第二〇四話 視察
前回、走りに行こうとしたら死人が飛んできました。
「戦闘はするなって、兄さんに言われたんじゃなかったんですか?」
後ろから少年の声がした。
端段市の真ん中に建つ市役所の屋上で、指先から【糸】を作り出し、傷つけないよう加減をしながら旅館に向けて死人を投げている最中のこと。
相変わらず雪翔が起きたら強気になる子だ。声に張りが出て、性格もがらりと変わる。
仲の良い兄弟に凪はくすっと笑った。
「戦ってないよ。ユキにパスしてるだけ」
「討伐してるじゃないですか。雄と、どっちかわからない死人は全部」
「隊長はいつも兄さんのお願いを無視する」と、彼は凪に向けて唇を尖らせた。
幼い見た目、幼い行動。
『譲』の文字を最大限に利用したゆえの成長の停止。本来の彼は凪の一つ年下であるはずなのに、それを本人は自覚しておらず、兄の雪翔も彼を中学一年生だと言う。
【九割謙譲】と名付けた技によって、彼――朱雀紫音の肉体と精神は十三歳のまま。
死人とマダー以外にはその姿も見えず、食事も睡眠も要らない幽霊のような状態になることで、超常現象を起こす力を手に入れた。
瞬間移動も、浮遊も、触れずに物を操作したり、体の欠損を薬にも技にも頼らず復活させたりと。ありとあらゆることを『譲』の文字に関係なく行える。眠る雪翔の世話や散髪までお手の物。例を上げればキリがない。
不老不死に近いそれを十三歳で決めてしまったのだから、彼のキューブはさぞ心配したことだろう。もちろんキューブに意思がある前提の話だが。
「聞いてますか、隊長」
周りで死人が悲鳴を上げているというのに、紫音は気にせずお叱りの言葉を連ねていた。
「無視してないよ。僕は倒そうとしてないし、彼らが勝手に事切れてるだけ」
「また言い訳して。【糸】を張り巡らせてたら一緒でしょ? あとで兄さんに報告しちゃいますよ」
それは困る。戦わない約束で一人でこちらに来たのだから、告げ口はしないでほしい。
言わないでとお願いしながら明かりのない街を見る。
遠いところでまた死人がバラバラになり、ガラス玉に変わった。
凪のいる建物の屋上から他の建物へと、広範囲に見えない細さの【糸】を張り蜘蛛の巣のようにして、飛び回る死人が自らサイコロ状に切り裂かれる仕組み。
女の死人を見つけたら突っ込む前に捕まえて雪翔へ投げ渡しているのだ。
人形の増加は負担になるが、彼が望んだのでそうしている。
「今日、どうして顔を出さなかったの? 零時になるまではそれなりに時間があったんだから、挨拶すればよかったのに」
話題を変えるべく質問を投げた。
凪の隣でふわふわと仰向けで浮く紫音に目を向ける。人見知りではないはずだ。
「隆一郎とは面識あるんでしょ? 駅とDeath gameの中で」
「あるけど。でも顔合わせづらいっていうか」
「どうして?」
「苦戦してたところ助けてもらって、本当は必要なかったけど薬もくれて、お礼も言わず逃げちゃったし。二回目だって……」
紫音はぎこちなく話す。キューブの技とはいえ、人間らしくない状態の自分をあまり知られたくないのだと。
本当はしていたマダーの登録を本部に頼んで抹消したほど注目されるのは苦手。
関わりがあったその二日間だって、雪翔の様子を伝えるために東京へ来ていただけだった。それがなぜか人型の死人に見つかったりヘンメイがおかしくなって模擬大会に出場させられたりと、不運の連続。
兄さんが寝てるからだと口を尖らせ、話が終わる。
「またぼんやりしてますよ」
こちらから聞いておいて何も答えない凪へ、紫音は「おーい」と手を振った。
「ごめん。聞きながら寝てた」
「しっかり寝て、朝来た方が良かったんじゃないですか」
「引きずりたくないんだよ。先に終えて寝るのを挟まないと、僕は上手く立ち回れない」
嫌なことは先にする。
終わらせてから寝て、リセットして次を迎える。
臨世に会わせるために未来を寝かせたように、凪は凪で心の整理をしている最中だ。
「夜って、長いね」
呟いたのは、死人の声が聞こえなくなってきた頃。
この付近はもう残り少ないのだろう。
「長いですか?」
「うん。長いよ」
「ゲームしてたら一瞬だと思う」
「それは確かに」
どこからかゲームを出現させた紫音は、鉄棒のこうもりのように手すりに足をひっかけ、ぷらぷらと体を揺らす。眠らなくなって三年、長いなんてもう思わないのかもしれない。
「そろそろ行くよ」
静かな寒空の下。
大量に落ちているガラス玉に【糸】を巻き付け、回収してから本部にメールを打つ。ガラス玉を置いておくという知らせだ。
「視察なんて嘘なんでしょ? 本当はどこへ何しに行くつもりなんですか?」
送信してしゃがみ、凪は【朧げ】を使うため足もとの八箇所を指でトントンと叩く。基本はステップを踏んで発動するが、小さいサイズで使用するなら手で十分。
円の中央に向かって八等分の線を引いた魔法陣が出来上がる。淡い光を放ち、抽象的な文字が描かれているそこにガラス玉を乗せて本部へ転送した。
はっきりしないという意味合いの『朧げ』は、凪が行う全てを手助けしてくれる。何でもできるというのはありがたい。
「秘密。あんまり知られたくないかな」
「無理してませんか」
「どうだろう。でもあの子たちのためなら、何だって頑張れる気がするよ」
大好きで、大切な二人のためならば。
とはいえ今からすることは大してつらくない。守りの一助と、『竹』を消してもあいかの【知る】が通用しなかった場合の下準備だから。
「紫音」
端段市で一番大きな建物。端段市博物館の前で足を止めた凪は振り返る。
自分が使っていたマフラーを外し、護衛のように後ろをついてきた紫音の首へ巻いてやる。
「死人の新生への対応。引き受けてくれてありがとう」
寒さは感じないかもしれないが。それでも冬服を着ているのだから多少の気温はわかるはず。
紫音はへにゃりと笑った。
「伴侶たちにも、会えたら言ってあげてください。隊長からのありがとうはあいつら喜ぶと思うから」
旅館の安全を紫音とともに守ってくれている雪翔の契約した死人たち。彼女らにもお礼を伝えることを約束して、ゴミ箱へ戻る紫音を見送る。
一瞬で消えてあちらに着いてしまうため、見送りと言うのもおかしいけれど。
「……未来の代わりのぶん、言ってないな」
あ、と思い、声に出る。
東京に残る斎とゴミ箱当番をしていた未来に代わり、彼女が北海道にいる間は紫音が行くと司令官から聞いている。
連日の戦闘になることを司令官は心配していたのだが、
――疲れたり眠くなったりしないから大丈夫。適任でしょ?
あっけらかんとして答えられ、正式に決まったらしい。そちらのお礼を言いそびれてしまった。
先程の言い草だと明日も顔を出すかどうか怪しい。後日になるかもしれない。
その後日もいつになるかわからないな、と凪は小さく笑い、気を取り直して博物館の扉を開ける。
「お待ちしていました。弥重様ですね」
死人死滅協議会北海道支部からの指示に備え、昼夜問わず人がいる。
現在の担当者は同い年くらい。アルバイトの名札を付けた、マダーでも屈強な大人でもない華奢な青年。
それが端段市の住人の少なさを感じさせた。
【第二〇四回 豆知識の彼女】
雪翔と紫音は三歳差の兄弟
存在としては十三歳の紫音ですが、通常通り歳をとっていれば現在十六の年。高校一年生ですね。
ということで事実上は隆や未来より年上。しかし見た目も行動も幼い状態です。
そんな少年・赤紫こと紫音君。二章中盤で隆一郎に会った時や最後の方で凪と話した時とは性格が違ったり。雪翔が寝てる間は恐怖心や怯えが強く、現在は頼りになるお兄さんが復活したことで強気モード。凪さんに対してもがんがん攻めます。雪翔がバックにいることを最強に思ってます。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 伝言》
隆視点に戻り、まだ伝えられていなかったヘンメイからの言葉やたばこ事情など。
またどうぞよろしくお願いいたします。