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東院宝物手箱  作者: 馨
寿ぐ
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27/32

二十七

 そして数日後、足を引きずるものの、なんとか松葉杖無しで歩ける様になったので、マタタビに頼んで件の事情を知る人の所に連れて行ってもらえることになった。

 マタタビの条件はお菓子の献上と遥の同行だった。彼にとってもあの出来事は相当衝撃的だったらしい。

 遥に頼むと快く引き受けてくれた。

 行くのは博物館が休みの月曜日の午前中。明里も遥も動きやすく防寒性の高い服装でマタタビの後を付いて行く。遥はさりげなく明里を支えてくれていた。

 目的地までの道は決して平坦では無かったが、晴れた昼間ということと、動きやすい服装のお陰で怪我をした足でもなんとか歩ける。

 「ここだ」

 マタタビに連れられて辿り着いたのは山中にある小さな社だった。

 古いが手入れはされているようで、社の形はしっかりと残っている。

 祀られているのはお稲荷さんの様で、小さな鳥居の脇には二匹の神狐が正面を見据えている。

 「稲穂(いなほ)様ー。お客人連れて来ましたよーぅ」

 軽やかな身のこなしでマタタビは拝殿正面の階段を登って扉を開けた。

 「五月蝿いなぁ……」

 寝起きなのか低く掠れた男の声が聞こえてきた。

 明里と遥は拝殿の前で社の主が出て来るのを待っていると、拝殿の奥でがさごそと音がしてマタタビが外へ出て来た。そしてマタタビを追う様にすらりと長い影が外へ出て来る。

 透ける様な金色の髪と満月をそのまま埋め込んだ様な瞳を持った女だった。

 やはり寝起きだった様で、細く柔らかそうな髪は所々絡まっているし、美しい瞳は開きにくいのか大きく歪み、眉間には深い皺が刻まれている。着ている白の単衣は胸の際どいところまではだけており、明里は顔に熱が集まるのを感じた。

 「おやまぁ、これまた可愛らしいお客さんだ」

 マタタビに稲穂、と呼ばれた女性は、はふ、と欠伸をして笑う。そしてつい、と隣の遥に視線を向ける。猫の様に細められた瞳はまるで三日月の様で、妖艶な色香が零れている様だ。

 「そしてこれまた随分な色男が来たもんだ」

 「どうも」

 遥は明里の様に動じることなく完璧な営業用の笑顔を浮かべて稲穂に短い言葉を返す。

 「で?こんな寂れた社に何用だ?こちらは寝ていた所を妨害されたのだ。内容如何によってはただで済むと思うなよ?」

 稲穂は扉に凭れ掛かりながら腕を組む。

 先程の笑みとは性質が違い、明里の背中を悪寒が駆け上がった。稲穂の足下にいるマタタビも二本の尾をピン!と立たせている。

 「我々は神代家にあった桜の簪を探しています。マタタビさんから一条家に縁の方が身につけていたのを見たと聞き、あなたならもっと詳しい事を知っていると教えてもらいました」

 緊張して口を開く事ができない明里に代わって事情を説明する。

 遥から事情を聞いた稲穂は三日月の形に細めていた瞳を再び満月の用に見開く。

 「……まさかこんなに時が経って人の子から佐保の名を再び聞くとは思わなかったなぁ」

 佐保の名前が出て来て、一気に気持ちが高揚するのが分かった。

 「佐保さんのこと知っているんですか!?」

 「知っているも何も、ここで一緒に住んでいる」

 あっけらかんと何でも無い様に答える稲穂だが、言葉の内容は明里や遥にとって衝撃的なものだった。

 「佐保さんを探している人がいるんです!佐保さんにその人に会ってほしいんです!」

 逸る気持ちを押さえても尚有り余る明里の勢いに稲穂は苦笑を浮かべた。

 「まぁ待て。選ぶ権利は佐保にある。なぁ?佐保」

 最初の言葉は明里に向かって、最後の言葉は二人の後ろに向かって投げかけられた。

 明里も遥も反射で稲穂の視線を追って後ろへ振り向く。

 皆の視線の先には衣を頭から被った人影が手に水桶を持って立っていた。

 衣を被っている所為で顔はよく見えない。

 「稲穂様、そちらの方々はお客様ですか……?」

 顔は見えないが、声は透き通った美しい鈴の様な声だった。

 彼女が舞鶴の思い人の桜の簪の付喪神の佐保。

 先程の話しは聞こえていなかったのか、佐保はゆっくりと首を傾げた。

 「いや、私の客では無い。お前の客だ。お前に会いたい人がいるそうだが」

 顔は見えないが稲穂の言葉に佐保が戸惑う様子を見せる。

 「神代京子さんと、帯の付喪神の舞鶴さんをご存知ですか……?」

 恐る恐る伺う様に明里が問い掛けると、佐保は手にしていた水桶を落としてしまった。

 水桶に入っていた水が辺り一面に撒かれる。

 「わ、」

 「うわっ!?え、ちょ、ちょっとー!?」

 落とした水桶を放って佐保はその場を駆け出した。明里と遥も反射で追いかける。

 明里はともかく、遥は足のコンパスが長ければ走るのも速い。ほぼ同時に走り出したにも関わらず、明里はどんどん置いて行かれる。

 「あっ……!」

 あと少しで遥が追いつくか、という所で佐保が足を縺れさせて転んだ。

 「大丈夫ですか!?」

 流石の遥も血相を変えて佐保に走り寄る。

 ぜえはあと息を吐きながら明里もなんとか二人に追いついた。

 転んだ拍子に被っていた布が頭から滑り落ち、佐保の顔が露になっていた。

 「っ、」

 佐保の顔を見た明里は思わず息を詰めた。

 肌は仄かに光りを帯びているのかと思う程白く、衣から零れ出た長く豊かな髪は神秘的な銀髪だ。同じ銀髪でも舞鶴のものとは色味が異なり、佐保の髪の方が少し色味が強い。

 そして右目の辺りは赤く爛れた火傷の痕が見えた。

 明里と遥の視線に気付いた佐保は、落ちてしまった布をまた被り直す。

 「……すみません、お見苦しいものをお見せしてしまって」

 木々のざわめきに消える程の小さな声で佐保が謝った。

 「何があったんですか」

 いつも以上に務めて柔らかい声音で遥が問い掛けると、佐保は暫くの沈黙の後、ぽつりぽつりと話し始めた。

 「私は、神代の家から一条の家にお嬢様と一緒に嫁入り道具として参りました。でも、一条の家が事業に失敗し、お屋敷に火を付けられてお屋敷は焼けてしまい、その時の火事が原因で私も、そしてお嬢様も火傷を負ってしまいました」

 美しい声は変わらないものの、ひとたび大きな風が巻き起こってしまえば掻き消えてしまいそうなほど小さく儚い声だった。

 「お嬢様の旦那様は火傷を負ったお嬢様を忌み嫌い、蔵から出ない様にきつく言い含め、粗末な服と僅かな食事だけを与えて自分は別の女性と関係を持ってしまったのです」

 佐保の声は、言葉を重ねる度にきりきりと細い糸となって心を締め付ける。

 決して強さは無いのに、彼女の言葉はどんな鋭利な刃物よりも深く、人の心に傷を付ける。

 「お嬢様はすっかりやつれてしまい、生きる気力も失って虚ろに日々を過ごしていました。ですが、お嬢様の世話をしていた奉公人と恋に落ち、奉公人はお嬢様に駆け落ちをしようと持ちかけました。お嬢様は駆け落ちの話しを信じて、蔵から抜出して待ち合わせの稲穂様の社までやって来たのですが、待てども暮らせども彼はやって来ませんでした。絶望したお嬢様は稲穂様のお社で息絶えたのです。お嬢様の亡骸はお社のお世話をしていた者が弔ってくれました。私は稲穂様に拾って頂き、以来私は稲穂様の元でお世話になっています」

 男にどんな理由があってお嬢様の元へ来なかったのか、今となっては確かめる方法は無いだろう。だが、お嬢様にとっては来なかった事実だけが全てだ。

 「私も、舞鶴様に会いとうございます。ですが、報われなかったお嬢様を差し置いて幸せになれる筈がございません。それ以上にこの醜い顔を見て、舞鶴様が離れて行かないかと思うのです」

 火傷を負って自分の主を見捨てた男の姿を二人も見ているのだ。

 いくら惚れた相手とはいえ、否、惚れた相手だからこそ、信じる事が怖いのだ。

 一縷の望みに賭けて現実を知るよりも、このままここで美しかった日々に思いを馳せながら生きる方がもうこれ以上誰かに失望しなくて済む。

 何か言わなければ。

 だが、人の心など明里には推し量ることはできない。

 適当な事を言って傷付くのは明里ではなく、舞鶴と佐保だ。

 気持ちが焦るばかりで言葉が出て来ない。


 「見目で人の価値を決める男など願い下げでしょう」


 しかし明里が迷っている間に遥が刃物の様な鋭さで斬り込んだ。

 明里と佐保は呆気に取られ、ぽかんと遥を見つめている。遥は女二人の視線をものともせず微笑んでいる。

 「それに舞鶴様はそのような人には見えませんでしたが」

 佐保は、ぐ、と何かを堪えるような表情を浮かべた。咄嗟に抑えたのは一体どんな感情なのか、今は誰にも想像がつかない。

 「あなたは美しい。物は持ち主の心を現します。火傷を負っても、人に裏切られても、あなたは荒御霊にならなかった。それはあなたの主の心根が、あなたの存在自体が、清らかだという証明にはなりませんか」

 畳み掛ける様な遥の言葉の見事さに明里は息を呑むしか無かった。

 佐保の様子を伺っていると、布の影に隠れた顔に涙が伝った。

 佐保はきっと背中を押して欲しかったのだろう。明里は答えを迷っていたが、遥は躊躇う事無く背を押した。

 「ありがとう、ございます……」

 はらはらと真珠の様な涙が次から次へと白い頬を滑り落ちて行く。

 やがて佐保は明里と遥を見据えてゆっくりと頭を下げる。

 「どうか、私を舞鶴様の元へ連れて行ってもらえませんでしょうか」

 「もちろんです」


 三人で稲穂の社に戻ると、稲穂は本殿の階段にあぐらを掻いて腰掛けていた。寝起きの浴衣姿は変わらないのでやはり目のやり場に困る。扇子についた飾り紐を使ってマタタビで遊んでいた。

 「話はまとまったのか?」

 「はい」

 佐保は少し震える手で再び被っていた布を外した。

 布が外れると同時に長い銀髪が豊かな水の様に零れ出す。 

 前に進み出て本殿前の地面に躊躇う事無く膝をつき、そして三つ指をついて深く頭を下げた。

 「稲穂様、暫くお傍を離れる事をお許しください。必ず戻って参りますので、どうか……」

 「お前はもとより自由だ」

 言葉を重ねようとする佐保の言葉を稲穂が強い語調で遮る。

 「好きな所へお行き。お前の望む所へ。お前が望む場所が、お前の帰る場所だ」

 佐保は堪える様に唇を強く噛み締め、再び頭を下げた。

 「娘」

 す、と閉じた扇子で自身を指され、明里はびくりと飛び上がった。

 「近う寄れ」

 一層張りつめた空気に緊張が一気に高まる。

 遥の方をちらりと見れば、相変わらず穏やかに笑って頷いた。明里も小さく頷き返して稲穂の前へ進み出る。

 「お前に託す。心して守れ」

 細長い桐箱を目の前に差し出され、中を覗くと鈍く光る一本の簪が鎮座していた。

 それは京子の結婚式の写真で見た桜の簪だった。

 火事の所為で桜の細工の一部分が少し黒く変色してしまっているが、丁寧に手入れされていたお陰かそれほど状態は悪く無い様に見えた。

 実際に見る佐保の本体は溜め息が零れそうな程美しかった。桜の花の一輪一輪に細かい細工が施され、華やかながらも主役を引き立てる優美な意匠は見事の一言に尽きる。

 「お預かりします」

 震えそうな手に力を込めてしっかりと桐箱を受け取った。

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