第19話「絶体絶命」
深夜、深い森の中を駆ける一人の少女の姿があった。
彼女の着ている服はビリビリに破れていてほぼ原型を留めておらず、またそこから見える肌には葉の先で切ったのであろう無数の傷があった。
彼女はほんの数日前まで、普通に町で暮らしていた。
友人や家族に囲まれ、決して裕福とはいえないものの貧しくもない、ごく当たり前の生活を送っていた。
そしてそれはずっと続くものだと、そう信じて疑わなかった。
だが、エイヴァンス家の兵が家にやってきたあの日、ずっと続くかと思われていた彼女の当たり前の生活はいとも簡単に崩れ落ちた。
エイヴァンス公爵には夜な夜な気に入った町娘をさらっては陵辱の限りを尽くすというお世辞にも良いとは言えない趣味があった。
そして、美しい容姿を持つ彼女はその標的となったのである。
だが、幸いなことに彼女は服こそ破かれたものの、それ以上のことはなにもされていない。
彼女を不憫に思った兵士の一人が公爵が王宮へと行っている間に逃がしてくれたのである。
(あの兵士さん、上手くごまかすって言ってたけど大丈夫かな……)
彼女はふとそんなことを考えたが、すぐに首を振る。
いまは逃亡中の身。夜盗や魔物に出くわす可能性も十分にある。
他人の心配などしている余裕など彼女にないのだ。
(絶対に生き延びてやるんだから……)
今どこにいるかなどわからない。
ただその先に集落があることを信じ、彼女はひたすら走った。
「くぅぅぅぅ、癒される~」
そんな間抜けな声を出しながらオータスはゆっくりと湯に浸かった。
ここはスタンドリッジ家の大浴場。オータス以外に人影はない。
ほかの兵士達はすでに全員入り終えているし、マインや女官ら女性陣は当たり前だが別の浴場を使っている。
すなわち、この大きな風呂をのびのびと一人で堪能できるということになる。
オータスは早速持ってきた酒を杯に注ぐとぐっと口に流し込んだ。
(窓から見える綺麗な星々を肴に一杯……うむ、最高だな)
幸せに浸るオータス。
そして、もう一杯飲もうと酒を再び杯に注ごうとしたその時だった。
開くはずのないその扉は開かれた。
(ん、誰だ……?てっきり俺で最後だと思ったんだが……)
オータスは扉のほうを凝視する。
湯気でよくは見えないがシルエットだけは辛うじてわかった。
(兵士にしてはやけに小さいな。それに丸みを帯びたあの体つき……あれじゃあまるで……)
ふと、オータスの頭に一つの可能性が過ぎった。
(いやいや、まさか)
そう、オータスは慌てて否定しようとしたが、次の瞬間、その疑念は確信へと変わった。
「はぁ、ユーウェル卿がお優しい方で良かった……」
女性の声だった。
そしてその声にオータスは聞き覚えがあった。
(よりによってこの人とは……俺、殺されるかもな)
オータスは湯船に入っているのにも関わらず、寒気を感じた。
もし他の人ならばあらかたの罵声を浴びるだけですむだろう。
誠心誠意謝れば許されるかもしれない。
だが、彼女の場合は違う。
なぜならば彼女はカーライム国民にとって特別な存在だからだ。
その特別な存在を汚した者は問答無用で排除される。謝罪など無意味だ。
やがて湯気は薄れ、彼女の、シアン=ハンセルン=カーライムのしなやかな肢体があらわとなった。




