一話 貧乏令嬢ルチナ・マガーリッジ
「ルチナ! 大変だ! 大変なことが起こったぞ!」
執務室で書類に判を押していた時、父が豪華な書状を持って嬉しそうに部屋に入ってきた。
……かと思えば、いきなり「お前は自慢の娘だ!」なんて言って抱きついてくるんだもの、何事かと思ったわ。
興奮気味の父を宥めながら話を聞くと、どうやらこの書状は私への婚約を申し込みたい旨が記されていたらしい。
「……本当に、私にですか?」
「あぁ! それもあのクランドール伯爵からだぞ!」
「それは読めばわかりますけれども……クランドール伯爵だって、まさか我が家の経済状況や私の評判を知らないわけじゃないでしょうに……」
私が困惑しながら呟くと、父は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
そうなのだ、なんといっても我が家……マガーリッジ子爵家は、社交界でも有名な『貧乏貴族』なのである。
祖父の代までは良かったのだけれど……問題は父だ。娘の私でも呆れてしまうくらい、父には経営の才能がない。
おまけに私を溺愛して、すぐに宝石やらドレスやらを勝手に買ってくるものだから……我が家の財産はあっという間に底を尽いた。
それでも、持ち前の美貌と人の良さで社交界を生き抜いているのだから、憎めないんだわ。
母は昔に病気で亡くなってしまったということもあって、3年前から私がこの家の事業経営を担っている。
おかげで没落寸前だったマガーリッジ子爵家は、ようやく以前の明るさを取り戻そうとしていた。
……もちろん、社交界ではこのことは秘密だ。
表面上では、「溺愛されている娘が贅沢放題するせいで貧乏になってしまったが、敏腕子爵の経営術によって持ち直しかけている」ということになっている。
事実とはまるで真逆なのだけれど、齢19の子爵令嬢が父に代わって事業を切り盛りしているなんて……とてもじゃないけど言えるわけがないもの。
それこそ、我が家の評判に関わるわ。
まぁそんなわけで。
マガーリッジ子爵家の……というより、その令嬢である私の評判は、とてもじゃないが良いとは言えない。
それに加えて、社交界にも滅多に顔を出さずに仕事ばかりしていたものだから、あっという間に婚期を逃してしまったというわけだ。
「やっぱり、何かの間違いではありませんか? クランドール伯爵ともあろう方がわざわざ私を選ぶ理由がないでしょう」
「それは……実はルチナが家を取り仕切っていることを知っているとか! ルチナに一目惚れしたとか……!」
「ありえませんわ。そもそも私はクランドール伯爵とお会いしたことすらないのですよ? 特に最近は忙しくて、社交界に顔を出すこともありませんでしたし」
「そ、そうか……」
父がシュン、と肩を落とす。
……まぁ、父が興奮するのも無理はない。なんといっても、相手はあのクランドール伯爵なんですもの。
アーノルド・クランドール伯爵。
若くして伯爵家の当主となった、国一番の剣士。
更には事業経営の才もあり、まさに文武両道の伯爵様だ。
この国で彼の名前を知らない貴族はいないほどの有力貴族。
うちのような貧乏貴族と違って、かなり潤っているでしょうしね……。
……けれど、クランドール伯爵が有名な理由はそれだけじゃない。
なんといっても、彼は国一番の剣士でありながら……国一番の美青年なのである。つまりは半端ないイケメンというわけ。
だからまぁ、彼は未婚の令嬢達から当然とてつもない人気がある。年齢も確かまだ25歳。
私は直接見たことはないけれど、彼が舞踏会に参加すれば彼を囲む令嬢達の花束が出来上がるとかなんとか……。
まぁ、そんなわけなので……クランドール伯爵が私へ求婚するメリットなんて、何一つないわけで。
正直、何か裏があるのでは?と疑ってしまう。
けれど、父はもうすっかり乗り気みたいで、瞳をうるうるさせながらこちらを見つめてきているし……。
冷静に考えれば、この結婚は我が家にメリットしかない。クランドール伯爵家の後ろ盾があれば、父の壊滅的な経営能力でもなんとか没落を防げるだろうし。
なにより、貢ぎ先の私が嫁ぐという判断は良いかもしれない。
父にもいい加減、子離れしてもらわないと困るものね。
私はふぅ、と深く息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。
「わかりました。私、クランドール伯爵家へ嫁ぎます」
……こうして、私は突然の嫁入り準備に追われることになったのである。




