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【清掃日誌65】 免罪符

拝金主義の蔓延した現代では何でもカネで買えてしまう。

地位や名誉に始まって、経歴どころか家系。

事もあろうか、赦しまでも。





=========================





貴き者を探すのは極めて困難だが、貴族を見つけるのは非常に容易い。

金持ちサロンを覗いてみればいいだけなのだから。




「私は伯爵の末裔です。」


「実は侯爵の隠し子なんです。」


「100年前に改易された公爵家の嫡流です。」




金持ちサロンには、そんな奴ばっかりが居る。

カネで買った家系図、カネで買った勲章、カネで買った議席。

そんなものを見せびらかし合って悦に入っている。




今までは軽蔑するだけで済んでいた。

俺とは縁の無い連中だったからだ。


だが、今年に入って情勢が大きく変わった。

色々あって騎士に叙任されてしまったからだ。

それも、カネを支払うことなく。


これが俗物達を大いに刺激してしまったらしい。





「ポール殿。

帝国の紳士録には、外国籍の貴族・騎士の名も掲載されているのでゴザルよ。

払った寄付金と共に。


この意味、わかるでゴザルな?」





『わかるよ。

帝国人は買官した奴らと一緒にされたくないって事だろ?』





そう。

自由都市人の買官があまりに露骨なので、帝国は紳士録に寄付金欄を新設してしまった

これにより無事、由緒正しき帝国貴族と賤しい買官野郎は峻別される事となった。


「コイツの爵位はカネで買ったものですよー。

我々、正統の貴族とは別枠ですからねー。」


それが帝国人が寄付金欄に込めた想いである。





「ポール殿だけでゴザッた。

寄付金欄が空欄の自由都市人は。」





『まあ、事実としてカネ払ってないしな。』





「わー国の自称貴族・自称騎士が、その点をお怒りなのでゴザルよ。

《アイツだけ寄付金欄が綺麗でズルい!》

と。」






『…あー、それで嫌がらせが増えた訳ね。』





「ええ、この批判記事もその一環でゴザル。」





机の上に広げられたゴシップ誌。

《金権政治家・ポール・ポールソン君を糾弾する特集》

と大きく見出しが書かれている。





『そもそも、俺は政治家でも何でもないのだがな。』





「でもキーン派でゴザロウ?

じゃあ準政治家でゴザル。」





『じゃあポール派のオマエは準々政治家だな。』





そう茶化してやるとジミーは無邪気に笑った。

無論、俺は笑えない。

既に周囲の人間に迷惑が掛かっているからである。


例えば、ジミーの実家であるブラウン家。

名門であるが故に親族・郎党の数は多く、今回の記事が原因で動揺している者も多いらしい。


キーン派の議員達も同様。

改選期のスキャンダル記事はかなり痛い。





「その原因の根本は、確実にポール殿の騎士号でゴザル。

嫉妬とは恐ろしいものでゴザルな。」




『騎士号にしてもなぁ…

俺の知らない所で、勝手に叙任されていただけだからな。』





いや、わかっている。

わかっているのだ。

叙任に対する、この姿勢こそが最も彼らを刺激している、と。


彼らにとっては、必死に献金して、お情けで名乗らせて貰ってる騎士号である。

それを、掃除屋の俺が戦場で帝国に認められて授与された事が、どうしても許せないのだろう。

きっと自分達の買官が糾弾・嘲笑されているように感じてしまうのだ。


加えて、先日のアチェコフ・リコヴァ同席イベントである。

卑しい掃除屋風情が国際情勢に口を挟むなど言語道断。

彼らの怒りは頂点に達している。



やれやれ、あの程度で目を付けられるのなら…

来週行われるレジエフ卿と帝国大使の会談に俺も同席する事を知られたら、どんなリアクションがあるのかね。


会談において、レジエフ卿は100億ウェンを帝国に返還し、更にはリコヴァ流の家名放棄を宣言する。

発案者が俺である以上、何らかの形で名前は上がってしまうだろう。


買官野郎共が一番欲しがっている物を、掃除屋の俺だけが持っている。

こんなに危険な状態はない。






『取り敢えず、おとなしくしているよ。

折角クレアに貰った重役用社宅だ。

活用しなくちゃな。』




「差し入れ、ここの棚にしまっておくでゴザル。

ちゃんと賞味期限は確認してから食べること。

非常用にエクスポーションも置いておきます。

どうせ人助けに消える事はわかっておりますが…

たまには自分を大切にして下され。」




『何から何まですまないな。』




「クレア嬢にも、色々頼んで来たでゴザル。

今は身を護る事だけに専心して下され。」




『クレアなぁ。』




「色々思う所はあるかと思いますが、わー国の婦人の中では今やエルデフリダ様と双璧を成しておられます。

今回は素直に頼られますように。」




なーんで、よりによって俺を包囲してるあの2人が双璧をなしちゃうかね。

俺の逃げ場、もう残ってないじゃん。





=========================





今思えば。

《奴》が話し掛けて来たのも、一連のゴシップの所為だろう。



その日はドナルド・キーンから押し付けられたカネをモロー銀行に預け、旧知の支店長(彼がヒラの行員時代から面識がある)との雑談が随分盛り上がった。

周囲に長居を詫びて門を出た時に、不意に背後から声を掛けられた。

タイミングからして、俺がポール・ポールソンと知った上で呼び止めたのだ。




「はじめまして、富める方。

遣り取りが面白かったので、つい声を掛けてしまいました。」






背が高く眼窩の窪んだ男だった。

着ている僧服も豪奢で、以前帝国で出逢ったセルピコ上級司祭と似た意匠であった。

きっとこの男も上級司祭なのだろう。





「私はこの教区に司祭として勤めているものです。」






『…これはこれは司祭様でしたか。

さぞかし信心が深いのでしょうね。』






「…。」





なるほど、皮肉を理解する知能がある側の聖職者か。

厄介だな。





『何か御用で?


寄付はしませんよ。

浪費を戒める躾を受けて育ったもので。』





「…。」





先手を打たれたのが腹に据えかねたのか、奴は無言で下唇を噛んだ。





「…余程、神を好まれぬようですな。」





『神と人間の間に坊主が挟まる事が許せないだけです。』






今思えば酷い物言いだが、セールスマンへの扱いとしては極めて穏当なものであろう。

批判慣れしているのか奴は軽くため息を吐くと、俺に一礼だけして銀行内を覗ける死角に戻った。

そして銀行のフロアを注意深く観察している。

ああ、なるほどね。

コイツ、こうやってカモを探しているのか。


…下衆野郎が。





あまりに不快だったので、銀行の中庭のベンチで休むフリをして、奴をそれとなく監視する事に決めた。

不興を買ったとは言え、俺はモロー銀行の3代と親交がある。

クレアが子を産めば4代の付き合いになるだろう。

そんな場所で、売僧が我が物顔で振舞っている事をどうしても見過ごせなかったのだ。





しばらく物陰から奴を監視し続けていた。


何が奴をそうさせるのか、凄まじい執念だった。

カネ回りの良さそうな者に目星を付けると、見え透いた笑顔で擦り寄ってカネをせびっている。


…屑が。





3時間ほど経った時だろうか。

不意に見知った顔が視界に入る。


近所に住んでいるラグランジュ夫人。

自由製粉のオーナーであるジャン・ラグランジュ会長の奥様で昔は婦人会の役員も務めておられた。

俺が子供の頃から随分可愛がってくれた人でもある。


質素ながらも気品のある風貌が災いしたのだろう、奴は目敏く婦人に擦り寄り、捲し立てるようにセールスを始めた。




『待てッ! 貴様ッ!!!』




自分が声を掛けられる事までは想定していなかったのだろう。

背後から俺が一喝すると、奴は驚愕の表情で振り返った。


見れば、ラグランジュ婦人は目に涙を浮かべて怯えていた。

昔から温厚で気弱な女性である、きっと捲し立てられたのが怖かったのだろう。

老婦人を脅すとは卑怯千万である。




「な、なんですか

突然大声を出して。」





『銀行法第16条で行員資格の無い者が敷地内で商売をする事は厳禁されている!


そうですよね、警備員さん。』





「は、はい。

弊行の敷地では関係者の無い方の一切のセールス行為を禁止しております。」





『あの男は、明らかに貴行の敷地内で商いを行っております!』





俺は奴を指さす。

そしてラグランジュ婦人を引き寄せると、行員に馬車まで送る事を指示した。





「単なる宗教行為です。

セールスではありません!」




『おい。

じゃあ、このパンフレットはなんだ?

価格表じゃないか!』




俺がパンフレットに目を落とすと、《神の赦し》の文字がデカデカと記されていた。

…免罪符、か。

罪な事をしやがる。





「…ぐぬぅ。」





『キサマらの手口はもう知れ渡っているぞ!!

孤児を使って免罪符の押し売りをやらせているそうじゃないか!!

恥を知れ、外道!!』





「いや!  それはッ!!」





結局、行内から重役が出て来て、奴は同行を求められ屋内に消えた。

後は教団と銀行の力関係次第だな。





俺は馬車の中で震えているラグランジュ婦人を介抱すると、彼女の自宅まで送ってやった。

馬車はポールソン邸も通るが、見えなかった事にしておく。


車内で事情を聞くと、「免罪符を買わないと地獄に堕ちる」と恫喝されたらしい。

事もあろうか1000万ウェンの高額免罪符を買わされそうになったそうだ。




「1000万!?」




ラグランジュ会長も、俺同様に奥様の言葉を聞いて驚愕する。

聞けば、パンフレットの最上段には《10億ウェン免罪符》と記載されていたそうだ。

流石に10億など売れる訳がないので、松竹梅商法の一種なのだろう。





『ずっと銀行前からフロアを監視しているようでした。』




「…神聖教団の意向だろうか?」




『いえ。

高位の僧服を着用していた割に付き人がおりませんでした。

恐らくはスタンドプレーだと推測します。』




「しかしポールソン君。

高位の聖職者が単独で動くものなのかね?」





『帝国では司教と次期財務長官がツーマンセルで活動しておりました。

彼らは辻説法を重んじますから、少数行動に躊躇いがないのでしょう。』




その後、会長夫妻とブランチをご一緒した。

話題が俺の縁談に向かい始めたので、笑顔でお暇をする。






=========================






会長夫妻が俺の存在を実家に報告する可能性が非常に高かったので、中央区から急いで離れる。

本能が遠くに向かわせたのだろう。

乗り合い馬車で港湾区まで揺られる。



適当に飛び乗った馬車なので、普段通らない路線を進んだ。

港湾区と言っても、普段訪れているニックの自宅からは相当離れていたので、散歩がてらに寮まで歩く事に決める。




相変わらず失業者が多く、求人看板の前には人だかりが出来ている。

小耳に挟んだだけだが、戦争の終結が雇用にダメージを与えているらしい。

軍需工場の前では解雇された労働者達が頭を抱えていた。


「皇帝が勝手に戦争をやめるなんて思いもよらなかった。」


それが失業者達の率直な本音。



戦争が起これば前線に送られて死ぬ、平和が到来すれば需要が縮小して解雇される。

もはや世界が弱者を殺そうとしてるのではないだろうか?





その中で意気揚々と歩いているのが、冒険者や傭兵といった乱暴者連中である。

郊外で討伐したモンスターを周囲に見せつける様に荷車で運んでいる。

放歌談笑しながら往来を広がって歩く彼らを咎める者は居ない。


乱暴者達は失業者の列を指さして嘲笑し始めた。



 「真面目に働く奴は馬鹿w」

 「暴力は最高のライフハックw」

 「従ったら負けだと思うんですw」



口々に繰り出される暴言に失業者達は反論しない。

怖いからではない。

正しいからである。




あまりの光景に道の反対側に目を背けると…

そちらでは、信じ難い事に武装した少女達が意気揚々と練り歩いている。

見た所、メンバーはローティーンくらいであろうか。

市内だというのに公然と帯刀し、穂先にはブラッドベアの首を掲げている。



ああ、あれが冒険屋か…

彼女達が持つ小盾に刻まれた蜘蛛のトレードマーク。

ノーラの部屋でも幾つか見かけた。



…なーにが《女の子達のプチアルバイト♪》だよ。

どうみてもギャングチームの立ち振る舞いじゃないか。





「…あまり見ちゃ駄目。」





背後から不意に声を掛けられる。





『…!?』





「驚かせてごめんなさい。

でも、あの子達

大人の男の人にも平気で因縁をつけるから。」





『あ、ああ。』





振り返ると、あちらの少女ギャングと似たような世代の少女が立っていた。

その儚げな雰囲気には見覚えがある。


…かつてリゾートハーバーで出逢った鯨の少女か。






『久しぶりだね。

あの時は大した力になれなくてすまなかった。』





「…そんなことない。

貴方には私達みんなが助けられた。」





『?』





「孤児院の待遇…

嘘みたいに改善した。


無理やり働かされる事もなくなったし

今は食事もちゃんと支給されてる。

学校にも通わせて貰えるようになった。」





『そ、そうか。

それは良かった。


でも、何で俺?』





「キーン社長が教えてくれた。


ポール・ポールソンが私達の待遇改善を交渉してくれたって。

係の人もそう言っていた。」






…またアイツか。

余計な事ばかり言いやがって。





『俺は何もしていないよ。

もしも待遇が良くなったとしたら、各セクションそれぞれの功だ。

皆に感謝してやってくれ。』





俺がそう言うと、少女は一瞬目を丸くしてから、くすくすと笑う。






『え? 俺なんか変なこと言った?』






「キーン社長が予想した通りの反応w」






…やれやれ、アイツって一々先回りするよな。






「ポール・ポールソン。」





『?』






「私も貴方をポールって呼んでいい?」







『いいよ。』






…確か、女にはこう聞かなきゃいけないのだったか。






『君の名前を教えてくれないか。』






「ビッキー。」






『そうか。

また逢えて嬉しいよ、ビッキー。』





「私も嬉しい///


ずっと逢いたかった。」





あれから、ビッキーは何度か俺の屋敷を遠目に見に来たらしい。

(ドナルド君、勝手に住所を教えるのはやめてくれないか?)

だが、家人に見つかってヒステリックに追い払われたそうだ。

それは母テオドラだったのかも知れないし、妹ポーラだったのかも知れない。


孤児と言えば教団の手先として免罪符を売りつけに来る存在だからな。

そりゃあ追い払われるだろう。




「免罪符、売らずに済むようになった。」




『え? 

そうなんだ!?』




「教団の偉い人が規則を変えてくれた。

凄く立派な人。

いつの日かポールに紹介出来れば嬉しい。


もう私達はあんな事をせずに済むみたい。

皆が喜んでる。」





どうやら坊主にも多少はマシな奴は居るらしい。





『じゃあ、他の子も平穏に暮らせるようになったんだな。』





「それはどうだろう…

最近は孤児院の女子は殆ど冒険屋に登録しちゃったから。


みんな変わってしまった。」





『え!?

冒険屋?』





「リーダーが孤児院上がり。

ちょっとしたヒーローになってる。」





『ノーラか…』





「知ってるの?」






『今や有名人だしな。』






「…私は冒険屋に入ってない。」





『え?

そうなんだ。』





「公営の就労支援センターで清掃人登録をした。」




『な、なんで清掃人なんか!?

あんなのは本当に食い詰めた奴が泣く泣く登録するものだよ。』





「…どうしてそんな所に登録したと思う?」




『い、いや。

想像もつかないよ。』





ビッキーは何も言わずにくすくす笑っていた。

特に用事もなかったので、2人で港湾区をのんびり歩く。

相変わらず貧しい地区だ。


閉店している店も多い。

きっと店舗の数に購買力が追い付いていないのだろう。

俺達が何気なく入ったカフェbarも来週店じまいとのことだった。




『教会の正面だから集客には困らないんじゃない?』




「目の前で炊き出しをやられたらねえ。」




店主は苦笑しながら茶菓を出してくれる。

天気が良かったので、テラスでビッキーと近況報告に花を咲かせた。

どうやら彼女は俺にまつわるニュースを耳にしていたらしく、騎士や感謝祭VIP席の話も知っていた。





「感謝祭…

ポールは… 結婚するの?」




『相手がいないよ。』




「良かった///」




『良くはないよ。

家族や友達に怒られ続けているんだ。』




ビッキーは俺に甘えるようにしがみついて笑いを押し殺した。

無理もない。

まだ親が恋しい年齢だ。

周囲が気を遣ってやらなくちゃな。





教団の配給はおざなりである。

末端信者が面倒くさそうにシチューを皿に注いでいる。

シチュー係が2人しかいないのに、皿を洗う者が居ない為、行列は殆ど進まない。

行列には乳飲み子や老人や傷痍兵も混じっており、待ち時間の長さに疲れ果て地面にへたり込んでいる。

気が付いた点が数カ所あったので、懐からペンを取り出して書き留めドナルドへの書簡とした。

(貧民救済の主導権は民生局が掌握するべきである、という趣旨である。)




2人でクッキーをつまんでいると、不意にビッキーが起ち上がる。



「ポール! 

アレが先生だよ!

空き時間に私達に文字を教えてくれた人!

ここの担当じゃないのに逢えるなんて奇跡みたい!


後で、紹介する!」





俺が答える間もなく、ビッキーは満面の笑みで教会の方へ走っていく。

さっき彼女が言っていた《凄く立派な人》だろうか。

まあ、孤児を悪行から解放したのなら紛れもなく英雄だろう。

挨拶くらいはしてもバチは当たらないか。




ここからでは逆光で見えないが、後からやって来た法衣の男が列の整理や皿の回収を始めると、やや進行がスムーズになった。

恐らくあれが先生なのだろう。

男は小走りで列の最後尾に去って行った。



見ればビッキーもシチュー配膳を手伝い始めている。


…じゃあ、俺もたまには他人様の役に立ってみるか。

あんな小さな子が頑張っているのに、俺が何もしないのもおかしな話だからな。





『皿、洗いますよ。』





シチュー係に声を掛けると、面倒くさそうに「頼むわー。」との返事が返ってきた。

施設の奥に進み、膨大に積み上げられたシチュー皿の山を見てから、自分が【清掃】スキルを失っている事、次いで普通は誰もそんなスキルを使ってない事を、そしてもうすぐ自分が死ぬことを思い出した。


最後くらい誰かの役に立ってもいいかもと思い、数時間だけ皿を洗った。

世間の人々はこの倍以上の勤労を毎日行っているので、特に不満や感慨はない。





「はー、やっと終わったぁ。」




シチュー係が自分の肩を叩きながらどこかに歩いて去って行った。

どうやらこの教会に寄宿している下男らしい。




俺が余った皿を棚に戻しているとビッキーが戻ってきた。





「ゴメン、ちょっと人手足りなかったから。」




『いや、誰かの役に立てたのなら幸いだよ。』





ビッキーは随分生き生きとした表情をするようになった。

どうやら良き師に恵まれただろう。




「あ、先生!

こっちこっち!」




元気に飛び跳ねるビッキーに呼ばれて人影が入って来る。





「申し訳ありません、どうも助かりま…」




『いえ、差し出がましい真似をしてしま…』






入って来たのは《奴》だった。







「…。」




『…。』





「2人とも…  お知り合い?」





その声で我に返った俺達は、慌てて姿勢を正す。





『…ああ。』






「…ええ。 」






どう話を打ち切ろうか迷っていた俺達だが、ビッキーが他のシスターに呼ばれて去って行った事に安堵の溜息を漏らす。





『…。』





「…。」






『…邪魔したな。

帰るよ。』






「…手伝ってくれてありがとう。

助かった。」






『ビッキーの面倒を見てくれた事には感謝している。


…だが2度とモロー銀行に近寄るな。』






「断る、と言いたいところだが

今朝の一件で本当に出禁にされてしまってね。

途方に暮れていたところさ。」





『ああいう阿漕な商売はもうやめろ。

ここでの炊き出しに専念すればいいじゃないか。』





「生憎、貧困者向けの事業には予算が降りないのさ。

それこそ免罪符を売って財務部に嘆願しない限りね。」





『そんな弁解が免罪符になるとでも思っているのか?

盗んだカネの一部を配ったとしても、泥棒は泥棒だぞ。』





「…そのセリフは権力者連中に言って欲しいものだな。

資本家や政治家は盗んだカネの一部すら還元していないじゃないか。


違うか?

騎士ポール・ポールソン。」





『世界はある。

神はない。

故に資本は宗教に優越する。』





「神はない。

世界はある。

故に宗教は資本に優越する。」





水掛け論だな。

きっとこの男とは大前提が異なるのだろう。

これ以上、話しても無駄だ。





ビッキーが帰って来そうになったので、慌てて2人で教会を離れる。

今の憎悪に満ちた表情だけは子供に見せたくない。

きっと奴も似たような事を思ったのだろう。

不本意ではあるが、2人で往来を並んで歩く。






「あの子の面倒、これからも見てやって欲しい。」





『アンタは見ないのか?』





「色々あって王国に行かなければならない。」





『…選挙か?』





「そんなところさ。」





『アンタら、選挙ばっかりだな。

…そんなにカネや権力が欲しいか?』





「…欲しいさ。


生まれに恵まれた者にはわからんだろうがね。」





『恵まれない事が猟官を正当化出来るとは思えないけどな。』





「出来るさ。


現に、孤児に免罪符を売らせる悪習を廃止する事が出来た。」





『…。』





「あと一歩だ。

あと一歩で、神聖教団に真の使命を取り戻す事が出来る。」





『使命?』





「決まっているだろう。


本来教団は、恵まれない人々を救済する為の組織だった。

そういう崇高な教義だった。

君が指摘するように、今は腐り切っているがな。」





『俺は、神聖教団は社会の敵だと思っている。


勿論、志ある者とも逢った事もあるし

ソイツラには敬意を抱いている。

彼らの徳業を知った上での判断だ。』




脳裏にアントニオとセルピコの屈託のない笑顔が浮かんだ。

聖者だって存在する、それは認める。




『だが、あそこまで肥大化してしまえば

もはやガバナンスが行き届かない。


現代社会に宗教組織は不要だ。』





「信じて貰えないかも知れないが…

教団の若手には、今の君と同意見の者も多い。


次の選挙で劇的な改善が行われるんだ。

もう一歩の所まで来ているんだ。」





『アンタらの戯言は聞き飽きたよ。

大体、王国に行って何をするんだ?


どうせ御婦人を脅して免罪符を売りつけるんだろ?』





「そうだ。


免罪符を…  売る!」





『恥を知れ売僧が!』





「誰彼構わず売りつけている訳じゃない!!!

相手は慎重に選んでいる!!!


不正をしている者や大儲けをしている者!!

それ以外には声も掛けていない!!


だってそうだろう!!

こんなもの好きで売ってる訳ないんだから!!!」





『なあ、アンタ。

本当にそれで正当化出るとでも思っているのか?』





「今、帝国や王国では邪悪な資本家が不正に蓄えたカネを持ち逃げしている最中なんだ。

休戦の目途が立ったからな。


貧民が最前線で殺し合いをさせられている時に、国家を裏切って自分だけ安全な場所に逃げようとしている!


そういう悪党だけだ!

私が免罪符を売るのは!

これまでだって、これからだってずっとそうだ!!


内部事情を知らない君にはわからないだろうが

その売り上げは貧困層の救済に使われているんだ。


悪徳資本家から徴収したカネを恵まれない人々に分配している!

それの何が悪い!


そこまで非難されるような事か!?」






『お題目だけは立派だな。


だが、その資本家の善悪を誰が判断するんだよ?

アンタの身勝手な思い込みでだろ?


朝にしたってそうだ。

どうせゴシップ誌を読んで、俺が汚職政治家だと判断して売りつけて来たのだろう?』




「…記事を事前に読んでいた事は認める。


それ以上に立ち居振る舞いを見て金銭的な余裕も感じた。

預けていたカネがイレギュラーなカネである事も確信した。


そんな相手であれば、500万くらいは引っ張れる。

断じて罪ではない!」





『馬鹿かよ…


500万あったら

それこそシチューを作って俺が配るわ。』





「…。」





『さっき厨房を覗いた。

使ってる野菜は全て最低等級の屑野菜!

肉は明らかに消費期限が切れた腐敗寸前じゃないか!


じゃあ、毎日あれだけ巻き上げている巨額の寄付金はどこに消えてるんだよ!!

オマエらのやっている事は薄汚いマネーロンダリングだ!


そんな邪悪な犯罪に加担出来る訳ないだろう!!』





「…。」





『…別にアンタを責めてる訳じゃない。

さっきビッキーに聞いたよ、ここの担当じゃないんだろう?』





「いや、教団への批判であれば、私も真摯に受け止める義務がある。


…食材の質に関しては本当にわからなかった。

我々孤児にとっては、腹に溜まるだけでもありがたかったからな。

どうやら私は味覚音痴らしいんだ。

今でも金持ち連中からはいつも笑いものにされている。


君がそこまで怒るなら、きっとアレは酷いものなのだろう。

念の為報告しておく。

今の財務長官は当てにならないが、来期以降は期待してくれていい。」





2人でゆっくりと歩きながら教会に戻る。

感情が収まった訳ではないが、子供に見せても構わない表情は作れるようになった。





『安心しろ。

あの子の前じゃ顔を立ててやる。』




「?」




『勘違いするな!

子供の前で大人の汚い部分を見せたくないだけだ!』





「…孤児達を頼む。」





『民生局か政治局に言えよ。

オマエらが余計な干渉をしなければ、彼らも十二分に動けていると思うがな。』





「あの子だけでも頼む。

正義感の強い子供は必ず孤立するんだ。

子供社会から敵視されてしまう。」





『まるで見てきたように言うんだな。』





「…。」





『勘違いするなよ?

俺がそうしたいからあの子を護るんだ。

オマエなんかの為じゃない。』





「…借りにしておく。」





『貸した気はないよ。


今日もシチュー配ってくれたしな。

アンタのおかげで友人の地元が救われた。

これからも、アンタになら手伝ってやっても構わない。』





「すまないな。

私は今日で街を去らなくてはならない。

来週中には王国入りせよとの命令も下っているしな。」





『…出発前くらい、おとなしくしていろよ。』





「どうせ家族も友人も居ない。

使命以外に何の興味もない。」





『そうか、羨ましいことだ。』





《富と権力の偏在を正し困窮者を救済する。》




それが奴の使命。

神聖教団の聖典にも記されている、ごくごく基本的な教義。

それを実践する為にわざわざ決意が必要とされるまでに腐敗した組織。

やはり教団はもう不要だ。





俺と奴が教会に戻ると、神聖教団の紋章の入った馬車が停まっていた。

どうやらこの男は待ち合わせ場所でシチュー配給の手伝いをしていたらしい。





こちらに気づいたビッキーが満面の笑みで走って来て俺達に抱き付いた。





「出発の日に2人を引き合わせれたなんて夢みたい♪

私が大好きで尊敬している人達を紹介出来たなんて感激♪」





ああ、この子はまだ人間を信じている年齢なんだ。

善意や愛の実在をまだ信じているんだ。

…その信仰は近いうちに裏切られる。

世界や社会や人間や俺が必ず裏切る。


でも、それは今じゃなくてもいい。





『ビッキーありがとう。

君のおかげで最高の友人に出会えた。』




「ビッキーさん。

ここにおられるポールソンさんは真の紳士です。

どうか彼から多くを学んで下さい。」





ビッキーは頬を紅潮させ、目に涙を浮かべて元気に頷く。

俺達が流した涙はきっと真逆の理由。





「バルトロ上級司祭!

お時間です!」





御者が俺達の背後から咎めるような口調で怒鳴った。

孤児出身という事もあり、きっと位階ほどの発言力を持っていないのだろう。

奴はビッキーの肩を優しく叩いてから背を翻した。




『…。』



「…。」




馬車はゆっくりと反転して静かに進む。

奴は座席の天蓋を開いたまま、仁王立ちで俺を睨み続け、そして絶叫する。




「俺は誰にも恥じないぞッ!!!」




それは、奴なりの別離の言葉だったのだろうか。

今となってはわからない。








なあ。

タダでも要らねーよ。


自分を赦す気が無いのは俺も同じだからな。


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