第一九四話 和みの炎
前回、湊とお話をしました。
フェリーが港について、車で走って二時間ほど。
「なんここっ、さっ……!!」
宿の近くにある駐車場で「着きましたよ」と言われた俺は、車から出るなり悲鳴じみた声を上げた。
寒い。めちゃくちゃ寒い。これが北海道? ほんとに同じ日本でいいのかこの寒さ!?
「凍える……」
「うっせぇぞイチ。もう夜なんだから静かにしろ」
「ごめんなさいあまりにも寒くて……て、なんで当然みたいに長袖着てるんですか?」
「はぁ? そりゃ寒かったら上着も着るだろうよ」
「真冬でもタンクトップでうろついてる人のセリフとは思えないです……」
俺が隠すことなく引いていると、流星さんのゲンコツが降ってきた。痛い。
だってオレンジとか赤とか、原色の肩出しスタイル冬でも崩さないじゃないか。上着を羽織るとか、今までしてこなかったじゃないか。
「なんで当たり前みたいにみんなコート着て出てくんの……?」
「アホか。端段市の近くが寒いのくらい常識だろ」
「初耳ですよ。教えてくださいよ……」
そんな常識俺は知らない。
だけど俺以外の全員ちゃんと知ってるらしく、コートかジャンパー姿で車を降りてくる。未来なんか自分のマフラーと凪さんのマフラー両方重ねてぐるぐる巻きにされてるぞ。
「ほらみーちゃん手袋もして。帽子は?」
「帽子は持ってきてない」
「じゃあ耳あては? カイロはある?」
「どっちもないけど……ねぇなんでこんなに重装備にされてるのかな私は」
「だってほら、凍傷になったことあったじゃない?」
「あれは運悪く氷の攻撃に当たったせいで今は寒いだけだから……もー」
言い分を無視してカイロを押し付ける凪さん。
未来の耳が寒さで赤くなってきて、どうして持ってこなかったのかと問い詰めながら凪さんは未来の顔ごと手で覆ってあたためる。大丈夫と言っても離そうとしない。
「過保護は凪さんもか……」
「イチもなんか着とけ、風邪ひくぞ」
普段から風邪ひきそうな格好の人に言われたくない。
――未来のやつなんで冬服ばっか入れてんだ、とは思ったけど……寒いってわかってたならそりゃ半袖は用意しないよな。
軽く流星さんに返事をして、未来が詰めてくれた遠征用の鞄からブルゾンを引っ張り出した。
ありがとう未来。俺はこれで生きられます。
「ねえ流星さん。端段市が近いから寒いって、それはどういう……」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん寒いよあいか――っ! どうしてあたしのコートバラバラにしちゃうのーっ!!」
理由を聞こうとするも結衣博士の叫び声に掻き消された。
「どうして、ですって? もちろん斎くんの名誉を守るためですよぉ。彼がいない間は寂しくて泣くかなとは思いましたけど、まさかコートに斎くんの写真がプリントされてるだなんてあなたの癖を知ってるわたしでも思いませんでしたよぉ〜?」
泣きながら抗議する姿に国生先生はいつも通りの口調で、けれど怒りを滲ませた声で言う。
「し、か、もっ……」と、布切れを見て頬をぴくぴくさせた。
「生後すぐの写真でしょう、これ」
「うわぁ……」
生地にプリントされた、おくるみに包まれた斎。百パーオーダーメイドのそのコート。
写真とはいえ刻むのは遠慮したらしい先生が手に持つそれを見て俺は同情した。
ごめん斎。うわぁとか言っちまった。
赤子のお前、すげぇ可愛いぞ。
「あいかの【知恵の輪】は怖すぎるよぉ。あたしのいっちゃんコートをバラさないでーっ!」
「だったらもう少しまともな服をっ……ああ、もう……鬱陶しいですねぇ」
「アッ、我慢の限界ゴメンナサイ」
急に結衣博士が大人しくなった。
それでいい。国生先生マジでキレてるから、それ以上火に油を注ぐようなことはしないでくれ。いや、しないでください。
「隆一郎くーん」
「……なんですか湊さんその顔は」
「えへ……へへ……あのね。僕はね、寒いのがとーっても苦手なんだよぉ……」
つんつん突かれたと思ったら、唇を紫にした湊さんが半泣きとニヤニヤの狭間みたいな顔で俺に両手のひらを向けてくる。
その手に手袋はしておらず、指先は可哀想なほどに白い。何が言いたいかは容易に想像できた。
「俺はあたため役じゃないんですよ」
「なんて言いつつ火をくれる君はいい子だなぁ」
「まぁ俺にできることならしますけども……」
しばらく厄介になるだろうし。
キューブを展開したままだった俺は寒そうな湊さんのために体全部を使って焚き火になることにした。
身長一七〇センチ分とプラスアルファ。でっかい炎は手だけじゃなく冷え込んだ空気もあたたかくしてくれる。
湊さんの顔がどんどん緩んでいく。
「ほあぁ……あったかい……」
「あ、りゅーちゃんそのままでいて。ほらみーちゃんあっためてもらって」
「もういいってば凪……ほんとに大丈夫だから」
過保護モードが続く凪さんへ文句を言いながら、未来はしぶしぶといった様子で俺に手を伸ばしてくる。
でも寒いことは寒いらしい。火で体温が上がってくると凪さんへの反抗心も薄れて何も言わなくなった。
目をつぶって、あたたかさに身を委ねる。
――端段市の手前……アイツに比較的近い場所。凪さん、俺が未来といつも通りのやり取りしかできないってわかってるから特に気にかけてくれてんだよな。
優しい表情で未来を見守る凪さんを見て、確信する。
俺が心配しすぎると、未来は自分を責めてしまう。俺が勝手に心配してるだけなのに自分のせいと思って塞ぎ込むから、なるべく普段と変わらないように接していた。
でも凪さんは違う。もとから世話焼きの凪さんなら未来になんと言われようが『心配性』と称してゴリ押しできる。
フェリーを降りてからここに至るまで間を空けずに話しかけてはトランプをしたり、おやつタイムを取ったり、寝てるケトの紹介を頼んだり。
離れていた一ヶ月分を取り戻すように、そしてそれ以上に、凪さんは未来へお節介をしてくれている。
呆れられてもお構いなしで。
それが一番いいとわかってるために。
――未来の心ん中……俺も穏やかにしてやりてぇな。
自分を責めたりせず、気持ちを和ませられたなら。
直接じゃなくてもいい。俺も力になりたい。
「できるな、キューブ」
火の音で聞こえないぐらいの声で語りかけ、右手で『炎』の文字にそっと触れた。
強い炎とは、変幻自在。
全てを呑み込む圧倒的な力。
ぽかぽかと柔らかい、誰かを包み込むような印象とはかけ離れてるけど。でもそれは全て俺が作り出した概念だから。
固まった形を受け容れて、想像して、また変化する。
現実の炎と違っていい。
燃え盛る炎のイメージが残っていてもいい。
ただその一部には――人を守ったり、あたためられる優しさがあることを忘れないように。
練って、練って。存在を確立する。
「……あったかいね」
閉じられた目から滲み出る涙を見ないように、【和みの炎】と名付けてから俺も瞼を閉じた。
抱きしめたくなったけど、その気持ちも丸ごと炎に注いで研ぎ上げた。
そうして、優しい焚き火を目指した数分後。
「……なんだこの光景」
目を開けたら、みんな近くにいた。
ぽかぽかしてる凪さんとその横で溶けかけてる湊さん、流星さんも無言で火のそばにいて、結衣博士に俺は拝まれていて。
未来は頬を少し赤らめて微笑んでる。
バレてないよな。ぎゅってしたくなったこと。
「皆さぁん……ここであたたまるのではなく宿に向かいましょう……わたしたちはあったかいですけど、能力の持ち主である土屋くんはキューブの特性上、寒いままなんですよぉ」
「……ありがとうございます先生」
いたんだ、とは言えなかった。
俺の背中側でこっそりあたたまっていた国生先生の怒りはどこかへ消えていて、それを再燃させたくないから口は閉じておく。
炎を纏ったところで俺は全然熱くないしあたたかくもない。だけど今回は気温ごと上がったみたいだし集中もしてたから、さほど寒くはなかった。
「ありがとう、隆」
駐車場から旅館へ向かう最中のお礼。
何のことだってとりあえず返しといたけど、多分どういう意図であの炎を作ったのか未来にはバレてる。抱きしめたいと思った気持ちもきっと。
だから照れたような反応が続いてるんだろう。
使い所は厳選しないとな。
確かな実感と恥ずかしさを感じながら進んでいると、和風の建物が見えてきた。
まだ遠いけど、俺たちが北海道にいる間お世話になる旅館『湧水』。木々に隠れるようにひっそりと建っている。
その周辺で、強い死人の気配がした。
【第一九四回 豆知識の彼女】
隆一郎の身長は170センチジャスト。
ずっとずっと明記がなかったりゅーちゃん、現在の背は170センチです。やっと出た。
第一章では隆が凪さんを長身と言っていますが実際何センチなのか知らない様子。当時の隆は今より10センチほど低く、中三になった段階でこの身長なので目線もだいぶ近くなったのかなと。凪も成長してるけど中学生の成長おそるべしなので!
未来は相変わらず伸びなくてまだ150に到達してないので、二人とはかなり身長差があったり。そりゃ隆の腕にもすっぽり収まるというもの。背伸び頑張れ未来さん!!
お読みいただきありがとうございました。
《次回 ユキ》
新キャラ登場。二章最後、番外編に登場した彼です。
よろしくお願いいたします。