第五章「隠された時間」
それから俺たちは、
人目を避けて会うようになった。
どこで誰に見られるか分からない。
あいつの家にも、もう戻れない。
自然と、行き先は決まっていった。
――ラブホテル。
最初は少しだけ躊躇いがあった。
けれど。
ドアを閉めた瞬間、
そこだけが“外の世界と切り離された場所”になる。
誰にも見られない。
何にも邪魔されない。
――はずだった。
「ねえ、見て」
ベッドの上で、彼女が足をばたつかせながら笑う。
まるで子供みたいに、無邪気な顔で。
「この時間、好き」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「……俺もだよ」
短く返す。
それだけで、十分だった。
触れれば、ちゃんと温かい。
声も、仕草も、全部本物。
あのとき失ったはずの時間が、
少しずつ戻ってきている気がした。
「ねえ」
彼女が、ふいに俺の腕にしがみつく。
「ずっと、こうしてたいね」
無邪気に、そう言う。
その言葉が、あまりにも重くて。
「……ああ」
それでも、肯定するしかなかった。
否定なんて、できるはずがない。
――この時間が、永遠じゃないことを知っていても。
しばらくして。
部屋の電気を少し落とす。
柔らかい明かりの中で、彼女がこちらを見ている。
少しだけ照れた顔。
「……ね」
そのまま、距離が近づく。
触れる。
重なる。
言葉なんて、いらなかった。
この瞬間だけは、
すべてを忘れられる気がした。
――そのとき。
ふと、彼女の動きが止まった。
「……どうした」
問いかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「……今、誰か……」
心臓が、一瞬止まる。
「いないだろ」
反射的に言う。
けれど。
彼女の視線は、俺の後ろを見ていた。
「……違う」
小さく、首を振る。
「いる」
空気が、変わる。
重く、冷たいものが流れ込んでくる。
振り向く。
――何もいない。
けれど。
“いる”。
はっきりと分かる。
見えないだけで、確実にそこに。
「……大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「気にするな」
彼女は、少しだけ迷ったあと、うなずいた。
「……うん」
けれど。
完全には消えていない。
その違和感は、ずっと残っていた。
それでも。
俺たちは、止まらなかった。
会えば、抱きしめる。
触れれば、確かめる。
何度も、何度も。
失った時間を取り戻すように。
「ねえ」
帰る前、彼女がぽつりと呟く。
「私ね、最近……」
言葉を探すように、少し間を置く。
「おじいちゃんが、よく来るの」
その一言で、背筋が冷たくなる。
「止められるの」
静かに続ける。
「行くなって」
言葉が出なかった。
「それでも来るとね」
彼女は、少しだけ笑った。
「帰ったあと、線香の匂いがするの」
その笑顔は、どこか無理をしていた。
「気づかれてないと思ってるんだけどね」
軽く言う。
けれど。
それが、どれだけ異常なことか。
分かっていないはずがない。
「……やめるか?」
思わず、口にしていた。
「会うの」
その言葉に、彼女は驚いたように目を見開く。
「……やだ」
即答だった。
その一言に、迷いはなかった。
「やっと、会えたのに」
小さく、呟く。
「やめたくない」
その言葉が、胸に刺さる。
「……俺もだよ」
結局、それしか言えなかった。
それが、正しいかどうかなんて分からない。
けれど。
止めることなんて、できなかった。
帰り道。
ひとりで車を走らせる。
いつもより、静かだった。
いや。
静かすぎた。
――そのとき。
ふと、バックミラーに映る。
自分の後ろ。
後部座席。
そこに――
“座っている”。
誰かが。
はっきりと、見えた。
顔は、分からない。
けれど。
間違いなく、いる。
全身に寒気が走る。
目を逸らすこともできない。
――見ている。
こちらを、じっと。
その瞬間。
確信した。
――もう、隠れてはいられない。




