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【清掃日誌39】 落陽

停戦協定失効まで残り6日。

最も恐れていた事態が発生してしまう。


帝国側が表敬訪問してきたのである。

無論、アポ無しである。

それも何の前触れもなく将校が一騎駆けして来たのだ。

制止する間もなく、逆茂木を飛び越え塹壕の縁に馬を停めた。

手に剣はなく、口元には爽やかな笑みが浮かんでいた。



これが協定破りの奇襲であれば、単に迎撃すれば良いだけである。

だが、交友を前面に出されてしまうと、拒絶が難しい。


確かに帝国は我が国のキャラバンを拿捕し続けているし、越境攻撃も行い、先日などは我が国施設への襲撃虐殺を敢行して来た。

(改めて文字に起こすと本当に酷い奴らである。)


しかしながら、互いに宣戦布告は行っていないし国交そのものは断絶していない。

それどころか、帝国は我が祖国自由都市に期待を掛けているフシさえ見られる。


彼らが超大国であることも相まって、中々無下に出来ないのだ。




「やあやあ、どもどもー!

忙しい所、すみませ~ん!」




帝国男性は良くも悪くも裏表がない。

判で押したように、陽気で明朗な者ばかりである。


但し、嘘を吐いたり約束を破ったり金品を強奪したり弱者を一方的に虐殺する行為も、極めて陽気で明朗に行う。

なので、一瞬たりとも気が抜けない。

文明人たる我々は停戦協定中に相手に危害を加える事が出来ないが、彼らはノリで騙し討ちを行うのだ。




よって、今回のような場面では、我々が一方的に緊張を強いられる。



「どうも~♪

スミルノフと申します。

いつも父がお世話になっておりまーす♪」



もしも彼の言う父が、翠玉グラード81万石を領有するスミルノフ侯爵を指しているのであれば、世話などでは済まない。

何せ侯爵は今回の首長国越境攻撃の首魁の1人だからである。


そして侯爵の息子なのだとすれば、この青年は帝国屈指の荒武者として名高いイワン·スミルノフ准将に違いない。


彼の率いる有翼重騎兵団は無類の強さを誇り、特に近年ではグリンヒル合戦において王国の第七軍を真正面から粉砕した事で武名を大いに高らしめた。


今回の紛争でも獅子奮迅の働きを見せており、首長国を最も苦しめている武将の1人である。




「いやー、貴国の司令官。

最近交代しました?

いきなり動きが良くなったんで、驚きましたよー。


あ、これお土産のモッツァレラチーズです。

日持ちしないんで、早めに食べて下さいねー。」




要はこちらのトップの顔を見せろと言うことである。

出さざるを得ない。

だってそうだろう?

帝国と我が国は実質的には戦争中だが、建前上は正常な国交を持つ隣国同士である。

その大諸侯の息子が遊びに来てしまった以上、接待せざるを得ない。



あまり好ましくない流れである。

准将は生まれの良さもあり大舞台になれているが、司令官はそうではない。

本当は誰よりも純良で朴訥な男なのだ。

腹芸は期待出来ない。




「どうもー。

貴方が新しい司令官殿ですね?


あ、わかります!

戦時昇進された方に漂う特有の有能感ありますよね。

ウチもねー、乱戦で繰り上がって来た連中はねー。

士官学校出てない奴でも妙な凄みがあるんですよー。


いやー、小官は貴方のこと好きだなー。」




准将は軽口を叩きながら、自らを包囲する兵卒たちに人懐っこい笑顔で手を振った。

何が恐ろしいかと言えば、戦場を地平まで見渡しても帝国軍の姿が全く見当たらない点である。

この男は文字通り単騎でやって来たのだ。

俺はただその胆力に戦慄する。




「レンヌ中佐と申します。

当部隊の司令官職を務めております。

高名なスミルノフ准将閣下にお目に掛かれて光栄であります。」




そりゃあ嫌でも高名になるよなあ。

新聞にちょくちょく名前載ってるもの。

我が国の軍民を数多殺した敵将として。




馴れ馴れしい准将に対して、司令官は厳格に敬礼する。

表情はいつもと変わらない。




「あーどもども。

小官のことは気軽にイワンって呼んで下さい。

戦争が終わったら今度メシでも行きましょう。


あ、もし帝都に来るようなことがあれば教えて下さい

可愛い子揃ってる店があるんですよー♪」




おどけた表情で冗談を飛ばしているからこそ逆に思い知らされる。

この男…  猛者だ。

それも別格の猛者。

少なくとも、俺が見て来た軍人の中で いや男の中で…

これほどの風格を持った者は1人も居ない。



飛び抜けた長身。

その高さを感じさせない程に広い肩幅と分厚い胸板。

口元の微笑から漂う余裕。

そして猛禽のように鮮烈に輝く瞳。


まさしく少年の日の俺が想い焦がれた理想の騎士そのものである。





「贈答用のワイン何本か持ってきたんですよー。

どぞどぞ。

兵隊の皆さんも飲んで下さいねー。

あ、そっちの人達は業者さんかな?


ふふっ当てて見せましょう♪


貴方は運搬業者さんですね。

あはは!

的中的中ww


そっちの貴方は…

洗濯系かな?


おーーー!!

またもや的中。

ふふふ、少しだけ石鹸の匂いがしたんですw


奥の貴方は…

担当がなくて色々雑用をやらされてるんじゃないですか?


あ、やっぱり。

ほうほう。

本当は炊事担当?

あーわかります。

コックさんっぽい雰囲気ですものね。」





准将は独りで喋りながら、無造作に脇差を地面に捨てた。

これで全くの丸腰である。




「あの、自由都市の皆様のお口に合うかは分からないのですが…

小官の領地で作らせているワインです。


どぞどぞ。

最近帰ってないんですけど、多分居城にいっぱい余ってると思いますんで。


本当に大丈夫ですよ!

クイッとクイっといっちゃって下さい。」




准将が無造作に馬鞄から取り出したのは…


《ミロトヴァリェーツの57年物》


言わずと知れた超ビンテージワインである。

俺ですら名を知っている。

市販はされていない筈だ。

飲みたければ大富豪のワインマニアに気に入られるか、オークションで競り落とすしかない幻のワイン。

1瓶200万ウェンは確実に越えるであろう。




「レンヌ司令官!

是非、御同席させて頂けませんか!」




断れる訳がない。

向こうは名門大諸侯の息子にして将官。

司令官氏は一介の佐官に過ぎないなのだから。




『准将閣下。

不肖の身ではありますが御相伴に預からせて頂きます。』




「あ、塹壕の中に案内して下さるんですか!?


あ~、いやいや。

なんか、軍事機密とかあったら隠しちゃって下さいね。


目隠しとかして頂いてOKですんで♪」




准将は朗らかにウインクをすると、目を閉じて塹壕を歩く。

子供の様に無邪気に司令官氏の手を握って、トテトテと応接室に連れられて行く姿には茶目っ気が溢れていた。

もしもこれがこちらの敵意を挫く作戦なら完全に成功していると太鼓判を押しても良い。




「隊員各位へ通達する。 

そして業者各位へ通達します。


自由都市として、至尊の賓客をお招きする事が出来た。

これは望外の幸運である。


少しでもその感謝を賓客に示したい。

職業給仕の経験のある者、挙手せよ。」




当たり前だが、誰も手を挙げない。

士官学校を卒業して軍隊に入った者にウェイター経験などある筈がないのだ。

民間業者も無言で下を向いている。

当たり前だよな。

例えウェイター経験があったとしても、いや経験があれば尚更、この究極状況のテーブルに着きたいと思う筈がない。


遊びとは言えバーテン経験が多少はある俺が挙手したので、両指揮官の給仕は俺が担当する事になった。

慣例として給仕以外はこの場面での同席を許されないので、部屋にはランヌ中佐・スミルノフ准将・俺の3人だけが残される。






「あーどもどもどもども。

改めてすみませーーーーん。


急に来ちゃって、怒ってます?

あははは


大丈夫大丈夫、後日ちゃんと親父にボコられますんで。

皆様の迷惑分はちゃんと親父の鉄拳が埋め合わせてくれますから

あはははは!」





ひとしきり笑った後、准将は組んでいた長い脚をほどいて申し訳程度に膝を揃えた。




「えっと。

小官、こういう話に疎いのですが。

和平交渉の窓口って、貴方にお任せして宜しいのでしょうか?」




そういって准将は中佐を遠慮がちに覗き込む。




『まずは准将閣下の御提案に深く感謝致します。

個人的にとても嬉しく思いますし、他の多くの市民も同様でしょう。』




「おお、良かった良かった。

そのお言葉を賜れただけでも、良い夢が見れそうです。

頑張って今夜まで生き延びなきゃ♪

あはははは!」





そんな雰囲気のまま、准将は話を続ける。




・そもそも帝国に自由都市との交戦意思がない。

・不幸にして局所的戦闘が発生したが、本意では無かったと信じて欲しい。

・財政難の帝国は、自由都市国債市場に復帰できなければ近く破綻する。

・首長国との戦闘に関しても、旧領奪還のみが目的であり、戦線の拡大は望んでいない。

・今後、不幸にして戦闘が再開されてしまった場合、こちらも迂回するので中立を守って欲しい。




彼の言い分は、従来の帝国の主張と大して変わらない。

もしも帝国が破約の常習犯でなければ、十二分に魅力的な内容である。

ただ我が国は彼らの稚拙な嘘を聞き飽きている。

忌憚なく述べさせて欲しい。

君達に対し、俺達はもう疲れたのだ。

もはや嫌悪や憎悪といった境地はとっくに通り過ぎている。

ただ、帝国の相手は疲れ果てた。

それだけの話である。




「猜疑の気持ちはわかります。」




しばらくの沈黙の後、准将がポツリと呟いた。




「そもそも小官の父がああいう男ですから。」




彼が言う《ああいう男》がどういう男を指すのかは分からないが、ニュアンスは伝わる。




「どんな条約を結んだ所で

我が国は必ずこれを破るでしょう。

例え国家方針として遵守を定めた所で、誰かが破約します。


その誰かが軍を起こせば、幾つかの諸侯や師団が追従して…

独断で始まった軍事衝突はすぐに多国間戦争に発展します。


今まさしく現状がそうであるように。」




こちらの反論が先回りされてしまったので、ランヌ中佐は聞き役を続ける。

表情で続きを促した。




「残念ながら今日は何か貴国にとって魅力的な提案があって参った訳ではないのです。

本当に申し訳御座いません。


ただ、誰かが相談に乗って下さると一縷の望みを懸けて参りました。

小官は一介の武人に過ぎず、家の当主ですらありません。


ですが、申し上げた意見… すなわち和平論ですね。

和平論は断じて少数派ではありません。」




『准将。

貴重な御意見に感謝します。

我が国としても非常にありがたいお申し出ですので

早速本国に報告する事を約束致します。』




直訳すれば《帰れ》という事である。

これは軍隊語の初級翻訳レベル。




「抽象論では却ってランヌ司令にご迷惑を掛けてしまいます。

なので、ここからが本題。


こちらをお納めください。」




准将氏は恭しく名簿のようなものをテーブルに広げる。

いや、それはまさしく名簿そのものであった。

帝国宮廷内の派閥分け、誰が主戦派で誰が和平派か…

無造作に書き殴ってある。





「あ、ペンを失礼して宜しいですか?


給仕さんありがとうございます。

ほう、新品にも関わらず使い込まれてますなー。

貴方きっと教養があるんでしょうなー。


あー!

スミマセンスミマセン!

別に詮索するつもりはないので。


ちょと署名だけしますねー。


《本名簿を小官が制作した事を認める

帝国准将 イワン・スミルノフ》


っと。

流石に無記名の書類をお渡しするのは非礼でしょうから。」





准将はそう言い終わると、家門が縫い付けられた肩章を無造作に引きちぎって書類の横に据えた。

そして静かに立ち上がり。




「申し訳ございません。」




と丁寧に頭を下げた。





「他に私から供出できるものが思い浮かばず。

お恥ずかしい限りですが、これで精一杯です。」





「…畏まりました。

責任を持って上官に提出し…


それが有耶無耶にならないように取り計らいます。」




ランヌ中佐の置かれた立場を思えば、それが精一杯であろう。

いや、明らかに分を越えている。





「准将閣下は…

我が国及び首長国との和平をお望みであると解釈して宜しいのでしょうか?」




「個人的には…

王国との戦争も無駄であると理解しております。」




「!?


王国ともですか?」




「小官は経済に全く疎いのですが

それでも戦争コストが親の時代の10倍以上に跳ね上がっている事は理解しております。」





…部署によっては100倍を越えているのですよ、閣下。





「王国側も似たようなものです。

王国に債権を持っている教団の皆様はあまり分かっておられないようですが…

教育を受けた騎士階級…  それも王国の若手の皆様は

我々に近い想いを持っているように感じます。


ほら、停戦時って将校同士で飲みに行くじゃないですか。

今の私とランヌ司令のように。」




数秒の沈黙があってから、准将は不意に振り向き俺に笑い掛けた。

そして何事も無かったようにテーブルの名簿に目線を戻す。





「勘づいておられると思いますが

停戦は拡大派の時間稼ぎです。

神聖教団がバックに付いているんですよ。

彼ら王国に出資し過ぎちゃっているから、我々の矛先を王国以外に向けたいんですよ。

わかるでしょ?」




「!?」




「現在、帝都から我が軍の最新兵器が輸送されております。

拡大派はそれを待っております。」




「閣下!  准将閣下!

それ以上はお立場を損ねます!」




「ははは、ランヌ司令は優しい方だ。

さぞかし苦労が多いことでしょう。」




「…。」




「身勝手なお願いなのですが

何とか終戦への道筋を共に付けて頂けませんでしょうか?


可能であれば、祖国の名誉が守られる形であれば望ましいです。

…それが贅沢である事も重々承知しております。」




「…私は世事に疎い人間ですが。

祖国の大半の人間が戦争を望んでいない事くらいは知っております。


それも、ただ自国一国の平和のみを望んでいる訳ではありません。

世界で行われている数多の不毛な行為に心を痛めているのです。」




「戦争は無くなりませんが…

その数は大いに減ります。」




「?

と仰りますと?」




「値上がりし過ぎました。

今や贅沢品です。

そのうち、首長国王や神聖教団のような超巨大資本のみが戦争を寡占するようになるでしょう。」




見てきたように言う。

いや、事実彼は見てきたのだ。




「かつて、開戦権は王や諸侯の独占品でした。

古い人間は現在でもそうであると信じて疑いません。

小官の父がそうであるように。」




「…准将閣下は

既に諸侯の皆様が開戦権を持たないとお考えなのですか?」




「現状は、資本家がそれを保有しております。

その事実は、世代交代と共に周知されることでしょう。


じきに資本家が和戦の是非を定める時代が到来するでしょう。

10年後か、5年後か、いや来年あたりには資本家が全てを掌握しているかも知れない。」




「全てですか?」




「全てですよ。

この天下全てが、いや天上すらも

資本家が支配するようになります。」




「…。」




「帝国貴族の若手の間では常識になりつつありますよ。

流石にそれぞれの親の前では、この話題は避けますが。


少なくとも資本を軽視する者はどこにもおりません。」




「率直に申し上げます。


帝国の皆様の間にそのような風潮が沸き起こっているとは意外でした。

己の勉強不足を恥じます。」





准将は天を仰ぎ、一瞬だけ自嘲の微笑を浮かべた。

そして真顔に戻りランヌ司令に向き直ると




「話を戻します。


現在、帝都から我が軍の最新兵器が輸送されております。

拡大派はそれを待っております。

遅くとも10日後には配備が完了するでしょう。」




「最新兵器… ですか。」




「騎士道上、戦術に関する秘密までは語れませんが

塹壕を突破する能力を保有しております。」




「塹壕を突破!?」




「首長国さんに伝えて頂いても結構ですよ。」




「いや!

そんな兵器の開発に成功されたのでしたら…

何も閣下が和平の道を探らなくとも…」




「ランヌ司令も既に御存じでしょう?

この資本の時代では、戦術的勝利の価値が著しく低下している事に。

いや勝利も値上がりし過ぎてしまっただけなのかも知れませんね。


何より、勝利の維持費が値上がりし続けてしまった。

仮に塹壕を2つ3つ突破した所で、現在の我が国には奪った土地を維持する余力がありません。


新兵器を開発した連中はそこら辺が分かっていないのでしょう。

坊主共に何を吹き込まれたのかは知りませんが

塹壕を跨いだ先に栄光や繁栄があると信じ込んでいる。

愚かなことです。


そういった道理を父には説いているのですが…

芳しくなく。」




准将は瞑目し

「かつて財産とされた多くのものが現在では負債となり下がりました。」

と呟いた。




「勇気…  

この10年で最もその価値を下落させ…

今ではすっかりマイナス価格になってしまったものの名です。


笑って下さい。

そんな負債だけを抱えた男が貴方の眼前に居るのです。」





会談は終わった。

准将は音もなく立ち上がると、来た時の快活な笑顔を取り戻し、何事も無かったように応接室を出た。

そして全ての将兵を優しく見据えて語り掛ける。




「ワイン、本当に皆様で召し上がって下さい。

いつか、領内で獲れる七面鳥と一緒にお出し出来る日がくればいいですね。


…小官は自由都市の皆さんの酒にも興味があります。

立場上、レンヌ司令は動きにくいかも知れませんが

それでも是非どなたか、休戦期間中に遊びに来て下さい。」




この男は本気だ。




「…死力を尽くします。


武勇の誉れ高きスミルノフ准将閣下に温かい御言葉を賜れたこと

末代までの栄誉と致します。」




《武勇》という単語を聞いて准将は苦笑する。





「咲く花は 日をも霞ませ 誇れども

暮れて過ぎれば もとのかわらけ」





馬上、朗々と吟じると風の様に去って行った。





=========================





さて、実務に戻る。


まず要人の来訪があった旨、首長国側に伝達しなければならない。

次に帝国側に返礼せねばならない。

怠ることは両国への敵対行為と同義。




程なくして、首長国側の連絡将校が飛び込んで来る。

見るからに神経質そうな男だ。

或いはこの長丁場で神経症を患っているのかも知れなかった。



連絡将校はヒステリックに怒鳴り散らしてから、数秒かけて我に返り、真摯に己の失態を謝罪した。

わかるよ。

貴方はよくやってるよ。




「…会談内容についてですが。」




「ええ、全てお答えします。

必要であれば、貴軍の基地へ出頭も致します。」




「いえいえ!

出頭だとか、そんな…」




内容が内容であるだけに、再度応接室での密談となる。

事態の目撃者、ということで引き続き俺も立ち会わされる。





連絡将校氏は慌ただしく目線を動かすと

「返礼使は… 派遣されるのですよね?」

と小声で尋ねる。



「国際慣例ですので。」




「…そう  ですよね。」




首長国の立場は痛いほど分かる。

自由都市と帝国が和平を進めることだけは許してはならないのだ。

せめて3国同時和平。

そこがギリギリの妥協点でありデッドライン。

建国以来薄氷を渡り続けている彼らはそれを熟知している。





一方、我が国。

将校の訪問を受けておいて返礼使を送らないという選択肢はあり得ない。

先程の会話で准将は「来訪は上官にも部下達にも伝えてある」と申告した。

帝国側は当然返礼使を待っているし、来なければ真正面から喧嘩を売られたと感じるだろう。



早急に対応を決定する必要が生じている。

まず、こちらも酒を贈らねばならない。

無論、相手の名誉を傷つけない形で。



《ミロトヴァリェーツの57年物》



繰り返すが、超ビンテージワインである。

恐らく、世界でも最高峰の逸品であろう。

ワインに疎い俺でも知っているのがその何よりの証拠である。



「200万、いや250万は確実ですぞ!」



レンヌ司令の幕僚達が真っ青な表情で呻く。

部隊の予算は申請制なのだ。

そんな高額な酒には予算が絶対に下りない。

政治が絡む場面では猶更である。




「こちらも相応の金額の酒を贈らねば

欠礼と取られます!」



「早急に本国に贈答品申請しなければ!」



「最低でも200万ウェンの市場価値がないと拙いのでは!」




幕僚達が涙を流さんばかりの勢いでレンヌ司令に畳みかける。

司令官はいつもの冷徹な表情を崩さないまま



「酒類の販売経験がある者、挙手せよ。」



と言った。




当然、挙手者は俺だけである。




「ポールソン清掃会社。

御意見を頂戴したい。」




レンヌ司令と俺がしばらく無言で見つめ合う。




「実家に…

相応しいものがあります。

今から使者を送れば停戦期間中に返礼する事が可能でしょう。」





幕僚達が異議を唱えようとするが、司令官に目線で制止されて黙った。

国境までの使者にはギリアム・ギアを指名。

その後はジミー・ブラウンにバトンタッチする。




=========================




酒の到着を待つ間、首長国側の伝令将校が何度も来訪し、我が国の姿勢が親帝国的と見える事を抗議し続けた。

彼らも殆ど睡眠を取っていないのだろう。

来訪した伝令将校は全員目の下に深刻な隈が刻み付けられていた。




「最新兵器とやらの詳細をどうして聞き出してくれなかったんだ!

本当は聞かされているのではないか!?


大体、帝国は次々に新兵器を投入して来るのに!

貴国は何度要請しても最新型を戦場に持って来て下さらない!

せめて技術供与くらいには応じるのが筋ではないか!!


これは悪質極まりない裏切り行為だ!」




そう叫んだ者すら居た。


みんな、限界なのだ。

戦場は政戦共に極限状態にある。

補給部隊の到着も慢性的に遅れている。

心身のプレッシャーに耐えかね自刃する者も珍しくない。


我が軍の塹壕でも2名が自ら命を絶った。

両名共若手の指導に当たるようなベテランであった。

誰も彼らを責めなかった。




=========================




停戦切れまで残り2日。

ギリアムが帰還した。


持ち帰った酒を見てその場に居た全員が激昂したが、それを制した司令官はギリアムに労いの言葉を掛け「叙勲を申請する」と付け加えた。




「ポールソン清掃会社。」




『はい、司令官閣下。』




「貴殿を返礼使に任命する。」




『…畏まりました。』




恐らく事前に言い含められていたのだろう。

幕僚達は忌々しく俺を睨み続けていた。



『あなた方のお怒りは尤もである。』



他に言うべき言葉も無かったので、そんなニュアンスの発言をしておいた。

すぐに繋いでいた馬に駆け上がったので、彼らの反応までは知らない。




=========================





独りでここまで長い距離を騎走したのは生まれて初めてかも知れない。

それが戦争地帯というのも、我ながら無茶な話である。


道中、どこまでも焼け落ちた廃屋が広がっていた。

その脇に無数の死体が無造作に転がされていた。

いずれも相当腐敗が進行していたが、遺骸の何割かが肌を不自然に剥き出しにしていたので、きっと女性のそれだったのだろう。



俺の使者旗を見つけてくれたのだろう。

帝国側の斥候兵が2騎駆けて来る。




「自由都市の方とお見受けする。

所属と階級を伺わせて頂きたい。」




『如何にも、自由都市同盟の平和維持軍から派遣されて参りました。

ポール・ポールソン、黒鍬者です。』




俺の名乗りを聞いた斥候氏が一瞬だけ怯むが、次の瞬間には何事も無かったかのように敬礼していた。




「失礼致しました!

自分は帝国南方方面軍第5師団第一騎兵大隊所属

セルゲイ・マレンコフ中尉であります。」




マレンコフ中尉ら斥候隊は自由都市側の返礼使を待ち続けていたらしい。

(言葉にこそ出さなかったが、首長国側が返礼使を密かに殺害する可能性を危惧していた気配があった。)

あまりに安堵した表情にこちらが申し訳なくなる程であった。


彼らに案内されて、更に30分程北上し

スミルノフ准将が統括する前線基地に到着する。

馬防柵の背後に申し訳程度に塹壕っぽい溝が掘られており、その後方には師団の軍用テントが広がっている。



案内されるままにテントの切れ目を曲がった瞬間。

広場。

その広場には儀礼用の正装を身に纏った騎士達が厳かに整列していた。




帝国有翼重騎兵団。

数多の戦場で伝説を築き上げてきた、最強の代名詞。

帝国が、いや人類が生み出した最高傑作。

幼き日の俺が乳母マーサにせがんだ騎士物語の英雄達が眼前に並んでいる。


その圧倒的に威容に思わず嘆息してしまう。

各々の乗騎にも美々しい装飾が施され、背後に翻る旗には(恐らくは参陣各家の)家門が大きく記されていた。

何より、隊列に並ぶ個々が物語の主人公として描かれてもおかしくないくらいに鮮烈なのだ。


百花繚乱。

そこにはただ男達の魂の輝きがあった。




どこからともなく重く明瞭な号令が聞こえ、騎士達が一斉に鐙を外して俺に敬礼した。

慌ててにわか仕込の答礼をするが、今日ほど真面目に典礼を学んで来なかった事を悔いた日はない。


そう。

礼儀作法は己の装飾の為に学ぶものではない。

自分が所属するコミュニティを、そしてそのコミュニティと対峙する者の尊厳を守るために学ばなくてはならないのだ。




最中央の一際大きな騎士。

言うまでもなくスミルノフ准将だったが、彼は軽やかに馬を降りると俺に駆け寄り、俺の下馬を見守ってくれた。


そして迎賓テントに招かれる。

恐らくは、皇帝陛下かそれに準ずる者を饗応する為の施設なのだろう。

チェルネンコ家の家門が各所に散りばめられており、入室した向かいの壁には帝国旗が掲揚されていた。

旗に向かって俺が帝国式の一礼をすると周囲から感嘆が漏れる。

かつて、アチェコフ流の遺臣達がエルデフリダをそうやって拝む場面を数えきれないほど見てきた。

無意識にそれを真似ただけの事である。




てっきり俺は旗を背にした准将閣下の下座に座るものと思っていたが、床几は旗を真横に平行に並べられていた。

あり得ない。

この場面、貴族で将官の彼は絶対に上座に座らなくてはならない。

平民の俺は… 

いや帝国の民法では賤民に該当する俺は本来貴人の出入りする天幕の内側に入る事すら許されない。

本来、テントの外で土下座の礼をしなければならないのだ。



それを今、准将はまるで正式な外交官に応対するが如く接している。





『この身は卑しき黒鍬者です。』




「貴国では職に貴賤が無いと聞いている。」




『あります。

本当はあるのに、ないフリをしているのです。』




別にジョークを飛ばしたつもりはなかったのだが准将は嬉しそうに身を揺すった。




「停戦中は無聊でね。

貴国の返礼使の話題で持ちきりだった。

経済大国で知られる自由都市の皆様は

どんな酒を嗜んでおられるのだろうとね。」




『…尊き閣下に謹んで献上致します。』




覚えたての作法なので上手く出来ているかはわからないが

俺は准将の前に跪き、帝国側が据えてくれた献台の上に持参した酒瓶を並べた。



当然、場がどよめく。

今まで彼らが必死に取り繕って来た友好的な雰囲気は一瞬にして潰え、テント中から殺気が漂う。


彼らはよく堪えている。

本来、ここに居るのはレンヌ司令でなくてはならないのだ。

首長国への外交上配慮から司令本人が来れないとしても、しかるべき身分・階級の者を寄越さなくてはならない。

それがである。

よりにもよって、使者は無位無官どころか彼らが最も差別する《黒鍬》であった、。



更には、世界最高峰のビンテージワインに対する自由都市側の返礼品は…



市販の瓶で自作された家庭用のドブロクであるのだ。

業務用ビネガーか何かの適当な空き瓶で発酵させたヨモギ酒。

中にはマムシも漬け込まれている。

(ちなみに家庭用であっても無許可の醸造行為は中央区では禁止されている。)



俺は半々くらいの確率で激昂した帝国兵に斬られることも想定して、この酒を持参した。

それくらいの深刻な非礼である事が分からない程馬鹿ではないし、それこそ宣戦布告と解釈されても文句は言えなかった。

だが、本当にこれしかなかったのだ。

このヨモギ酒でなくては、現在の世界の停滞は打開出来ない。

そう考えた。

何より、准将閣下であれば意図を汲み、更には帝国国内に伝えてくれると確信していた。




「趣きのある酒だね。

これは?」



准将が尋ねてくれた事により、帝国側は感情を堪えた。

周囲何カ所から荒い吐息が漏れる。




『我々の父、ジャック・ポールソンの漬けた酒です。

父は外でも食卓でも著名ブランドの酒しか嗜みません。


ただ、書斎の中では…

この自作のヨモギ酒を啜っております。


父が本当に機嫌が良い時。

我々兄弟を書斎に招いて、このヨモギ酒を振舞ってくれるのです。』




「続けて欲しい。

貴殿の御父上にも興味がある。」




『我々の父は卑賤の生まれです。

貧民窟で生まれ、かなり苦労して育ったそうです。

その母… 自分にとっては祖母でありますが

父が物心ついた時には既に病床にあったらしく、それを救わんと

野山でヨモギや時としてマムシを捕えて拾った瓶で薬酒を作ったそうです。

大抵の人々は医療用のポーションを購入するのですが、貧民はこうやって命を凌いでおります。


故に、薬酒…

それもヨモギ酒は貧困の象徴として嘲笑の対象となっております。

その薬効が確かな事は誰もが知っているにも関わらず。』




「ああ、確かに身体には良さそうだ。

皇帝陛下もさぞ喜ばれるだろう。」




今度は俺が驚かされる番である。

《皇帝が喜ぶ?》

どういう事だ?

今俺が由来を説明したばかりだろう?

こんな卑しい飲み物を陛下に献上するつもりなのか?

いや、まさか。




「この身は陛下の忠実な僕である。

そこまでのものを独り占めすることなど出来ようものか。」




『…恐れながら准将閣下。

自由都市の下町を探せば、多くの者が隠し持っている物です。

稀少ではありません。』




「稀少だよ。

友の御父上が漬けて下さったものが稀少でない訳がない。


少なくとも、資本の力によって管理製造された規格品などより遥かに尊い。」




『…。』




「喉が渇いた。

一献頂けぬか?」




『畏まりました、閣下。』




俺は准将の盃にヨモギ酒を注いだ。

浮かぶ不純物はきっとマムシの破片だろう。

准将は笑顔のままで俺の盃に注ぐ。




「君達の御父上に乾杯。」



『皇帝陛下に乾杯。』




作法に従い、一口で飲み干す。

薬酒なれど、この飲み方は身体に悪い。




「ははは。

本当にドブロクだなあ。」




『恐れ入ります。』




「これを持参すると決めた時。

随分反対されたのではないか?」




『帝国にも閣下に対しても非礼であると、皆様から叱責を賜りました。

司令の理解が無ければ持参は出来なかったでしょう。』




「ふふふ。

光景が目に浮かぶ。

他にはどんな酒の候補が上がったのか?」



『は。

幕僚の皆様は価格的にも《グローズニイ》か《パカリーテリ》の年代物でなくては

外交上のバランスが取れないと仰っていたのですが。』




「ふむ。

宮廷でも好まれるな。」




『税金で買ったワインにバランスも何もありません。』




「はははは!!!

貴殿、ははは!!

さぞかし不器用な御仁とお見受けした!」




『恥ずかしながら。』




「確かにな。

役人は中々理解してくれないのだが

経費で落とした贈り物ほど反応に困るものはない。」




『カネで友情は買えません。

それが税金であれば尚更です。』



「…。 

続けられよ。」




『当家は…

ポールソン家は…

今でこそ由緒正しき市民のような態度をとっておりますが


これは滑稽極まりない僭称です。

父も両親の素性すら知らないと申しておりました。


家業は清掃会社です。

屎尿処理場や養鶏場の清掃に携わることもあります。

父が会社を興す原資も、賭博や暴力などの違法行為で入手したと聞き及んでおります。

…当家は最下層の存在なのです。


そうです。

当家は帝国の皆様が最も嫌う、成り上がり者です。』




「…。」




『准将閣下を…

欺きたくなかったのです。

欺きたくなかった。


我々が。

我々兄弟がこのヨモギ酒の住民と知って頂いた上で

それでも閣下が受け入れて下さるのなら…


その日が、真に貴国が我が国を見つけて下さった日です。』




「…。」




『これが自由都市です。

生まれ育ちに関係なく、相応しい者が相応しい役職に割り当てられます。

貧民であれ困民であれ、才覚ある者を汲み上げようとするシステムそのものが我々なのです。


常に競争があり、常に選別が行われております。

富は世襲出来ても、権力の世襲は極めて困難で、身の程を越えた世襲の企みは激しく非難されます。


ある意味、こんな残酷な社会はありません。

それでも、我々兄弟は社会から受けた恩義に報いるためにここに立っております。』





「黒鍬仕事が貴殿に相応しいとは到底思えぬがな。

何より貴殿程の人物に何の役職も割り振られて居ない。

身なりを見ても、国家の支援なく奔走している事が手に取るように見える。


…ふむ、その反応は全てが自弁であるか。

奇特なことであるな。


感じる程の恩義を受けてはおるまい?」





『市場が…』




「?」




『市場が我が国では開かれております。

必要な分は勝手にそこで賄えます。

仮に恩がなかったとしても、それに相当する何かを獲得する為のインフラが存在します。』




「…。」




『そして、そのインフラは帝国にも開かれております。』




「…締め出されたと聞いているが?」




『そうでない証拠に、帝国国債の取り扱い停止期間には時限が設けられております。』




「…相違ない。」




『皇帝陛下が。』




その俺の言葉に、場が更に静まり返る。

卑賤が度々口にして良い筈がないのだ。

各所から立ち上る怒気を見て再確認出来た。

幸いにも、この師団は完全な皇帝派である、と。




『皇帝陛下が首長国との調和を推進して下さるなら

我が国はその恩義に応えます。』




「御言葉は重畳なれど

貴殿にその権限があるとは思えないな。」




『応えるのは私ではありません。


マーケットが応えるのです!』




「!?」




『准将閣下が御指摘されたように

我が身は無位無官の卑賤であります。

出来る事と言えば、国債市場への案内程度が関の山でしょう。


それでも自由経済の恩恵を受けて育った者として

貴国の幼稚な思い違いを正す事は出来る!』




流石に俺の暴言に怒りの非難が上がる。

鯉口が切られる直前の気配すら感じた。

それでも、ここは指摘すべき場面なのだ。

彼ら自身の為にも。




『御存知か!

我が国はゴブリンにも市場を開く!


坊主共が蛇蝎の様に嫌っている魔界だ!

そこに巣食う異形の魔族にも我々は市場を開くぞ!


嘘だと思うのなら確かめてみよ

直に魔王が来る!

来年には国債勧誘演説を行っているだろう!


もし幸いにして彼の者が国債を売ったなら!

勇猛で気高い彼らの事である。

例え滅びようとも必ずや王国に一矢報い、青史に燦然と名を刻むであろう!』




「…。」




『マーケットに並んでいるものは債権にあらず!

信用である!

マーケットとは信用を精査する機能に他ならない!



貴国は自らその信用を毀損させ続けて来た!

知らぬとは言わせない!

数多の我が同胞が、諸君の稚拙な裏切り行為によって殺され続けてきた!



一方!

魔界の者はその振舞見事である!

皆が真剣に条約を順守し、我が国とのより良い関係を構築すべく奔走している。


そこに私心はあらず!

本国では身分ある者達が、祖国の為にあらゆる恥辱に耐えている。

娼婦に身をやつしてでもだ!!!



両国への待遇の違いは、ただ信用の有無である。

御存知の通り我が国は帝国系の人種が多く住んでいる。

我が妻も、盟友も、産みの母も純血の帝国人種である。


にも関わらず、自由都市は貴国ではなく異形異端と蔑まれ続けて来た異種族に市場を開いた。



どうかこの意味を考えて欲しい!

この場に居る者全てがだ!』




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准将の私室。

彼は従卒のみならず副官さえも退去させた。



「具体的には何をすれば良い?」



『閣下が持って来て下さった名簿。

それに応えるのは、これしかありません。』



「…書類?

これは?」



『不動産取引証書です。

我が国では不動産の譲渡・売買の記録を保管する義務がありますので。』



「…。」



『殿下の名簿に記載されていた、拡大派の皆様。

要は王国のみならず我が国や首長国との同時戦争を主張される皆様ですね。


この不動産取引の記録があれば恐らくは…』



「失脚させよと?」



『いえ、帝国の法律に疎いもので。』



「忌憚なく申せ。」



『皇帝陛下に具申致します。

勅命を蔑ろにし、徒に戦線を拡大する者を成敗して頂きたい。』




そう、世間一般のイメージ程、現在のアレクセイ皇帝は好戦的な人物ではない。

北方を転戦している為に、南方の首長国事情をあまりわかっていないのだ。

少なくとも俺とドナルド・キーンはそう分析した。


そしてここから先は俺の推理。

皇帝は孤立している。


考えてみればおかしな話なのだ。

帝国皇帝アレクセイは間違いなく当代最高の名将である。

いや歴史上の君主達と比較しても、確実にはベスト5に入る強王である事に間違いはない。

少なくとも参加した全ての合戦で大勝している。

それも寡兵を率いた上でのパーフェクトゲームが多い。


にも関わらず、皇帝個人への礼賛が極端に乏しい気がするのだ。

俺の住むソドムタウンには帝国の雑誌や広報誌が大量に流入しているのだが、そこには皇帝への称賛がまるで…

いや、はっきり言おう。

帝国皇帝アレクセイは自国民、それも貴族階級から強く嫌悪されている。

それが故に孤立しているのだ。


戦譜を読んでも不自然である。

指揮する兵力が幾らなんでも少なすぎる。

どれだけ記録を読んでも、彼が1万8000以上の兵士を本陣に置いた形跡が見当たらない。

王国と世界を二分するあの大帝国の国家元首が親征し続けているにも関わらずだ?


流通センターの帝国兵の些細な言動からも感じたことだが…

将兵達が皇帝をどこか軽んじ、疎んでいる。



だからこそ、皇帝個人に対してであれば…

首長国・自由都市からの和平打診は通る。

消去法的に通ってしまうのだ。




そして先程から准将閣下がヒントを出し続けてくれている皇帝陛下の為人。



  「ああ、確かに身体には良さそうだ。

  皇帝陛下もさぞ喜ばれるだろう。」




このパスを俺は受け取らなくてはならない。

賤民の俺が漬けた酒でも喜んでくれるような為人なのだ、陛下は。


フレンドリー、オープン、ユーモアを解する。

(或いはそれが行き過ぎて嫌われているのかも知れない。)

つまり、下々の意見にも耳を傾けてくれるタイプ。




『手に入る限りの不動産取引証書を持参して参りました。

いずれも帝国貴族の皆様です。

帝国貴族の皆様が我が国の不動産を購入して下さった証です。』




「…わかっているのか?

貴国は今、それこそマーケットに並ぶ信用を自ら捨てているのだぞ?」




『承知の上です。』




「我が国の軍法では

交戦国内の不動産購入には準逃亡罪が適用される。

切腹も許されない。

直系の男子が連座する形の斬首刑のみ。」




『…陛下や准将閣下にとってお味方とされる方の書類があれば処分して頂いても。』




「小官はそこまで器用ではないな。



!!

…左下に名があるウラジミール・コンドラチェンコ。

この者も貴国の不動産購入者か?」




『ええ。

4億ウェン相当の邸宅を購入されておられます。

受取人名義がドミトリ・コンドラチェンコ氏とありますので

この方が既にソドムタウンにお住まいと…

准将?』




「…小官が士官学校時代に随分世話になった先輩の名だ。

誰よりも強く誇り高く… 不正を憎む人であった。

騎士の鑑だった。

あんな人になりたいと、その背を追いかけ続けて来た。


ドミトリが生まれた時、小官は妻と共に涙を流して喜んだ。

先輩とは相婿同士でな、ドミトリのことも我が子同然に思っていた。

自領での療養と聞いていたのだがな…」




准将は力なくリストを机の上に放り出した。

「覚悟はしていたが、見知った名前がこうも並ぶと…

辛いな。」

そのまま数分、或いは数十分だったかも知れないが、准将は天を仰ぎ続けていた。




「これだけ材料が揃ってしまえばな。

嫌でも思った通りの結果が出るよ。

拡大派を全員逮捕することも可能だし、我々の同志を壊滅させる事も容易い。」




言い終わると准将は力なく項垂れ、強く目頭を押さえた。

…ドナルド・キーン。

どうやらアンタの勝ちで間違いないらしい。

残念ながら、時代のイニシアティブは誇り高き騎士から卑しい資本家に移ってしまった。




「戦争は… 

比較的早期に収まるだろう。


陛下自身も首長国との国交を回復させたがっているしな。」




『首長国第九王女 オーギュスティーヌ姫。』




「?」




『かの国との和平をお望みであればオーギュスティーヌ姫を頼られますように。

必ず道筋をつけて下さることでしょう。』




「…失礼。

首長国の学者姫の事を仰っておられるのか?

彼女はルイ陛下からの御不興を買っているとの噂だが。』




『逆ですね。

私はルイ陛下にお目に掛かった事はありませんが。

全球変化球を投げるタイプの御仁と分析します。

帝国にまで不興の噂が広がっているのであれば、寧ろそちらが本命でしょう。』




「わかった。

皇帝陛下にはそのまま具申する。」




『オーギュスティーヌ姫への褒賞としてですが。』




「うむ。

勿論手ぶらでは頼まぬ。」




『帝国男性の元に嫁がずに済むように取り計らって頂きたい。

彼女の姉妹も同様にです。』




准将閣下はクスリと笑って、「大体、理解した」と言った。




「通例であれば婚姻に繋がる文脈なのだがな。

余程嫌われているのだろう。


了解した。

男と男の約束だ。

学者姫とその姉妹が婚儀に迫られるぬ様に取り計らう。」





『お心遣いに深く感謝致します。』




…これで貸し借りはなしだ、後輩。





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退出、俺は全ての将兵の見送りを受ける。




「ポールソン殿。

貴国、並びに首長国への伝達をお願いする。」




『はい、准将閣下。』




「停戦協定終了の翌々日。

我ら帝国有翼重騎兵団は総攻撃を敢行する。」




『!?』




「見事凌いでみせよ。」




『…はい。』




「我が軍は自由都市陣地には攻撃を仕掛けない。

但し、貴国が我が軍に横槍を入れる事は貴国の自由。

どれだけ犠牲が出たとしても断じて恨みはしない。」



『…。』




「我々は物見に過ぎぬ!」




『は?』




「我々が戦場を去った後、士気旺盛な本隊が攻撃を開始する。

ああ随分士気旺盛だよ、()()()()()()()()()()()()()()

貴国らの軟弱な塹壕などは本隊の最新兵器の前に一蹴されることであろう。」





『…。』





「勝て。

勝って、盟約を結ぶに値する力を我らに見せつけてみよ!」





言い終わると、准将は元の柔らかい表情に戻りヨモギ酒の礼を述べた。

そして大きな腕で俺を強く抱擁する。



「貴殿にどうか武運あれ。」



信じてくれないのも無理はないが、閣下は確かにそう言ったのだ。




馬上、俺は返歌を詠む。

エチケットとして閣下にのみ吟じるつもりでいたが。

気がつけば全ての将兵に向けて叫んでいた。





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首長国側の取り調べ(彼らは茶会と呼んでいたが)には俺から応じた。

俺は一切の情報を出さなかったが、閣下に教わった総攻撃・及び彼らが本隊と呼ぶ勢力の来襲については出来得る限り答えた。



「もしも貴方の発言が罠であったらどうしますか!」



1人の尋問官(本人は最後まで饗応役と主張していたが)が絶叫する。




『仮に罠であっても、首長国は勝ちますよ。

地力が違いすぎますもの。

精々塹壕が3列ほど圧し潰される程度で済むでしょう。』




2列目の塹壕内でこの発言をしたのは、俺からのささやかな意趣返しだ。

嫌味が伝わったのか尋問官は憎々しげに唇を噛んだ。





全ての取り調べが終わって自陣に帰る際、尋問官が後ろから肩を掴んで来る。




「ねえ、ポールソンさん。

貴方、どっちの味方ですか!?」




祖国、と答えようとしてその資格を持たない事を思い出したので。




『俺は、家族を守りたいだけの俗物です。』




と答えた。

尋問官はしばらく血走った目で俺を睨みつけていたが、やがてゆっくりと手を離して言った。




「なんだ、結局貴方、私と同じじゃないですか。」




尋問官氏は寂しそうな目で立ち去る俺を見送り続けていた。

そう。

本音の部分では世界人類、みな友軍である。





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陣形鶴翼。

帝国有翼重騎兵団は地平線を目一杯使って横陣を敷いた。



一点の曇りなき晴天。

太陽は灼熱の様に戦場全てを公平に焼いている。



今日は約束の日。

来ない訳がない。

停戦や休戦協定を破り続ける彼らだが、攻撃宣言を履行しなかった事はただの一度もないのだから。



帝国の赤備え。

散々聞かされていたが、実際に布陣を目の当たりにすると、その絢爛豪華に心を奪われる。

もし今日が人生最後の日だったとしても、あんな美々しい連中の敵として死ねるのであれば男子の本懐ではないか。



遠目からでもハッキリわかる。

鎧の上から豹や竜の皮を纏った彼らの雄姿が。

特徴的なのは、彼らが背負う巨大な羽飾である。

《有翼》の名に違わず、まるで一騎一騎に翼が生えているようにすら見えた。


そして何より、コピアと呼ばれる超長槍。

全騎が天を衝くような超長槍を誇らしく掲げていた。





誰かが思わず漏らした感嘆の溜息が塹壕中に伝染する。

古参兵もこれは咎めない。

いいじゃないか、普段散々怯懦を戒められているのだから。

せめて憧憬くらいは許されなくてはならないのだ。




「アララララーイッ!!」




ハッキリとそう聞こえた。

あんなに距離があるのに、どうしてこんなに明瞭に聞こえるのかが理解出来ない。




「アララララーイッ!!」




最初に叫んだ者とは別の騎士が叫ぶ。




「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」




マニュアルも騎士物語も散々読んで知っている。

歴史の授業でも普通に習った。

それでも、俺達は戦慄し恐慌し、そして強く憧憬した。




「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」




気が付くと騎士達の突撃は始まっていた。

あまりの速度に遠近感が…  狂わされる。

流れ落ちる汗が太陽の所為なのか恐怖の所為なのかは分からない。




「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」




俺達の陣営に攻撃は仕掛けない。

准将はそう宣言した。

無論、直接その言葉聞いた俺が信じるのは俺の勝手なのだが…


司令官の命令は狙撃櫓の不使用。

そして放胆にも逆茂木を寝かせてしまった。

これは二重の意味での蛮勇である。

逆茂木が無ければ騎兵単独でも塹壕に攻撃出来るし、戦闘前に逆茂木を寝かせたとあれば軍法会議は確実である。




「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

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「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」





絶叫が大地を埋めた。

目視不可能な神速。

既に首長国の陣地は猛攻を受けている。

騎士達は馬術と槍術の妙技を尽くして超長槍を首長国の塹壕に突き刺していく。


時折、串刺しにされた首長国兵が高々と掲げられた。

首長国も必死に応戦はしている。

特に近年彼らが導入した連装床弩。

かなりの精度で騎士達を射落としている。

問題は帝国側の突破力が防衛射撃を完全に上回っている点なのだ。





「アララララーイッ!!」

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一槍一殺を徹底しているのだろうか。

塹壕の中の兵士を超長槍で射殺し終わった騎士は戦場を大きく半周し、即興で次の攻撃態勢を整える。


強いとは聞いていた。

知識では知り尽くしていたつもりだった。

実物はまるで別物だった。

あまりの精密さ力強さ狂暴さに、もはや現実感が湧いて来なかった。




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あまりの猛攻に圧倒され気付くのが大幅に遅れた。

彼らは何故歩兵を連れていない?

スミルノフ准将は有翼重騎兵団長である以前に第5師団の師団長である。

歩兵が随伴していなければ敵陣を制圧出来ないじゃないか。


騎兵が平地の敵を掃討し塹壕前までのイニシアチブを獲る。

その後、擲弾兵が炸裂弾(帝国は凍結弾なる凶悪な兵器も保有している)を投げ込み塹壕の防衛体制を破壊した後、歩兵がなだれ込んで制圧完了。


これが素人の俺でも知っている一連の流れである。

俺は慌てて戦場を見渡すが、どこにも歩兵が見当たらない。

理解不能。

何故だ? 何故随伴しない?




「アララララーイッ!!」

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首長国の狙撃櫓は既に全て押し倒されている。

仮に倒されていなかったとしても、あれだけの猛攻である。

死番の者は初撃で皆殺しにされたに違いない。


塹壕は、2列目、いや3列目までコピアで埋め尽くされている。

まるで地面から毛が生えているような様相だった。



ただ、それだけの猛攻があっても、防衛陣地全体を抜けるほどの勢いではなかった。

見れば騎士の死体も相当数が散乱している。

仮に歩兵を随伴していたとしても、この防衛線は抜けないだろう。


首長国側も馬鹿ではない。

防衛線が抜かれた場合のフォロー体制も素早く整えている。

百戦錬磨で知られる王弟テオドールが数日前に到着し、防衛設備の拡充を間に合わせたとのこと。

その所為もあり、首長国の士気は予想以上に高い。

文のベルトラン・武のテオドール、首長国王族は水準があまりに高過ぎる。




「アララララーイッ!!」

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「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」

「アララララーイッ!!」




全てのコピアを突き捨て終わったのだろうか。

遠方で再整列した馬影、今度は天に伸びてはいない。


中央の影が鞍の上に立ち上がった。

きっとスミルノフ准将閣下であろう。

何かを演説しているのだろうか?





=========================




数分後、馬影の3割程度が前方に進み出た。

残りの7割はその後方で厳粛に整列隊形を崩さない。




「アララララーイッ!!」




一騎が甲高い声で叫ぶと、単独で全力疾走して来る。

手にコピアはなく、短いサーベルを無造作に肩に担いでいるだけである。

卓絶した馬術で塹壕の脇を抜け、王弟テオドールの馬印目掛けて一直線に突撃する。

残り距離500の時点で突然、騎士の全身に矢が生える。

きっと連装床弩の集中射を受けたのだろう。

俺達が呆然とその騎士の遺骸を眺めていると





「アララララーイッ!!」





またもや一騎駆けである。

狙いは当然、テオドール殿下が指揮を執っている簡易要塞。


その騎士は騎走中に兜を脱ぎ捨てた。

白髪白髭。

恐らくは無数の戦場を疾駆して来たであろう老騎士だった。

老騎士は笑顔で何かを叫んでいる。

或いは歌でも歌っていたのであろうか。

当然、先程の騎士より少し進んだ所で死ぬ。





「アララララーイッ!!」





とうとう三騎目は何の武器も持たずに突撃してくる。

この騎士は首長国ではなく我が国の塹壕に近づき、馬速を落とすと爽やかな笑顔で何事かを語り掛けた。


いや、聞こえなくとも理解出来る。

彼は「ありがとう」と言ったのだ。



騎士は首長国の逆茂木に身体ごと突っ込んだ。

全身を杭に貫かれたまま、絶叫して逆茂木を揺らして倒そうとするが、数本の槍に刺されて、すぐに動きを止めた。




それが合図になったのか、前列に布陣していた騎士達が思い思いに突撃、いや全力騎走を敢行する。

多くの者が兜を脇に放り投げ先程の逆茂木に殺到して、自分達の肉体ごと圧し潰してしまった。


数百騎、そんな死の行列が続いた。

殆どの者が連装床弩の餌食になった。

死に損なった者は落ちているサーベルを拾って塹壕に飛び込んだ。

手足が折れた者は自決用の筒剣で自らのこめかみを撃ち抜いて死んだ。

自力で死ねない者は、近くを歩いている浅手の者に介錯を頼んでいた。

車座になって切腹しているグループもいた。




我が軍の陣地に流れ着く重傷者もいた。



「お頼み申ーす!

介錯を恵んでくれまいかー!」



零れ落ちる腸を支えもせず介錯を乞う者が居たので、塹壕から出たレンヌ司令が一礼してからサーベルで突き殺した。

その光景を見て10騎ほどが我が軍の陣地で介錯を乞うた。



レンヌ司令は全く表情を変えず、1人1人に労いの言葉を掛けて突き殺していく。

俺達はその異様な光景に、もはや言葉を発することすら出来なかった。




「ポールソン清掃会社!」




突然、レンヌ司令が俺を呼ぶ。




「ポールソン清掃会社!」




『は、はい!』




「こちらの御仁が貴殿の介錯を所望である!

隣国の誼により、願いを叶えて差し上げる様に!」





何とか駆け付けた俺にレンヌ司令は血のべったりと付いたサーベルを手渡して来る。





=========================





『ポール・ポールソン参上しました。』



「…へへっ

ヨモギ酒、旨かったぜ。」



『長寿の効能があると聞き及んでおります。』



「ははっ

そりゃあ効き目があった。

何せ、まだ生きてるんだからな。」



『…。』



「このザマだ。

介錯を頼む。」



俺を指名した騎士は歳の頃50代半ばくらいであろうか。

真っ白な髪と顔中を埋める刀傷から、歴戦の勇者である事が容易に見て取れた。


俺はサーベルを構えようとするが、どうしても力が入らない。

その様子を見て老騎士が笑う。



「人間くらいサクッと斬らんかww」




『…斬れません。


斬れません!!!!』




「変な奴だなww

何故アンタが泣く?」




『わかりません。

きっと貴方に死んで欲しくないんです。』




「なあ、俺はアンタの同胞を数えきれない程殺してきたよ。

老人も赤子も飽きる程殺し続けて来た。

女は犯してから殺した。

仲間と競争したこともあるぜ?

どっちが多く赤ん坊を殺せるかってな。」




『…。』




「斬り易くなったか?」




『例え、今の言葉が真実であったとしても。

俺は貴方に死んで欲しくないんです。』




「最近の若造はそんなのばっかりだな。

お行儀が良くて、優しくて、糞真面目で…


きっとそういう時代になっちまったんだろうな。

あーヤダヤダ。

歳を取り過ぎたよ。

もう俺の居場所なんてどこにも残ってないんだ。」




『申し訳ありません。』




「馬鹿w

アンタが謝ってどうする。」




『あの、貴方


御家族はおられますか?』




「あん?

リベンジ?」




『いえ。

ご遺族の方が不自由しないようにと。』




「はははは

アンタ、狂ってるよww


じゃあ、教えてやんねーw」




老騎士は楽し気に笑ってから目を閉じた。




「アンタの返歌。

皆も喜んでたぜ。」




何か掛けるべき言葉を必死に探したが、気が付くと老騎士は事切れていた。

見守ってくれていたレンヌ司令に詫びる。




「貴殿が気に病む必要はない。


…私はこんなに安らかな表情で死ぬ者を初めて見た。

きっとこの者は死後の幸福に恵まれるに違いない。」





その後の4名はいずれも俺を介錯人に指名した。

何とか願いを叶えてやりたかったが、涙がとどめなく溢れ

遂に刃を突き立てることが出来なかった。

騎士達は相当な痛苦に見舞われていた筈だったが一様に笑って死んでいった。





「アララララーイッ!!」





一際大きな声が全戦場に響き渡る。

それが誰か?

問う必要など微塵もない。




准将イワン・スミルノフ。

単騎にして無手。

あり得ない速度で連装床弩の射程に入り、神の如く馬術で全弾を回避した。

首長国の陣営からも称賛の溜息が漏れる。




准将は戦友の遺骸一つ一つに優しく語り掛けながら悠々と戦場を闊歩する。

そしてテオドール殿下の馬印に一度だけ大きく手を振った。

更には我が軍の塹壕の裏側に回り、大音声で礼を述べる。



最後に准将は大きく助走を取ると全力疾走し、我が軍の塹壕を跳び越えた。

俺達の頭上を真紅の翼が翔んだ時間はほんの数秒間に違いなかったが、焼き付くその奇跡は永遠にも思えた。





=========================




気が付けば日は沈みかけていた。

あれほど暑かったのに、今は肌寒くすら感じる。



赤い太陽が西に大きく浮かんでいた。

あまりに落陽が巨大だったので、その中に映る誇り高き騎士の影はとても小さく見えた。

影は馬上で丁寧に敬礼をすると、身を翻して地平の果てに去って行った。



気が付けば俺達は。

首長国の連絡将校や傷痍兵も含めた全員が塹壕の縁に上がり、横一列に整列して気高き勇者達を見送っていた。

恐らくそんな号令は無かった筈だが、全ての者がいつまでも敬礼の姿勢を取っていた。




この日、騎士の時代が終わった。

我々人類は、また一つ人間であることを失ったのだ。




  弓張らじ よになりぬれど 君の名を

  千代に留めよ 宵の三日月

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