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【清掃日誌43】 血

帰宅が遅くなったので、家長たる父さんへの報告は翌朝となった。



俺とロベールは父さんの書斎で経過報告を行う。


・ロベール経由で軍部の情報

・俺経由で財界の情報

・父さんが独自の人脈で集めた政局情報。


この3つを統合した事により、ポールソン家は他家に比較してかなりの情報的アドバンテージを得る事となった。




「ロベール君

君は…

もう軍には戻るつもりはないのかね?」




「ええ、もう。


戻る場所も残ってないと思いますし。

それに、在宅とは言え軍法会議の判決を待つ身です。

それまでは、何とも。」




「…そうか。」




「当面は、事情聴取の合間を見てですが。

殉職した部下達の遺品返還に務めます。」




「わかった。

注力したまえ。


ポール。」




『はい。』




「ロベール君を守れ。

それも、オマエの嫌いな政治力を使ってだ。」




『…はい。』




「オマエの順番が回って来た。

ただそれだけの事だ。」




今までポールソン家では、父さんだけが政治力の行使を行っていた。

勿論、これからもジャック・ポールソンはその長い手を緩める事はないのだろうが…

俺がそこから目を背ける事はもう許されないのだ。

主義でも思想でも信条でもなく、年齢がそれを許さない。





==========================




母さんはヒステリックに俺を責めた。

俺が戻るまでは、もっと酷い狂乱具合だったらしい。

この人には対しては、本当に不孝だけを重ね続けてしまっている。



「例えそれが誉と知っていても…

我が子にだけは弓を取らせたくなかった。


一度でも、弓を取りたる者は…」



そう言って母さんは泣き崩れた。

この人は誰よりも戦士の末路を知っているから。

それがほんの短い期間であったとしても、戦場に出た俺の運命が殺伐とした方向に切り替わった事を本能的に悟ったのだ。


仮に2度と戦場に出なかったとしても、政争の場には足を踏み入れてしまった。

今はキーン派が攻勢にあるが、潮目が変われば今度は俺達が纏めて切腹に追い込まれるケースも重々あり得る。

俺は、そういうステージに登ってしまった。

もう引き返せない。




北部の駐屯地では将校同士の斬り合いが発生した。

30名以上の将兵が死んだ。

あれだけ強勢を誇ったパルマー会長の自決も報じられた。

実際は一族の者に詰め腹を切らされたらしい。

首長国のハニートラップ問題に関連して、とうとう政治局からも逮捕者が出た。




俺や国家が、あの明るい日常を取り戻せる日が来るのだろうか?

何年掛かる? 何十年掛かる?

命を懸けて国境を踏み越えてきた異邦人達が、再びこの街を楽土と見紛う日は来るのだろうか?




「世の母はみな、我が子にはただ優しくだけあって欲しいと願っているのです。

でも!

事もあろうか、貴方は正しさのみを追い求めてしまう。


幼き日から、母が何度道を正そうとしても…

それでも貴方は理非にしか興味を持ってくれない。

人の親が最も望まない道ッ!


…何の因果なのでしょうか。

本当に酷い子です。」




俺が抱き締めようとしても、母さんは涙ながらに拒絶する。

仕方ない。

何しろ相手は親だ、例え政治がわからずとも俺の心底などは全て見透かしているのだろう。



家族と国家なら国家を優先する。

国家と世界なら世界を優先する。

世界と正義なら正義を優先する。



他の男達が本音ではそう思っているように、俺もきっとそうだ。

俺はそれでも家族を優先して護れるほど強くない。

誰よりも弱い男だから、これからも正義に逃げ続けることだろう。

そして母より先に死ぬ。




==========================




妹のポーラと2人きりで会う事だけは避けたいと願ったのだが、それでもロベールは詫びながら席を外した。


ロベールを連れ戻す事には成功した。

俺が死ぬ事には失敗した。

ただそれだけの話とは言え、ポーラと顔を合わすのは心苦しい。




「夫の代わりに死ねばワタクシが喜ぶとでも思いましたか?」




『…オマエを寡婦にしたくなかった。』




「…兄さんが、ただ側に居てくれればいいのです。

それだけが幸せなのです。」




『俺は…  ポーラが笑ってくれれば嬉しい。

ただオマエの笑顔を取り戻したかっただけだ。』




「…奇遇ですね。」




ポーラが俺の胸に手を掛けて、きっと激しく爪でも立てたのだろう。

後から見た時にシャツが赤く汚れていた。




「可哀想な人。」




妹はハッキリとそう言った。


しばらく時間が経ってから。




『…俺より不幸な人間の方が多いよ。』




そう答えると、妹の瞳に浮かぶ憐憫は更に大きくなった。

どうやら俺はまた答えを間違えたらしい。





==========================





最初、気丈に振舞っていてくれたマーサは、5分ほど平静を保った後。

不意に泣き崩れた。



何度も俺に何かを訴えようとして…

その度に言葉にならず、嗚咽し、床に崩れ落ちた。



一度だけ、彼女の頬を抱こうとするが、強い意志で拒絶された。

マーサ、俺の故郷。

帰還する資格はきっと無かったのだろう。

それでも、最後に貴女に一目会えた。




見かねたロベールがマーサを肩を支えて部屋に帰した。




『すまない。』




「子供が母親を助けるのは自然なことですよ。


兄さん。」




『何から何まで…』




「…取り戻しましょう。」




強い男だ。

この状況で、確かにそう言った。


俺を死なせない、ただその一心で己の死を放棄した。

俺が君から死を奪ってしまった。

すまない。

弟よ。




==========================




ジャン・ロベール・ポールソンは、生ける部下達を政治的に保護すると同時に、死せる部下達の遺族に向き合わなくてはならない。

代理人に任せる事も可能だが、彼はその道を選べなかった。


見殺しにした者。

自分を庇って死んだ者。

指揮が原因で死んだ者。

何より、敵前逃亡などの罪状で彼が直接斬った兵士の遺族の元にも向かう。






それに比べれば、俺に憂う資格などない。




『…法律の穴とは言え。

オマエ程の名馬が俺なんかの乗騎に成り下がってしまうとはな。』




合同厩舎を訪れた俺は、ただ嘆息する。


アネクドート。


誇り高き帝国騎士の忘れ形見。

そして、我が友を最後まで護ってくれた。

そう、最後の最後で俺が殺してしまうまでは、彼がギリアムを護り続けてくれたのだ。



他に道は無かったのだろうか?

俺にもっと力があれば彼は死なずに済んだのではないだろうか?

どうしてあの時…



…それでも俺は義務を果たさなくてはならない。

あの男ならきっとそうした筈だから。




==========================




「…男の人の義は女にとっての不義。

なのに女の理を男の人は罪と呼びます。」




ギリアム・ギアの死を俺が告げる間。

彼女はずっと無言だったが、途中虚ろな目でそう呟いた。

遂にこの女は全ての血縁を失った。





「…兄は、ずっと貴方の話ばかりしておりました。」




『…。』




「口を開けばポールポールと。

それこそ聞き飽きるほどに。


…ポールポール、ポールポール。

私には興味も持ってくれなかった癖に!!」




『…俺の前でも。

彼は妹さんの話ばかりをしておりました。』




「嘘よッ!」




…そう、半分は嘘だ。

旅の最後、君の話題なんて一切出なかった。

忘れていた訳じゃない。

俺が君の兄さんのたった一つの願いを叶えると、もう決めていたから。

言葉には出さなかったが、それが彼には伝わっていたから。




「貴方をお慕いしておりました。

例え身分違いであっても、身の程を越えた想いでも。

お慕いする気持ちを抑えられませんでした。」




妹さんは俺が渡した形見の短刀を、鞘のまま力強く俺の身体に押し当てた。




「…ポール・ポールソン。


それでも、私は貴方を絶対に許すことが出来ません。」




奇遇だな。

俺も絶対に許せない。





==========================




去り際。



俺が贈ろうとした弔慰金も、返そうとしたギリアムの装束すらも受け取りを拒絶される。

そして互いに言うべき事を言う。




『父の許可を取ってここに来ております。

貴方を妻として迎えたい。

無論、正室として。』




「貴方は兄の仇。

森人の掟に従い、必ず決着を付けます。

無論、血と剣を以て。」




最後に妹さんは鞍上の俺にギリアムから託されていた手紙を押し付けて来る。

普段はそんな遺言めいた事を絶対にしない男だったらしい。




「去りなさい!

私の気が変わらないうちに!」




無理に殺意を装った目の妹さんが手元の弓で大地を突いた。

不器用な女だ。




==========================




アネクドートに跨り帰路を飛ぶ。

雨の止む音がして、初めて自分が小雨の中を走っていた事に気づいた。

地方州の暗い山森が、縋るように祈るように、どこまでも俺を見つめ続けていた。






信じていた。

義弟を救えば妹の笑顔を取り戻せると。


愚かにも。

義弟を殺してその妹の笑顔を奪った。

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