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第09話 観察者の協力
セレスは本のページをめくりながら、不意に問いかけてきた。
「ところで、ガルド団長の件。あれはわざと?」
「わざと? 違いますわ!!」
思わず声を上げてしまった。反応の激しさが、かえって疑いを強めるのだろう。セレスの目は、ますます興味深そうに輝いた。
「わたくしはただ巻き込まれたくなかっただけで」
本音を言ってしまった。まずい、と思ったが、後の祭りだ。
「巻き込まれたくなかった、ねぇ」
セレスは口元に笑みを浮かべた。笑い方は、何かを発見した魔導士かのようだった。
「つまり、自分が死にたくないからガルドを助けたと?」
その言い方は、正確だった。
ただの事実だが、その中には鋭い指摘が含まれている。
「そ、そうですわ」
認めざるを得なかった。
「面白い」
セレスが呟いた。
(え、なんで面白いの!?)
彼は本を軽く叩きながら続けた。
「普通の令嬢なら、あの状況で動けない。ましてや、騎士団長を引き倒すなんてね。身体の大きさからして、通常の女性の力では不可能だ」
「い、いや反射的に」
「反射的を選んだ、ということだろう?」
セレスは、こちらの反論も織り込み済みのような口調だ。
(いや、選んだんじゃなくて保身なんだけど)
しかしセレスは、勝手に自分の理論を組み立てていく。
(こういう論理的なところがあるよな)
「君は危機的状況に置かれた時、自分の身を守るために、他者を救うという選択肢を、無意識に選んでいる」
(違う違う違う!!)
「そしてその行動が、結果的に周囲の評価を劇的に上げている。王太子からも好感を得て、ガルドからは忠誠を誓われた。まるで計算されているようにね」
セレスはニヤリと笑った。
「いや、その笑い方は怖い。計算してない!!」
思わず叫んでしまった。
「わたくしは、本当に自分を守りたいだけで、結果として他者が助かっているだけですの!」
「ふぅん。そうか」
セレスは本を閉じた。その瞳は、決して納得していない。むしろ、より一層の興味を抱いているように見える。
◆
セレスは、一歩近づいた。距離は、社会的に親密とされる範囲を越えている。意識的に、距離を詰めてきたのだ。
彼は低い声でささやいた。
「リリアナ嬢。君は本当の顔を隠しているね?」
(ぎゃああああああああ!!)
心の中で悲鳴を上げた。まさに核心を突かれている。確かに、自分は本当の顔を隠している。転生者という秘密を、誰にも明かせない。そして、自分の本当の目的は生き延びることであり、それ以上でもそれ以下でもない。
セレスは、その隠された真実を感じ取っているのだ。
「でも安心して」
セレスは一歩下がった。
「僕はそういう人、嫌いじゃない」
「え、どういう意味?」
予期しない言葉が返ってきた。
非難ではなく、むしろ肯定的な言い方。セレスは、リリアナの秘密を知っていながら、それを責めるつもりはないというのか。
「君の裏を暴くつもりはない。むしろ」
セレスは微笑んだ。
その笑顔は、本当に楽しそうだった。
「面白いから、協力してあげるよ」
「なんでそうなるの?」
叫びたい衝動を、かろうじて抑える。
セレスは何を考えているのか。これまでの会話から推測すると、彼は私の秘密を直感的に感じ取っている。
転生については知らない。では、彼は何を本当の顔だと思っているのか。
おそらく、計算高い女性という認識だろう。王太子とガルドの両方から好感を得るために、綿密に計画を立てているリリアナ、という解釈。
その誤解を、訂正することはできない。訂正すれば、本当の秘密により近づくことになるからだ。
(面倒な男だな)
◆
セレスは本を胸に抱えたまま、楽しそうに話を続けた。
「君の行動には、必ず意図がある。僕はそう見ている」
(いや、意図は生き延びたいだけなんだけど)
その本音は、もちろん言えない。
代わりに、私は沈黙した。
「だから、僕は君を観察する。そして必要なら手を貸す」
「なぜ、わたくしに?」
その質問は、本当に疑問だった。
セレスが、なぜ自分の秘密を知りながら、なお協力するのか。その理由が分からない。
「決まってるだろう?」
セレスは、楽しそうに笑った。
「君が、この王宮で一番面白い存在だからさ」
「そんな理由?」
反射的に叫んでしまった。セレスの目を見ると、それが本当だということが分かった。彼は、本気でそう思っているのだ。
王太子は君主として、ガルドは騎士として、そして使用人たちは従者として。みんな、それぞれの立場で、予測可能な行動をしている。
しかし転生した私は、予測不可能だ。善意でもなく、悪意でもなく、ただ生き延びたいという本能で行動している。その矛盾と予測不可能性が、セレスのような観察者にとっては、最高の興味の対象なのだ。
「君は、どんな状況でも、その時点での最適な行動を選んでいる。それは、計算高さのようであり、同時に、純粋な本能のようでもある。その矛盾が」
セレスは目を輝かせた。
「本当に、面白いんだ」
こうして、私は観察者であり協力者という、最も厄介な立場の人物を、味方につけることになってしまった。
いや、味方なのか。それとも、監視者なのか。
その判断は、予定の日の断罪イベントで下されるのだろう。
◆
セレスは図書室の扉へ向かいながら去った。
原作では、リリアナは断罪される。現在の状況は、原作と大きく異なっている。王太子は好感を持ち、ガルドは忠誠を誓っている。使用人たちは信じ始めている。
この状況で、果たして断罪は行われるのか。
「そっか。まあ、面白いことになるだろう」
セレスは、楽しそうに図書室へ戻っていった。
残された私は、その場に立ち尽くした。
今、自分の周囲には、四人の重要な人物がいる。
王太子アレクシスは、好感度が高く、自分に好意を持っている。だが、彼は王族であり、ヒロインのミレイユとの関係も存在する。
ガルド騎士団長、忠誠度が最高だが、彼の忠誠が、他の人物たちの敵意を生む可能性がある。
宮廷魔導士セレスは、秘密を感じ取りながらも、協力を約束した。その協力の内容は不確定だ。
そして、まだ登場していないキャラもいる。それらがどう動くのか。
全ての要素が、イベントに向けて収束しようとしている。
(なんでこうなるのよ)
私は、そっと頭を抱えた。
「私、ただ静かに生きたいだけなのに」
その呟きが、空の図書室に吸い込まれていく。
夜は、どんどん深くなっていった。
数日後に、断罪イベントとなる。
あと、わずか数日で、すべてが決まる。
その時、自分は何ができるのか。
また、何が起きるのか。
分からない。
ただ、運命の歯車が、急速に回転しているのだけは感じた。




