからない常時展開を、司令官は申し訳なさそうに湊へ頼んだのだ。
「必要なものがあれば言ってね。持ってくるから」
「ありがと〜。さっそくでごめんなんだけど、この部屋の臭いどうにかできる? カビ臭くて嫌なんだよね」
「エキスパートがいる。すぐ解決できるよ」
雪翔に頼み、数回『沈臭ミスト』を部屋へ噴いてもらう。たばこの残り香用に彼が持ち歩いている消臭剤はやはり強力で、入ってきた際に感じた強いカビの臭いは簡単に消え去った。
【和みの炎】から漂う花の香りが、部屋の印象を綺麗に上書きしていく。
居心地が良くなったところで湊は椅子に腰を下ろし、楽な体勢で瞼を閉じた。
凪は声を小さくする。
「ユキ、ここに残ってもらってもいいかな。湊のフォローをお願いしたい」
「わかった。凪はどうする。支部へ行くのか?」
「うん、北海道支部での管理方法と内容を見させてもらう。こっちでは【知る】で国生さんに調べてもらって、支部が持ってる情報と照らし合わせて経緯を探ろう」
昨日凪が来た時点では不審な点はなかった。しかし自分も騙されていたかもしれない。
どの段階で何がどうなったのか、手を加えた者は敵か味方か、全てを見極める必要がある。
「承知した。なら流星も連れていけ」
「いいの?」
「お前は一人で背負い込む癖がある。こっちは伴侶がいるから問題ない。共有しながら頑張ってこい」
「……うん。ありがとう」
雪翔の言葉なら、不思議と素直に受け止められた。
あいかからの心配は突っぱねたくなる。結衣にあれこれと指示している彼女を一瞥して、ため息をつきそうになりながら凪は左手に向き直る。
石壁にもたれ腕を組んでいた流星に二つほど頼もうとすると、彼の目が臨世へ向けられ、直後、マテリアルに衝撃を与えた際の音が響く。
「頑丈だな」
その言葉に凪は破顔した。
臨世を囲む壁の内側から弾丸を撃ち込んで、その強度を確かめてもらおうと思ったのに。何も言わなくても察する彼もまたさすがだった。
「大丈夫そう?」
「おう。それなりに本気でやった」
「良かった。湊にばかり負担をかけたくないからね」
血の弾丸は貫通せず跳ね返りもしない。無効化されたような状態で、透明の壁はそこに健在している。
「イチとガキんちょは? 連れてくか」
「また言った」
「……すんません。未来です」
「懲りないね。二人は旅館に送るよ。早く休ませてあげたい」
疲れただろう。
臨世は何か話すと思っていただろうし、『竹』を抜いてすぐ未来に襲い掛かるんじゃないかと危惧していたはずだ。
凪自身もそうだったのだから、彼らの気持ちはよくわかる。
今すぐにでも東京という確実な安心の中へ帰したいけれど、今日のうちは北海道にいてほしい。
頑張って臨世の前に立ってくれた二人のため、ちょっとしたサプライズを用意しているから。
「少しだけ待って。【光速】ですぐに送ってくる」
「おう。支部に連絡入れるぞ」
「ありがとう、お願い」
二つ目の頼み事も当たり前のようにわかってくれる。
電話はすぐに繋がったようで、口が悪い彼は荒っぽくこの後行く旨を伝えた。
それがなぜか安心する。
考えることは山ほどあるのに、不安に思っていた気持ちはどんどん収まっていった。
自分が怖がっていたのはやはり『竹』解除の前後だったらしい。
――気を引き締めなくちゃ。本番はここから。油断は禁物だ。
臨世が『喜びの死人』で、【知る】が通用するならそれでいい。元からの予定だった産月や未来が狙われた理由を聞き出して、今後の対策を練ることができる。
けれどダメなら、強行突破に移らねばならない。
司令官とした事前の話し合いを凪は思い返す。
やりたくない気持ちを隠すべく笑顔を携えて、金木犀の香りに癒されている二人へ声を掛けにいく。
お礼とお疲れ様、そして旅館でゆっくりするように伝えてから、光の速さで送り届けることにした。
【第二一四回 豆知識の彼女】
あいかは結衣を尊敬している
普段はあれですが。あいか先生、結衣博士のことを尊敬してますし、心の底から信頼しております。たびたび出る変態モードやお子さまモードに振り回されて大変な思いをしても補佐を離れないのはそういう理由があったり。
そしてあいかでなければ結衣博士の補佐はできないのではと考える今日この頃です。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 愛らしい虎》
隆視点に戻ります。素晴らしき速さで送り届けられた旅館にてデレデレ。
どうぞよろしくお願いいたします。