第九話 エンジョイ勢がゆく
『使用後は必ずドアを開放。締切厳禁』
第四層にまでトイレが設置されていた。その注意書きだ。
確かに魔物が入り込んだら悲惨だ。魔物に食べられないプラスチックパネル組みの個室トイレが並ぶ。衝立を貼り合わせた薄っぺらい造りだが、雨風がないので視線さえ遮れればいいのだろう。浄化消臭液槽の中にボットンする仕組みだ。水洗は無理かな。適当に窪みに流してスライムに食べさせればいいとも思うけど、うじゃうじゃ集まられても怖いしな。
トイレはあるものの浅層では基本的に各自の排泄物は持ち帰り推奨だ。放置してもいずれはダンジョンが吸収するが人が多いとそれも追い付かない。
「こんにちは」
「こんにちは。あれ、お子さんを連れていらしてるんですか」
探索者たちが眉を顰める。
「はい。まあ、危険なところまでは行かないので」
危険な所に行かないのは本当だ。俺たち基準の危険だが。
はななを連れていると時々声を掛けられる。
登山客がすれ違うときのようにダンジョンでもこうした挨拶がエチケットになっている。そして魔物のうろつく階層では面と向かって非難されがちなのだ。あんた正気かと。児童虐待かと。鬼親かと。
スキル満載のチート娘ですと言えれば楽なのだが、それは喧伝することでもない。バカ親の汚名は甘んじて受けるしかない。
「おとうさん悪くないのに」
「いや、悪いとは思うよ。父さんたちからすれば、そうじゃない、ちゃんと覚悟のある行動だけどね」
「世の中むずかしいね」
「それが分かれば十分かな」
そのまま第五層に下りると戦闘中だった。
「すみません、危ないので少し待っててください!」
後衛らしい照明係が注意してくる。二十代に見える男女の七人組がゴブリンと戦っていた。
投網で絡め捕ったゴブリンを二人掛りで腹這いに押さえ付け、別の一人が頭を殴打する。全員がレンタルの強化杖を装備。ゴブリンは屠殺に怯える家畜のような声を上げていたが、やがて静かになり動かなくなった。そして消滅し魔石を残す。
「ありがとうございました。お待たせしました」
「お疲れ様です」
彼らの中に攻撃スキル持ちはいないようだ。スキルがないと中々奇麗には殺せない。血みどろの死闘になる。死骸や血痕がすぐに消えるのがせめてもの救いだ。
「こわかったー」
「攻撃系のスキルを手に入れるまでは大変だな。仕留めるのに時間が掛かると、疲労も半端なく溜まるだろうしね」
俺もはななも最初のスキルの幾つかは、魔物のいない庭先ダンジョンで取得している。
最初に発生した庭先ダンジョンが既に魔物がいる規模だったら、きっと無傷で踏破することはできなかっただろう。初めて魔物に遭遇した時も、心の準備は必要ながら、ほぼ瞬殺できている。
人型の生き物を殺すのは心理的ハードルが高いみたいなことが言われるけれど、実際は家猫程度のサイズの生き物ですらかなりの抵抗がある。
たいていの人が蚊や羽虫くらいなら殺したことがあるはずだ。忌避感の程度はともかく普通に殺せると思う。
けれどそれなりの大きさの生き物の肉を叩き、骨を砕き、苦悶の手応えを感じながら殺すのは苦痛だろう。少し手間取るだけで心が折れそうになる。
ダンジョンの魔物は人に襲い掛かる性質があるのと、死ぬと必ず消滅するので、なんとか殺せるのだと思う。とくに光の粒子として消えてくれるのが助かる。通常の生き物とはまるで違う存在だと自分に言い訳できるから。もし恨みがましい目の死体と向き合ったりしたら精神がごっそりと削られる。
「はなな。ライト点けるよ」
ここでバッテリー温存のために使っていなかったヘッドガードのランプを点ける。俺もはななも〈明視〉スキルがあるので視界は良好だけど、他の探索者から見えにくいので念のため。暗闇に蠢く魔物親子と間違われて攻撃されたくはない。
第六層に下りる。ここが最後の照明層になる。
ぽつぽつと小さめのLED灯が頼りなくぶら下がっているだけで主要通路ですらかなり暗い。けれどダンジョンらしい風情ではある。あまり明る過ぎるのもね。
ここまで魔物との遭遇はない。休日エンジョイ勢が取り合っている状態なので、こっちにまでおこぼれが回らないのだ。
ダンジョンは下層ほど水平方向にも広がり探索距離が伸びる。六層ではゴブリン以外に昆虫型の魔物が現れる。トゲコオロギは頭にスパイクのある黒いバッタ型の魔物で体長六十センチくらい。いきなり岩陰から飛び掛かって来るのでギョッとさせられる。
俺たちは事前に確認したルートを辿り、最短距離で下層を目指す。
第七層。暗闇の層。
観光客は入らず、スキル持ちのガチ勢はスルーする。ここはエンジョイ勢の主戦場だ。そこそこ人がいて、そこそこ魔物がいる。ゴブリン、トゲコオロギ、スライムに加えてマンバットとキングラットが出る。
マンバットは人間そっくりの頭を持つ気味の悪いコウモリ。猿のように顔に毛が無く、某テレビコメンテーターに瓜二つのドヤ顔をしている。それを揶揄されまくったコメンテーターを降板に追い込んだという凶悪な魔物だ。いや、凶悪なのは視聴者か。
キングラットは目つきの悪いカピバラ。王様なのにうじゃうじゃいる。団体王か。雑魚王か。ところで、王様ばかりの国もやはり王国と呼ばれるのだろうか。
どちらも噛み付き攻撃をしてくる。麻痺系の弱毒があるので群れに囲まれると厄介。
急襲するトゲコオロギをバールの一振りで迎撃。
叩き付けられた体が壁面をずり落ちながら消滅、魔石の転がる音がする。
〈探知〉を発動しているので通路の岩襞に潜んでいても気付くことができる。〈探知〉は微妙に人間の気配も捉えるので、混雑する階層では使いにくいことがある。
ゴブリンの魔石は苺サイズだが、これはその半分くらい。魔物の生命力に比例しているそうだけど、買取価格もおおむね比例するので、おそらく七百円くらいの売値だろうか。
「おちないよー」
「必ず当たりが出ないと満足できないのかよ」
トゲコオロギはスキルオーブを落とさなかった。
ドロップアイテムの出る確率については盛んに議論されているが、納得できるデータはない。あるいは公表されていない。
初回特典を逃すなという説や、弱い魔物から強い魔物へと段階的に倒さないとダメという説、同じ魔物からは二度と出ない、一撃で殺すのが条件、無欲でいることが吉、はたまた女性探索者の方が出やすい、参拝するだけでアイテムが落ちるようになる神社はこちら、などの俗説だらけだ。
つまりそれらを検証できるほどスキルオーブは落ちないということだ。『百匹倒したけどなんも出ない。もう寝る』は探索者掲示板ログオフ時の慣用句にもなっている。
だからこそオーブを得たときの喜びは大きい。
魔法としか思えない力を、ダンジョン内限定とはいえ使えるのだから。
「……われに集いし炎のマナよ、古の熱きマナよ、この身を原火とする断罪の劫火となりて、天を焦し地を灼く奔流をいざ解き放て」
黒ずくめの若い男が、指を広げた右手を前方に突き出し、反り返るほどに背筋を伸ばす。
「暗黒焔!」
右手の平の前でドッジボールほどの真っ赤な炎球が生成される。そのまま陽炎の尾を引いて二匹のゴブリンに向かって飛ぶ。慌てて踵を返したゴブリンの背中に命中。瞬時に上半身を炎で包む。
悲鳴を上げて暴れ転げるゴブリンたち。肉の焼ける臭いを残して消滅。後には魔石が二つ。
「「「うおおおおおおおぉ!」」」
ギャラリーの拍手と歓声。
黒ずくめの男はフッと頬を緩める。
エンジョイ勢だった。中二プレイをお楽しみだった。ぼくがかんがえたさいきょースキル名だった。
「かっこいい」
「カッコイイんかいっ」
はななもそろそろ危ないお年頃か。早目に何とかしないと。
「火撃系のスキルだね。見た目派手だな、あんまり威力ないけど。どこが暗黒なんだか」
「どーん、ばしーんがいいよね」
「いや、堅実にさっくり倒すほうがいいと思うけど」
「おとうさんわかってない」
「分かりたくねー」
とにかく安全第一を心掛けてね。