第73話「二人の王」
シアン軍本陣。伝令兵が立て続けに前線の状況を報告する。
その内容はいずれも将の討ち死にや敗走を伝えるものばかりで、吉報と呼べるものは何一つとしてなかった。
敗北を覚悟する兵たち。だが、そんな中にあっても決して絶望しない者が一人いた。
シアン=ハンセルン=カーライム。銀髪の少女はこれが初陣であるにも関わらず、その姿は歴戦の猛者の如く堂々としたものであった。
彼女は目を瞑り何かを考えていたかと思うと、やがて静かに告げた。
「私も前線に出ましょう。ユーウェル卿、申し訳ありませんが供を頼みます」
その予想外の言葉に名指しされた老将は目を丸くした。
他の兵たちもその言葉に動揺を隠せない。
シアンはその反応は予想通りとばかりにさらに言葉を続けた。
「シャイニーヌ卿が討ち死にされ、オータス卿も負傷。今、我が軍の士気は最低最悪と言って良いでしょう。このままではケルビン卿の術が完成する前に我が軍は崩れてしまう。ですが、私が前へと出ればどうでしょう。武術も魔術も不得手な私でも鼓舞することくらいは出来ます。総指揮官自らが前線に出て声をかけたとなれば、兵たちももう一度奮い立ってくれるはずです。そうすればせめてもの時間稼ぎくらいにはなると思うんですが、いかがでしょうか」
口調こそ丁寧ないつも通りのものであったが、しかしその裏に強い意志があることをスタンドリッジは感じ取った。
いくらでも反論の言葉は思い浮かんだ。「御身を危険に晒すわけにはいかない」などと言って止めるのが護衛を任された身としては正解だったのかもしれない。
だが、現状総指揮官による鼓舞というのは最も効果的な一手であることは事実であるし、なによりスタンドリッジは彼女の意志を尊重したいと思った。
スタンドリッジは彼女に向けて跪くと、はっきりと答えた。
「このユーウェル=スタンドリッジ、謹んで拝命いたします。陛下の御身、必ずやお守りいたしましょう」
こうしてシアン=ハンセルン=カーライムは前線へ向け出発した。
供回りはユーウェル=スタンドリッジ伯爵とその配下の兵たちのみ。本陣の守備はトニーボ=タランコス辺境伯とその配下の兵が務める。
この彼女の勇気ある一手がこの戦の勝敗を大きく変えることとなるのであった。
同じころ、王都マテロの宮城では。
「ぐふふふ。お前の身体はいつ見ても美しいな。よし、今宵はお前と寝ることにしよう。いやでもお前とは最近よく寝ているからやっぱりこっちか……」
現国王・カスティーネ=ハンセルン=カーライムが女たちと戯れていた。
敵軍がすぐそこまで迫っているというこの危機的状況の中にあっても、カスティーネの生活はいつもと変わらない。
政務はすべて配下に任せ、己は酒を飲み女と遊ぶだけ。たまに余興と称して仕事で過ちを犯した家臣を自ら拷問することもある。
今日は朝から機嫌が良かったために一段と興が乗り、既に3人も殺してしまった。
そんな暗君を地でいく彼のもとに、一人の兵がやってきた。
「お取込み中のところ失礼いたします! 火急の要件です!」
女との時間を邪魔されたことに腹を立てたカスティーネが彼めがけて杯を投げつけるが、日常茶飯事なので兵は気にせず言葉を続けた。
「サムルハ=エイヴァンス公爵、ご謀反! 近隣諸侯と共に挙兵し、王都へ向かい進軍中とのことです!」
その信じられない報告にカスティーネの顔が赤から青へと変わる。
衝撃のあまり、酔いなど一瞬にして醒めたのだった。
「どどど、どういうことだ! シアンとオータス=コンドラッドは奴にとって父親の仇だろう! 仇と手を組んだというのか!?」
サムルハ=エイヴァンス。メルサッピ峠の戦いで敗れ、命を落としたブッサーナ=エイヴァンスの嫡子である。
カスティーネの疑問はもっともで、サムルハが反乱を起こすことなど決してありえないはずであった。
また、カスティーネはサムルハに父の爵位と領地はそのまま継がせ、さらにはエイヴァンス家には命を賭して国賊を討とうとしたという名目でたっぷりと褒美を与えている。
カスティーネにとってみれば、謀反をされる心当たりなどあるはずがなかった。
それからしばらくカスティーネは頭を抱え、いろいろと思案していたが、やがて顔を上げてぽつりとこう言った。
「もう知らん……」
彼はもはや考えることを諦めたのであった。
カスティーネは兵を追い出すと再び女たちと遊び始めた。
どこか空虚な笑い声が城内にこだまする。
カスティーネ=ハンセルン=カーライムにとって王の座はいささか重かったのかもしれない。




