第71話「散華」
放心状態のシャイニーヌに容赦のない一撃が振り下ろされる。
彼女にもはや戦意はなく、防ごうとも避けようともしなかった。
このまま大将軍の重い刃がシャイニーヌの頭を勝ち割るかに思えたその時。
「やらせるか!!!」
それまで戦いを見守っていた数人の騎士が主を助けようと割って入った。
だが、オウガは王国随一の剣の使い手であるシャイニーヌでも歯が立たなかった相手である。一介の騎士が太刀打ちできるはずがなかった。
「雑魚が!」
オウガはつまらなそうにそう呟くと標的を割り込んだ騎士たちに変え、槍を振るった。
案の定、騎士たちはみな物言わぬ骸となった。たとえ複数人で挑もうとこの大将軍に刃を届かせることは出来ないのだ。
オウガには彼らの死が無駄死にであるとしか思えなかった。たとえ、主を救わんとしたところで時は稼げてたったの一瞬である。
その一瞬で傷を負い、心も挫けたシャイニーヌが逃げ切れるはずがない。ただ彼女の死がわずかに遅れるだけなのだ。
オウガは騎士たちの行動に疑問を持ちつつも、再び視線をシャイニーヌへ移す。するとそこには新たに剣を持ち、立ち上がるシャイニーヌの姿があった。
その横には壮年の騎士の姿も見える。オウガはその風貌や態度から彼をシャイニーヌの副官だと判断した。
「なるほど。俺が雑魚どもに気を取られている隙に副官が主に新たな剣を渡したか。小賢しい真似を……!」
オウガの手に力がこもる。
彼の怒りのこもった鋭い視線がシャイニーヌとウィルを貫く。だが、二人は怯まない。
「ありがとう、ウィル。貴方には助けられっぱなしですね。礼はこの戦が終わったら必ず」
「いえ、副官が主を支える。私はいたって当然のことをしたまでです。礼など不要。貴方様のそのねぎらいの言葉がどんな礼にも勝ります」
相も変わらず冷静に答える副官の姿にシャイニーヌはわずかに頬を緩ませた。
副官・ウィルの機転でシャイニーヌは戦意を完全に取り戻していた。
彼女は心の中で詫びる。捨て駒として散っていた騎士たちに。そして誓う。彼らの命を賭けた働きに報いるべく、必ずや大将軍・オウガ=バルディアスを討ち果たして見せると。
「大将軍、ご覚悟を!」
シャイニーヌはそう叫ぶと、跳躍した。
副官より渡された新たな剣で斬りかかる。この剣はいたって平凡な剣であるが、しかしながら不思議と再び折れる気はしなかった。
速く美しい剣技がオウガに襲い掛かる。
響き渡る金属音。またもオウガはシャイニーヌの技を槍で防ぎきる。
しかし次の瞬間、オウガは驚愕する。
「な……!」
顔にわずかな痛みを感じ、そこを手で拭ってみれば、なんとそこには血が付いていたのだった。
すなわち、シャイニーヌの刃自体は防いだものの、剣圧までは完全に殺すことが出来なかったのである。
シャイニーヌがオウガに付けた二つ目の傷。それはとても小さいものであったが、勝負の流れを変えるには充分であった。
思わぬ負傷に狼狽え、精彩を欠くオウガ。対してシャイニーヌの剣はますます冴えわたる。
次第にオウガは防戦一方となり、戦いはシャイニーヌが優勢になり始めた。
そして。
「これがとどめ!」
一閃。
シャイニーヌの刃がオウガの胸部を深く抉った。
オウガのその巨大な身体がゆっくりと地面に倒れる。
ズシン、というまるで地鳴りのような轟音が辺りに響き渡った。
「や、やったー! ついに! シャイニーヌ様が大将軍・オウガ=バルディアスを打ち倒したぞー!」
騎士の一人が思わず叫ぶ。長い、長い死闘がようやくここに終わったのだと、皆安堵した。
一方のオウガ軍兵士はその予想外の結末に言葉を失った。最強の武人が今ここに倒されたのである。信じられるはずがなかった。
こうしてコーロの関をめぐる戦いは、ケルビンの術の完成を待たずして、シアン軍の勝利に終わったかに見えた。
だが、そうはならなかった。
シアン軍の歓喜の声が、一瞬にしてどよめきに変わる。
「お、おい。嘘だろ……」
先ほどまで笑顔だった騎士の顔が一瞬にして絶望に変わった。
彼の視線の先。そこにあったのは再び立ち上がるオウガ=バルディアスの姿であった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
まるでオウガが獣の如き雄たけびをあげたかと思うと、次の瞬間にはシャイニーヌは宙を舞っていた。
彼女の軽い身体は勢いよく飛ばされ、そのまま木に打ち付けられた。
「あ、う……」
苦悶の声を漏らすシャイニーヌ。
激痛が全身に走る中、なんとか立ち上がろうとするシャイニーヌであったが、それは叶わなかった。
オウガの咆哮が再び戦場に轟いたかと思うと、またもシャイニーヌの身体は宙を舞っていた。
「あう!」
そして今度は地面に叩きつけられる。
やはり起き上がることは許されず、それからシャイニーヌは何度も何度も宙を舞い、そしてその度に全身を地面や木に叩きつけられた。
「きゃああああああああああああああああああ!」
もはやシャイニーヌにはただ悲鳴をあげることしか出来ない。
当然、周りの騎士たちはこれを阻もうとした。
だが、シャイニーヌですら玩具のように弄ばれている現状で、彼らの刃が届くはずもなく。一人、また一人と命を散らせていった。
「シャイニーヌ……様……」
騎士団でシャイニーヌと共に卓越した剣の腕を持つウィルも、当然ながら一蹴された。
彼は地に這いつくばり、薄れゆく意識の中、ひたすらに痛めつけられる主の姿を見ていた。
主を今すぐにでも救いたい。しかし、もう身体は言うことを聞かない。
ウィルはもはや指の一つすら動かせない状態であった。
「む、無念……」
己の無力さを嘆きながら、副官・ウィル=ロッサリオンの意識は闇に沈んでいった。
オータス=コンドラッドが中央部隊に合流したのはそれから少し経った後であった。
もっとももはや中央部隊なるものは存在しておらず、そこにあったのはわずかな敗残兵と地を埋め尽くすほどに広がる屍の山であった。
副団長・ウィル=ロッサリオンは死体の下敷きとなっていたためにとどめを刺されず、幸いにもまだ息はあったが、意識が戻る気配がなかったため、至急手当てをするべく本陣に運ばせた。
そして、団長・シャイニーヌ=アレンティアは物言わぬ屍として発見された。鎧を脱がされ、ほぼ全裸の状態で倒れていたことから、散々痛めつけられた後に敵兵士たちによって凌辱されたであろうことが容易に想像できた。
「どこだ……! オウガ=バルディアスはどこだぁぁぁぁぁ!」
普段発することのないような声をオータスはあげた。
脳裏に浮かぶはあの夜のこと。月下でくだらないことを話しながら盃を交わしあった。戦が終わったら、今度はユイナの山菜を肴にまた呑もうという話をした。
しかし、それはもう叶うことはない。
怒りが脳を、身体を支配する。
「てめぇらぁぁぁぁぁ!」
手当たり次第に敵兵を斬る。
この一人一人がシャイニーヌを辱めたのかも知れない。そう考えると、とても許すことは出来なかった。
もちろんそれが乱世の習いであることはわかっている。彼女とて、それを覚悟のうえで女の身で戦場に立っていたのだろう。
だが、それでも。身体の内から溢れてくる憎悪の感情を止めることは出来なかった。
感情に身を任せ、ただひたすらに剣を振るうオータス。そして、丁度雑兵を20人ばかり斬った時、ついにその男の姿が視界に入った。
「黒き剣よ、俺に力を! あの男、オウガ=バルディアスを葬り去る力を俺に与え給え!」
刹那、赤黒き光がその刀身に宿った。
それはオータスの感情をそのまま表すが如く、激しく、そして禍々しいものであった。




