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【清掃日誌49】 飢餓

堰き止め干上がった河の中ではヒッポーの死骸が大量に転がっている。

飢えたヒグマ達が乾いた河底に下り、肉を貪りだす。

70頭弱が河底に居るタイミングを計って堰を切らせた。

古来より人類が愛用し続けて来た水計である。


観測範囲内では62頭が濁流に飲まれた。

避難勧告を無視して河底で発見された物資を漁っていた若者グループも4名死んだ。

事前に情報を知っていた人間種でも逃げ遅れるという事は、この河は地形的に水計に向いているのだ。

トハチェフスキー問題が続くのであれば、ここを第一防衛ラインに設定するのが無難かも知れないな。

川の内側に侵入していたヒグマ・ヒッポーはあらかた狩り尽くしたようなので、ここらは対岸を奪回する手段の模索。


現在、帝国が放ったモンスターに占拠されている対岸の我が国土。

此岸よりも農業に向いた立地である。

控え目に計算しても7万石は見込めた。

何としても今年中に奪還して、来年に向けた作付を行わなくてはならない。

我が国が商業国家である以上、食糧問題からは未来永劫目を背けてはならないのだから。





「おい、ポールソン。

ヒッポー干し肉だがな。


対岸に渡れないとすれば、後15頭分しか作れないぞ。」





『稀少価値を出す為にも、そんなモンで十分でしょう。』




「じゃあ、ヘルマンとの打ち合わせ通り

最終ロットは定食屋のレーヴァテインに送るぞ?」




『ええ。

あそこの店主にばかり無茶振りをしてしまうのが心苦しいですが。

話題となるようなレシピを考案して頂かなくてはなりません。

この問題の解決は自由都市世論をどこまで集めれるかに掛かっておりますので。』





あの男なら必ず作戦のコンセプトを汲んで大衆の耳目を集めてくれる筈だ。

聞けばワカメも美容食路線で軌道に載せてくれているらしいな。

1人に負担を集中さてしまうのは心苦しいが、あそこまで信頼出来る人材は他に中々居ないので仕方がない。





「その店主が

《貸しにしておいてやるから帰ったら顔を出せ》

ってよ。」




『ははは。

また謝罪先が増えてしまいました。』





さてさて。

あの男には山ほど借りがあるからな。

どうやって返せば良いものやら。





=========================





貴婦人たるクレア・モローが単騎でこんな最前線に来る訳もなく(還暦過ぎのヒモ爺と2人きりで来る事はもっと許されない。)、モロー銀行からそれなりの数のスタッフがお目付け役も兼ねて随行して来ている。

彼らは俺に形式的な好意を伝えると、すぐさま任務の為に散会した。

無論、クレアの周囲には屈強の護衛達が気配を殺して控えている。


流石は金融業界を担うエリートだけあって、スタッフ達は情報収集能力も卓絶しており、到着後すぐにこの地区の将来収益予測や不動産価格を算出してしまった。

特に果樹産業担当のレイノルズ氏の手腕は実に大したもので、到着日の夜には3通りの収益化プランを書き上げてしまった。


彼らの集めた情報の一部はクレア嬢にも伝達され、更にそのお溢れが俺に下って来る。





『トハチェフスキー公爵が帝都に召喚された?』





「これ、帝国領内で流通している私広報よ。

貴方の方が詳しいわよね?

ほら、一面の下半分。」




『うーむ。

私広報を見る度思うことなんだが。


こんなにも帝国政府に対して批判的な出版をして大丈夫なのか?』





「厳密には違法だけど、余程の事が無い限り当局も黙殺しているのが現状。

…ガス抜きでしょ、結局。」




帝国公爵ミハイル・トハチェフスキーに即時出頭命令が下った。

対王国戦線から自領に帰還したタイミングを狙われたようだ。

実質、死刑宣告。

出頭すれば本人1人の切腹で済ませて貰える。

拒めば族滅、例外は無い。




「あら、随分浮かない顔ね。

目的を達成したというのに。」





『いや、気掛かりがあってな。』





…おかしい。

こんな事はあり得ない。

俺の計算では最速でも後2ヶ月は何も起こらない筈だった。


だってそうだろう。

俺の策は、生物兵器級のモンスターであるキマイラの死骸を帝国・自由都市両国で構成された調査委員会に検分させ、事件の悪質性を皇帝派に訴える事だったのだ。


綱引きは、そこから始まるものだと想定していたし、だからこそ引っ張り込む為の材料も大急ぎで集めていた。




早過ぎる…

この地区に皇帝直属の諜報員でも潜んでおり、その報告がスピーディーに処理されたのだろうか?


いや、絶対にあり得ない。

公爵は帝国軍の中核であり、何より対王国戦争の英雄なのだ。

特に、難攻不落で恐れられたモーガン要塞を落城させたという功績はあまりに大きい。

本来なら加増を待つ立ち位置。

三帝会戦で挙げた抜群の武功も鑑みれば、現場の報告書一枚で粛清していい人物ではないのだ。



…俺に何か見落としがあったのか?

見当も付かない。





「これで、英雄になっちゃったわね。」




『?

ならないよ。

俺の名前が出ない様に細工はしてある。』




「ソーニャにとっての英雄ってこと。

あの子、救われたわ。」




『トハチェフスキー潰しは国家防衛の為に行なっている事だ。

リコヴァ流もレジエフ家もソーニャも何の関係も無い。』




「それでも、あの子は命が助かったわ。

貴方のおかげで。」




『もしも自由都市を脅かしていたのがレジエフ家であれば、俺は死力を尽くしてそれと戦った。

今回、たまたま敵の敵がソーニャの実家だっただけだ。

感謝される謂れがない。』




「そういう理屈。

男の人の間でしか通じない事は知っているのよね?」




『良い先生が指導してくれているからな。』





「あの子、ますます貴方に運命を感じてしまうわ。」





『…。』





「助けてあげて。」





『助ける?』





「娶ってあげてと頼んでいるの。

呪いを掛けてしまった責任を取れと言っているの。」





『俺は呪いなんて掛けてない。』





「振り撒いてるわよ、既に。


…あのね、殿方の勝利が自分を救ったのなら、それは女にとっての呪いになるの。

《運命》と言う名の呪い。」





『意外にロマンティストなんだな。』






「科学よ。


雌の脳はそういう構造になっているの。

むしろ。

モンスター生態の論文を読み漁って来た貴方の方が、生物の行動様式には余程詳しいと思うけどね。」





『人間とモンスターは違う。』





「違わないって知ってる癖に。」





『そうだな。

大した違いは無い。

社会が複雑な分、人間の方が遥かに愚かな振る舞いをするが、その程度の違いだ。』





「その人間代表の貴方にお願いするわ。

ソーニャを助けてあげて。」





『あの子に関しては、ちゃんと気に掛けてるよ。

良い縁談に恵まれるよう、周囲にもそれとなく頼んでる。

ジミー宛の遺書にも記載してある。』





「遺書って単語はあの子の前で絶対に使わないで。」





『…ちゃんとソーニャの事も気にかけてるって事さ。』





「生き残ったからには、直接気にかけてあげて。」





『…あのなあ。


わかるだろ?

俺は今、誰から殺されても不思議じゃない状況にある。

側にいる事自体が危険なんだ。

あの子を巻き込む訳には行かない。』





「はい、アウトー。

それ、年頃の女の子が一番トキメク台詞です。

オマエは恋愛絵巻のヒーロー君かよって話。」





…どうしろと。






=========================






不可解な点はもう一つある。

ヒッポーの干し肉。

高級ホテルグループ3社での採用が決まった。


セントラルホテル・リバティホテル・セレブレーションホテルが《被災者支援ヒッポー ジビエ フェア》を開催すると発表したのだ。

このニュースは先程モロー銀行のスタッフから聞いた。


確かにセントラルホテルに対してはドナルド・キーン経由でサンプルと企画書を送った。

(サンプルと言っても簡易乾燥のみの物であり、まだ完成品はこの世に存在しない。)


だが残りの2社には何の打診もしていない。

コネが無いからだ。




何故、こんなに急に採用された?

いや、勿論ありがたい。

ありがたい事だが、理解が出来ない。

何が起こっている?

策源地へのリアクションが早すぎる。

何だ?

この付近にキーパーソンでも滞在しているのだろうか?




急ぎドランと相談して、以降は他社への営業を中止することに決める。

別に新しい食文化を創造したい訳ではない。

レーヴァテインも合わせた4社なら、十分一時の話題を作ってくれるし。

次の話題で大衆の興味も上書きしてくれることであろう。

(ヒッポー嗜好が定着してしまったら養殖する馬鹿が出てくる。)





…やはり俺には謀略の才能が無いな。

イレギュラーに対する想定・対応能力が乏し過ぎる。







「まーた難しい顔してるんスか?」




『そんなに難しい顔してたか?』




「世界が終わる日みたいな顔っス。」




『そりゃあ、いつかは終わるだろうけど。』




「アタシが生きている間は終わらせない様にして下さいっス。」




『善処する。』





しばらく黙っていたレニーは唇を尖らせて、俺を指でつつき始める。





「…ポールさんには、また裏切られたッス。」




『裏切る?

俺が?』




「アタシ。

ポールさんの体調が回復したら

乱れた性生活を満喫する気マンマンだったっス。」





『ふむ。』





「《ふむ》じぇねェーよ!


なのに何スかーーーー!!?

アタシら別棟じゃないッスか!?


まさか禿げたジジーにポールさんを盗られるとは思ってなかったッス!

想定外にも程があるッスよ!!!」




『ああ、ドランさんな。

父親の昔馴染みなんだ。

俺が生まれた時から色々面倒見てくれた人でさ。』




「クレアとか言う眼鏡女のヒモなんでしょ?

じゃあ、それこそあの2人が同室になるべきじゃないッスか!」




『付き合ってるみたいだけど

籍までは入れないつもりらしい。


だから、モロー銀行の社員さんが居る前じゃ自粛してるんだよ。』




「それ! アタシに1ミリも関係ねーー!!」




『俺もあの爺さんには40年近く世話になってる訳だからな。

粗略には出来ないよ。』




「眼鏡女が言ってました。

《ドランはポールの自殺防止装置だ》って。

まあ、あの爺さんは場の空気を緩くする名人だとは思うッスけど。」




大袈裟だなあ。

まあ、ドラン爺が居なければ俺はまたどこかに突撃するとは思うが。




『昔からそうなんだよ。

俺がマジになり過ぎそうになったら

あの人が程よく空気を緩和してくれるんだ。


…今まで意識してなかったけど。

俺、あの人のおかげで一人前面出来てるみたいなモンだからな。』




「そういう役回りにアタシもなりたいッス!!」




『もうなってるッス。』




「本当に!?」




『これは割とマジ。

それこそ初対面の時から君に惹かれてた。』




「そんな気配1ミリも無かったっスよーーーー!!!!!」





『え? そう?


俺、感情が顔に出にくいタイプらしくて。

行きつけのカフェで割と君の話題ばっかりしてたんだけど。

ちょっと淡い恋、みたいな?』





「そんなんわかるかーーーーーー!!!!!!

1ミクロンも伝わって来んかったわ!!!

オマエもうプロポーカーで生計立ててけッ、バカーーーー!!!!」





『…なんかゴメン。』




「え!?

ちょ!?

ちょっと待って!?


その話が本当なら!!!

恋愛戦略が根底から覆りますよ!?


アタシはズルいから!

エミリーをどうやって切ろうか考え始めてしまったッス!!

っていうかお友達ゴッコ終了のアナウンスが脳内に響き渡ってるッス。

でもポールさんの性格的にッ

切らずに仲良しゴッコを続けていた方が得をする事も理解済みッス!!」




『…君の中の俺ってどんな奴なんだよ。』




「ポールさん!!

ここはハッキリさせましょう!!


ポールさんの中でアタシは何番目に好きな女ですか!?」




『うーーーん。

1番じゃないかな?

うん、ダントツの1番だな。


仲間内で恋愛トークになった時、結構君の話をしてるし。』




「うおーーーーー!!!

うおーーーーーー!!!

今、アタシの脳内で恋愛ボンバーが弾けてるッス!!!!


ちなみマーサさんとアタシはどっちが好きっスか!?」




『マーサ。』




「即答しやがった、このマザコン野郎!!!

1番って嘘じゃん!!

その時点で2番以下確定じゃねーーか!!!!!」





『ごめん。』





「…マジかー。

コイツ攻略難易度高過ぎィ!!

おまけにマザコン拗らせ過ぎィーー!!!


アタシ、ポールさんの事が狂おしい程好きな気持ちには変わらないんスけど。

アンタに好かれても何故かあんまり嬉しくないッス。」




『ゴメン。』




「…なんかポールさんって可哀想な人ッスね。」




『妹にも元嫁にも同じこと言われた。』




「元嫁!?

結婚してたんスか!!!」




『言わなかった?

バツ1。』




「え!? え!? え!?

こんな人が所帯とか持てるんスか!?

我が国の婚姻制度、重大なバグを抱えてませんか!?


え!? え!?

その時マーサさんは?」





『一緒。

俺、マーサのハンバーグ以外は食べれないし。』





「離婚理由わかってしまったッス!!!

元嫁さんに線香の1本でもあげてやりたい気分ッス!!」





『…勝手に殺すな。』






そういうアホな話をしながら情報が集まるのを待つ。

公爵の粛清は確報なのか? 

そして後継者の外交方針は?

それを確認しない事には、この地区から動けない。




俺がレニーを偉いと思ったのは、自分が1人で遊びに来た後は必ずエミリーを送り届けて去って行く事である。

感心する反面。

俺は女なんぞに生まれなくって、まあ善かったと思った。





=========================




情勢が動いたのは翌週。

中立地帯で立ち往生している帝国のキャラバンのメッセンジャーがこの地区に飛び込んで来たのだ。




「小麦3万石を買って欲しい。

現在の麦相場の半額で構わないので、即金対応して頂けまいか?

空いた荷車もサービスとして贈呈する!」




如何にも大雑把な帝国商法である。

半額即金なんて訳アリで無い筈がない。




公爵粛清の信憑性が高まる。

改易もしくは減封される為、慌てて領内食糧の現金化に動いたのか?




『何かありましたか?』




出来るだけ無知を装って尋ねてみる。




「いやあ、年始儀礼に向けて一応資金に余裕を持たせておこうかな、と。」




相手は必死で平静を装っているが、焦りは隠せていない。

俺と立ち話をしていたメッセンジャー氏だが、俺の廃小屋脇に立てられたモロー家の紋章旗を目敏く見つけると、興奮して捲し立てて来た。




「貴殿はモロー銀行の関係者であられたか!?」




俺の返事は否。




『プライベートで旅行に来ている友人を接待しているだけですよ。』




「取り次いで頂けまいか!

無論、謝礼を支払う!

何よりも半額だぞ? 半額!

貴殿にとっても、この話を取り次ぐのは功になるのではないか?」




…銀行家はそんなに甘くないんだって。

連中は怪しい儲け話を持ってくる人間を嫌っているしな。


俺は隣家で行われていたスタッフ会議に詫びながらお邪魔して、経緯を報告する。


その後はドランの模型作りを手伝っていたのが、不意に呼び出された。





=========================





「情報を共有するわね。

キャラバンの責任者は騎士カディロフ。

トハチェフスキ公爵に仕えて各地を転戦してきたベテラン武将よ。

ブラウンヒル城攻略戦では一番乗りを果たした程の猛者。



で。

やはりトハチェフスキー公爵の切腹は確報。

どうも一門衆に斬られたらしいわね。

現在、その首級が帝都に移送中。」





そうか、ミハイル・トハチェフスキーが死んだか。

まずは第一チェックポイントを通過だな。




「トハチェフスキー家は14万石の減封ペナルティを受けた上で、分家末席のセルゲイ・プーシキン氏が復姓の上で継承する。

彼は皇帝の馬廻り衆に名を連ねていた時期が長いから、この人事は皇帝権力の強化と見て間違いないわ。」




モロー銀行のスタッフが、無言で俺の机に駆け寄り即興で書き起こした関連資料を渡してくれる。


なるほど。

馬廻りと言っても、セルゲイ氏は少数民族や外国企業相手の交渉を主任務にしていたようだ。

皇帝直属の外交官?

武人タイプではない?





「キャラバンに話を戻すわ。

現在、中立地帯で先頭のカディロフ隊以下全ての車両が立ち往生中。

原因は地元から追い掛けて来た農民による包囲。」





『やはり揉めてるんだな?』




「ええ。

キャラバンの積荷は臨時年貢として徴収した小麦。

農村の備蓄を接収したようね。」





『減封直後にそれはマズいだろう。』





「好ましくは無いわね。

ただ、法的には問題ない。

それが問題。

勿論、帝国の倫理観において厳しく批判される行為よ。


私はモロー銀行の役員でも何でも無い、ただの女だけど。

買い取りには反対。


弊行の従業員なら当然理由は解ると思うけど。」





そう言ってからクレアはスタッフ達をゆっくりと睥睨した。皆が目を伏せていたが、1人が「お嬢様の仰る通りで御座います。」と答えると、全員が追従した。

形式的にどうあれ、この女は家中においてそれなりの発言権を有しているのだ。




「でも、私は貴方達の行動までは掣肘出来ないわ。

どうしたい?」





『外交問題に発展しない事を第1に考えるべきだ。

トハチェフスキー家を継承するセルゲイ氏を刺激するべきではない。』





このキャラバンは当然セルゲイ氏の意向で組まれたものではない。

粛清されたミハイル派閥の独断であろう。

新主君の許可無く領内の備蓄を換金。

そんな行為に加担すれば、セルゲイ氏の我が国への心証は著しく損なわれてしまう。

わざわざ外交畑の人間を国境の大領に封じた皇帝の暗黙のメッセージを踏みにじる事を意味するのだ。

それだけは何としても避けなければならない。





=========================





取り敢えず、騎馬で南に20キロメートル南下。

中立地帯が見える場所にまで移動する。

我が国の監視塔員も、大まかな事情は把握しているようだが、コメントすらくれなかった。




「本官は軍属です。

例え自国民が相手であっても、内政干渉と取られかねない言動は一切とりません。」




正しい。

万が一、彼らがあそこで揉めて、かつ我が国の軍属が現場でどちらかに有利になり得るコメントを出してしまった場合、洒落にならない事になる。




中立地帯から1騎が飛び出す。

甲冑の装飾度合から、騎士カディロフ氏であると予測する。




「お頼み申ーーす!」




長年戦場で培って来たのだろう。

とても明瞭に響く大音声であった。




案の定、騎士はカディロフ氏であり、彼はこちらの国境ギリギリにまで近寄って小麦の売買交渉を呼び掛けた。

当然、国際慣例上あり得ない振る舞いである。

それだけ追い詰められているのだろう。


俺達が返答すべきか迷っていると、背後から十数名の農夫達が走って来る。




「積荷の所有権は我々にあります!

取引に応じないで頂きたい!」




そのような趣旨の訴えを農夫達は口々に叫んだ。

カディロフ氏と農夫達が口論していると、突然背後で悲鳴が上がる。

俺の角度からは見えなかったが、キャラバンの従騎士が農夫の1人を斬ったようだった。




しばし大喧騒。

そして小一時間、我々は推移を見守る。

当然、監視塔は後方の基地に伝令を飛ばし終わっている。




「本官は民間の取引に干渉する権限を持ちません。

ただ、暴力事件の現場で取引をされる場合、事情聴取には応じて貰います。」





そりゃあそうだ。

買おうが買うまいが、この後問題が大きくなる事は目に見えているのだから。





「小麦が3万石分あります!

内容チェックをして頂いて結構です!

どなたか取引に応じて頂けまいか!?」





カディロフ氏の叫びが終わる前に、農夫のリーダーらしき男が更に大きな声で訴える。





「耳を傾けないで下さい!

その者は罪人です!

帝都からも処罰命令が下ってます!」




「無礼者!

私は罪など犯していない!」




「公爵が切腹させられたじゃないか!!!」




「貴様、侮辱するか!!!」





ますます流血沙汰がエスカレートしそうになったので、形式的に『まあまあ』と双方を宥める。

一応、仲裁のポーズくらいは取っておかないと、後からゴチャゴチャ言われかねないからな。





「購入を希望します!

今、仲間に現金を搔き集めさせてるので、少し待って下さい!!」





俺達をかき分けて前列に出た地区長が叫んだ。

カディロフが安堵の笑みを浮かべ、農民達が一斉に怒号を上げる。





『地区長。

火中の栗ですよ!

流石に根回確認も無しの購入は危険です

国際問題に発展しかねません!』





「ポールソンさん。

貴方は地区の大恩人だ。

深く感謝しております。


それに教養のある方だという事も

この僅かな期間の遣り取りで理解しました。

きっと貴方の忠告は正しいのでしょう。


でもね!?

我々にだって生活があるんですよ!!

滅茶苦茶になった故郷を立て直さなければならない!!!」





『わかります。

地区長のお立場は重々理解しております。


ですが…』





「こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ!!


アンタら中央の人間はいつもそうだ!!

安全な場所から理想論を押し付けて来るだけじゃないか!!

この辺境で俺達属州民がどれだけ苦労しているか!!


…アンタ、実家が中央区なんだって?

大金持ちじゃないか。

家に帰れば安全で裕福な生活が出来るじゃないか。


でも俺達は違う!!!

この土地しかないんだよ!!!

どんなに惨めでもしがみつかなきゃならないんだよ!!

飢えを凌いでいかなければならないんだ!

ここで小麦が買えなきゃ死ぬんだよ!!  大勢が!!!

オマエラに殺されるんだよ!!!」




『…。』





「俺の行為は全部合法の筈だ。

そうだよな?

もしも何かの法律に違反してるなら教えてくれよ!」





『法的には問題ありません。

この購入で貴方が罰せられる事はないでしょう。


またカディロフ騎士の販売行為は

帝国の法に照らし合わせても問題ないそうです。』





「なら、合法だな。

隣国民同士の単なる取引行為だ。


誰からも非難される謂われはない!!!

何の問題もないじゃないか!!!!



…騎士様!!!

話はつきました!!

半値なんですよね!?

全部こちらで買わせて下さい!!!」





何名かの農民が絶叫して地区長に掴みかかろうとした。

それをカディロフが斬る。





「暴力の意図はない!!!

貴様らの越境行為を咎めただけだ!!!」





カディロフの従者達が抜剣して農民を追い散らそうとする。

激昂した農民たちが投石を始め、頭部を砕かれた1人の従騎士が崩れ落ちて動かなくなる。

ここで自由都市の駐屯軍がホイッスルを吹きながら制止を開始する。




「中立地帯での戦闘行為は両国間に結ばれた国境協定に違反しております!!

全員、直ちに暴力行為を停止して下さい!!!

離れて!!!  離れて!!!!

今すぐに!!!!」




恐らくは現場責任者の独断であろう。

2個小隊がゲートを越えて、騎士側と農民側の間に入った。

何人かの隊員が怪我をさせられたが、数十分後に引き離す事に成功した。




「まずは救命行為を行います!

人道上の観点から救命行為を行います!


内政干渉の意図はありません!

あくまで! 人道上の救命行為のみを行います!!


怪我をされた方は名乗り出て下さい!

今、衛生兵がこちらに向かっております!


貴国とて!!

負傷者の放置を望んでいる訳ではないでしょう!!」






ここまで責任者氏が叫んだ事で、ようやく静粛が訪れる。

モロー銀行は保有していた薬剤を現場に供出する。


投石を受けた従騎士は結局助からなかった。

エクスポーションを飲ませようとした時には既に事切れていたのだ。


農民側の死者は7名…  今8名になった。

重軽傷者が多いので寝かせて介抱する。

レニーやエミリーが思ったより場慣れしていて、器用に包帯を巻いていた。

異邦人たる俺達が間に入った事で、僅かに帝国人達のボルテージが下がる。




勿論、問題は何の解決もしていない。

帝国も我が国も食糧難。

皆が飢えている。

なのに眼前には所有権が曖昧な穀物の山。

揉めるな、という方がおかしいのだ。




地区長と農民のリーダーが声を潜めて押し問答をしている。

当然、議論は平行線。

話し合いで解決する段階ではないのだ。




「では穀物を引き渡す!

まずは内容チェックをして欲しい!

問題がなければ代金を受け取りたい!」




カディロフが改めて叫ぶ。

農民のリーダーは

「農村の備蓄なのだから、せめて代金は我々に支払え!」

と主張。



そこから数時間が経過して農民の大軍とキャラバンの後続車両が到着する。

後方ではもう何百人が死傷しているとのこと。

喧騒が再度激しくなり、帝国農民による自由都市側への投石までが始まる。




『地区長!

1点宜しいか!?』




俺は帝国側に向かってそう叫んだ。

数秒してから地区長が慌ててこちらに振り向く。




『万が一、この穀物が盗品と認定された場合

貴方は国外で発生した窃盗行為を助長した罪に問われる!

それは理解しているのだな!!

通常の窃盗よりも遥かに重い刑罰が科せられるのだぞ!』





俺は帝国人達を見据えて叫び続ける。

趣旨が伝わったのか、国境線の向こうがやや鎮まる。




「…帝国の騎士様が販売している商品だ。

盗品買い取り扱いされるのは心外だよ。」




『トハチェフスキー領では領主交代が行われたと聞いている!!』




俺がそう叫ぶと農民たちが一斉に喝采を上げた。

カディロフとその側近たちが慌てて反論する。




「確かに!!!  確かに!!!

我が主家にて当主交代の話がある事は事実!!!


ですが!!!  ですが!!!

着任式がまだ行われていない!!

当主交代に伴う新人事も発表されていない!!!


従って!!!

代官資格を大殿から与えられている私が領内作物を売買する事には何の問題もない!!

合法! 合法!!  全て合法の範囲だ!!!!」




俺はカディロフを見据えたまま叫ぶ。




『地区長!!

帝国の私公報、先程貴方も見たな!!

未見の自由都市民が居ればこの場で見よ!!』




俺は自国軍の責任者氏の方向にトハチェフスキーに出された出頭命令の記事を突き出す。




「しばし待たれよ!

そこの御仁! 

しばし待たれよ!


その刊行物は我が国では私公報と呼ばれる違法出版物です!!

公文書ではない!!」




俺はカディロフから目を逸らさない。





『地区長!!!


例え民間文書と言えど、報道を見てしまった以上

今後の言い逃れは出来ないぞ!!』





「じゃあ、どうするってんだよ!!!」





知るか。

先の事なんて俺が知りたいくらいだよ。

わかる奴なんて居るわけないだろ。


でもだからこそ、誰しもがその場その場で最適解を探るべきじゃないか。

社会なんて答えが用意されて無い問題に満ち溢れてるんだからさ。





『クレア・モロー!

融資を頼めないか?

彼らの提示した金額と同額を貸して欲しい。

俺が買う。』





「あらゴメンナサイね。

銀行融資って精神異常者には降りないものよ。


だから私が買うわ。」





…この異常者め。





『やめろ。

女がみすみす騒動に飛び込んでどうする!』





「名義はドラン・ドライン。

担保は乾燥工房。

これで文句ないでしょ。」





「はははー。

虎の子が担保に取られちまったw

これからどうやって生活するんだよw」






「真面目に働きなさい。

それで駄目なら、私が何とかするわ。」






「どうだー、ポールソン。

俺、最高の女を引っ掛けただろうww

わっはっはww」






そりゃあそうさ。

何せ最高の男が選んだ女なのだから。







「で?

貴方。

どっちから買うの?

騎士さん? お百姓さん?」





『後払い。

代金は新領主であるセルゲイ・プーシキン氏の着任を確認してから彼に直接支払う。

その後の分配は領主権限。

俺達に口を挟む権利はない。』





農民たちの表情に明るさが戻る。

その一事で、トハチェフスキー領事情が察してしまう。





「ま、待ってくれ!!!

その条件では売れない!!!

取引は中止だ!!!」




『そのキャラバンを率いて帰るのですか?』




「自由都市で売るさ!!!

貴殿以外の買い手を探す!!!」




『それは難しいでしょう。』




「何だと!?」




『今、俺は検問所職員に貴国の報道記事を提出しました。

これで我が国は正式にトハチェフスキー家の当主交代を知った事になります。』




「それは私公報だ!!」




『だからこそです。

我が国は国家を挙げて情報の真偽を確認致します。

そしてその確認作業が終わらないうちの取引にはペナルティが課せられる。


そうですよね、隊長閣下?』




「自分は一介の警備責任者に過ぎないので商業活動に対してコメントは出来ませんが

出所の不明瞭な商品の取引を行う者には、密貿易罪が適用されるケースが多いです。

自分も着任以来、数社を同罪状で逮捕した経験があります。」





カディロフが唇を噛む。




『それに加えて、

あなた方は我が国の検問所の眼前で死者を出す暴力事件を起こした。

当然、今夜中に事件は国内各当局で共有される。


当事者間の和解を確認したと当局が宣言しない限り。

あなた方との取引は他国の騒乱への干渉と見做される。


これは我が国では、死刑求刑もあり得る重罪です。』





隊長が静かに頷いたことで、カディロフ氏は天を仰いだ。

虫の良い話なんてどこにも存在しないのだ。






「貴殿が購入する事も違法ではないのか?」





『無論、何らかの法律に抵触します。

抵触しなかったとしても、社会からの厳しい糾弾はあるでしょうし、無ければおかしい。』





「買い手は貴殿のみということか?」





『…このまま帰って頂けるのが一番ありがたいのですが。

どうせ帰路で揉めるんですよね?』





「揉める程度で済む国柄ではないよ。

それは貴殿も御存知だろう?

酷な御仁だ。」





『…俺はただ貴国の事情をこちらに持ち込まれたくないだけです。


迷惑なんですよ!


ヒグマとかキマイラだけでも、あり得ない額の損害が出ております。

これ以上騒動を持ち込むのはやめて頂けませんか?』





「キマイラか…

貴国にはあの化け物を討伐した剛の者がいるそうな…

どうやってあんな怪物が死んだのか見当も付かんが。」





『きっと便所で転んだのでしょう。』





「ちなみに貴殿のその傷はどうされた?」





『便所で転びました。』





「それはそれは。」






すっかり日は暮れていたが、そこから更に数時間の遣り取り。

政治局や産業局の人間もわらわらと集まって来る。




『半額は買い叩き過ぎなので

せめて7割でどうですか?』




流石に10割では買えない。

国境で騒動を起こされた時点で我が国は損害を蒙っているのだ。

駐屯部隊にも少なくない負傷者が出ている。

10割で買ってやる義理はない。

だが、半額はあまりに市場原理を無視している。

というより、隣国感情を著しく刺激する。

なので折衷案。





俺も相当迷った。

本来なら、キャラバンにはそのまま帰って貰わねばならない。


だが、それをすれば帰路、農民側が騎士を襲う。

双方に大量の死者が出るだろう。


憶測ではない。

双方がそう宣言しているのだ。


3万石分の代金に関しては誰も心配していない。

皆がモロー家の家紋をチラチラ見て安堵した表情をしているし、口ぶりからクレアがその一門衆である事も相手は把握している。

現物があるなら自由都市内で転売すれば良いだけなのだ。

これで支払約束分以上のキャッシュは簡単に手に入る。

仮に手に入らなかったとしても、モロー銀行程のメガバンクがたかだが3万石の代金などという端金を惜しむ筈もない。

どこかには払うだろう。

いや、俺が新領主への支払いを宣言した以上、必ず新領主に支払われるのだ。





夜。

まさか他国民を国境際で放置する訳にはいかないので、駐屯部隊がテント・水・食料を供出する。

直訳すれば《さっさと帰れ》ということだ。




途中、森の中から小柄なヒグマが1頭だけ出現するが、騎士カディロフが文字通り一刀両断する。

流石に帝国騎士は精鋭揃いである。

それまで敵意を向けていた農民達も、その場面だけは敬意のまなざしを向けていた。





『肉を焼きましょうか?』





何気なく俺が提案すると、一同は「いいですねえ。」と賛意を示すものの、食肉解体の技術を持つ者が居なかったので乾燥業者のドランが、そしてレニーが名乗り出た。


2人は手早く血抜き・モツ抜きを行い、バーベキュー用に肉を切り分けていく。

その姿を農民があまりにも複雑な表情で眺めていたので、改めて屠殺業者への風当たりの強さを再確認した。


聞けばここに居る農民にしたって、自らの田地を保有する本百姓ばかりであると言う。

我が国でもそうであるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



なので、農民と狩人の間には必然的なヒエラルキーが生まれる。

俺の眼前で肉を切り分けているレニーは後者だ。

平地に定住する農耕民から差別される山岳民。

その中でも更に蔑まれる狩人兼屠殺人の娘として生を受けた。



年端も行かぬ少女が汚れ仕事をしている光景がショッキングなのかも知れない。

農民達は無言でレニーを眺めていた。

エミリーがレニーの指示を仰いで内臓を処理する為の穴を掘り始める。


誰もが口先で飢餓を叫びながらも、屠殺解体風景に眉をしかめ続けていたし、教えを乞おうとする気配すら無かった。




途中、大型のヒグマ(恐らくはさきほどの個体の親だろう)が出現するも、これもカディロフが難なく斬る。

話の流れで、こちらも解体する事になる。


俺が驚いたのは、そういう作業を嫌いそうなカディロフが俺やエミリーの隣で黙々とシャベルを使ったことである。




「私は平民の生まれだ。

大殿に見いだされるまでは、ずっと酷暑寒天の中を塹壕を掘らされていた。


…人生の最後に振るうのが剣ではなくシャベルだとはな。

結局、こういう定めだったのだろう。」




『最後と決まった訳ではないでしょう。』




「最後と決めたからここに居る。

大殿の御一門を1人でも多くお助けしたかったからな。」




『やはり公爵の御家族は… 

危ういですか。』




「我が国は…  

色々と荒いから。

だが、纏まった現金があれば、何とか出来ると思った。」




『この状況で現金なんて搔き集めてどうするつもりだったのですか?』




「それこそ貴国に亡命させるとか、な。

いずれにせよ。

最後の奉公を果たすまでは、墓前で腹を切る事も許されないよ。」




『…。』




ヒグマを焼いたものを皆に配る。

1人数切れの饗応になってしまったが、何も食べないよりマシだろう。

聞けば、ここに来る道中で幾人もの帝国人がヒグマをはじめとするモンスターに喰われて死んだらしい。


所詮、誰もが誰かの餌に過ぎないのだ。





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翌朝。

契約の保証の話が蒸し返る。

そりゃあそうだろう。

3万石の大商いである。



クレアはモロー家の御令嬢だが、モロー銀行の如何なる役職にも就いていない。

それが大きな不安要素。

そんな彼女のサインは帝国人を余計に不安にさせた。





「当たり前でしょ。

頭取の娘というだけで役職が与えられるような金融機関を誰が信じるの。」




一番大きな問題は…

この女が金融業に向き過ぎている点なのだ。


途方もなく数字に強く、あり得ない程に情報処理能力が高く、とてつもなく知識範囲が広い。

少なくとも、俺が知る中で一番の英才。

その上異常に肝が据わっており、何より金融行為が欺瞞であると熟知している。

侠気に富み過ぎるという致命的な欠点を差し引いても、この女に並ぶ者など存在しないのだ。


なまじ向いているから、皆が彼女の意向に従う。

にも関わらず肩書を一切持たないから、世間は大いに戸惑う。

この女の人生は、この齟齬の繰り返しだった。





『人質、なろうか?』





向こうから言い出しにくそうだったので助け船を出してやる。

その場に居た帝国人全員が一瞬嬉しそうな表情になって、慌てて表情を引き締めた。




『俺、単にそこら辺をフラフラしてるオッサンなんですけど。

空手で帰ったら、きっと皆さん怒られるでしょう?

騎士の方も、農家の方も。


人質さえ取っておけば。

万が一、契約が破綻しても怒りのぶつけ先は出来ますよね?』





クレア・モローは俺を恐ろしい表情で睨むも反対しない。

当然だ。

これが一番国益に適う。

共同体は不要な順に捨て殺し続けなければ維持出来ないのだ。





エミリーが怯えたような目でこちらを窺っていたので




『追放しない!

すぐに帰る!』




と宣言しておいた。

彼女はしばらく硬直した後で、レニーの背中に顔を埋めてしまった。






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当初の予定とは大幅に異なるが、新領主の政治方針を確認するチャンスが訪れたのだ。

機が訪れたなら便乗しておくべきだろう。



もしも、ソーニャを含むレジエフ家の引き渡し要求を撤回させる事が出来れば…

男としての義理は果たしたと言えよう。

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