第六章「暴かれる関係」
その一言で、世界の温度が下がった気がした。
「……は?」
振り返ると、そこに座っていたのは、彼女の父親だった。
見たことはない。
けれど、分かる。
血の気が引くような圧。
ただ座っているだけで、空気を支配する存在。
「いつからだ」
低く、抑えた声。
怒鳴っていないのに、心臓を直接掴まれるような感覚。
彼女の手が、わずかに震えた。
「……違うの、お父さん、これは――」
「黙れ」
短く、切り捨てるように言い放たれる。
その瞬間、彼女の肩がびくりと跳ねた。
――おかしい。
ただの父親じゃない。
この“圧”は、異常だ。
「お前か」
視線が、俺に向けられる。
逃げろ、と本能が叫んだ。
関わるな、と警鐘が鳴る。
なのに。
「……俺です」
口が勝手に動いていた。
彼女の手を、強く握る。
離したら、もう戻れない気がしたから。
「この子と、ちゃんと向き合ってるのは、俺です」
言い切った瞬間、空気が歪んだ。
――いや、違う。
“歪まされた”。
視界の端が、微かに揺れる。
床の影が、不自然に伸びる。
父親の背後。
そこに、“何か”がいた。
見えないはずなのに、分かる。
黒く、重く、粘つくような存在。
形はないのに、確かに“そこにいる”。
「……気付いたか」
父親が、わずかに笑った。
その笑みは、人のものじゃない。
「この家の“もの”に」
彼女の手が、ぎゅっと強く握り返される。
震えている。
恐怖で。
「やめて……もう、やめて……」
彼女の声が、かすれる。
「この子は、もう“決まっている”」
父親の声に、もう人の温度はなかった。
「お前が触れていい存在じゃない」
その瞬間――
彼女の体が、ぐらりと揺れた。
「……え?」
支えようとした腕が、すり抜ける。
いや、違う。
“離されている”
見えない何かに、引き剥がされるように。
「やめろ!!」
叫んだ。
届かないと分かっていても。
彼女の指先が、するりと俺の手から滑り落ちる。
「……ごめん……」
最後に見えた彼女の表情は、
泣いていた。
次の瞬間――
消えた。
音もなく。
跡形もなく。
そこにあったはずの存在が、完全に。
「――は……?」
理解が追いつかない。
現実が、崩れる。
「これが“しきたり”だ」
父親の声だけが、静かに響く。
「先祖が決めた、絶対の掟」
足が震える。
怖い。
理解できない。
逃げたい。
――それでも。
それでも。
「……ふざけんなよ」
気付けば、顔を上げていた。
心臓は壊れそうなのに、目だけは逸らせない。
「そんなもんで、奪われてたまるかよ」
声が、震える。
けれど止まらない。
「返してもらう」
一歩、踏み出す。
「何に奪われようが――」
父親の背後の“それ”を、睨みつける。
「必ず、取り返す」
空気が凍る。
沈黙。
そして――
「……愚かな」
父親の声と同時に、背後の“何か”が、わずかに蠢いた。
まるで、笑ったように。




