第14話 その旗の下へ
クラリッサの部屋へ、血のついた旗が運び込まれた。
濃い青の布に、白い城門と冠。片側の紐が切れ、端が裂けている。
持ってきた御者は、片腕を吊っていた。
「昨日、ここで油を積んだ者です。帰りに、東の渡しで止められて……」
ベルトラムが椅子を寄せる。
「誰にだ」
「兵です。槍に赤い房がついていました。荷を改めると言われて、許可証を出したら、それも取られた」
クラリッサが帳面を開いた。
御者が続きを話す前に、名前と荷の量を書き留める。
「城の物は預かる、と。俺が旗を外されるのを止めたら、殴られて……」
男は卓の布を見た。
「一緒にいた荷運びの子も、向こうに残ってます」
エステルが腕の吊り布へ手を伸ばした。
ベルトラムは、裂けた旗を畳んだ。
「城主様へ、お伝えする」
◇
レナードは、旗を卓へ広げて見た。
昨日、エステルと眺めたものと同じ図柄だった。
血は乾いていた。端に、泥のついた靴跡もある。
「渡し場は、どのくらい離れている?」
「徒歩なら半日以上。馬なら、夕方までに戻れます」
ベルトラムが地図を示した。
「こちらの領からは出ておりません。ただ、渡しは王国の兵が管理しています。昨日まで荷は通れていたのですが」
「今朝は、別の商人も止められました」
クラリッサが言った。
「城へ入る荷に限るそうです。命令書を見せるよう頼んでも、応じなかったと」
レナードは旗の端を指で伸ばした。
早かった。
昨日、あの印を掲げた者を守ると言ったばかりだ。
皆が旗を用意してくれた。自分はそれに応え、なかなか王らしい台詞を返した。
その翌日に、知らないふりをしては台無しだった。
「行こう。旗と、人を返してもらう」
ベルトラムが顔を上げた。
「ご自身で?」
「俺の名で通した荷だ」
静かに返し、椅子を立つ。
いい。今の流れはよかった。
普段は動かない王が、自分の旗を傷つけられた時だけ出向く。こういう場面は、むやみに人へ任せない方がいい。
ただ、馬だった。
レナードは壁へ掛けた外套を見た。
あれを着て鞍へ乗ると、裾が尻の下へ入り込む。降りる時まで気づかず、先日も少しもたついた。
今日は、先に捌いておこう。
◇
東の渡しには、荷車が列を作っていた。
川へ張った太い綱に沿って、平底の渡し船が岸へ寄せられている。船頭たちは客を待たせたまま、関所の方を窺っていた。
槍に赤い房をつけた兵が、道を塞いでいる。
その奥には、青い旗を外された荷車が2台あった。
「許可証を」
兵が手を出した。
レナードは馬から下り、手綱を同行した兵へ渡した。
外套は引っかからなかった。
よし。
「廃城から来た。止めた荷と、ここに残っている者を返してくれ」
兵が顔を見合わせた。
詰所から、鎖帷子を着た男が出てくる。
「渡しの警備を預かる者だ。王国の命によって、不審な荷を調べている」
「調べ終わったか」
「まだだ」
「何を探している」
男は答えず、レナードの背後を見た。
ベルトラムと、城の兵が3人。武器を抜いている者はいない。
「城主本人か」
「ああ」
「ならば、事情を聞かせてもらおう。詰所へ入れ」
左右の兵が動いた。
道を空けるのではなく、帰り道を塞ぐ。
ベルトラムが低く言った。
「城主様。荷は、あちらに」
目を向けると、荷車の脇に若い荷運び人が座っていた。
片目が腫れ、膝に両手を置いている。
レナードは、詰所の男へ顔を戻した。
「話は、ここでいい」
◇
「武器を預かる」
男が顎を動かした。
兵の1人が、レナードの腰へ手を伸ばす。
その手が止まった。
腰の剣まで、あと指2本。兵は肩を捻ったが、腕だけが動かなかった。
「先に、荷へつけていた旗を持ってきてくれ」
「貴様、王国兵へ――」
男が剣を抜いた。
刃が、途中で折れた。
乾いた音とともに、切っ先が地面へ落ちる。
兵たちが一斉に槍を構えた。その穂先が持ち主の手を離れ、空へ並んだ。
渡しを待つ人々が後ずさる。
詰所の戸口で、もう1人の兵が短弓を引いた。
「やめろ!」
ベルトラムの声より早く、矢が放たれた。
レナードの横を抜け、馬の首へ向かっていた。
矢は宙で止まった。
レナードは振り返り、地面へ下ろす。
城なら、もう少し早く気づけた。
ここでは先に魔力を広げ、届く範囲を確かめる必要がある。川向こうまでは薄いが、この詰所と船着き場なら、もう収まっていた。
彼は弓兵へ視線を戻した。
「次は、返す」
男の指が弦を離れた。
レナードは、そのまま詰所の責任者を見た。
いい。短くてよかった。
砲弾を返した話が伝わっているなら、これ以上の説明はいらないだろう。
実際、男の顔は青くなっていた。
◇
責任者は、折れた剣を握ったまま立っていた。
城でしか使えない力ではなかったのか。
そう聞いていた。
領主軍は、廃城の防御設備を知らずに近づいた。城から引き離せば、捕らえられるはずだと。
だが、目の前で槍が浮いている。
今の矢も止まった。
「……我々は、指示に従っただけだ」
「誰の指示だ」
ベルトラムが尋ねた。
男の目が詰所へ向いた。
レナードは、その前を通って荷車へ歩いた。
荷運びの青年が立とうとする。
「座っていてくれ。帰れるか?」
「はい。荷があれば、俺は……」
声が掠れた。
レナードは、荷車の台へ目を向けた。
青い布が、帳面と縄の下へ押し込まれていた。
取り上げ、広げる。
泥で汚れているが、破れてはいなかった。
「これを、元の場所へ」
御者へ渡すと、男は両手で受け取った。
震える指で、旗を荷台へ結び直す。
レナードは作業が終わるまで待った。
◇
命令書には、王都の役所の印があった。
城へ向かう軍需物資と、身元不明の兵の移動を調べること。拘束する必要がある場合は、上官へ報告して指示を待つこと。
「油と布だ。購入先も記してある」
クラリッサの用意した荷札を、ベルトラムが机へ置いた。
「人を殴れとも、城主を捕らえろとも書いていない」
責任者は黙っていた。
「あなたが言われたのか。それとも、自分で決めたのか」
男は、ようやく口を開いた。
上官から、廃城へ荷を入れすぎるなと言われた。
城主が現れたら足止めし、使いを出せとも。
その上官は、昨夜から川向こうの駐屯地へ戻っていた。
ベルトラムは証言を書き留め、命令書の写しを取らせた。
レナードは、その間に青年の怪我を見た。
エステルへ連れて帰ろう。少なくとも、ここへ残していく気にはなれなかった。
「荷車を通せ」
責任者が、レナードへ顔を上げた。
「渡しも使わせる。ほかの商人も、調べるなら理由を告げろ」
「……承知した」
返事があった。
レナードは頷き、外へ出た。
迎えに来て、人と旗を取り戻す。
王が出向いた意味は、十分あったのではないだろうか。
あとは馬へ乗る時、外套を踏まなければいい。
◇
帰りの荷車には、怪我をした青年が乗った。
後ろで旗が揺れている。
城の塔が見え始めると、青年が荷台から身を起こした。
「あれですか」
「ああ」
「俺も、入っていいんでしょうか。城の人間じゃないんですが」
レナードは馬上から答えた。
「その荷を届けに来たんだろう。入ってくれ」
青年は旗を見た。
御者も、一度だけ振り返った。
その日、渡し場で待たされていた商人たちは、青い旗の荷車が通っていくのを見ていた。
兵に止められ、殴られても、あの城から迎えが来る。
噂は、馬車より先に次の宿場へ届いた。
◇
城門で、エステルが待っていた。
レナードより先に、荷台の青年へ駆け寄る。
「目を打ったんですね。顔をこちらへ」
その場で確かめ、厨房の隣へ運ぶよう頼んだ。
仕事を終えて戻ってきた彼女は、レナードの外套へ目を留めた。
「裾、濡れていますよ」
「川の近くだったからかな」
エステルが屈み、泥のついた端を持ち上げた。
「お預かりします。乾いた泥を落としてから洗いますから」
「自分でできるよ」
「ほかの物と一緒です。それより、お怪我は?」
「ない」
彼女は顔を上げ、ようやく息をついた。
レナードは留め金を外し、外套を渡した。
人前で脱いで渡すと、従者へ任せる王のようで、少し気分がよかった。
ただ、エステルは外套を畳む前に、内側の縫い目へ目を落とした。
「ここ、ほどけていますね。帰りに引っかけました?」
レナードは、一瞬だけ黙った。
馬から下りる時だった。
誰にも見られなかったはずなのに、帰ってきてから分かるとは。
「……少し」
「直しておきます。明日も着るでしょう」
彼女は笑い、外套を抱えて戻っていった。
レナードはその背を見送り、明日は礼に何か買ってこようかと考えた。
面白いと思っていただけましたら、ブックマーク・☆☆☆☆☆からの評価をいただけると嬉しいです!
感想も大歓迎です。執筆の励みになります!




