三十話 誘い
旦那様とは違う、けれど聞き覚えのある声だった。
俯いていた私は咄嗟に顔を上げて、声の主を確認する。
「……あなたは……」
「え、もしかして忘れたのか? はは、酷いなぁ。ルイスだよ、ルイス・オルブライド。まぁ、久しぶりだもんな。大体三年ぶりか? ルチナ、会いたかったよ」
目の前の男は、聞いてもいないことをべらべらと喋り出す。私はというと、信じられない思いでその男の顔を見ていた。
「……一体なぜここに?」
「そんなの、アイゼンベルク公爵からご招待いただいたからに決まってるだろ? そんなことより……お前、クランドール伯爵と結婚したそうじゃないか」
「それが、なんだというのです? 第一、あなたは私にもう会わないと、あの時言っていたではありませんか……!」
相変わらず、軽薄そうな見た目によく回る口。私は昂りそうになる感情を抑えながら、必死に平静を保とうとする。
「あの時は、お互い若すぎただけだ。私も結局、あの時の令嬢とは婚約破棄したしね。それより……最近では悪女なんて噂されているルチナに求婚したってことは、どうせ政略結婚か何かだろう?」
「……何が言いたいのですか」
「つまり……夫婦仲の心配をしてあげているんだよ。クランドール伯爵はちゃんと君のことを愛してくれているのか?」
「はぁ……!?」
「夜の方で満足していないなら、私の愛人にでもなったらいい。私だって、ルチナがこんなに美しくなるとわかっていたらあんな酷い振り方はしなかったさ」
男はニヤニヤしながら私に近付き……そっと囁いた。
気持ちが悪い。けれど、身体が動かない。全身が拒否しているのだ。このルイスという男を……。当たり前だわ、植え付けられたトラウマがそんな簡単に払拭されることなんてない。
「なぁ、いいだろう? クランドール伯爵がいないうちに、私と共に会場から……」
「っ、私の妻に何をしているっ!!」
男の手が私の腰に触れた瞬間、突如反対側からグイ、と肩を引き寄せられた。
「旦那様……」
「ルチナ、すまない。俺が離れてしまったから、こんな男に絡まれて……。それで、お前は誰だ? 俺の大事な妻が真っ青な顔をしているが」
「あぁ、すみません。ルチナ……おっと、クランドール伯爵夫人とはちょっとした知り合いでしてね。つい懐かしくなってしまっただけなんです。では、失礼いたします。……ルチナ、また会おう」
「……誰が、あなたなんかと……」
男はヘラヘラ笑って、私達のそばから離れていった。
その瞬間、ドッと疲れが襲ってきて、なんだか眩暈がする。目の前がちかちかして、立っているのがやっとなくらい。
「ルチナ。もう帰ろう。顔色も良くないし、嫌な思いをしただろう」
「……すみません、お言葉に甘えさせていただきます」
「謝る必要はない。俺も夜会は好きではないし……ルチナのことが一番だからな」
そう言って、旦那様は優しく微笑む。私はなんだか安心してしまって、旦那様に寄りかかるように歩きながら、帰りの馬車へと向かったのだった。
____この人には、全て話さなければ。
そんなことを考えながら。




