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プロローグ

王宮の一角、応接用の小サロンには高窓から春の柔らかな光が差し込んでいた。

白磁のティーカップの縁をほのかに縁取るその輝きは、白い石床の上で静かに揺れている。

カルカロフ王国の公式な場とは思えぬほど、そこには穏やかな午後の時間が流れていた。

——それが、これから始まる対話の重さを、かえって際立たせている。


「座ってくれ」


促され、わたくしは静かに椅子へ腰を下ろす。

対面に座るのはアルフォンソ・カルカロフ王太子殿下。

王族らしい金髪碧眼、精巧なビスクドールのように整った顔立ち。

その外見とは裏腹に、表情も声も淡々としており、感情を読み取ることは難しい。


やがて殿下は一拍置くと、静かに言葉を紡ぎ始めた。


「国王陛下は、近く王太子妃を正式に定めるお考えだ。その候補として――」


一瞬、殿下の視線がわたくしを見定めるように向けられる。


「君の名が、最も有力だ。ヘスティア・オルドリッジ。王太子妃は君に決まりそうだ」


抑揚のない声色は、事務的な報告のようで、そこに私情は感じられなかった。


「まあ、光栄ですわ。ところで、このような場で私的にそのお話をなさってもよろしいのですか?」


心にもない返事を添えながら、わたくしは静かに問い返す。

紫の瞳はまっすぐ殿下を捉え、声音は不思議なほど落ち着いていた。


「問題ない。祝賀の場で、最終的な判断が下される」


言葉は簡潔を極めていた。

しかし、それだけで事足りた。


わたくしは視線を落とし、白磁のティーカップにそっと手を伸ばした。

香りを確かめるように一瞬だけ間を置き、静かに口をつける。

温かい液体が喉を通り、わずかに呼気が整った。


「左様でございますか」


他の候補に決まる可能性を、どこかで当てにしていたのかもしれない。

けれど――その望みが覆る余地は、もうほとんど残されていないと悟った。


王太子妃になることを、これまで避けたいと思ったことはない。

数年に渡る王太子妃教育も、度重なるお茶会も、すべてはそのために用意された時間だった。


父の期待も、家の責務も理解している。

だからこそ努力してきたし、適性もあると思っていた。


――ほんの少し前までは。


ふとした瞬間に、あの人の顔が脳裏をかすめた。

柔らかな光を孕んだような、茶金の髪。

沈みゆく夕陽を映したかのような、オレンジ色の瞳。

少しだけ首を傾げて笑う、あの人懐こい仕草。

けれど、その親しみやすさの裏で、必要な距離を、きちんと保てる人。


――ディノ・フィデル。


思い浮かべただけで、鼓動が早まる。

わたくしの、初恋の人。


「私も異論はない。君なら、務まる」


殿下は事実を述べるように言った。


王太子殿下の二十歳の誕生日。

それは単なる祝賀ではなく、王家主催の盛大な式典の席で、次代の王太子妃が正式に定められる日だ。

祝福と注目、そして政治的思惑が集まる場でもある。


その日を迎えれば、立場は確定する。

選ばれてしまえば、この恋は、行き先を失ったまま終わるだろう。

自分の気持ちを切り捨てさえすれば、すべては滞りなく収まる。

侯爵家の娘として、王太子妃として、何一つ間違いのない選択だ。

そうすべきだと、理性は静かに告げていた。


けれど――

それができないほどに、わたくしはすでにこの恋を手放せなくなっている。

見ないふりをして押し込めるには、遅すぎたのだ。


正式な決定が下される前に、何かを変えなければならない。

それがどれほど無謀で、後戻りのできない選択であったとしても。


わたくしはもう、自分の気持ちに蓋をして生きることだけは、選べなかった。

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