第三十五話 迷宮の牛
「あれは。もしかして、件のミノタウロスじゃね」
「みのたさん」
『ホントにそう見えますね』
第十九層への縦穴を下りると、石柱の林立する平坦な場所だった。天井の発光がかなり強く、空があると勘違いしそうな階層だ。
薙ぎ払った柱の残骸が散らばる広間。その中央にミノタウロスそっくりの魔物が座っている。牛頭に赤銅色の肌、はち切れそうな太腿、盛り上がった背筋、筋肉見本のような上腕、黒光りする牛角。重々しさが半端ない。立ち上がると四メートル近いんじゃないかな。
「なんか強者の風格があるな」
「ワンパン、わんぱん」
『はななお姉ちゃん、あれは怖いから。無理だから』
妹枠に収まる気かよ。年上の妹か。
「こっちに気付いてないのかな」
『どうでしょう。近付けば一気に肉薄されそうです』
「小細工なしのパワーファイターか。でも避けては通れなそうだ」
巨大な斧などは持っていない。防具も特にない。けれど溢れ出るような覇気を纏っている。
俺とはななは〈気配遮断〉、雨宮は〈穏身〉で気配は最小だ。けれど強い魔物には察知される可能性がある。
「雨宮はここで待機。はななと二人で行く」
『正気ですか。守護者並みの強さかもですよ』
「あれに後ろに回られるほうが嫌だよ」
正気かと訊かれれば、最初から正気じゃないとしか答えられない。
俺とはななは〈御動〉も重ねて発動、石柱を遮蔽物にしながらミノタウロスの背面に回り込む。ミノタウロスは全く動きを見せない。悠然と座ったままだ。余裕か。
(行くよ、はなな)
(やーやー)
(ドイツか)
柱の陰から出て身を晒す。
「〈遅延〉っと」
「〈絶界〉って」
はななが鉄砲玉のように飛び出し、まだ動こうとしないミノタウロスの背中にグーパンチ。背中といっても体格差のせいで腰の辺りにしか届かないが。俺もカバーのためはななを追う。
ぱかーんという乾いた音が響き、牛巨人が粉々に弾け飛ぶ。
血塗れのミンチ肉が視野一杯に広がると同時に、光の粒子となって消えていく。
「あれー」
「うーん」
これで終わりみたいだ。
なんか警戒して損した感じ。
はななのコアスキル〈絶界〉は防御系のスキルで、自分の全身を覆う斥力結界を発生させる。それを拳の前面に集約させ、〈御動〉で増幅したパワーで打撃を加える。見えない盾で強打する感じか。
それでもはななが反動で弾き飛ばされないのが不思議だ。拳を潰したり体を痛めることもない。衝撃は全て障壁の片側のみに集中するのだろうか。体重差無視。意味不明なレベルの突破力だ。
『そ、そんな……』
雨宮がふらふらと寄って来る。ミノタウロスの姿を探しているようだ。もう牛は消えたよ。
『ウソですよね、……これ』
いや、現実だ。
「たぶん守護者じゃないから弱いんだろ」
「フツーのみのたさん」
『そ……そう、なのかなー』
はなながスキルオーブを拾い、緑色に輝く結晶を高く掲げる。ミノタウロスのドロップアイテムだ。俺は魔石を拾う。
「〈猛牛力〉。ちょう殴る。とりま、けりつぶす」
「暴力の権化かよ。ミノタウロスらしいのかな」
「わたしが使います」
「そんなに暴れたいのか娘よ。もう十分ブルフォースだろ。デメリットは?」
「あたまが悪くなる。言うことを聞かなくなる」
「マジか。そんなバーサク娘はイヤだ」
「あいてを倒せばもどるのです」
「倒せなかったらどうする」
「たおす」
「すでにバカになっていた。泣きたい」
認めたくはないが、はななにもどこか壊れたところがある。
心の一部が麻痺しているのかも知れない。
覚えのないまま気持ちに蓋をして、思わぬ部分まで覆ってしまったような。悲しみに耐えていたら恐怖まで忘れてしまったような。心のボタンをかけ違えたような。
そのことにはなな自身も不安を感じているのか、おバカな掛け合いの中にも、こんなヘンな娘でいいのかという自問が込められている。
ダンジョンに潜るようになって、はななが怯えたのはただ一度だけ。疾風鰻に呑まれてほぼ死んでいた雨宮を見た時だ。
それまではゴブリンにもコボルトにもヘルハウンドにも、怯むことなく涼しい顔で向かって行った。ダンジョンを、魔物を怖がらない。どんな相手でも躊躇わずに止めを刺せる。これだけのスキルを揃える前からだ。それが如何に異常なことか。
ミノタウロスに迷わず突進できることの危うさ。
ゲームモニター越しのキャラクターではない。熱と重量と殺意を持つ怪物なのだ。それを最初からものともしない子供。
ダンジョンの奥へと抵抗なく突き進む子供。身の危険を無視できる子供。ダンジョンの外では手持ちぶさたのまま足踏みを繰り返す子供。
すっかりダンジョンに囚われているのだ。
そして俺はそれにしっかり付き合う。はななの心を決して否定しない。どんなはななでも俺は受け入れ守るのだ。
「おとうさん」
「うん」
俺とはななが気配に向き直る。一度遭遇した魔物はすぐに気付くことができる。
『また、何か……』
地響きと共に石柱を縫って突進して来るミノタウロスが二体。
「ウボォオオオオァア!」
耳が痛くなる咆哮と共に広間に飛び出し速度を上げる。
「〈操重〉」
体重を五倍にしてやると揃って膝から崩れ落ち、勢い余ってゴロリと前転する。変化についていけないのだ。
「モブゥ……モブフ……モ」
さらに十倍にすると仰向けに伸びたまま、息をするのが精一杯になる。ちょっと可哀そう。
「はなな」
「わかて、〈隔絶〉!」
二匹を横切る一本の火花の線が走る。
真っ二つになり、光の粒子となって消えるミノタウロスたち。後には魔石とスキルオーブの結晶が残る。
地面には〈隔絶〉が刻んだ極細の直線がある。知っていて見ないと気付かないほどの細さだ。相変わらず凄まじい切れ味だ。
拾ったオーブを掲げるはなな。
「〈猛牛力〉!」
「またかよ」
「こっちも〈猛牛力〉!」
「……集まっちまったか」
まったく、芸のない牛である。




