可愛さとトラウマと
夕日が沈んで空が暗くなりはじめ、代わりに街の明かりが照らし始める。
あたしたちが串焼きを食べ終わるころには、街を行き交う人々が増えてきた。
噴水の周りもにぎわい始め、あたしたちは帰路の途につくことにした。
ご主人様は、明日探索に出るらしい。
少しだけ、迷宮について教えてくれた。
「密林の迷宮は広いんだが強い怪物が少なくて、比較的楽な迷宮なんだ。」
あたしは迷宮について詳しくないから、大変とか楽とかの違いは分からない。
でも、迷宮の話になると、ご主人様は真剣な眼差しになる。その顔はとても凛々しく美しい。
「だから、革の鎧でも安全に攻略できる。むしろ軽装なこの鎧の方が、鋼鉄の鎧よりも効率的に資材を集められるんだ。」
そう言って、なめし革の鎧の胸当てをポンポンと叩く。
その仕草は「頼りがいのある勇者」と言って間違いなかった。これが姉御肌というのだろうか。
「では、明日は資材集めに行かれるんですね。」
また家の荷物が増える。
明日片付けられるだけ片付けておかないと。
できれば棚が欲しいな。いろいろ分別して置いておけるのに。せめて箱に入れて整理したい。どこかで空き箱とかもらってこれないだろうか。
「ただな…。楽という事は、沢山の探索者が行き易いということでもある。」
「人が多いと困るんですか?」
「そこで手に入る資材は、数多く流通することになるだろ。ほとんどの資材の売価が安くなってしまっているんだ。」
「では、あまり儲からないんですね。なぜそんな実入りの少ない迷宮に出掛けるんですか?」
「小銭稼ぎもあるけど、資材を貯めておいて、次の迷宮の準備をするんだ。」
準備? やっぱり、あたしには迷宮の事はよく分からない。
でも、ご主人様に従っていれば何とかなる。
そう思った。
***
私たちは家まで帰ってきた。
「広ーい!」
私はテンションがあがる。
だって、私の家が広くてきれいなんだもん。
「いやぁ。改めて見ると私の家って結構広いんだなぁ。」
自分がこの家を買った頃をまた思い出す。自分一人になった瞬間はとても嬉しかった。
部屋の四隅には荷物が山積みになっているが、そんなことは気にならない。
むしろ、ベッドの方が気になる。
「なんかベッドも大きくなってない!?」
「いいえ、ベッドの上にあったものを除けただけです。あちらに置いてありますので、言っていただければ、すぐ出せます。」
そう言って少女は荷物の山を指さす。
「私、あんなに荷物置いてたのか。ベッドが狭くなるわけだ。ごめんな、昨日はこんなベッドで寝かせてしまって。」
「大丈夫です。ベッドで寝かせていただいて、本当にありがとうございました。」
少女は深く頭を下げた。
私は両手を広げてベッドに顔をうずめる。
「良い匂いがするぅ。」
「お天気が良かったので、シーツもよく乾きました。」
あれだ、お日様の匂いってやつだ。これはよく眠れるんじゃないだろうか。
スリスリとベッドを撫でてやる。
「最高だなぁ。」
少女は、そんな私を見て驚いている。
むしろちょっと引いてないか?
「どうした?」
「いえ…、あの、なんでもございません。」
気になる。
「なにかあった?」
「特に何も。」
少女の顔は嘘をついている。これは探索者の直感で分かる。
「正直に言ってよ。キミを信頼できなくなるじゃないか。」
「そこまで言われるのでしたら。」
信じられなくなる。この言葉は少女に刺さったようだ。
少女はちょっと躊躇ってから喋りはじめた。
「ご主人様が可愛いくて。」
「はぁ??」
素っ頓狂な声がでてしまう。
私が可愛いだって?
「外でのご主人様は、どんな時でも落ち着いていて、いざとなったら勇敢で。強くて優しくて。」
そんなふうに褒められると照れてしまう。
食堂で探索者たちに褒められるのとは違う。あれは、煽てられているだけな感じがする。
でも、少女の褒め方には憧憬の念を感じる。町の少年が勇者にあこがれるような視線。
「でも…。そんなご主人様が、この家に帰ってきたら。」
少女は少し微笑んだ。
「まるで子供みたいに、はしゃがれるので。つい、可愛いと。」
「はぁ??」
「申し訳ございません、ご主人様。」
謝る少女を見て、私は笑いだしてしまった。
「はははははは、私が可愛いだって? そんなこと初めてだよ。はははははは。」
今まで可愛いだなんてことを言われたことがない。
果たして私を可愛いだなんて思った人がいただろうか。いくつもの迷宮を単独で踏破する野蛮な戦士としか思われてないんじゃないか。
確かに、家の中での私の様子は誰にも見せたことはない。少女が初めてだ。
私が家を買ったのは、自分だけの空間が欲しかったからというのもある。
外ではずっと気を張って、人に悪く見られないように気を付けていた。宿で一人の時だって、いろいろと気にしながら泊まっていた。だから、本来の自分に戻れる場所がなかった。心が疲れていた。
この家を手に入れるまでは。
少女にもう一度確認する。
「私が可愛いだって?」
「はい。」
少女は正直に答える。
その真っ直ぐな瞳に、私はまた笑ってしまう。これは面白くて笑ってるんじゃない。自虐の笑いでも皮肉の笑いでもない。
(なぜだろう。私、嬉しい。)
探索者としての私は多くの人たちに認めてもらっている。
だけど、それは素の自分じゃない。周りからよく見られようとして演じてる私。認めてもらうための人格。
本当の自分は、家でゴロゴロしながら、おしゃれにも気を使わないし、片付けも洗濯もできない人間だ。
干物のような生活をしているのが私。
こんな私を、少女は「可愛い」と言ってくれた。認めてくれた。
それが嬉しくて笑ってしまった。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。」
今朝までは勢いで奴隷を買ってしまったことに後悔をしていたが、今はもう心変わりを始めている。
***
ご主人様は鎧を脱いで室内用のローブに着替える。このローブは外出用のものとは違い、柔らかなタオル地で、ゆったりと身を包む。
布がまとめて置いてあった場所の一番下に埋もれていたから、ご主人様は買った事すら忘れていたらしい。押しつぶされて布地がかなりヘタっていたが、洗濯して天日干ししたからかなりふんわり感が戻ってきていた。
「明日は朝早くに出るから、もう寝ようか。」
「かしこまりました。」
そして、ご主人様は机の下で寝ようとする。
「ちょっと、ご主人様! 今日こそはベッドに寝てください!」
あたしは慌てた。せっかくシーツを洗濯して、散らかっている物を片付けて、ベッドメイキングしたのに。
もちろん、ご主人様のために!
「ご主人様にはベッドでしっかり休んでいただいて、疲れをちゃんと取っていだかないとなりません。」
「慣れてるから大丈夫だよ。それにこのパジャマも素敵だし。」
「いいえ。ご主人様に疲れがたまって探索に行けなくなったら、ご主人様だけでなく、あたしも路頭に迷うことになります。」
「むぅ。確かにそうか。」
良かった、納得してくれた。
彼女がベッドに入るのを見届けてから、あたしは明かりを消して床に丸くなる。
真っ暗な部屋の中で、目を閉じる。
この数週間を思い出す。
あたしは捕虜となって奴隷商人に売られた。そこからは地獄だった。
逃げられないように腕に枷を付けられ、何人もの奴隷と一緒に連れ歩かされた。
三つの町を歩いていくうちに、どんどん奴隷は売れていく。
一番美しい人。太ったオヤジに買われた。
その場でオヤジは、持っていたタバコをその人の腕に押し付け、焼き印を入れる。彼女の叫び声は忘れられない。
オヤジの所有物だと分かるように消えない跡を残したのだ。
あたしに優しくしてくれた人は、大きな体の男が買った。
枷を付けたまま歩かされ、転んでも鎖ごと引きずられていった。
周りの人たちはそれを見ながら笑っていた。
町と町の間で、逃げ出そうとした人もいる。しかし、すぐに捕まって引き戻された。奴隷商人は、奴隷たち全員の前でその人を拷問した。
そして冷たい目で、「こうして傷がつけば商品価値が下がる。売り物にならなくなれば処分するしかない。」と言い放ち、とどめを刺した。
私の家でも奴隷を持っていたことがあるから、奴隷がどういう立場か分かっているつもりだ。
生きたモノとして扱われる奴隷に人権も尊厳もない。
自分のモノを壊しても罪に問われることはない。奴隷を殺しても殺人にはならないのだ。
奴隷の所有者には一定の責任があるとはいえ、虐待されたり捨てられたりすることもある。逃げ出しても、一人で生きられるわけじゃない。
あたしは、腕を組んで服をぎゅっと握って、トラウマからくる震えに耐える。
「眠れないのか?」
ご主人様の声だ。わたしがゴソゴソとしていたから起こしてしまったのだろうか。
あたしは答えずに静かに横たわっていた。
沈黙の時間。
ここは町外れだから、賑やかな商店街の喧騒が聞こえてくることもない。
聞こえるのは、お互いの呼吸だけ。
「眠れないんだね。」
探索者は怪物を眠らせて襲うこともあるらしい。相手が眠っているかどうかを判別するのは大事なことなのだ。
ご主人様はそれができる。
あたしの呼吸の深さで、狸寝入りだとばれていた。
「…もうすぐ、寝ます。」
あたしは声を殺してそれだけ答えた。
それでもご主人様は話しかけてきた。
「なんでキミを買ったかって言うとね。」
この部屋を片付けたかったからでしょ。
もしかして、この片付けが終わったら、あたしは売られてしまうんだろうか。
そこまでは考えてなかった。
「キミの勇気が羨ましかったんだ。」
「え?」
想像していなかった答え。
驚いた。あたしの勇気?
あたしにあるのか勇気なんて。
あったとしても、そんなもの見せたことはないはず。
「キミは、奴隷商人に『嫌』ってはっきりと言っていただろう。奴隷商人なんて酷い奴だ。そんな奴に逆らってでも自分の嫌なことを嫌と言える勇気が凄いと思ってね。」
「あれは勇気じゃありません。」
寝たふりをしていたはずのあたしは、思わず答えてしまった。
「あたしのは勇気というより、わがままです。」
私が売れ残っていたのは、人前で見せておいた気性の粗さのせいだ。「嫌」と何度も言うことで、扱いにくい奴隷と思わせるため。
ある意味、打算でもあった。勇気じゃない。
「でも、逆らったら、もしかしたら殺されるかもしれないとは思っていたんだろう。」
「…はい。」
そうだ。その可能性もあった。そうなった人もいる。
最後の一人になった時、いつでも殺されるんじゃないかと怖かった。
「だから、キミみたいに『嫌』と言える勇気が羨ましかったんだ。だからキミに興味を持った。」
「それが理由ですか?」
「そう。一番の理由はキミと話して、勇気の出し方を教えてほしかった。あとね、この部屋を片付けたかったというのもあるんだけど。」
なんとなく淋しそうな言い方。「あとね」に続けたのは、その淋しさを誤魔化すようにとってつけた感じの言葉だ。
女傑勇者様が、あたしに勇気について聞きたい?
なにか大きな間違いをしているんじゃないかしら。
「あたしよりもご主人様のほうが、勇気はあると思います。」
「ふふふ。そんなことないよ。今日もキミの勇気を見せてもらったし。」
あたしは何をやっただろうか。
寝て、起きて、ご飯食べて、お風呂入って、洗濯して、片付けて、掃除して、お宝を仕分けして、買い物行って…
「何かしたでしょうか?」
「ああ。私にはできないことをしてくれた。昨夜の買い物は、想像以上の価値があったと思っているよ。」
あたし、褒めてもらっているんだ。良かった。
とりあえず、ご主人様の奴隷としての初日は大成功だったという事なんだろう。
…しばしの沈黙。
「おやすみ。」
ご主人様はポツリと言った。
昨日はすぐに寝落ちして交わせなかった挨拶。
「おやすみなさいませ。」
なんだか、落ち着いていた。
震えも止まっている。
(あたしは良いご主人様に巡り合えた。)