第六話 はじめてのダンジョン
自宅の居間でお茶とおやつ。
一時間少々で戻っていた。猫のジュヌヴィエーヴは水だけ飲んでさっさと帰った。とっておきの高級ツナ缶を御馳走しようと思ったのに。向かいの家は資産家らしいからもっと良い食事が待ってるんだろうな。
「夕ご飯はファミレス行くか」
「いくー」
ダンジョン探索から戻るとほっとする。
うちの庭のダンジョンは生まれたてで魔物もほとんどいないけれど、本来は命の危険がある場所なのだ。どんな未知の現象に巻き込まれるか分からない。父娘二人での探索に慣れたとはいえ警戒は怠れない。
せっかくの土曜日だから気分転換しよう。まあ単純に夕飯の支度が面倒だ。まだまだ元気なはななが羨ましい。
「買い物もあるから早めに出るよ」
「ジャージぬぎぬぎしちゃうね」
「普通に着替えると言いなさい」
この小さな家に引っ越して二年になる。
周辺は郊外だか田園だかよく分からない半端に緑の多い土地だ。
それまでは隣町の賃貸マンションを住居兼仕事場にして、妻と娘と三人で暮らしていた。ここは少々無理をして購入した、敷地は広めながら建坪二十坪ちょっとの家だ。古民家とまではいかないが有体に言ってボロい。屋根と水回り、内装に手を入れてなんとか暮らせるようになった。外観までは手が回らないけれど。
三年前、県東部の自然公園に大きなダンジョンが生まれた。
桜見物で現場に居合わせた俺たち家族三人は、突然のダンジョン発生に巻き込まれた。
うららかな遊歩道が激しい揺れと共に一転して急斜面になり、俺たちは滑落しかけた。妻と二人ではななを地上に押し上げ、次は肩の上に妻の足を乗せようとした時、さらにダンジョンの開口部が広がった。再び落ちて来たはななが妻にぶつかり、はななは俺が受け止め、妻は暗い穴に落ちていった。
言葉も悲鳴も上げられない一瞬の出来事だった。
穴に呑まれた妻を助けるどころか、脆い土壁の急斜面ではななを支えながら救助を待つことしかできなかった。消防と警察が到着する直前に足下に石段が現れたが、既に俺もはななも立ち上がれないほどに消耗していた。
他にも巻き込まれた人たちがいて、急遽救助隊がダンジョンに突入した。しかし、早くも徘徊し始めた魔物に阻まれ、三層までしか進めなかったのだ。魔物に殺されたとされる遺体を回収して救助活動は終了した。
妻は発見されなかった。発生時の死者六名、行方不明者四名は日本でのダンジョン遭難としては最悪の数字だった。
これが〈桜堤ダンジョン〉と呼ばれることになった日本有数の大規模ダンジョンである。
こうして俺とはななにとってダンジョンは因縁の場所となり、なぜか新居でも繰り返し湧き出てくる腐れ縁な存在となっている。
「おとうさん、明日ダンジョン行きたい」
「桜堤か?」
「そう」
俺とはななは軽自動車で繰り出し、ホームセンターで日用品を補充した後、ショッピングモール内のファミレスで夕食セットメニューを食べていた。ドリンクバーを頼んでも一杯しか飲まないおっさんと違い、はななは早くも三杯目だ。羨ましい。
土曜の夕方なのに席には空きが目立つ。この先ちょっと不安になる商業施設だ。ここが無くなると不便だからぜひ集客を頑張って欲しい。
「無理してないか」
「してないよ」
桜堤ダンジョンは悲しい思い出の場所。
俺の妻でありはななの母親が行方不明になった場所である。
けれど俺もはななも彼女を探しに行くというスタンスではない。
もう彼女は帰らない。亡くなっている。
これまで幾度も話し合ったのだ。
引き摺ったままでは二人とも前に進めなかったから。無理矢理に区切りを付け、葬儀法要も済ませた。今も大きな喪失感を持て余すものの、きちんと彼女を思ってやれるように。存在も不在も否定しないであげようと。
けれどもちろん、原因となったダンジョンを許せないという気持ちはある。いつか俺たちの手で桜堤ダンジョンを消滅させたい。彼女への手向けとして、ケジメとして、静かな敵討ちとして。
桜堤ダンジョンは俺たちにとって最終目標であり、我が家の庭先ダンジョン踏破によるスキル強化の実験場でもある。
幸いなことに桜堤ダンジョンは表向き踏破推奨ダンジョンである。殺すことに問題はない。
「往復もあるから一日かかるけど、宿題は?」
「だいじょうぶ。担任の先生はわたしの言いなりだから」
「これは面談を申し込まないとな」
「うそうそ、じょうだん。今夜ちゃちゃっとやっちゃうから」
「ちゃちゃっとやっちゃダメだろ。宿題は隅々まで味わってじっくりやりなさい」
「そんなムチャなー」
「まあいいか。父さんもさっさと仕事を片付けよう」
「やったー」
ダメな親子だった。
人に聞かれたら随分と軽いノリだと呆れられるかも知れない。けれど悲願に全身全霊を注ぐなんてスタンスは嫌だし、見える態度ほどに能天気でもない。
俺はダンジョン探索許可証を持っている。
これは一般公開されているダンジョンに営利目的で入ることのできる許可証だ。所謂ダンジョン探索者である。
ダンジョン管理協会JECA(Japan Exceptional Cave-like Estate Association)にライセンス料として年間約十万円を納め、探索や採取等のダンジョン内での活動と、そこで取得した資源の売買ができるようになっている。
八年前の世界初のダンジョンの発見。
それからの数年間、世界各国の対応は混乱を極めた。前触れもなく突如出現する謎の洞窟状地下構造。出現場所を予測できず発生を防げない。そして内部で活動する未知の敵性生物様存在。
最奥最深部にある結晶体を消滅させれば地下構造の全てが跡形もなく消失すること。とくに深刻な病原体、毒性物質や土壌汚染も残さないこと。これらの調査結果が衆知されるまで、ダンジョンへの対応は官民ともに迷走した。
初期の段階から完全な国家管理下に置く国、地権者資産の扱いで公的管理コストを最小限にしようとする国、場当たり的対応を繰り返し混乱中の国とに分かれた。どの国に現れるダンジョンも特性に差はないのに、取り扱いについての共通認識は現在も得られていない。そのため国際ダンジョン機構のような上部組織の設立には至っていない。
それどころか、某諸国が戦略ミサイルサイトへの転用や軍用実験場として意図的にダンジョンを拡大させているとの噂が絶えない。事実大規模爆発に起因すると思われる謎の地震波が周辺地域で観測されている。
日本では公式にはダンジョン探索者という職業はない。任意の特殊洞窟調査従事者という扱いだ。
ダンジョンそのものも、ダンジョン内での活動も、全て国が管理すべきという動きもあったけれど、何やら曖昧な部分を残す形になっている。
ダンジョンコアをスキルとして吸収するか、ダンジョン外にコアを持ち出せば消滅するという性質が確認されている上に、ダンジョン内の特殊洞窟生物様群が外に出る可能性が極めて低いこと、そこで採取できるアイテム類に希少性有用性が見出せることなどから、ダンジョンは資産として扱えるとの考えだ。とはいえ自治体等に譲渡するなどして管理責任を放棄する地権者がほとんどだが。
それでも国はJECAを通して、国内すべてのダンジョンの状態とダンジョンに出入りする人間を把握している。設定された公益ラインを上回るか下回るかを注視しているのだ。
ところで、ダンジョンが私有地に存在する場合、地権者には自治体等を通じてそれを報告し調査及び審査を受ける義務がある。秘匿した場合には罰金を伴う罰則もある。
俺は庭先ダンジョンの存在を報告したことはない。
発見しだい俺とはななで踏破消滅させている。発見すれども存在させずだ。
てっきり陥没孔かと思いました、豪雨や地震もありましたしね、興味本位で奥まで入ってみたら消えてしまって、まさかこんな場所にダンジョンなんて思いもしませんよ、ははは、である。これだけ回数を重ねていては無理筋の屁理屈だが。
今日までのところ庭先ダンジョンは二十四回発生しすべて消滅させた。
ダンジョンが同一の場所に繰り返し発生する例は世界的にも報告されていない。発生はあくまでランダムであるという認識は変わらない。ダンジョンを呼び寄せるモノにも心当たりはない。本当に俺たちはダンジョンに憑かれているのかも知れない。
幸い対処可能な雑魚ダンジョンばかりなので、独占してスキルの狩場にしている。どんな赤ちゃんダンジョンでも必ずダンジョンコアがあり、それを吸収すればスキルが得られるのだ。
ダンジョンで得られるスキルは、魔法や超能力を思わせる異能だが、ダンジョン内でしか使えない。そしてダンジョン内の探索や魔物の対処には必須の能力と言える。おそらく魔物たちも生命力や能力をダンジョン環境に依存しているのだろう。だからこそ魔物はダンジョンから出られず、スタンピードの類も起こらない。
しかし最近、獲得スキル数が二桁を超えた頃から、ダンジョン外でもスキルを発動できることに気付いた。
威力効力はダンジョン内での百分の一にも満たないが確かに発動する。これは驚きだ。外でも魔法が使えるなんて、知られれば大騒ぎになりそうな話である。こんなことは妄想サイトやネタ掲示板以外ではネット上でも言及がない。情報が伏せられているのか、俺とはななだけの事例なのかは不明だ。まあ、コアスキルをこれだけ多く所持している者が他にいないから検証しようがないと思うけれど。
いずれにせよ俺たち自身をさらに強化しなければ、二十層を超えるという桜堤ダンジョンの踏破は不可能だ。
「お疲れのおとうさんにとくべつサービス」
俺の前に置かれたコーラのグラスの中、溶けかけた氷がキシキシと音を立てて成長し冷霧が漂う。ミドルサーティ男の食後のドリンクとしてコーラは厳しいが、娘の付き合いだから仕方ない。
いや、そうじゃなくて。
「緊急時じゃなければ外で使っちゃダメって言ったよね。とくに人のいる所じゃ」
「ごめんなさい。でも、ここ空いてるし、だれも見てないもん」
「そういうことじゃないよ」
これははななのスキル〈発振〉だ。
特定範囲の水分子を励起させたり逆に基底状態に近付ける異能だ。要するに温度を上げたり下げたりできる能力。冷却も可能な遠隔電子レンジみたいなものだ。ダンジョン外でもグラスの氷を成長させるくらいなら一瞬なのだ。
しかしだ。
「約束守れないなら連れて行かないぞ」
「わーん」