第二十九話
また5カ月くらい間が空いてしまいました。すみません。
「聖良が提案してくれた豆花なんですけど、何かを追加でトッピングするのが常套のようで、調べてみたら白玉だったり小豆や緑豆、台湾産のタピオカだったりと多岐に渡るみたいです。他にも広東式のミルクプリン「双皮奶」(シュアンピィナイ)とか、季節の実をふんだんに使ったあまり甘くないキャロットケーキとかも合いそうですよね。雫さん?」
宮原さんの呼びかけに、最初は自分に向けてのものだと思わずどこか茫洋とした視線をゆっくりと向けた。宮原さんは心配そうにこちらを見つめている。そこで私はあらためて自分の失態に気付き、体中が羞恥の熱で覆われた。
「―—―す、すみません!本当にすみません!昨日の今日でせっかく色々と宮原さんが調べて提案してくれているのに、私ったら酷い対応を」
「いやいや、大丈夫ですよ。あと、雫さん目の周りが腫れています」
宮原さんは目の付近を指差している。私はぱっと目の周りを掌で覆った。いや、むしろ気付いていた。気付いていたけれど、何の問題もないと思っていた。
「敢えて聞かなかったけれど、昨夜何か辛いことでもあったんじゃないですか?僕に聞かせられないことであれば、この後聖良も来ると思うし、彼女に吐露すれば―――」
「いえ、大丈夫です。ティーパーティまであと二日しかないのに、そんな甘えたこと言っていられません。聖良ちゃんにも、余計な心配かけたくないですし」
そして私は強めにぱんっと両頬を叩いた。
「これで、もう大丈夫です。きちんと【月夜の森】の従業員としての最後の勤めを果たします!」
自分に言い聞かせるよう大きな声で宣言してみたが、意外と両頬はひりひりと痛んでいた。思いの外強すぎたのかもしれない。
「……それなら、いいですが。雫さん、僕の余計なお世話かもしれないけれど聞いてください。空元気のまま仕事を全うしようとしても、真のもてなしは出来ないと思います。それだけは、肝に銘じていてください。あと、心身共に辛かったらちゃんと休むこと、いいですね?」
穏やかな口調の中に、確固たる気遣いの思いを滲ませているのに気づき、私は涙が溢れそうになるのを必死に耐えた。もう私は泣きたくない。泣けない。泣くのは、【月夜の森】を正式に離れることになる日、その日のために取っておきたいから。
別れを告げた彼の顔が一瞬でもちらつかないよう、私は敢えて脳内に靄をかけた。
聖良ちゃんが来ると、私たちは早速ティーパーティのメニュー考案の最終調整に入った。
「清らかな香りと繊細な味を持つ台湾茶のお供のお茶菓子としては、風味が自然でシンプルなものがおすすめみたいです。例えば発酵度の低い台湾茶にはドライフルーツなどが入ったパウンドケーキ、香ばしさが魅力的な台湾烏龍茶はどら焼きなどのあんこやナッツ系お茶菓子、芳醇な味わいを持つ発酵度の高い台湾茶はチーズケーキなどのバター、クリーム系お茶菓子とそれぞれ合うお茶菓子が異なるみたいです。本当はお客さまに色々と試していただきたいのですがあまり時間がありません。今回は私の独学の台湾烏龍茶とパイナップルケーキもしくは豆花のセット、そして当店自慢のコーヒーとキャロットケーキかガトーショコラのセットにしましょう。異論はないでしょうか?」
すらすらと説明をする宮原さんに私と聖良ちゃんは同時に頷いた。
「今回、私は台湾烏龍茶の方を担当するので、コーヒーは雫さんにお願いしますね」
宮原さんのご指名に、私は大きく唾を呑み込んだ。最後のティーパーティ、聖良ちゃんは主に注文取りと給仕で、私はコーヒーとデザートは宮原さんと協力して出すことになった。
「そうと決まれば、デザートの試作といきましょうか。混んでいたら聖良にも厨房に入ってもらうから、一緒に試作を手伝って欲しい。あと、雫さんのコーヒーの淹れ方もよく見ておいて」
「うん、分かってる」
聖良ちゃんは拳を握りしめながら何度も頷いた。まだ10代の高校生だ。色々な重圧がかかり、緊張で倒れそうになるだろう。私も【月夜の森】で働き始めたばかりの頃は、挨拶もまともに出来なくて注文だってきちんと取れなかった。失敗ばかりだった。だけど、今はあの数カ月前の失敗ばかりで落ち込んでいた頃が酷く懐かしい。
「……雫さん、今だから白状するんですけど、実は私、あまりにんじんが得意じゃないんです。食べられないってほどではないんですけど、主張の強い感じに入れられると怖気づいちゃうというか」
「そうなんだね。主張が強いっていうと、カレーとか?」
私の問いかけに聖良ちゃんは小さく頷いた。高校生にもなってにんじんが苦手っていうのは恥ずかしいと思っているのかもしれない。
「今回のキャロットケーキはね、おろし器ですりおろすからそんなに主張が強いことはないと思うの。あとは、ベーキングパウダーと一緒にシナモンパウダーを加えたりもするし、くるみやレーズンなんかも入れてみようと思って。それなら、あまり味が前面に出てくることはないんじゃないかな?ごめんね、私もキャロットケーキは今回初めて作るんだけど」
「わかりました!頑張ります!」
それから聖良ちゃんとお客さんが来ない間は試作に明け暮れた。途中に休憩を挟みながらやっていると、からんと小さくドアベルが鳴るのが聞こえた。
「ごめん、聖良ちゃん、今手が離せないからお客様の対応をお願いしてもいい?」
聖良ちゃんは大きく頷くと、そのままキッチンを出ていった。
今私はガトーショコラの試作段階に入っていた。卵黄と砂糖を入れてハンドミキサーで混ぜていたので、あとは溶かしたチョコレートを加えていくところだった。
「……すみません、雫さん。あの―――」
申し訳なさそうにキッチンの覗き込む聖良ちゃんと目が合った。
「千紘の言ったことは、何となく想像がつくわ」
少し話がしたいと千里さんに言われ、私は外に出た。
3月中旬とはいえ夜中はやはり冷え込む。エプロンの上にコートを羽織ってきて良かったと思う。
「―――何のことですか?」
私は表情を変えずにさらっとそう口にした。その抑揚のない声に、千里さんは少し動揺したのか少し後ずさりをした。
「何って、昨日千紘に言われたことよ。別れたいとかなんとか言われたんでしょう。私が弁明することじゃないと思うけど、昨日から千紘が打ちひしがれてて見ていられないのよ。私は、あんな千紘見ていたくはないの」
「まぁ、そんなようなことは言われましたが、そもそも私と千紘くんは元からそういう関係性ではなかったので、別れるもなにもないんですよね。だから、お門違いと言うのか―――」
私が言い終わる前に、千里さんに首根っこを強い力で捕まれた。けほっと咳をすると
あわてて手を放すも、千里さんはがくっと肩を落とした。
「なんであんたそんな冷めたような言い方してんのよ。以前のあんたは、私に弁当を作ってくれたり、ゆみ子さんのことを気遣ったり、千紘のことだって好きだって、そう話していたじゃない。昨日のことだって、【光の苑】から釘を刺されたからなの。あんたと離れないと、家族に何があるか分からない。就職先にも影響があるかもしれないって脅してきたのよ。この前、うちに来たあの女から―――」
私はそこで目を見開いた。
有沙さんからは迷惑料として出されたが、それを千紘くんは突っぱねた。それを知った里穂子―――いや、朱夏さんが独自にそんな脅しとして行動に移したのかもしれない。そんな真実があったことも知らずに、と私は一瞬で腑に落ちたが、それで以前のような感情に戻るわけもなかった。
いや、むしろ、恋慕は千紘くんたち家族にとって脅威になるのだと悟った。
「千里さん、ありがとうございます。真実を話してくれて」
私の言葉に、千里さんはほっとしたようだった。
「だけど、それが真実ならなおさら、私は千紘くんと一緒にいてはいけないんだと思います。むしろ、私が近くにいては千紘くんと千里さん、ゆみ子さんにまで脅威が及ぶ可能性がある。その脅してきた女性は、私のことを強く憎んでいます。要求を受け入れないと、何をされるか分からない。それがよく分かりました」
淡々とそう述べる私に、千里さんはがしっと手を掴んだ。
「何が、何が分かったっていうのよ。分かっているわけないでしょう!あんたは口では分かったといいながら、全然納得なんてしていないじゃない!悔しいけど、千紘はあんたが物凄く好きで、あんたも千紘が好きで、想い合っているのにあいつらの所為で一緒に居られないって、そんな理不尽なことが許されていいわけない!」
千里さんはぼろぼろと大粒の涙を零しながらそう強く言い放った。
あの千里さんが私の前でこんな無防備に泣くだなんて。出会った当初は憎まれ口ばかりで、嫌われていることに絶望もしたけれど、お弁当を渡した時も嬉しそうに口元を緩めてくれた。
そう、千紘くんにも千里さんにも、二人に会えなくなることがとても辛い。
「千里さん、理不尽と考えると悔しくて仕方がないから、天命としましょう。私が【光の苑】の首座の娘であることも、【月夜の森】で働いてたくさんの人たちに出会えたことも、そして、在るべき場所に帰ることも、すべての流れは定められていた運命だったんだって」
「そんな―――」
「だって、そう考えなければ私だって辛くてしょうがないんですもん。そう考えましょう。そして、千紘くんや千里さん兄妹に出会えたこと、これも私を形成する上で通る道だったんです。来週からは、私たちは違う道を行くけど、この世界で共に生きているってことを希望にして私は頑張っていきます。だから、千里さんも頑張りましょう」
私はぎゅっと千里さんの手を握り返した。
「……私は、正直頑張ってって言葉が嫌い。だって、毎日病気と向き合いながら頑張っていたって辛くて苦しいのは変わらないんだもん。だけど、あんたがそう言うなら悲しいけど何となく少しだけ力が貰えような気がする。頑張っても苦しいけど未来を乗り越えられるかもしれないってかすかな希望を持てるなら、それを受け入れてまた毎日やっていくしかないのよね」
「そうなんですよね。私も眠れなかったりして辛い日々がありましたけど、こうして【月夜の森】に出会えて昏い海の底にずっと閉じこもっていなくて良かったって思うようになりました。後ろを振り返るななんていいますけど、私は振り返ってみていいと思うんです。振り返ったら、今までの自分の軌跡が見えてくる。それを踏まえて、私はあらためて前に進むことが出来ると、そう思いたいんです」
私は、笑顔で言えているだろうか。頑張って口元を広げるようにしているけれど、自分が今現在笑えているのか分からない。もしかしたら泣き顔になっているのかもしれない。
今は外の闇がそれを隠してくれていることを願う。
「あと、これ。ありがとう」
暗闇の中、千里さんが何かを差し出した。
「あんたが……雫が作ってくれたお弁当、本当に美味しかった。私も体調が少しでも良くなってきたらこういうお弁当を作ってみたい」
千里さんが呼ぶ名前だけで、涙が溢れてきそうだった。
「―――大丈夫ですよ。千里さんなら、きっときっと」
千里さんが帰るのを見届けた後、私は聖良ちゃんと試作を再開した。
時間が経ってしまったけれど、聖良ちゃんが調べながらガトーショコラを進めておいてくれたらしい。
ガトーショコラをオーブンで30分ほど焼いて、粗熱を取る。しばらく冷蔵庫で冷やして粉砂糖をふって完成だ。
粉砂糖がキッチンの蛍光灯の光を浴びてきらきらと輝いて見える。私は聖良ちゃんと顔を見合わせて笑った。
材料を集めてきちんと手順通り作るとこんな素晴らしいお菓子が出来上がる。何て素晴らしいことだろう。人間に生まれてきて良かったと心から思う。
そして、これからの私は生まれてきて良かったと再度思えるのだろうか。私が決めて進もうとしている未来は、そんな輝かしい感情を抱ける場所なのだろうか。
今から負のことだけを考えると、明後日のティーパーティーに差し支える。
その日は、最大限の笑顔を振りまいて、お客さまたちを歓待したい。それが、私が【月夜の森】で最後に出来る行いだと思うからだ。
最後のティーパーティはなるべく早めに更新したいです(希望)




