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本編・北海道上陸からの第2話です。
旅は、更に北を目指して進んでいきます。
訳あり旅人・真山敏と、謎の旅人・白崎華菜。2人の心は少しずつ動いていきます。
「お聞きしたいんですけど、あなたはこの旅で、どんな自分をお探しですか?」
夜の街、中洲。そこで出会った男性は、悩める真山の心の奥に、すんなりと入り込んできた。
「どんな? いえ、それがわからないから自分探しなんですけど…」
「いや、最終的にご自身がどうありたいかっていう、イメージみたいなもの。そういうのって、持っていないですか?」
「え、えっと…」
「いいですか? 漠然としていていいから、どんな自分でありたいかを想像するんですよ。どんな仕事をしたいとかではなくて、未来にはご自身がどういう人でありたいかをね。で、そうなるために、これから何をどうしていけばいいのかを探すんですよ。それが本当の意味での自分探しじゃないかって、私は思うんですよ。」
「はぁ…」
「くどいようですけど、ただ見失った自分をお探しでしたら、あなたはここに居ます。変わりたい、新しい自分になりたいと仰るなら、無理のない程度に目標を掲げてみて、そこに繋がる道を探して進むんです。見失ったものは“自分”ではないんですよ。」
…自分ではない?
「描かせてもらってもいいですか?」
そう言うと、彼はスケッチブックにスラスラと鉛筆を走らせた。それを見て真山は、更に戸惑った。
「俺、こんなに笑ってます?」
「いいえ。これは近い将来のあなたですよ。この旅が終わる時、きっとこんな顔をしてると思いますよ。」
この時感じた不思議なまでのモヤモヤ感。真山はただそれを抱いて、今、この似顔絵の様な笑顔の自分を探している。
…この旅は観光やレジャーとは違う。
朝、函館で買ったシュラフを体に巻き付け、「今日は何処へ行くの?」とニッコリ笑う華菜に対し、その事だけは伝えておきたいと思った。
「やっぱり今日も付いて来るんだね?」
「だってぇ、せっかく呼び名も付けてくれたしぃ。え? お邪魔?」
「いや、だるまもこの旅でやりたい事あるんじゃねえのかな?って思ってさ。俺なんかと一緒に居たって、観光らしい観光もしないし、楽しめてんのかなぁ?って。それだけ。」
「うん! 楽しいよ!」
華菜はそう言って、また笑った。
「じゃ、リクエストしてもいい? 宗谷岬だっけ、最北端。」
「いいよ。でも遠いよ。大丈夫? いつまで旅するの?」
「決めてないから、いつまででも! きゃはっ!」
真山は今日も、華菜を連れて走り出した。
街に居る間にキャンプ道具を買いたいと言うので、札幌のアウトドアショップに立ち寄る。
「このランタン、可愛い!」
「ああ、良いよね。パラフィンオイルってのを燃料に使うんだよ。」
「難しい?」
「いや、簡単さ。」
「あ! 焚き火する? ほらこれ、こんなに小さくなるの!」
キャンプ道具など初めて見る。思わずハイテンションになった華菜は、ランタンとシングルバーナー、ソロクッカー、焚き火台と、防寒ウェア1着を買った。
「積めるかい?」
他人のバッグを覗き見するつもりなど毛頭ないが、買った物が入るかどうか、それが心配だ。ちらりと華菜の荷物を見てみると、そこには全てを収めて有り余るスペースがあった。おそらく、着替えを数日分持っているだけなのだろう。ただその中で、化粧品が入っていると思しきポーチのみが膨れ上がっていた。
華菜は慌ててそれを隠すよう手を置いた。女性が化粧するのはごく普通の事だし、化粧品を沢山持っていたって何の不思議もないのだが。
「あ、ごめんよ。人の荷物、見ちゃダメだね。」
真山の言葉に思わず苦笑いし、華菜の言葉は焦り口調になる。まるで何かを誤魔化すかの様に。
「け、結構お金…使っちゃった。」
「大丈夫かよ?」
「ウン! お金なくなったら、その辺の牧場とかで働くから。」
幹線国道の12号線を走り、美唄から滝川へ至る、国道では日本一長いという直線道路を走る。滝川からは国道275号線〜233号線で留萌へ。さらに239号線で、日本海に沿って北上する。
「見た? 熊の看板、怖かったぁ〜。」
「羆だね。三毛別羆事件だ。小説にもなったよ。」
「襲われたの?」
「開拓民たちが、次から次とね。」
「え? え? ジローさん???」
「グワォーーー‼︎」
「きゃはははは! 何それ〜〜〜、熊だぁ〜!!」
「さっきの店に売ってたんだ、このバッグ。もし買った物がだるまのバッグに入りきらなかったら、コレ使えばいいと思ってね。はは…見た事あんだろ? この絵柄。」
苫前からは、国道232号線でさらに北上する。天塩川の河口を見て、内陸へと分け入る。
「この川にはチョウザメが遡上してたんだってよ。」
「もしかして、キャビア!?」
「捕っちゃダメだろ? てか、今はいないんじゃないかな。」
「なぁ〜んだぁ。」
北海道を走ると、2人がそれぞれ住む町では見られない、様々なものと出会う。その都度話は盛り上がる。そして、おのずと休憩回数や時間が増えていく。共に当てのない旅だ。進まなくても、楽しければそれでいい。
国道40号線を外れ、日が西に傾き始める頃、宿泊を決めたキャンプ場に着いた。
「テント張るぞ。急げ!」
「え? 何よ。」
「テント張ったら、ちょっと走るぞ。」
「え? 何何? 意味分かんない。」
「いいから、言う通りにして!」
荷物を全てテントに突っ込むと、再びバイクに跨り、真山はバイクに跨る。華菜も慌てて飛び乗り、2人は走り出す。何の事かわからず、真山に言われるままに華菜は付いて行く。
西の空が徐々に色づき始める。あと少し、あと少しだ。
「わあ〜〜〜!!」
空がオレンジ色に染まり、潮風がそっと頬を撫でる。
目の前に広がる、波も穏やかな日本海。シルエットに浮かぶ、美しい利尻富士。そして、沈みゆく夕日。
「綺麗だね〜。」
「だね〜。」
「……」
真山はそっと華菜の横顔を見た。その頬には、ひとすじの涙。
「なんか、、、綺麗すぎて涙が出ちゃった…」
感動の夕景だ。
だけど…
…違うよな? その涙の意味は。
何かを思うように黙って夕日を見つめるその横顔。華菜から少し離れた所で真山は、背中でそっと彼女を見守った。
2人以外誰もいない。
…誰も見てねえよ。泣けばいいさ。泣きたいだけ。
月明かりもなく、暗く落ちた空に満天の星。この日の夜空は見事だった。6月を迎え、夏の星座が彩り、天の川が頭上を横切る。美しいというよりは、むしろ神秘的だ。
「じゃあ、点灯式〜!」
華菜が札幌で買ったランタンに燃料を入れ、芯に充分染み込ませると、ライターの炎を近付ける。
「点いたね! 初点灯だぁ!」
柔らかな光が時折揺れ、静かな夜を飾る。ほのかな灯りに心は癒される。
「ジローさんのより、ちょっと暗いのかな?」
「そうだな。でも、これがいいんだよ。」
華菜の顔を見ると、さっきの涙はどこへやら。目を細め、白い歯を見せてニッコリ笑っている。
北海道といえば、ジャガイモ。一口大に切ったジャガイモを、同じぐらいの大きさに切ったタコと一緒にオリーブオイルで炒める。ガーリックハーブソルトとクミン、一味唐辛子で味付けをし、ドライパセリを振って仕上げる。今夜の食事はアヒージョ。乾杯は北海道限定醸造のビールだ。
「うめぇ〜。」
「アヒージョも美味いぞ。ほら。」
「ジローさん、料理上手ね!」
静かに夜は更けゆく。北の夜は放射冷却で冷え込む。こんな夜、キャンパー達は皆、焚き火で暖をとる。
「ねぇ、ジローさん。」
「ん?」
「ジローさんは、もうレースには出ないの?」
「レースはもう、とっくにやめたよ。」
「何でやめたの? レーサーってカッコイイじゃん。」
「ああ…そうかな。」
…カッコ悪いやめ方したからな。
華菜の言葉に、少しだけ星空を仰いだ。
『6番グリッド、マシンはホンダRS250R。ゼッケン75番、真山敏選手!!』
スタンド席に巻き起こったのは、歓声よりもむしろ、どよめきだった。チームカラーも持たないプライベーターのマシンが、並み居るトップ・ライダーを抑え、2列目のグリッドに並んだ。
レッドシグナルが点灯する。皆、スタートの瞬間に向けてスロットルを開ける。2ストロークエンジンの甲高いエキゾーストノートが幾つも重なり、爆音となる。緊張の瞬間だ。
レッドシグナルが消え、レースはスタート。素早く確実にクラッチを繋ぐ。猛烈な加速にフロントが持ち上がろうとするのを、上体で押さえ込む。
少しマシンを横に振り、前に居るマシンをかわす。気が付けば、もう前には誰も居なかった。
真山の真っ白なマシンが、スタートでトップに立った。
しかし、相手はファクトリーマシン達だ。パワーも何もかもが別物だ。次の瞬間には、数台のカラフルなマシン達が白いマシンを飲み込む。
再び6番手でホームストレートを駆け抜ける。下り坂からカントの付いた第1コーナーを見れば、それはまるでアスファルトの壁だ。
この恐怖心に耐えながら1台のマシンを抜き、5位に出る。負けじと、S字コーナーで再び相手が並びかける。その先は、真山の得意な“逆バンク”と呼ばれるコーナーだ。
一方、相手もまた、ここを得意としていた。彼はアウトから真山に勝負を仕掛ける。
しかし彼は、ここでの真山の速さを知らなかった。真山を抜き切れなかった彼は…
「俺と接触したんだ。」
「えっ!? それでどうなったの?」
「相手は…弾き飛ばされるようにコースアウトして転倒したよ。」
「ジローさんは大丈夫だったの?」
「俺は大丈夫だった。でも、相手は大怪我をしたよ。俺はその人が気になって、その後は走れなくなったんだ。ゴールはしたけど、めちゃくちゃ順位を落としてしまったよ。」
「優しいんだよ、ジローさんは。」
「どうなのかわかんねえ。だけど…」
レースは実力主義の世界だ。相手を気遣うのはいいが、走りに支障が出るようでは闘えない。冷酷であり、厳しい世界だ。
「ただひとつ言えるのは、俺には根性が足りないんだ。起きて当たり前のハプニングも受け止められない。俺は…レーサーには向いてなかったんだよ。」
「ふぅん、そうなんだ。」
素気なくそう言うと、華菜は焚き火の炎を覗き込むように、真山から目を逸らした。
数分間、沈黙が続いた。
「私には聞かないの?」
「何?」
「アイドルやめた理由。」
「話してくれるのか?」
華菜は悪戯っぽく笑い、真山の顔を見て言った。
「話さな〜い。」
「何だよ、このヤロッ!」
「きゃははははは!」
北海道の6月、日の出は驚く程早い。
午前3時には東から白み始め、見る見る内に辺りは明るくなる。が、そんな時間には、人はまだ夢の中だ。
いや、それはあくまでも一般論らしい。
椅子に座ったまま夢心地となった真山の体に、華菜は防寒として買ったフリースジャケットをそっとかけると、眠りにもつかないまま、焚き火を見つめて考え事をしていた。
さっきの真山の言葉…
『優しいのかどうなのか、わかんねえ。だけど、ただ1つ言えるのは、俺には根性が足りないんだ。』
…根性が? それは違うよ。だって、幾つもの壁にぶち当たり、それを乗り越えて全日本まで上り詰めたんでしょ? レースやめても、ジローさんはきっといつも何かに挑み続けてるんだ。今は疲れてるだけだよ。根性が足りないんだったら、こんな世の中生きてなんていけないよ。
華菜は、小声でそっと呟いた。
「回り道でいいじゃん。」
目を覚まし、その様子を薄目で見ていた真山は、思わず固く目を閉じた。
読んでいただき、ありがとうございます。
旅の中での、華菜に対する真山の振舞い。
また、レーサー時代の出来事からも、彼の性格が見えるかと思います。
旅は更に北を目指して進んでいきます。
次回もご期待ください。