服と剣と
私は、屋台で料理を買って家に戻った。
今日の晩ご飯はサンドイッチ。具材はハンバーグやサラダや卵焼き。五個ほどを適当に選んで持って帰ってきた。
扉に手を掛ける。
ガチッ
おかしい。
扉に鍵が掛かっていて開かない。昨日は鍵なんか掛かってなくて、そのまま入れたのに。
「あれ?」
少女がまだ家に帰ってないのかな。
でも、窓からはカーテン越しに明かりが漏れている。
ふと、少女が言っていた言葉を思い出した。
『この家の物を持って逃げるかもしれませんよ。』
(えっ。まさか本当に逃げた?)
扉をガチャガチャとやってみる。
開かない。
扉をドンドンと叩いてみる。
反応はない。
(中に居るなら、開けてくれるはずだけど。)
「帰ったよ、開けて!」
私が叫ぶと、窓のカーテンを揺らして隙間から少女が覗く。
そして扉の鍵が開く。
少女はホッとした顔を見せる。
「お帰りなさいませ。」
「どうかしたか?」
少女から、変なおっさんに追い掛けられそうになったことを聞く。
「そうか…分かった。それは怖かったね。」
「はい。」
「今度会ったら、キミは私のものだから手を出すなと言ってやるさ。」
「ありがとうございます。」
何故か、少女の顔が赤くなる。
おかしなことは言ってないはず。
「夕食を買ってきたんだ。ここで食べよう。」
私は、キレイになった机の上に料理を並べる。
「感動だな。この家で食事ができるなんて。キミのおかげだよ。」
「このくらいなら、いくらでも。」
私は、彼女の服をなんとなく見てみる。
自分の服ですら雑に扱っていたうえに、人の服装なんてあんまり気にしてこなかったから、人の服装をじっくり見たのは生まれて初めてかもしれない。
確かに少女の服は汚れていて、みすぼらしかった。
「その袖どうしたの?」
少女の左手の袖が短くなっているのに気が付いた。
「あ、これは…」
「もしかして、変なおっさんにやられたのか!?」
「いえ。どれを雑巾にして良いかが分からなかったので、この袖で雑巾を作ったんです。」
そう言って、右手の袖を捲って同じ長さにする。
服装の情けなさが二割増しになった。
なんて良いタイミングなんだろうか。
私は、服の話をしてくれた倉庫屋の女主人に感謝した。
「これ! ちょっとこれっ!!」
私は袋から服を取り出した。
胸元にリボンのついた緑色のワンピース。
「キミのために買ってきたんだ。」
「良いんですか?」
少女の顔がパァっと明るくなる。
とても嬉しそうだ。このあどけない笑顔を見ると癒やされる気がする。
「でも、奴隷にこんなキレイな服を着せて良いんですか?」
少女は、口もとは緩みながらも困った目をする。
「道具屋の親父にも言われたんだ。奴隷の立場を分からせるために金をかけないって奴もいるが、最低限の身だしなみはさせてておかないと、一緒に連れて歩くと恥ずかしいぞって。」
ただ、道具屋の親父の場合は、売れ残った服を売りたいという気持ちも見え隠れしていたが。
「早速着てみてくれ。」
「わ、分かりました。」
少女はボロボロの服を脱ぐと、ワンピースに着替えた。
見違えるように、可愛くなった。
でも。
「んー、ちょっと大きいか。」
体のあちこちがダボついて、裾は地面にくっついている。
(大きさまでは分からなかったなぁ。)
鎧は自分の体に合わせて調整してもらっているんだから、服だってそうなんだと気付くべきだった。
ここへ来て、自分が全く恰好を気にしてこなかった事に後悔する。
「大丈夫です。」
少女はニコリと笑った。
リボンをすすっと解くと、脇の下から腰のあたりまで通す。
そして、どこからか出してきた糸でついついついっと縫い付けていく。
服を着たままで器用なものである。
私は呆気に取られて、その様子を眺めていた。
「できました。いかがですか?」
すると、ダボッとしていたお腹周りのシルエットがきゅっと締まった。
裾も持ち上がって、スカート部分がふんわりとした曲線を描いている。
リボンだけのシンプルだったワンピースが、まるでコタルディのように見える。
「すごいな。本当にキミはすごいな。」
私は拍手した。
「あとでもう少し丈を弄れば、動きやすくなります。」
少女は、腰や腕をひねって、動きを確かめる。クルンと回って、スカートの裾が広がる。
その動きは、活発な女の子のようだ。
ただ、リボンがなくなってしまったのは淋しい。
あれが可愛いと思ってあのワンピースを選んだんだが。
「本当にありがとうございます。」
少女は頭を深々と下げた。
でも、とても喜んでいるみたいで良かった。
「昨日のシーツの服にしても、キミは何かやっていたのか?」
「はい、隣の国の服屋の娘でした。」
「どおりで。」
服の扱いや、洗濯の仕方が丁寧なわけだ。
やっぱり、この子は自分に無いものを持っている。
奴隷なんて養えなくなったら売ればいい。そんなふうに考えていたこともあったが……
少女は私に向かって満面の笑みを浮かべる。
(いい子だな。手放したくなくなる。)
***
あたしたちは、晩ご飯を食べながらお話をした。
お互いに、今日はどんなことをしたかをいっぱい話した。
「話しかけてきたおじさんが、給仕さんに捕まって説教されてて。」
「あの食堂で食い逃げなんてゼッタイ無理なのに。ははははは。」
二人で大笑いする。
奴隷商人と話なんて全くと言っていい程しなかったから、こんなに話したのは久し振りかもしれない。
ご主人様も、迷宮でどんな事があったかを教えてくれた。息を潜めて何時間も待ったり、目的の獲物でない奴ばっかり出てきて凹んだり。
今日は残念な一日だったらしい。
それなのに、こんな素敵な服を買ってきてくれたんだ。
「本当にありがとうございます。」
あたしは何度もお礼を言った。言っても言っても言い足りないくらいだ。
「やっぱり服屋の娘だと、服が好きなんだね。」
「そうですね、人一倍。」
ご主人様は嬉しそうに微笑む。
「東の地方に、大きな布一枚を着付けてドレスにする民族衣装があるんです。父に言われて、その着付け方を習いに行ったことがあるんです。昨日のは、それをアレンジしました。」
「本当にすごかったよ。魔法を見ているようだった。」
「いえいえ。それほどでも。」
ご主人様に褒めてもらえると、思わず顔がにやけてしまう。
「洗濯も片付けも上手だし、言葉遣いも丁寧。育ちは悪くないと思っていたんだ。」
「ありがとうございます。」
「どうして奴隷に?」
そうだよね。気になるよね。
あまり思い出したくないけど、あたしを知ってもらううえで大事なこと。
「この国とあたしの国とは戦争をしていました。」
「知っている。」
「あの日、あたしたちの町が戦場になりました。沢山の兵士たちが町になだれ込み、多くの家が燃やされました。」
ご主人様は、静かに真剣にあたしの話を聞いてくれる。
でも、思い出すと胸が苦しくなる。
「父はあたしを店の裏から逃がし、店と母を守るために残りました。でも、その店も燃やされてしまいました。」
頬を涙が伝うのが分かる。頬が熱い。
この服を汚すわけにはいかないから、今まで着ていた奴隷の服で顔を拭う。
「もう良いよ。それ以上話さなくても。」
ご主人様は優しく言ってくれる。
でも。
「…聞いてくだ…さい。…話したいんです。」
「ん、分かった。」
少し深呼吸。
ちゃんと喋られるように息を整える。
「母は病弱でした。だから、あたしは母の代わりに店の手伝いをすることが多かったんです。あの日も母は熱を出して寝ていました。」
大丈夫。ちゃんと話せている。
「母を連れて戦場の混乱の中を逃げるのは到底無理でした。そこで父は、母と一緒に店に残ることを決断し、あたしに言いました。」
『逃げろ。絶対に戻ってくるな。お前ならどこでも幸せになれる。』
そう言った父の顔が蘇る。
強い口調、険しい表情。でも目はいつもどおり優しかった。
「でも、あたしは戻ってしまった。」
他の避難民と一緒に、町の外まで出たのに。
みんな、高台にあがって町が蹂躙される様子を呆然と眺めていた。
あたしは、店に火の手があがるのが見えてしまった。
今までの思い出が燃えていく。
あそこに父と母がいる。
「戻って…しまったんです…」
また涙するあたしを、ご主人様は抱きしめてくれた。
「辛かったね。」
もう一度、深呼吸。
「店の前で、この国の兵士に捕まって捕虜にされました。」
「うん。」
「戦争が終わったのはその数日後でした。それから、あたしは奴隷商人に売られました。」
「うん。」
ご主人様も悲しそうな顔をしている。
あたしの気持ちに寄り添ってくれている。
その優しさが、あたしを落ち着かせてくれる。
「ありがとうございます。」
「やっぱり、キミは勇気がある子だ。」
ご主人様はそう言って、あたしの頭を撫でてくれた。
「勇気ですか?」
「ああ。辛いことを思い出したり、話したりすることは、とても勇気がいる。ずっと心の奥底に沈めて、思い出したくもない。でも、それを私に話してくれた。」
「それはご主人様が聞いてくださったからです。」
「いや、キミの勇気だよ。私はそんなキミもすごいと思う。」
これは勇気なのだろうか?
あたしはちょっと疑問だったけど、ご主人様がそう言われるならそうに違いない。
***
夕食の片付けが終わり、私はシャワーを浴びに行く。
密林の迷宮に一日籠って汚れた体を洗い流す。
「ふぅ。」
少女を泣かせてしまった。
あの子は気丈なように見せても、実は繊細だった。
可哀そうなことをしたな。
ご両親を戦争で失って、自分は奴隷に落とされて。
戦争が無かったら、今ごろは服屋の看板娘だったはずだ。
幸せな生活が一変してしまったんだ。
(辛かったろうな。いや、今だって辛いだろうな。)
でも、あの服を喜んでくれてよかった。
少しは幸せを感じてもらえたんじゃないだろうか。
長剣は手放すことになったが、あの笑顔が見れたから良かった。
これからの探索は短剣一本。どこまでやれるだろうか。
今までとは戦い方を変えなきゃいけない。
『六尾の狐』はちょっと諦めて、安い素材をかき集めるしかないかな。ちょっとキツイ。
「よしっと。」
石鹸で体を洗い、すっきりした。
置いてあったタオルで体を拭く。
「ほぉ。」
タオルがふんわりとしてる。
太陽に干すだけで、こんなにタオルがふかふかになるのか。
吸水もすごい。一拭きで水滴が取れていく。
探索にも汗を拭くのに持っていきたいな。
寝る用のローブに着替えてシャワールームを出る。
「キミもシャワーを浴びるかい?」
少女に声をかける。
「あの…ご主人様。それよりも。」
少女は、何かをズリズリと床の上を引きずる。
布にくるまれた重い物。
「何それ?」
「収納の中から出てきたんです。というか、収納の中にはこれしかなくて。」
収納の中って何入れてたっけ?全然開けてなかったから覚えてないや。
少女が布をとる。
「あ。」
そこには美しい長剣。
私は右手でその剣を持ち上げる。
思い出した。
この家を買って間もない頃、迷宮の宝箱から手に入れたんだ。
良い剣だったから、その頃使っていた剣が壊れたら使おうと思って…どこかに置いたんだ。
収納の中だったか。
「ありがとう。本当にありがとう。」
「い、いえ。あたしは何もしてません。」
「これがあれば、もっと頑張れるよ。キミのおかげだ。」
私はその長剣を掲げて誓った。
「きっと、キミを幸せにしてあげるよ。」
少女は卒倒した。
私、そんな大変なことを言ったか?