第二〇九話 不器用な幼なじみ
前回、未来の朝ご飯はつらそうでした。
端段市は、雪が降っていた。季節外れの雪。
傾斜のある屋根に積もったそれはふわふわで、着物に羽織るファーのショールを思わせる。
不思議なことに雲はなく、快晴の空から現れる雪は妙に幻想的で、これからの恐怖を忘れさせた。
「綺麗だね、雪」
未来が白い息を吐く。
ポニーテールに結われた黒髪が景色に映えて、より一層艶やかに見えた。
「そうだな」
「ちょっと寒いけど……」
「手袋どうした?」
「忘れてきちゃった」
「おま……寒いって知ってたんだろ、なんで忘れてんだよ」
周囲に負けないぐらい白い手。
俺は腰に付けたキューブを展開して未来の両手を取り、熱を作ってあたためていく。
朝ご飯でボロを出したせいか、未来はあんまり頑張らない程度の会話をしてくれるようになった。俺だけじゃなくて、他のみんなとも。
特にしょんぼり加減の激しかった結衣博士には東京から持ってきたチョコをあげてもう一回謝って、あちらからの熱烈なハグを受け入れていた。
ちょっと苦しそうだったけど、しこりが残らなくて良かったと思う。不安要素はない方がいい。
「隆だって、気温低いこと忘れてたくせに」
赤みが戻ってきて安心していると、未来からそんな切り返しを受けた。
「……そうだな。忘れてたよ」
左手を離して、未来の右手を握ったまま歩き出す。
ここに来たら思い出した。端段市の近くが寒い理由。
それはこの街が必ず雪が降っていて、その影響で周辺の気温が下がるから。今は人がいなくて閑静だけど、臨世が捕縛されるまではすごく賑やかな街だったらしい。
「忘れたかったんだと思う。多分」
前を行く凪さんたちをゆっくりと追う。
ついてきてるか確認するように、時折誰かが振り返る。
「直君を思い出すから?」
出さないようにしてたのに、未来からその名を口にした。
「お前、それ……」
「いいよ、もう。私もいっぱい、思い出してる最中だから」
今までありがとう、と。未来は俺に微笑みかける。
その笑顔はどこまでも綺麗で、本心なのか作り物なのか、俺には判別できない。
臨世と同じで絶対話題にしないよう過ごしてきたのに、ここに来て許可が下りるとは思わなかった。
手を軽く握り返される。
俺が何も言えないまま、端段市の掲示板の横を通る。
本部からの注意喚起――ケトを引き取った日に邂逅した、唾の死人との約束が貼られているのが目に入る。
「……雪は、特別なんだよ」
何も言わないでおこうと思ったのに、未来の笑顔が、掲示板に積もった白いそれが、無言を許してはくれない。
「ガキの頃からずっと、雪だ雪だって、直樹が言うのを聞いてた。あいつが見たがってたそれが今こうやって一面真っ白にしてるなんて、俺は認めたくなかったんだと思う」
臨世の能力が、天気を司るものだったから。未来を壊した存在の何もかもを思い出したくない俺は、考えようとすらしていなかったんだろう。
「特別か。うん、そうだね」
未来のブーツが雪を蹴る。
大きな塊が飛んで、また雪の中に消えていく。
「私が見るのは、これで二回目かな」
「……怖くないか」
「怖くないよ。あの時も今も。怪我をしたその瞬間の記憶は消してもらってるからね」
綺麗だよ、と未来は繰り返す。
凪さんの【デリート】は今も続いてる。あの日のことを思い出さないように掛けた記憶を隠す技は、未来が怪我をした際に降っていた雪も恐怖を感じさせないらしい。
歩くたびギュッ、ギュと音がする。
慣れない踏み心地が不安になる。
道なのかどうかもわからないまま、みんなの足跡をついていく。
――今年は雪降るんかなぁ。
聞こえてくるのは、幼い男の声。
――ホンマもんの雪ん中にさ、こう……ぼふって、飛び込みたいなぁって思うんよ。作りもんとちゃう雪、一回くらい見てみたいやんか。
通学路や教室、休み時間の中庭。
冬になったら何度も直樹が言うから、毎回未来と一緒に無理じゃないかと答えていた。
年々暖冬になって、最後に降ったのはいつだっけって親が言うくらい雪とは縁がない。
それでもいつか見られるとアイツは信じていた。
スキー場のふかふかでも、キューブで作る想像の景色でもない。本物の雪を。
「隆が恨んでるのは、直君? それとも臨世?」
微笑んだまま、優しい声音で未来は聞く。
やけに踏み込んでくるのはなんでだろう。
「どっちとかねぇだろ。同一人物なんだから」
端段市で捕縛されて以降、臨世と呼ばれてるだけ。
人間から死人が生まれた初の事例。世の原本を見るなんていう、オーバーな由来から付けられた名前だ。
「恨んでるわけじゃない。実際に俺も体験して、前よりは直樹の気持ちも理解できる。――でも」
割り切れないことだってある。
自分の右胸に手を当てて、去年の今頃を思い返す。
俺の意思が死人化して未来を傷つけたこと。俺が死なないように、右胸に出来た死人の心臓だけを破壊して助けてくれたこと。
保健室で意識を取り戻した際に見た未来の心配そうな顔が、今でも忘れられない。
「……ごめん。俺も同じだな」
俺が未来にしたことは、直樹と変わらない。
未来が俺を助けられたのは、直樹の死人化を経験して、今後同じことが起きたらどうすればいいかを考えてくれていたからだ。
そうじゃなかったら俺も今ごろ捕縛されてるはず。
責める権利なんか俺にはない。
「隆は私を守ろうとしてそうなった。私を殺したくなった直君とは、同じじゃないよ」
ぎゅっと、今まで以上に強く手を握られる。
「復讐しようとか、思わないでね」
「……そのための会話だったんだろ」
「一緒にいて。こうやって、手を繋いでいて。間違っても私が、直君の命を奪わないように」
前を見据える未来は、直樹が死人だろうとそうじゃなかろうと討伐したくない。
俺が手を下すことも許さない。
凪さんが未来を思って『死』と表現したのは、やっぱり正しかったんだろう。
「もう大丈夫なのか」
明るい顔つきと雰囲気から元気を感じ取って、つい聞いてしまった。
未来が足を止める。「怖いよ」と言って、けれどにっこりと笑った。
「怖いけど、隆が私をわかってくれてる。私が失敗しても、不器用なフォローをしてくれる。そう思ったから頑張れるよ」
嘘偽りのない、百パーセントの笑顔で。
「……お前にだけは、不器用とか言われたくねぇんだけど」
見惚れた。
変な表情になりそうで、片手で顔を隠しながら文句を言う。
「だってさっきの朝ご飯。私に謝らせたくないのはわかったけど色々面白かったよ?」
「え」
「心配し過ぎるなって言いつつ隆は心配して話しかけてくるし、絶対直君の話は出さないし、玉子焼きだって、甘くなくて残念だったからあの感想だったんでしょ?」
ぎくり、とする部分が多くて顔を逸らす俺。
未来が回り込んでくる。
こっち向いてとお願いされて、ぷるぷるしながらもう一度未来へ顔を見せる。
……なんでそんな顔してんだよ。
なんでそんな意地悪そうに笑ってんだよ。
「ずっと心配してくれてたんだよね」
「……だったらなんだよ」
「一緒に温泉入る?」
「はぁっ!? てめっ、変態博士の悪影響受けんじゃねぇよ、アホ!!」
言い返したら笑われた。
「温泉巡りしようぜって言ったのは隆じゃないの」と、めちゃくちゃ正論で返された。
「なん……な……」
「ふふっ、あははっ!」
朝の未来が嘘だったみたいに、楽しそうに笑う。
家にいる時みたいに元気に話す。
「……んだよ。ひとの気も知らずに」
もう一回そっぽを向いてやろうか。
「逆。隆のそういうのを受け取ったから、私が吹っ切れただけ」
「簡単に言ってくれる……」
「簡単じゃなかったよ。朝までつらかった。だから、ありがとう」
離れかけた手を未来が握り直してくる。
照れくさそうに笑う。
どれも同じ笑顔なのに、なんでこんなにも違って見えるんだろう。
「……帰ったら、温泉だからな」
「うん」
「一緒には入らねぇぞ。ガキじゃないんだからな」
「はい。湯上りのコーヒー牛乳ね」
約束して、手を握り返す。
風が冷たくなってきた。
「急ごっか。はぐれたら元も子もないもんね」
「おう」
天気がどんどん悪くなる。
話している間に幻想的な景色は消えて、白と灰色が埋め尽くしてる。
それでも、足取りだけは何倍も軽い。
◇
「土屋くんを連れて来たのは、正解でしたね」
凪の隣であいかは呟いた。
顔を覆うようにしていたマフラーを少し下げ、後ろを急いでついてくる隆一郎と未来を優しい瞳で見つめる。
凪の口もとが綻ぶ。
「離れませんよ、あの二人は」
司令官が指名しなくとも。
凪がいくら説得しようとも。
互いの強さと弱さを知り、つらさと幸せを分かち合ってきたのだから。
これから先ずっと、手を取り合って進むだろう。
「いい兆しだ。この流れに乗るよ」
心配しつつ二人の時間をともに作ってくれた皆へ感謝して、凪は先頭を歩く。
数時間前に来た建物――端段市博物館が見えてきた。
【第二〇九回 豆知識の彼女】
掲示板にあった本部からの注意喚起は『唾吐きしないで』という内容
121部分《名前を決めよう②》にて隆一郎が唾の死人たちと約束したものが掲示板に貼られていました。
そのほかにも携帯で見られるサイトがあったりメールで入ってきたり、認知することで再発を防げるような事例は逐一本部が何らかの形で知らせています。
【送り火】にて人型から元の唾に戻った死人くんたち二人。茜ちゃんからのお祓いで現在は蒸発、大気に消えています。
どこかで知ったなら『あんがとな男児!』て言ってることでしょう。安心してのぼりたまえ。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 端段市博物館》
やってまいりました、臨世(直樹)を捕縛する施設。
未来の通常運転っぷり再開です。
よろしくお願いします。