十八
最近の制作は染織を中心としており、今はふろしきの絞り染めを作っている。
土足厳禁の作業室の日当りの良い窓際の一角でちくちくと只管白い海の様な布地を縫って行く。
「ほぉ、器用なものだな」
「っ!!うぐっ!!?」
突然背後から声がして、ぶすりと思い切り針で指を刺してしまった。
明里の背後には木守りが明里の手元を覗き込んでいた。針を刺した痛みで声を上げた明里を目を丸くしている。
「大丈夫か」
「ダイジョウブ……れすっ!!」
反射的に刺した指を口に含み、血が布に付かない様にする。
布を安全な所に避難させて絆創膏の箱を探し出して絆創膏を貼り付けた。今の制作を初めて一日一回は針で指を刺しているので絆創膏は箱で常備している。 じんじんと痛む傷口に絆創膏を貼付けると何となく痛みが治まった様に感じるから不思議だ。
「すまんな、驚かせてしもうた」
木守りが謝りながら明里の前に座る。所作一つ取っても静かで粗が無い。
驚きと痛みが治まって来た所でふと現実に帰ってしまい、一気に体から血の気が引いた。
「いや、というか私より木守り様が大丈夫じゃないでしょう!?」
明里は慌てて立ち上がるが、木守りは全く動こうとする気配が無い。
「大丈夫だ。儂に気にせず作業を続けると良い」
「でも、何かあったら……!」
「ここから館まではあまり離れておらん。このくらいの距離なら地元ではよく出掛けておったしの。どうしても気になるのなら遥に連絡を入れておけば良い」
木守りは梃子でも動きそうに無いので明里は渋々言われる通りに東院美術館へ連絡を入れる。
遥と話すのは気まずいので美喜か他の館員が出てくれないかと心の底から願うが、こういう時に運が良かった試しなど一度も無い。
つまり、電話には遥が出た。
『はい、東院美術館です』
明里は即座に鼻を摘んで声音を変える。
「……青山書房の斉藤ですが、藤原さんいらっしゃいますか」
大学の近所にある書店の名前を適当に名乗って美喜を呼び出す。
『藤原ですね、少々お待ち下さい』
受話器からは機械独特の単調な音楽が聞こえて来て、なんとか上手く切り抜けられた明里は大きく溜め息をついた。
数秒待つと不意に音楽が途切れる。
『お待たせしました。藤原です』
心当たりの無い電話にを不審に思っただろうに、美喜の対応は完璧であった。
「すみません、青山書房では無く小泉です。名乗りにくくて名前を借りてしまいました。そのまま聞いて下さい」
受話器の向こう側では遥がいるかもしれないので一気に事情を説明して話しを合わせてもらう。
『ああ、斉藤さん。いつもお世話になっています。今日はどうされたんですか?』
美喜は明里の我が儘に付き合ってくれ、上手に話しを合わせてくれた。
「実は今木守り様がうちの大学に来てて……」
『えっ!?』
流石の美喜も予想外だった様で、短く声を上げる。
昨日あれだけ騒ぎになって光に口を酸っぱくして言われていたと言うのに、まさか次の日にまた出掛けるとは思ってもいなかったのだろう。
「帰る様に言ったんですが、連絡入れておけば良いって……」
受話器の向こうで美喜が小さく唸り声を上げた。
今美喜達が迎えに来ても木守りは帰らないと思われる。だから連絡を入れておけと言ったのだ。
どこにいるかを明らかにしているだけでも美喜達も安心するだろうし、一応事情を知っている明里が近くにいることが分かっていることも大きい。
『すみません、一時間後に伺いますので、それまでそちらで預かって頂いてもよろしいでしょうか』
「分かりました」
一時間くらいならどうにかなるだろうし、居場所が分かっているのと近場ということで美喜も安心している様だ。
通話終了のボタンを押し、作業スペースに戻ると木守りは窓から見える景色を眺めていた。
「連絡終わりました」
「うむ。済まぬな」
窓から見える景色は特別美しいものという訳では無いが、木々が紅葉を初めていて季節の移り変わりを如実に感じる事が出来る。
床に座り込んで作業を再開する。
「……作家からすれば、一度壊れてしまった自分の作品は、作品とは言えないか?」
脈絡の無い突然の問い掛けに明里は目をぱちくりと瞬かせ、言葉の意味を考える。
「えっと、まぁ、壊れてしまったら悲しいですが……」
制作の過程での失敗は幾度もあるが、自分の完成した作品が壊れてしまうという経験は明里には無かった。経験の無い事は想像するしか無く、作品と言えるのかどうかという問いは考えても考えてもどう答えれば良いのか分からなかったので、自分が想像出来る範囲での答えを言う。
「そうか」
木守りは明里が縫っている白い生地を静かに見つめる。
一体どういう意図があってした質問なのか気になったが、あまりにも真剣に木守りが明里の手元を見つめているので聞ける雰囲気でも無く、只管無言で生地を縫い続けた。
「木守り様」
一時間後、美喜が激しく息を切らせながら木守りを迎えに来た。
木守りも満足したのか、素直に立ち上がる。
「明里ちゃん!本当にごめんね!」
「こっちこそなんだかすみません……」
騒ぎの張本人の木守りは我関せずで作業室の中に置いてある他の学生の作品を見て回っていた。
「一応天澤君には誤魔化して来たんだけど、何かあったの?」
正面切って問い掛けられ、明里はう、と分かりやすく言葉に詰まった。
なんとか誤魔化せないかと脳内をフル稼働させるが言い訳が思いつかず断念した。明里がうんうんと唸っていると、突然頭を掴まれた。
「ふぉっ!?」
「よーしよしよし!!」
黙り込んでしまった明里の頭を美喜が乱暴に撫で回す。長い髪が絡まって鳥の巣の様になってしまった。
遥と良い美喜と良い、東院美術館の人は誰かの頭を撫でる習慣でもあるのだろうか、と明里は思ったが、館長の薄らとした頭を思い浮かべてその可能性は打ち消した。
「天澤君には黙っておくわ。話したくなった時に話してね?」
明里の心情を何となく察してくれたらしい美喜は苦笑を浮かべながら明里の頭から手を放した。
「ありがとうございます……」
絡まった髪の毛を解きながら礼を述べる明里。
明里が絡まった髪を解くことに夢中になっていると、美喜はいつの間にか書いていたらしいメモを明里に渡す。
「あとこれ、私の連絡先ね。不吉なことを言う様で申し訳ないけど、これからこういうことが起こらないとも限らないし、こっちの方が連絡しやすいでしょ?」
まだ髪の毛が半分から待った状態で美喜から手渡されたメモを受け取ると、電話番号とメールアドレスがそこに書かれていた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
美喜は不吉と言ったが恐らくその予言は当たるのでありがたく連絡先を貰う。




