『永劫の星』
「……見事であった」
小高き丘の上、愛馬の手綱をきつく絞りながら、セレスティア親王イリアードは低く呟いた。
眼下に広がる黄山原には、もはや戦の喧噪はない。ただ、凄絶な沈黙と、一人の武人がその命の火をすべて燃やし尽くした痕跡だけが残されていた。
クラーク・ダナミアが命を賭して繰り広げた奮戦は、ダラーンという国家の滅亡をほんの数日遅らせたに過ぎない。アルストラーナとラシルの連合軍は、この勢いのまま王都ビガンテ城へと雪崩れ込み、狂気に囚われた愚王ギジルを捕らえ、ダラーン王国を歴史の露と消し去るだろう。
純粋な軍略や得失の観点から言えば、クラークの戦いはあまりにも無謀であり、無意味な死であったのかもしれない。勝機のない戦で自らの家族を断ち、己の命を薪として投げ打つなど、冷徹な統治者から見れば無駄死にと一蹴される愚行なのかもしれなかった。
だが、アルストラーナ帝国の全軍を率いる将として、イリアードははっきりと胸の奥で理解していた。
国家が破れ、いくら堅牢な城塞が灰燼に帰そうとも、この黄山原という泥と血の野で一人の騎士が見せた誇りと、鬼神のごとき武芸の凄まじさは、千年先の未来まで人々の語り草となるであろうことを。
地上の地図の上からダラーンという名が塗り潰されようとも、「クラーク・ダナミア」という孤高の武人の名は、歴史という果てしない夜空に凛として輝き続ける永劫の星となったのだ。
イリアードはかぶっていた兜の縁を指で軽く押し上げ、静かに目を閉じた。
ふっと吹き抜けたぬるい風が、彼の髪を揺らす。それは先ほどまでの重苦しい湿気を含みつつも、どこか哀愁を孕んだ六月の風であった。その風には、ほのかに血の匂いと、己の信念を最後まで貫き、生き切った一人の男が残した凄絶な魂の余韻が、いつまでも染みついていた。
「全軍、鞍を直せ」
親王は目を開くと、眼下に広がる惨劇の地に最後の一瞥を投げ、静かに愛馬の首を返した。
「ビガンテ城へ向け、進軍を開始せよ」
溢れんばかりの全軍へ下されたその声は、静かでありながらも、黄山原に散った至高の騎士への密やかな敬意を孕んで、夏の薄雲が広がる空へと吸い込まれていった。
登場人物一覧表
* クラーク・ダナミア:『国士』『至高の騎士』と称えられるダラーン王国の将軍。人格・武勇ともに国内外から厚く尊崇されている。出陣にあたり自らの妻子を自らの手で斬り捨て退路を断ち、黄山原にて五千の「死卒」を率いて死闘を繰り広げ、凄絶な最期を遂げた。
* イリアード:アルストラーナ帝国のセレスティア親王。十万を超える援軍を率い、ラシル軍とともにダラーン侵攻を進める若き将。黄山原の丘の上からクラークの命を賭した戦いと最期を見届け、深い敬意を示した。
* ギジル王:ダラーン王国の国王。かつては「ダラーンの奇跡」と称された英明な賢王であったが、親政や猜疑心の果てに狂気へと変貌。アルストラーナの迫る危機を顧みずラシル攻略の執念に固執した。
* ムジン・ユシン:ラシル王国の名将・総大将。五万の大軍を率いて黄山原でダラーン軍と対峙した。決闘の末に倒れたクラークの遺体に向かい、深く頭を下げて敬意を表した。
* ソージュ:かつてギジル王に直言を繰り返したダラーン王国の賢臣。王の狂気によって排せられ、冷たい獄中で息絶えた。
* スライロ:ギジル王に諫言した忠直な臣下。王によって辺境へと流罪にされた。
用語集一覧表
* ダラーン王国:かつて繁栄を誇った国家。ギジル王の狂気とラシル攻略への執着、アルストラーナ帝国とラシル軍による挟撃によって滅亡の危機に瀕する。
* ラシル王国:ダラーン王国と激しい戦闘を繰り広げていた国家。都まで追い詰められていたが、アルストラーナ帝国の援軍を得て反撃に転じた。
* アルストラーナ帝国:東海を隔てた大国。巨大な軍勢(征討軍十万超)を水陸から派遣し、ラシル王国を支援してダラーン王国の背後を突く。
* ビガンテ:ダラーン王国の王都および城塞。ギジル王の宮廷が置かれている。
* 黄山原:ビガンテ城の南西に広がる荒れ果てた平原。クラーク率いる五千のダラーン兵とムジン・ユシン率いる五万のラシル軍が激突した凄惨な死闘の地。
* オテゲン皇国 / 燕国:かつてイリアード親王によって討ち取られた名将や騎馬軍団を擁していた諸外国。
* 死卒:生への執着を捨て、己の命を投げ打って敵を道連れにしようとする兵士の群れ。妻子を手に掛け退路を断ったクラークの兵たちがこれに該当する。
* 『国士』 / 『至高の騎士』:クラーク・ダナミアを象徴する称誉・二つ名。その高潔な武人としての誇りと武勇を称えて呼ばれた。




